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シドニーの風

シドニー駐在サラリーマンの生活日記です。
心に映るよしなしごとをそこはかとなく書き綴ります…祖国への思いを風に載せて。

8月

2008-09-01 03:14:51 | シドニー生活
 オリンピック関連で話が脱線している内に、8月が終わってしまいました。今日の昼食は、会社の近くのレストランまで15分ほどの道のりを歩いたのですが、暖かいと言うには早いにしても、ほんの一両日前の凍てつく寒さはもはやなく、心地よく吹く風に春の気配を存分に感じました。
 シドニーのこの8月は、過去10年で最も寒かったのだそうです(私にとっては初めての冬で、いまひとつピンと来ませんが)。公式には、春は9月1日から(夏は12月1日から)と言われるのは、かつて植民地時代のNSW軍の征服の衣装替えに由来するもので、実際には多くの花が7月末から8月にかけて咲き始めると言われるのに、今年はとてもそんな雰囲気ではありませんでした。我が家に久しぶりの冬を満喫させるかのように・・・
 8月(旧暦7番目の月)と言えば、アジアの中華圏では「鬼月」と呼ばれ、地獄の門が開き、あの世の霊(無縁仏や成仏できない仏)が人間界を徘徊する時期で、14日目(今年は8月14日)を中心に一ヶ月の間、霊を慰めるための行事(Hungry Ghost Festival)が至るところで行われます(福建人が多いペナンではPoh Tohと呼ばれ、北京語ではYu Lanと呼ばれます)。香を焚いたり、食べ物や紙で出来た衣装やお金(Hell Note)の供え物をし、歌や踊りまで供し、この時期の最後に紙のものは焼き払われます。この時期には、大きなイベントは行われず、結婚や不動産・家の購入はもとより、旅行や手術も行なわれないのだそうで、一般に消費が停滞すると言われます。
 日本でも2月と並んで商売が停滞する月であり、また今年はオリンピック・イヤーでもあって、TVに釘づけになり、ますます消費が停滞したのでは・・・

帰巣本能

2008-08-22 09:07:01 | シドニー生活
 今朝、現地の引越し業者に段ボール箱を引き取りに来てもらって、ようやく一連の引越し業務が一段落したところです。荷物を送り出してからかれこれ二ヶ月かかりました。
 ペナンでやり残したことの中には、電気・ガス・電話などの最後の各種請求書処理や、自動車保険途中解約に伴う残金入金など、なかなか一人では出来兼ねないものが多く、郵便物の送付先をオフィスにして、かつての秘書に助けてもらいました。シドニーの生活立ち上げには、電気・ガス・電話サービス開始や銀行口座開設、クレジットカード申込みに始まり、有料道路料金決済のE-Tag申請や飲料水のデリバリ・サービスなど緊急性はなくともあったら便利に思うものまで含めて、まだ現地のシステムを十分に把握し切れていないので、まだまだ終わる気配はありませんが、これは日々の生活の中で片付けていくしかありません。
 いざ130箱を越える荷物が、なんとなくマンションにおさまって、日常生活が始まると、ある朝、目覚めた時などに、ここはどこ? 今の自分の生活基盤はどこ? と、一瞬、思い出せなくなることがあります。健忘症!? 勿論、シドニーに違いないのですが、入社以来、5~6年おきに引越しを繰り返して来たサガなのかも知れませんが、どこも思い出せないようでもあり、あるいは突然、そのいずれかが、例えば10年前に暮らしたボストンの景色が、突然、浮かんで来たりして、戸惑います。
 しかし、自分の住むところ、「巣」はどこにあるのかと尋ねられると、これはもう「家族がいるところ」と答えるほかありません。ボストンに居た頃は、日本からの出張や旅行の帰りであっても、飛行機の窓からレンガ造りのボストンの街並みや高原地帯が目に入ると、帰ってきたという感慨が湧いたものですし、サクラメントに居た頃は、殺風景でも機能的な通い慣れた道を運転して家路を辿ると安堵したものでした。ペナンに居た頃は、国際空港とは名ばかりのしょぼいペナン空港に降り立つと、いくら独特の匂いがあっても(それが日本の空港の味噌?醤油?臭さ~本当にそんな匂いがするのか疑問ですが~とは違うものであっても)、やはり帰って来たなあとホッとしたものでした。
 中国・広東省に住む客家(ハッカ)民族の一部には、ヘソの緒を玄関の前に埋める習慣があるのだそうです。どんなに遠く離れていても、自分のルーツは家にあることを忘れないためのようですが、自分の生まれた家を離れ、家族を残し、異国を流浪した客家ならではでしょう。客家にとっても、帰るべき家は、「家族がいるところ」であるに相違ありません。

