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シドニーの風

シドニー駐在サラリーマンの生活日記です。
心に映るよしなしごとをそこはかとなく書き綴ります…祖国への思いを風に載せて。

今日のシドニー

2008-10-22 20:51:14 | シドニー生活
 今朝(22日)の天気予報では、日中の最高気温15度と真冬並みで、10月の気温としては30年振りの寒さだと予想されていましたが、実際に、今日は冬に逆戻りして、一日中、雨と強風で、上着がないと過ごせないほどでした。寒気がNSW州の海岸沿いに流れ込み、シドニー郊外のブルーマウンテンでは降雪も記録されたほど(10月の降雪は過去50年で片手ほど)。今の時間(夜9時半)は10度を切っていて、やはり真冬並みで、箪笥にしまっていたトレーナーとスウェット・パンツを引っ張り出して来ました。もっとも、日本の真冬の寒さに比べれば足元にも及びませんが、赤道直下のペナンで3年暮らした身には堪えます。
 シドニーの過去の10月の気温はどんなものだったのか調べてみると、
・最高気温 最高38.2度(2004年)、最低12.1度(1871年)、平均22.0度
・最低気温 最高25.6度(1970年)、最低5.7度(1918年)、平均13.5度
ということで、今日の気温が如何に低かったかが分かります。と同時に、3日には今年の10月で最高の34.8度まで上がり、今週末の日曜日には再び29度の予報と言いますから、同じ月で20度以上の上下動があるとは、オーストラリアの気候は私が思っていた以上に激しいと言わなければなりません。本格的な夏になるまで、暑い日と寒い日の繰り返しが、まだまだ暫く続きそうです。

散髪屋

2008-10-22 07:21:07 | シドニー生活
 週末、散髪屋に行きました。そもそも、昔ながらの(とっつきにくそうなオヤジがいそうな)床屋には行きたくないけれど、今風のヘアサロンにも尻込みするというジレンマがある上、どういうヘア・スタイルにするのか、どれくらい切るのか、といった生活英語が苦手で、海外で散髪屋に行くのはいつも億劫なのですが、さすがに我慢ならなくなりました。
 10年以上前の話になりますが、海外で初めて行った散髪屋はボストンでした。古い街なので、散髪屋も昔ながらの床屋の風情で、白人のオヤジが、髪を洗いもせず、バリカンでがりがりやって、ものの10分で8ドルと言われて、髪の切れっ端が顔や背中に飛び散ってちくちくと気持ち悪いのですが、さすがにプラグマティズムの国だと感心したことを覚えています。同じアメリカでも西海岸では、たまたま中国系ベトナム人がやっている店だったからかも知れませんが、日本に近い形で鋏もちょっとは使いました。が、バリカンでごっそり髪を切り落とすのがメインなのは変りませんでした。
 ペナンでは、ユニセックスの店が多く、大抵は中国人が経営していて、やはりバリカンを多用して、最後に鋏で整える程度で、25リンギ(750円)くらい。中国人は手先が器用だと聞いていましたが、なるほど、鋏を使うところは日本にいるのと違和感なく、納得しました。
 そしてシドニー。シティに行けば、いまどきのユニセックスの店が多いのかも知れませんが、私が住んでいる街は古いせいか、散髪屋も、男性向け床屋と女性向けヘア・サロンで店が違います。ここでも、白人のオヤジが、(多分要求しない限りは)髪を洗ってくれず、トイレットペーパーを首に巻きつけるなど、一応、気を遣ってくれますが、バリカンでがりがりやって、最後に鋏で整える程度で、16ドル(1000円)。交わされた会話は、どれくらい切る? ほぼ3ヶ月ぶりだから、すごく短くして。(言葉尻を捉えて)すごく短くて良いのか? いや、すごくじゃなくて、普通に短く。俺みたいな感じでよいか? OK・・・と、こんな程度。
 フランスでは職人をアルチザン、ドイツではマイスターと言い、日本も含めて長い歴史を持つ国には職人の伝統があります。職業としてのプライドも高い。アメリカやオーストラリアは歴史が浅い国ですが、ヨーロッパから引き摺っているものがあり、なんとなくそんな職人的な雰囲気を感じさせます。
 一方、日本の散髪屋を見ていると、最近は15分、1000円のような店も出てきているようですが、サービス過剰なのではないかとも思います。本当に必要なサービスならいいのですが、どうもいろいろな鋏を駆使して、勿体つけて(と言っては失礼ですが技量があるのは認めます)、金を取っているような気がしてなりません。実は髪を切る行為には、日本の散髪屋ほどの技量は必要なくて、もっと単純なもの(アメリカやオーストラリア方式が単純だとは敢えて言いませんが)でもよいのではないかと、認識をあらたにし、中学生の息子の髪をいまだにバリカンでがりがりやって実践しているところです。

運転スタイル

2008-10-20 23:27:43 | シドニー生活
 こちらで買った車はトヨタRAV4で、4WDに乗るのは初めてなので、最初の頃は、座席位置がやけに高くて、これまで乗って来たセダンとは違うところ(まさに地に足が着かない感じ!)、及び前・後輪とも駆動力があってエンジン・ブレーキがセダンほど利かないところの、二点の勝手が違って、ちょっと戸惑いました。
 オーストラリアは、日本やマレーシア以上に、恐らくアメリカ並みに車社会と言えます。車社会という言葉が意味するところは、お年寄りや女性も当たり前に運転しているということであり、実際に、共稼ぎが多いせいで女性ドライバーも目に付きます。また、移民社会でもあるため、いろいろな性向の民族がいて、荒っぽい性格の人、のんびりした性格の人、不慣れな人、いろいろです。そんなこんなで、ペナンの中国人のようにセッカチに走る人もいれば、車間距離を十分過ぎるほど開けてゆっくりマイペースで走る人もいて、運転スタイルもいろいろです。
 私は、すっかりペナン・スタイルでセッカチに運転する癖がついていることに、今更ながら気が付きました。ただでさえ4WDで駆動力もあるため、ここシドニーでは、しょっちゅうブレーキを踏むハメになり、効率の悪い運転を強いられました。ペナンで通勤に乗っていたカローラの燃費は、通勤経路の大部分が高速道路だったせいもあって、リッター13キロを越えていましたが、今、RAV4は、4WDということもあり、リッター8キロを切るありさまです。
 それでも三ヶ月も経てば、エンジン・ブレーキをうまく使いながら効率よく走るスタイルがだんだん身について来たように思います。これは4WDを操る必要性からなのか、あるいはシドニーの運転事情からなのか、恐らくその両方なのでしょうが、先進国らしく成熟した運転と自画自賛!しています(単に普通に戻っただけですが)。

Sydney Fish Market

2008-10-19 20:54:57 | シドニー生活
 週末、Darling Harbourそばのシドニー・フィッシュ・マーケットに行ってみました。
 ボストンにいた頃は、毎週のようにボストン港の魚卸に通ったものでした。もとより、最高品質のボストン・マグロは東京に行き、次はNYの和食レストランに、その次はボストンの和食レストランに卸され、最期に残った筋が入ったような切れっ端マグロが小売りで処分されるわけですが、そうと判ってはいても、生で食べられる魚が有難く、楽しみにしていました。
 そういう意味で、シドニーでも期待していませんでしたが、以前、同僚の家で生牡蠣を美味しく頂けた記憶も生々しく、冷やかし半分で覗いてみたわけです。
 駐車場はほぼ一杯、日本人は殆ど見かけませんが、思っていた以上に活況でした。魚臭さ満載の魚屋さん風情で、ちょっとわくわくするくらい懐かしい気持ちで一杯になりました。Sashimiと銘打ったマグロはキロ当り69.9ドル、鮭39.9ドルと、足元を見たような法外な値付けですが(近所の魚屋はもとより、東京マートが入っているショッピング・センターの魚屋よりも高い)、牡蠣は1ダースで11~14ドル、丸ごと売られている魚も多く、魚好きのイタリア人には好評だろうと思われます。私は通い詰めるほどではなさそうですが、知人を招いたホーム・パーティなどでは重宝しそうです。
 ハーバーブリッジを渡るのに3ドル、フィッシュ・マーケットの駐車場代に2ドルかけて来た貧乏性の私たちは、試しに鰯とホタテと、Sashimiマグロと鮭を買ってみましたが、思いのほか美味しく頂けました。キリッと冷えた吟醸酒でもあれば最高なのですが・・・白ワインで我慢しましょう。