子供の学校・その後

2008-08-19 08:02:36 | シドニー生活
 上の子のハイスクール(中・高校)は、公立とは言っても高級住宅街という土地柄、人気がある学校らしく、選抜試験があるSelective Schoolにこそなっていませんが、空きが少ないために最初から無条件で入学を認められたわけではなく、入学手続きの際、校長先生との面談の上で・・・とクギを刺されていました。
 入学手続きには、NSW州の入学申請書やパスポートの写しや予防接種記録のほかに、School Reportいわばこれまで通った学校の成績表の提出が義務付けられます。その面談の際、校長先生が成績表に丹念に目を通していて、Math(算数)が全ての点でExcellentであることに気付かれました。英語歴3年の子供にとって、英語の授業は国語であり、また地理や歴史などその他の教科も英語力のハンディがありますが、算数だけは基本的に数字と図形の世界であり、英語に依存するところが少ないという理由にもよるのかも知れませんが、そもそも一般的に日本人の子供なら誰でも(他国の子供と比べて)得意とするところです。そこで私が口を挟んだのは、算数の成績だけではなく、Art(図画工作)とPE(体育)も好きだし得意だという点でした。逆に言うとそれ以外は大したことはないのですが(残念ながら)、そういった学科が全て出来る秀才より、算数くらいは出来て、あとはArtやPEが好きで得意だという方が、私としては嬉しいのです(学業はそれなりに背伸びしようと思えば出来ないことはないですから)。別にそれが功を奏したわけではないでしょうが、校長先生はその場で入学を許可され、教務に手続きを指示されました。
 最近、香港記憶学総会(HKMSA)というところが、街頭やインターネットで市民1500人余りを対象に調査したところ、香港人が1分間に記憶できるアルファベット、数字、図形、画像の数はいずれも世界平均以上だったのに対し、ヒトの顔の記憶力については世界平均の約半分だったという結果が報道されていました。記憶力をつかさどる左脳の機能は高いが、創造性や思考力につながる右脳が弱いと結論付け、同会では「小さい頃から詰め込み教育にどっぷり漬かっている実態がわかる。ピアノや絵画などを通じた右脳の訓練も大切」と指摘しています。
 この指摘自体はごく当たり前に見えますし、左右のバランスが大事だというのも感覚的に理解できます。日本人や韓国人も、左偏重の傾向にあるような気がします。
 ところが・・・いざ子供から学校の様子を聞いてみると、学校を出ると煙草を吸う生徒(多分高校生)はいるし、授業中にも関わらずうろうろ教室を出入りしたりiPodを聞いていて先生に注意される生徒もいるし・・・で、子供はその様子を最近見たDVD映画のゴクセンのようだと形容します。それは大袈裟にしても、勉強の出来る子と出来ない子の二極化が見られるのはどうやら事実のようで、公立学校はだいたいそうでしょうし、そもそもオーストラリアは、雑多な人種の集まりで、個人主義の傾向が強く、日本と違って集団行動に弱いでしょう。ある程度予想はしていたし覚悟していたものの、公立にしたのが良かったのか悪かったのか、ちょっと不安になって来ました。公立を選んだ最大の理由は、自分がずっと公立の学校で育ってきたからかも知れません。本当はそういった雑多な中でしぶとく生き抜いて欲しいのですけど。暫く様子を見ることにします。