絵: Greg Hyde

2008-10-18 00:33:14 | シドニー生活
 近所のギャラリーである絵が気に入って、暫く(一ヶ月ほど)自分の中で熟成させていたのですが、やっぱり手元に置いておきたくて、つい買ってしまいました。絵と言っても、版画(エッチング)で、195ドルのところを180ドルにオマケしてもらいました。シティを中心にシドニー湾の入り口まで視野に入れた鳥瞰図で、古地図に倣ったかのような意匠です。画家の名前はグレグ・ハイド氏。勿論、これまで私は聞いたことがないローカルの画家ですが、インターネットで調べると、シャガールに似た絵もものするようです。
 ボストンにいた時も、近所の画廊で見つけたキャロル・コレットという画家の版画をいくつか買い集めました。彼女自身はカナダに住んでいましたが、ニューイングランド地方の古き良きアメリカ(実際にはカナダ?)の風景を、宮崎駿の漫画にも似た(とは今になって思いますが、当時はまだそういった比較ができるほどの認識はなかった)繊細なタッチで描いて、地球の裏側まで来て見つけたお宝だと得意に思っていたら、私好みと言うよりは日本人好みだったと言うべきで、銀座・松屋の画廊には多数展示されている上、通販までされるほどの人気で、ちょっとがっかりした覚えがあります。
 ペナンでは、バティク絵画をいくつか買いました。お気に入りはTan Thean Songの弟子のChuah Soo Bengという若手の画家で、耳が不自由なのですが、バティク絵画では珍しいパステル調を使いこなし、バティク独特のひび割れと色のグラデーションが美しく、アジアの街角の慕情を余すところ無く伝えます。
 何故、それぞれの街で特徴的な絵を買うのかというと、こういった視覚情報は、音楽や匂いと同じで、言葉よりもよほど強烈に記憶に残って、住んだ街の記憶を呼び覚ましてくれるからだろうと思います。

チップのはなし

2008-10-15 23:00:32 | シドニー生活
 オーストラリアでは基本的にはチップは不要と言われて来ました。例外的に、ホテルでルーム・サービスを頼んだとか、ホテルに預けていた車を取りに行って貰った場合には、1ドルとか2ドルのチップを渡すことがありますが、それ以外はチップを支払う場面はありませんでした(あっても無視して来ました)。
 実際には、レストランでクレジットカードを利用する際、カード利用代金引落し承認の署名のスリップにサービス料金欄(Gratuity)が設けられているものをよく見かけます。どうやらシドニー・オリンピックの頃から雲行きが変わって来たものらしく、オリンピック目当ての観光客からチップをせしめようとでも思ったのでしょうか。だからと言って、アメリカ並みに10~20%の範囲でサービスに対する感謝の意思表示をするのが当たり前かと言うとそんなことは全然なくて、高級店では多少は見得もあってか5~10%の範囲で利用代金に上乗せすることがありますが、一般店ではせいぜいキリの良い数字に纏めるか(先日、部下送別の昼食会では83ドルを90ドルに切り上げ、今日、日本からの出張者を交えたディナーでは430ドルを450ドルに切り上げました)、あるいはカード利用代金はそのままで小銭を置いて行く(現金払いの場合には小銭のつり銭を受け取らないで置いて行く)程度の話で、まだまだ一般的というわけではなさそうです。
 田舎になればなるほど更にチップからは遠ざかるようで、余り負担に感じずに、店の格式に応じて、多少の感謝の気持ちを載せるだけで良いのではないでしょうか。そうは言っても、アメリカのようにチップが当たり前の社会では、割り切ることが出来ますが、オーストラリアの場合は、中途半端で気を遣うのが面倒ではあります。さて、これからオーストラリアはどちらの方向にむかうのでしょうか。

移民国家オーストラリア

2008-10-14 22:07:26 | シドニー生活
 昨日ちょっと触れた通り、辞めた部下の後任を採用するため、ここ一両日で面接を実施したところ、小さいながらもいくつか新鮮な驚きがありました。
 先ず、半年間の契約社員という限定条件があったにも関わらず、インターネットの人材広告を出した途端に、あっと言う間に40人以上が応募して来たこと、次に、今のこととも関連しますが、応募してきたのは、圧倒的に最近オーストラリアに渡って来て永住権を取得したばかりと思われるアジア系の若者が中心で、白人は皆無だったことでした。白人が皆無だったのには、さすがに驚きましたが、アメリカでも感じたように、やはりオーストラリアでも日系企業=外資系は人気がないということでしょうか。また契約社員に応募するような人は、正社員ではない若者が多いはずで、その中でも移民したばかりの契約社員やパートタイマーが多くなるのは道理と言うべきなのでしょう。
 私のオフィスの従業員も、どちらかと言うと比較的新しい移民が多くて、イギリス、イタリア、ドイツ、ポーランド、ロシア、ギリシャ、エジプト、チリ、フィリピン、マレーシア、ベトナム、中国、インド、バングラディッシュ、そして日本と、多士済々です。今回の応募者の内訳を見ると、中国系が圧倒的で約8割、意外なのは次に多かったのがインドネシア系で1割強、残りはフィリピン人、フィジー人など。学士は地元の中国やインドネシアやフィリピンの大学で取って、オーストラリアでその先を勉強したというパターンが一般的でした。最近の移民事情を垣間見るようです。
 中国人が元気なのは、この国でも同じです。例えば、シドニーのハイスクール事情について、誤解を恐れずに言うと、金持ちや意識が高い人は金がかかってもプライベート・スクールに通わせ、金はないけれど頭が良いかまたは上昇志向の人は、パブリックながらも選抜試験があるセレクティブ・スクールを選び、それ以外の人は地元のパブリック・スクールに落ち着く、ということです。そして、シドニーの統一試験で上位にランクされるのはセレクティブ・スクールが多く、そこでは圧倒的に中国系や韓国系の生徒が多いようです。
 10年後、20年後のことを思うと、ペナンでもシドニーでもプレゼンスが目立ち始めて来た中国系や韓国系に比べ、余りに閉鎖的な日本が思いやられます。

Child Care

2008-10-13 21:30:41 | シドニー生活
 オーストラリアでは所謂サービス業に金がかかるという、もう一つの事例です。
 今日、部下の一人が辞めました。キーマンが長期療養中のためピンチヒッターに雇っていた契約社員で、優秀な中国系の女性でしたが、中国の実家の母親に預けている子供の滞在VISAが切れるため、迎えに行かなければならないのだと言います。戻って来て、子供をベビー・シッターに預けられたら、また働いてくれるかと尋ねたら、ベビー・シッターやデイ・ケア・センターの費用が高くて、預けてまで働くメリットが見出せないと言います。ではいくら位かかるのか尋ねたら、週400ドルだと。別の部下は、デイ・ケアに週600ドル払ったことがあるとまで言っていて、こうした子供を預かるサービス業でも費用は突出しています。
 週いくら・・・というのは日本人には馴染みがありませんが、オーストラリアでは家賃も月極めではなく週極めで広告が出るほど一般的な言い方です。400ドルと言えば、シティを外れて空港に行く途中のちょっと安めのエリアの4人家族用物件の家賃並み、600ドル出せば、ハーバー・ブリッジを渡った北側の高級住宅地で2ベッド・ルームの物件を見つけられるのではないでしょうか。
 まったく、ちょっと不可思議な値レベルです。
 上の写真は週末のシドニーです。

Car Wash

2008-10-12 22:12:34 | シドニー生活
 オーストラリアでは所謂サービス業に金がかかるような気がします。シドニーには弁護士事務所や会計士事務所ほか金融関係のプロフェッショナル・サービス業者のオフィスが多く、先日、仕事でさる会計士事務所を訪問した際、ほんの一時間ちょっと打合せただけで2000Aドル以上の請求があって、たまげてしまいました。その時の駐車場代は、シティのど真ん中だとしても33ドル(駐車場はモノを製造しないので、一種のサービス業と考えてもよいでしょう?)。ペナンであれば、ジョージタウンの金融街でも駐車料一時間せいぜい2~3リンギッ(100円弱)というのは安すぎて比較にはなりませんが。
 今日、こちらで初めてCar Washを利用しました。これも一種のサービス業と言えますので、請求額を覚悟していたら、待ち時間のカフェオレ一杯無料で95ドルと言われて、やはり唖然としてしまいました。日本人だからと言ってぼられるようなところではありません。帰り際、次回10ドル割引券を貰ったので85ドル、カフェオレなんて要らないので80ドル、更に場所柄、ちょっと高級っぽい住宅街の相場は他所より仮に15~20%は高くなるであろうことを差し引いても、昨今の1豪ドル=65円換算で4000円強(数ヶ月前の100円換算では6000円)というのは、やはり高い。ここは今どき珍しく人海戦術でやってくれる洗車場で、だからと言って人手に金がかかるというわけでもなさそうで、働いている浅黒い肌の若者たちは、インド系かあるいはインド系フィジー人かも知れません、差別するつもりはありませんが、客観的に見てとても高給取りには見えません。
 日本では洗車やワックスがけを人手を使ってやるところを探す方が難しいでしょうが、2000円も出せば機械式でワックスまでかけてもらえるはずです。ペナンでも機械式が増える中で、私がいつも利用していたのは、インド系かマレー系の若者5人を引きつれたインド系の親方のところでしたが、人海戦術で洗車してくれて僅か10リンギッ(300円)、ワックスがけにすると何故か90リンギッ(2700円)にまで跳ね上がりましたが・・・。
 この資源大国の経済の実態は、いまひとつ掴みかねます。
 上の写真は週末のシドニーです。