州のキャッチフレーズ

2008-08-16 07:53:43 | シドニー生活
 オーストラリアには、州ごとにスローガン及び愛称と、標語があるようです。Wikipediaによると、
   NSW  First State, Premier State(標語は"Orta Recens Quam Pura Nites"(Newly Risen, How Brightly You Shine))
   VIC  Garden State(標語はPeace and Prosperity)
   TAS  The Apple Isle; Holiday Isle(標語は"Ubertas et Fidelitas" (Fertility and Faithfulness))
   QLD  Sunshine State, Smart State(標語はAudax at Fidelis" (Bold but Faithful))
   SA   Festival State
   WA   Wildflower State
   NT   The Territory, The NT, The Top End
 そして、アメリカと同じように、オーストラリアでも、こうしたスローガンがキャッチフレーズとして自動車のナンバー・プレートに書かれていることがあります(必ずしも州の公式スローガンと同一ではないのがよく分からないところですが)。
 ここNSW(ニューサウスウェールズ州)は“The first State”。初めてシドニーの地に移民団(と言うより囚人護送船)が来て、当初はオーストラリアではなくNSWと総称されていた史実に対する自負が感じられます。これに対応するとすれば、アメリカ・マサチューセッツ州 “American Spirit”またはコネチカット州“Constitution State”でしょうか。
 車を買うまで暫く乗っていたレンタカーの登録地はSA(サウス・オーストラリア州)で、キャッチフレーズは“The Festival State”。今日、見かけた車はQLD(クイーンズランド州)で、“Sunshine State”。いずれも、なんとなくのんびりと華やいだ雰囲気を醸し出します。アメリカ東海岸の北に、ロブスターで有名なメーン州がありますが、そのキャッチフレーズは“Vacation Land”でした。似たような発想です。
 先日、前を走っていた車はVIC(ビクトリア州)で、“The Place to be”。ここに居なきゃ、ここに居なくてどこに行く、いらっしゃ~い(三枝やおまへん)、といったところでしょうか。シドニーとの間の首都争いの結果、キャンベラに漁夫の利をさらわれたメルボルンを抱え、この州なりの自負と裏腹に、アイデンティティに揺れ動く苦悩がほのかに感じられます。
 アメリカには全米50州でキャッチフレーズがあるのでしょうが、オーストラリアはわずかに6州と特別行政区キャンベラだけ。今、残りの州について運転しながら確認中です(くれぐれも安全運転には気をつけて)。