クレジットカードのはなし

2008-10-10 19:52:58 | シドニー生活
 シドニーに到着して三ヶ月、初めてオーストラリアの土を踏んでから、まだ一年になりませんが、ずっと違和感を抱き続けていることがあります。Credit Cardを使うと、Handling Feeを支払わされるケースがあるからです。
 クレジット・カード利用のメリットは、顧客の利便性をあげることによって、そのカード加盟店の利用チャンスを増やすことにあると思っている人は(私もそうですが)、手数料は当然ながら加盟店がサービスとして負担するものと信じて来ましたし、現に日本のみならずアメリカやマレーシアではそうでした。ところが、オーストラリアでは、なんとカード利用手数料をカード利用者に請求するケースがあります(条例があるからとの専らの評判ですが、確認できていません)。確かに信用取引によるメリットは、利用チャンスが増える加盟店側と言うより、先ずは金利負担が軽減される利用者側にあるのに違いなく、クレジット・カード・サーチャージ(Credit Card Surcharge)と言って、カード利用手数料1~6%がそのまま請求されたり定額を加算されることもあるようです。
 発端はカンタス航空のネット予約だったと言われます。その後、同業のヴァージンブルー、ジェットスターなどの所謂格安航空会社が相次いで導入したように、航空券やホテル代やレンタカーなど高額の商品でカード手数料を利用者に負担させるところが多いようです。レストランやデパート、スーパーなどの比較的少額の一般小売店では余り見かけません。
 そのほか、クレジット・カード利用に際し、利用最低限度額を設けているところがあります。これはマレーシアでもあったように記憶しますが、勿論、アメリカなどのクレジット・カード利用先進国では見たことがありません。アメリカでは、それこそ数ドルの利用なら現金で払ってくれよと思うのですが、いちいちクレジット・カードや小切手(Personal Cheque)を使う客が多くて、レジで待たされてイライラさせられたものでした。そういう意味では、最低20ドル以上のお買い上げから等と言われれば、理解出来なくもありません。
 更に、支払い遅延利息は年率19~20%と、サラ金並みなので、注意が必要です。9割9分まで期日通りに支払っても満額でない限りは、あるいは一日遅れただけでも、満額に対してクレジット・カードの信用取引期間と言われる55日間分の金利がチャージされます。このあたりの機械的な対応、いわば世知辛さは、いつもスーツをきっちり着こなして紳士然としている割りには、阿漕と言っても良いくらいです(というのはヒガミでしょうか)。

カンガルー再び

2008-10-10 03:42:33 | シドニー生活
 先日、再びカンガルー肉と環境保全の話題が新聞の片隅に登場していました。題して、roos(カンガルーのこと)を食べることが地球を救う!
 趣旨は以前に紹介したものと同じですが、今回、目新しかったのは、2010年にオーストラリアで温室効果ガス排出権取引(ETS:Emissions Trading Scheme)が導入されれば、炭酸ガス1トンあたりの価格30ドルをベースに、電気・ガス代、食料品・ガソリン価格が上昇して家計を圧迫するとして、具体的な数値を挙げて説明されているところでした。
・電気料金は年21~37%(240~444ドル)上昇
・ガス料金は年11%(15ドル)上昇
・ガソリン価格はリッター当り8セント、年190ドル上昇
・ディーゼルやLPGは年170ドル上昇、
・牛肉や羊肉は金持ちしか食べられないレベルにまで値段が上がる
 今回の一連の報告を纏めたロス・ガーナー教授(気候変動問題担当の政府顧問)は、ETSに対応するため低所得者層へのサポートや、省エネ家電製品(Energy-smart appliances)普及促進の奨励金(1000ドル迄のGreen-credits)を提唱しています。また、食料品価格が上がるに伴い、牛・羊肉を避け、排出権問題の少ない鶏・豚肉に消費が流れるだろうし、カンガルー肉も脚光を浴びるだろうと予想しています。
 環境問題はどこか政府レベルの話だと受け流し勝ちな私のために用意されたようなデータですが、それでも必要は発明の母という言葉を信じて、新たなテクノロジーがかなりの部分を解決してくれるだろうとタカを括ってしまう自分を否定出来ません。将来の世代に禍根を残すべきではないと総論では理解しつつ、今、出来ることをやるしかないと普段通りの生活に戻ってしまう・・・ガーナー教授の精力的な取組み、あの手この手で無知蒙昧な市民を啓蒙する姿勢には素直に感服しますし、オーストラリアという国としてのメッセージ性をも感じ、やはり素直に感服する私です。その内、オージー・ビーフならぬオージー・ルー(勿論カンガルー)が宣伝されるようになるのでしょうか・・・!?

サマータイム

2008-10-06 09:00:21 | シドニー生活
 最近は日本でも話題になってすっかりお馴染みですが、英語ではDaylight Saving Timeと呼び、略してDSTと表記します。日が長くなるのに合わせて、時計の針を一時間早め、自然光を有効に使おうという発想です。
 オーストラリアでは、昨日の日曜日からサマータイムに移行しました。夜中の1時59分の次は2時ではなく3時になります。この日の朝は、パソコンや携帯の時計は自動設定されているので構いませんが、あちらこちらの壁掛け時計や置時計の針を一時間進めるという手間がかかります。こうした日にゴルフ・コンペが計画されていた日には、遅刻する人が一人ならず出てきます。北半球のアメリカでは、4月第一日曜日(2007年以降は3月第二日曜日に変ったらしい)に始まり、10月最終日曜日(2007年以降は11月第一日曜日に変ったらしい)に終わります。オーストラリアでは、4月第一日曜日に、深夜1時59分がもう一度1時に戻ります。
 このサマータイム制について、医学関係者から否定的な見解が寄せられています(参考:文藝春秋9月号・神山潤(東京北社会保険病院長)「サマータイムで眠れない」)。ヒトは、太陽光の受光時間の変化を感じながら生きており、ただでさえ生体時間の周期は24時間よりも長くて、地球時間との間でズレがあるのに、人工的な変化はそのズレを助長して生体への負担を増し、しかも、夜早く眠れるかと言うと、そういうわけでもないため、睡眠時間も減り(ドイツでは平均25分減ったそうです)、健康に悪影響を及ぼすのではないかと言うわけです。夏時間への切り替えの時期には交通事故が増えるという報告もありますし、夏時間には眠りの質が悪くなり、抑うつ気分や自殺が増えるという報告もあるそうで、日本睡眠学界はサマータイム導入に反対する最終報告書をまとめました。
 もとは第一次大戦中のドイツやイギリスで始まり、時節柄、資源節約が目的だったようですが、太陽光が恋しいと思う気候、仕事が終わった後に食事したり観劇するといった生活習慣がなければ定着するのは難しいし、導入する意味も乏しいように思います。日本のように夏は暑さを避けることを旨とし(日本の暑さで更に一時間早めれば家庭での冷房需要が増えて省エネにならないといった議論もある)、残業が当たり前で、終業時間後の時間の有効活用に頓着しない国柄では、難しいのでしょう。アメリカでサマータイムを経験した当時、たまには明るい内に帰宅し、子供と接したりすると、なんとなく心浮き立つ気分になれたのは、やはりそういう環境にあったからでしょうか。

キャンベラ紀行(下)