オーストラリアの検疫制度

2008-08-15 00:10:54 | シドニー生活
 オーストラリアの検疫制度は厳しいと言われます。EUからもWTOの場で、農産物輸入を阻止するために検疫制度が利用されていると非難されてきました。確かに隔離された大洋の孤島(というより大陸ですが)で、特有の生態系を守る、この国の経済の柱である農・牧畜業を守るという大義名分は分からないでもありません。しかし・・・
 以前にも、私の勤める業界で、パレット(コンテナ用の荷台)は乾燥したものでなければダメだと言われ、なんだかウルサイこと言う国だというイメージはありました。最近、オーストラリアに移住した知人の話を聞くと、自転車のタイヤに土や砂がついていたので、洗浄するか捨てるかを迫られて、洗浄・廃棄のいずれにしても費用が数百ドルかかったとか、海賊版DVDは見つかって全て召し上げられたとか、乳製品は禁制品で、マレーシアのインスタント・コーヒー3 in 1(一人分のコーヒー・ミルク・砂糖が一体になったスティック状のもの)は持ち込めないから2 in 1(ミルク抜き)にしたとか、別送品については、本人が12ヶ月以上所有しかつ使用しているものでない限り課税の対象となるなど、さんざん脅されたので、輸送前に、自転車のタイヤや靴底についた砂を一生懸命洗い流し、ゴルフ・クラブのヘッドも滅多に掃除しないのに、溝についた砂を落として一生懸命磨き、サッカーボールも水洗いするなど、万が一に備えていました。
 あらためて調べてみると、卵製品は、卵を乾燥して粒状にしたものも禁止で、マヨネーズはもとより乾燥した卵の具が入ったカップヌードルやのり玉ふりかけもダメ、生の野菜・果物はもとより、種子やナッツ類は装飾品でもダメ、ということはクリスマス・ツリーやリースにつける松ぼっくりもダメ、肉製品は、レトルト・缶詰・瓶詰めなど完全密封のもの以外、生・乾燥・冷凍・調理済・薫製・塩漬けを問わずダメ、と言うことは保存肉のサラミ、ソーセージ、カレーのルー、麻婆豆腐(鶏肉)チャーハンの素などもダメ、乳製品に至っては、南アフリカを除き、OIEの定める口蹄疫の洗浄国が原産・加工国のものに限り、個人使用目的で各アイテム10Kgもしくは10㍑までの持込は許可と言われても、何を言われているのかさっぱり分かりませんが、持ち込まない方が無難そうです。そのほか、動・植物を使った製品は申告義務があり、例えば木製の製品(工芸品や食器)、ドライフラワーやポプリなどの植物製品、そば殻枕や麦藁帽子、漆塗りの家具・食器や箸など、消毒処理が必要な場合もあるそうです。
 結局、家内は買い置きしていたカレー粉やスープの素は使い切れずに知人にあげたりして、殆どの食品を処分して来たのですが、なんのことはない、荷物135箱をよくよく見れば、空けた形跡はなく、我が家に限っては空振りに終わったのでした。怪しい家族ではなかったということでしょうか!? しかし、こういったことは、ネズミ捕りと同じで抜き打ちが常ですから、用心に越したことはないのは言うまでもありません。

飽食の時代

2008-08-13 23:42:06 | シドニー生活
 七夕の朝から手荷物のスーツケース3個で生活を始めて、その10日後に航空便で送った段ボール箱8個が届き、更にその三週間後に130箱を越える大量の荷物が届いてようやく生活らしくなりましたが、実感したのは、如何に普段の生活が満ち足りているかということでした。「飽食の時代」は既に死語かも知れませんが、食だけではなく、身の回りのモノ全て・・・衣類も電気製品も家具も玩具も、満ち足りているというだけではありません、明らかに過剰の中で生活しているという実感です。「茹で蛙」と同じで、初めからそういったぬるま湯環境にいれば、モノが有り余る、溢れかえる事態(熱湯)には気付きにくいということでしょうか。
 「宇宙エレベーター」などの著書がある科学者のアニリール・セルカン氏の「インフラ・フリー」のコンセプトもそういった視線の先にあるように思います。
 このアイディアは、彼自身の地震体験(1999年トルコ大地震)が原点です。インフラフリーというのは、水道・電気・ガスといったインフラにしばられず自由に暮らすという考え方ですが、決してインフラが必要ない、インフラに依存しないということを目指すものではありません。震災後に水・電気・ガスがない極限状況は、日本でも、震災に限らず最近は水害でも報道されている通りですが、そこでは1リットルの水でさえも貴重で、何とか生活していける。ということは、災害がない場合でも、例えば1日10リットル使っている水を、1リットルとは言わないまでも、5リットルまで半減させることが出来るのではないか。そうすれば、その分、人はインフラから自由になれるし、そういう仕組みを未来の住宅作りに活かせるかも知れない・・・
 子供の衣類や玩具を再利用できるのではないかとなかなか捨てきれない、また読むことがあるかも知れない本を捨てきれない、貰い物でも勿体無くて捨てきれない・・・こういった過剰の生活は、モノがない時代を経た人だけが経験する過渡的な現象なのかも知れませんが、何年も仕舞い込んだままで久しぶりに取り出したら、既に傷んでいて使い物にならない、なんてこともザラにあります。モノも時の経過とともに疲労・減耗していくという厳然たる事実を踏まえ、モノの過剰を抑える、目の前に在るモノを活かしていく(自分が使わないのなら、他人にあげる、寄付しちゃう)、必要になって初めて購入する・・・等々を心がけようと、誓ったのでした。
 先ずは、すぐに使わないモノでもベッドの下や押入れなどに隠さない、人目に晒して、利用価値を見極めることにしました。循環型経済などと言われますが、身近なところから始めることが出来そうです(今日はなんて道徳的でええ話でしょう!)。