2008-10-05 11:07:43 | シドニー生活
 キャンベラから、翌日に宿を取った海沿いのベイトマンズ・ベイまでは、52号線一本で148キロの道のりでした。シドニーからキャンベラに行く時もそうでしたが、このキャンベラを出て海に出るまでの間も、ワイナリーや牛・馬・羊の牧草地帯をはじめ、雄大な自然が広がり、オーストラリアの大きさ、自然の豊かさを実感しました。カンガルーやウォンバットや鹿に注意という道路標識を何度も見かけましたし、実際にカンガルーやハリネズミの死体が道端に転がっていました。夜の間に、自動車道と知らずに飛び出したのでしょうか。ヘッドライトをつけたまま走る車が多いのもそのせいでしょうか。キャンベラ郊外のティドビンビラ自然保護区では、自然のままの状態でコアラやカンガルーなど多くの夜行性動物を観察することが出来るそうです。
 また、キャンベラからベイトマンズ・ベイまでの間には、可愛らしい街がいくつかあります。特に手前のNelligenという村は、途中下車して散策するのに良さそうです。
 ベイトマンズ・ベイから海岸に沿って1号線(Princes Highway)を北上すると、シドニーまでは285キロの道のりです。湘南の国道134号のように、海を右手に走ることをちょっぴり期待していたのですが、およそアメリカといいオーストラリアといい、日本のような海岸道路はなさそうです。途中、アンティークやクラフト・ショップが多いMiltonという街に立ち寄りました。街の看板一つとっても、シドニーのような大都会とは一味違う、昔懐かしい雰囲気のある街でした。またKiamaの、のんびりとした浜辺で一休みしました。潮吹き洞穴は見ませんでしたが、浜辺や断崖に打ち寄せる波は激しく、サーフィンを楽しむ人もいました。
 三日間、約830キロの行程を走って、オーストラリアの道路事情でちょっと当惑したのは、高速道路の区別がはっきりしないことでした。いつの間にか、街に入り、信号で止めさせられることがあります。日本ではせいぜい80キロくらいで飛ばす感覚の山道でも、平気で制限スピード110キロと表示され、日本ではあり得ないほどの高低差やカーブの大きさをものともせず、ぶんぶん飛ばします。と思っていたら、突然、道路工事で40キロに減速させられる、といった標識にも数え切れないほど遭遇しました。アメリカのように平原を走る退屈な道と対照的で、ちょっと神経を使いますが、大自然を満喫できて大満足です。

キャンベラ紀行(中)

2008-10-04 12:58:07 | シドニー生活
 キャンベラはガーデン・シティと呼ばれ、この地の実に7割は森林や自然公園が占めるそうです。北のシティ・ヒルと南のキャピタル・ヒルの間に、この街を設計した建築家ウォルター・バーリー・グリフィン氏の名を取った人造湖バーリー・グリフィン湖が広がり、街の雑音を吸収するかのように、静かな環境を演出しています。
 私たちは実質丸一日滞在して、お決まりの国会議事堂と博物館と戦争記念館を訪れました。
 国会議事堂(Parliament House)はキャンベラのヘソのようにキャピタル・ヒルの中心に建ち、同心円上に街が広がって、市内のどこからでもこの国会議事堂を望むことが出来ます。建設されてからまだ20年しか経っておらず、日本や他国の国会議事堂と比べると、良くも悪くも格段にモダンで、どこかの美術館かと見紛うほどです(旧国会議事堂も丘のふもとに保存されています)。議事堂内は一般公開され、私が訪ねた時もツアー客がいて、上・下院の議場、式典会場などを見学していました。上院の定数は76議席、下院は150議席なので、議場はとても小ぢんまりとして見えますが、却って白熱した議論が展開できそうで、一方の日本は、参議院242議席、衆議院480議席とも三倍の規模があり、いくら国の大きさ(人口)が違うと言っても果たしてここまでの人数が必要なのか疑問ではあります。
 博物館(National Museum of Australia)は、キャピタル・ヒルの向かいの人造湖沿いにあります。オーストラリアの歴史を紹介する文物で溢れており、アボリジニの習俗も垣間見ることが出来ます。そういった歴史に配慮するところ、入場無料というところも、キャンベラらしいと言えましょうか。
 戦争記念館(Australian War Memorial)は、シティ・ヒル側に、国会議事堂とほぼ対峙する形で構えており、その重要な位置づけを読み取ることが出来ます。もとは第一次大戦の戦没者を追悼する目的で設立され、建物の中心に追悼ホールがあり、オーストラリアの全ての戦没者の名前が壁に刻まれた回廊と無名戦士の墓があります。そしてそれを取り囲むように、両大戦やその後の戦争にける数々の遺品が展示されています。シドニー湾を襲った特殊潜航艇から見つかった日章旗や、日本人兵士の衣服や千人針の展示もあり、当時の状況を生々しく今に伝えます(日本がシドニー湾まで攻めてきたことは、余り知られていませんが、これは稿を改めて紹介したいと思います)。
 今の日本では、戦争は無条件に悪と見なされ、議論することすら憚られますが、この平和は、冷戦後半に「恐怖の均衡」と呼ばれたように、技術の進歩が大量破壊兵器による戦争を非現実的にしてしまったに過ぎず、通常兵器による局地戦は今でも絶えることはありあません。日本の背後、朝鮮半島の北方には、核を外交カードとしてちらつかせる不埒な輩も控えています。議論もさることながら、こういった目に見える形で後世に戦争を伝えることは重要だと思いました。靖国神社は、こうした博物館形式(あるいはアーリントン墓地のような公園形式)に衣替えして国家が運営出来ればよいのですが。。。
 その他、時間があれば、ブラック・マウンテンに建つ195mのテルストラ・タワーに登れば、キャンベラ市外を一望できますし、回転レストランも人気だそうです。また季節が合えば(今年は多分10月に入ってから?)フロリアードと呼ばれる花の祭典に出会え、人造湖沿いにコモンウェルス公園はじめ緑が多いこの街に、チューリップや様々な花が映えることでしょう。
 上の写真は戦争記念館から国会議事堂方面を望む(手前はアンザック通り、写真中央の白い建物が旧・議事堂で、その上が新・議事堂)。