車選び

2008-08-07 07:43:38 | シドニー生活
 車ネタが続きます。
 私自身、恐らく多くの海外駐在日本人と同じように日本車をこよなく愛します。走ることは好きですが自分で余り手入れしないズボラな人間なので、乗って安心・快適であること、特に車が必須の海外では立ち往生しないことが一番なのです。
アメリカに出張していた頃はGMやフォードのレンタカーによく乗りました。特にフォードのトーラスという車種は、1990年代半ば、全米でアコードと争うほどの人気で、確かに乗ってみると纏まりのある良い車でしたが、それでも知人が買ったトーラスがたまたま致命的な故障を起こしたように、品質の安定性という意味では、稀に不安がありました。これはある意味で確率の問題であり、当たり外れという言い方をしても構わないかも知れません。日本車には当たり外れがない。
 マレーシアでは、車を買うまでの一時期、マレーシア国産車(Proton)と韓国車(KIA)に乗りました。マレーシア車は、三菱の技術協力を得ているだけに基本性能はほぼ問題ありませんでしたが、つくりが粗雑で、所謂建てつけが悪い。知人のマレーシア車はだいたい毎月のように修理に出していました。そこに行くと韓国車は、今回もレンタカーで乗ったヒュンダイにしても、かなり頑張っていて、マレーシアでは、日本車は高いけれど国産車に飽き足らない人が乗っているような状況で、ポジション的には、品質、値段ともに、日本車とマレーシア車の中間に位置するようでした。
 トヨタやホンダをはじめとする日本車に寄せる人々の信頼は、日本人の私たちだけでなく、外国人にも広く認められるところです。ここシドニーでは、ニッサンよりもマツダをよく見かけますが、トヨタ、ホンダの二強は変わりません。車というのは、生産技術の積み重ねの固まりと言っても良いくらいで、如何に韓国車が頑張っても、トヨタはその時には更にその先を行くといった按配で、ウサギとカメのパラドックスはここでは通用しそうにありません。
 社会人になってアコード、アメリカでカムリとシビック(家内用)、再び日本でアコード、そしてマレーシアではカローラとシティ(家内用)と乗ってきて、私にとってトヨタかホンダかは、自宅やオフィスの近くに販売店やサービス・センターがあるかどうかで決まります。今回はトヨタが自宅とオフィスの双方の傍にあるのでNo Choiceでした。ただ、トヨタは安心感はあっても、デザインがいまひとつこなれなくて野暮ったく映るのは(最近は各社似通ってきているとは言え)皆さんも感じていることでしょう。それが一つの顔になっていると言えなくもありませんが。

車の値段

2008-08-06 08:15:14 | シドニー生活
 シドニー空港に到着して以来一ヶ月、空港でピックアップしたレンタカーに乗り続けて来ましたが、ようやく「マイカー」を購入し、レンタカーを返却しました。マレーシアと違って、オーストラリアやアメリカではレンタカー代が安いので、呑気に構えて車探しを楽しんでいたのですが、それでもヒュンダイのアクセントという小型車種を会社規程範囲内の一ヶ月間借りて1000ドルというのは、レンタル期間延長するのがいまいましいほどの値段です。
 物価の項で触れたように、1豪ドル(シドニー・オリンピックの頃の)60~70円ならまだしも、100円を越えてしまうと、車の値段もどうしても日本より割高に感じてしまいます。カローラ・クラスで2万~3万ドル、カムリ・クラスで3万~4万ドルもします。一方で、(特に日本車の)中古価格もそれほど下がらないように思います。3~4年落ちで走行距離4~5万キロ前後の車でも、勿論状態によりますが、5~6割程度の値がついています。ちょっとオヤッと思ったのは、3リッター・カーのように燃費が悪い車は相対的に安くなっているように見えること。2.4リッター・カーのレベルまで下がっているように見えるのは、昨今の原油価格高騰の煽りを受けているのでしょうか。
 かく言う私も、決して燃費が良くなさそうな4WD(こちらでは4 Wheelsと呼び慣わすようですが)の中古車を選びました。中古価格がリニアに下がるとすれば、懐具合との相談で、どの段階で買っても損も得も無いことになりますが、まさに懐具合との相談で、かつ3年落ながら1万5千キロで7~8割の値段というAffordableな物件に出会ったことが理由です。

運転事情

2008-08-01 07:53:41 | シドニー生活
 シドニーでは、スピード違反を取り締まるカメラや、信号無視を監視するカメラが、ところどころに設置されている事情もあって、例えば黄信号や横断歩道では多少の急ブレーキをかけてでも止まろうとする慎重な傾向にあり、さまざまな人種を抱える新しい移民国家にしては、交通ルールがよく守られていると感動しています(これは過去三年間のペナン滞在との比較なので、大袈裟かも)。今日、仕事でも運転でも堅実でちょっとのんびりした性格の職場の同僚が、スピード違反キップを切られたと言って首をひねっていました。その当否はともかく、一般に法や秩序を守らせるためには、執行力(違反の取締りや処罰)が有効であることを実証しているかのようです。
 その対極にある、と言っては言い過ぎかもしれませんが、マレーシアのペナンは、ちょっとした交通ルールはすぐに破られがちで、およそ運転マナーも褒められたものではない、荒っぽい喧騒に充ち満ちていました。そもそも取り締まりが少なく、あっても袖の下でいくらでもペナルティをかいくぐられる所謂アジア的な土地柄では、法を遵守しようというインセンティブが働きにくいのかも知れません。
 マレーシアではマレー系を中心にバイク(モーターサイクル)を利用する人が多く、重要な通勤の足になっているのですが、彼らは車の運転に対する理解がなく、従って危険に対する想像力も働きにくく、そもそも気にしない(Never mind)性格で、我が物顔で車の間を縫うように走るのに閉口させられます。一方、華人・中華系は相対的に裕福で車を運転するわけですが、彼らも他者に対する気遣いが乏しく、基本的に譲り合いの精神や謙譲の美徳とは縁がありませんので、いきおい彼らの運転は、ウィンカーは出さない、カーブではショートカット気味に車線を割り込む、ちょっとでも前を走っている自分が優先していると思うのか十分な車間距離を取らなくても平気で車線変更して割り込んで来る、交差点では脇道から徐々に頭をせり出しながらついには主要道の交通を遮断してまで割り込んで来る、しかもノロノロでなかなか加速しない、交差点の右折車線を平気で直進して追い抜こうとする、路肩なんて何のその、渋滞になると二車線が三車線、四車線へと膨れ上がってツバ競り合い(自分は割り込むくせに、他人には譲らない)・・・言い始めるとキリがありません。ペナンは概してのんびりして良いところなのですが、運転だけは油断ならなくて、ついカリカリして(三年間の滞在で、この気持ちだけは一貫して変わりませんてした)、クラクションは滅多に鳴らすものではなくヘッドライトで警告するのが流儀だと言われても、毎日のようにクラクションを鳴らしては、教育的指導を与えて来たものでした。
 ところが、ここシドニーでは、クラクションを鳴らすことがなくなりました。それだけ、人々の運転がお行儀が良いという証拠です(当たり前ですが)。ここでもアジアと欧米との違いを感じます。