キャンベラ紀行(上)

2008-10-03 00:10:24 | シドニー生活
 こちらの学校は四学期制で、各学期末に2週間のSchool Holidayがあります。第三学期末は9月末で、8月はカレンダー通りの運営だったので、子供のSchool Holidayに合せて、季節外れの休み(日本の夏休み)を取って、キャンベラまでドライブして来ました。
 折角の休みだというのに、いまひとつこちらの旅行事情に不慣れな私は直前まで何も決めていなくて、今さらフライト予約もないだろうと、車で行ける範囲に絞ってキャンベラに目星を付け、オフィスの同僚に意見を求めました。メルボルンもブリスベインも片道800キロを越えるので、短期間の旅行としては不適格、一方のキャンベラは300キロ弱と手頃で、やや内陸にありますが、片道は海岸沿いをのんびり走るのも悪くないと思ったからです。
 ところが誰に聞いてもキャンベラは分が悪い。この春先の季節であれば、三寒四温のような、冬から春または初夏へと、行きつ戻りつの不安定な陽気のため、どうしても北方(すなわち赤道に近い方)の暖かい海岸沿いが人気なのは、まるで不凍港を目指して南下したロシアのようです。しかし日本人の私は、日本の国会議事堂には行ったことがなくても、ワシントンDCやオタワなどの外国の首都は何故か訪れたくなる性分で(マレーシアではその気になりませんでしたが)、そこを外すとまるでその国の玄関を通らないで裏口から入り込むような居心地の悪さを覚えます(単におのぼりさんなだけ?)。
 実際、キャンベラは首都争いのシドニーとメルボルンの間を取って人工的に建設されただけあって、すっきり美しい街ですが、住民は役人と学生だけと言われるくらい、昼間でも街を行く人はまばらです。一言で形容するなら、機能的過ぎると言うべきで、そうした無機的なところを、同僚たちは、面白みに欠けると伝えたかったのでしょう。一年だけ住んだカリフォルニア州都サクラメントや、合衆国の首都ワシントンDCに似て、アジア的な喧騒とはおよそ無縁な街並みが、私にも物足りなくもありましたが、それが行政都市と言うものでしょう。
 キャンベラまでは5号線-31号線-23号線を300キロ近くにわたってひたすら南下しました。キャンベラの気温がシドニーよりおよそ5度も低いのは、その標高(560Mという記述があります)によるのでしょう。どんどん高原地帯を登っていくような感覚で、いつまでも長閑な田園風景が広がり、ある時、その田園風景の先に、突然、街が出現します。