天気予報

2008-07-31 07:33:06 | シドニー生活
 オーストラリアの国土は日本の二十倍強もあるのに、人口は六分の一、人口密度は実に3人という豊かさ(寂しさ?)です。シドニー・メルボルンの二大都市の人口だけで800万人と、オーストラリア全体の4割を占め、これに100万都市3つ(ブリスベン、パース、アデレード)を加えると三分の二近くをカバー出来るほどの集中度です。
 テレビの天気予報を見ていると、天気を示す地点は、この広い国土で10箇所もあれば事足りるようです。上記5都市に加えて、せいぜい首都キャンベラ、ケアンズ、ダーウィンと言った地方の中規模都市とアリス・スプリングス(エアーズロックのそば)、ホバート(タスマニア)あたりでしょうか。分かりやすいと言えばこの上もなく分かりやすい。
 こちらの天気は豪快です。シドニーの、特に海岸の白い貝殻のようなオペラハウスと青空はよく似合いますが、晴れた日の抜けるような青空は格別のものがあり、何日もそんな日が続くとともに、雨となるとまた何日も雨が降り続く、不思議なことですが、小刻みに様相を変えることがありません。大海に浮かぶ孤島、島と言うより、山が少なく広大な大地が広がる大陸ですが、そんな大らかさが天気にも表れているようです。

家具がない生活

2008-07-30 07:56:05 | シドニー生活
 こちらに着任したのは七夕の日の朝でしたが、船便で6月末に送った家具類(段ボール箱にして実に130個)は、一ヶ月以上が過ぎてもまだ我が家に届きません。
 これまでの生活は・・・ペナン発・シドニー着の前後各2日間はホテル住まいで、スーツケース三個が全ての、まさに旅行者のいでたちでした。新しいマンションに移ると、冷蔵庫だけは備え付けられていたので、洗濯機とテレビを買い足し、居候のような生活が始まりました。その後、ペナンでぎりぎりまで使って出発直前に航空便で送った日用品(食器類や物干しや掃除機)が二週間ほどで届いて、ようやく生活らしくなって来ました。もっとも生活とは言っても、ダイニング・テーブルがないので、段ボール箱で代用し、ベッドもないので毛布を買ってくるまってザコ寝するといった次第で、ひもじい合宿のような生活です。
 家具がないガランとした部屋は、音がよく反響するものなのですね。今更のように気づきました。また、セントラル・ヒーティングは天井近くから噴出すタイプで、家具類がない広い空間に、しかもベッドもソファもなく、床に(座ったり寝転がったりと)這いつくばって生活しているものですから、暖房効率が極めて悪い。着る服にも事欠く始末で、ごく人並みの当たり前の生活が、とてもいとおしい今日この頃です。

握手

2008-07-29 07:50:39 | シドニー生活
 ここは欧米だと実感するのは、会う人ごとに自己紹介がてら握手する時です。
 オーストラリアでも、アメリカと同じように、がっちり掴んでぐいっと力を込めて、まるで自信のほどをアピールするような、あれです。今日も、新たに入社した同僚は、中国系でしたがオーストラリア生活が長いせいか、まるで握力比べをするかのように力を込めて握ってきたので、私の方は握り潰されないように形を保つのが精一杯。もともと握手は、自分に隠し持った武器はないことを示すものだったと聞いたことがありますが、武器はなくとも自分の体力を誇示するかのようです。
 他方、そうした握手の習慣がもともとはなかったであろうアジアでは様子が異なります。マレーシアでは、そっと握って、まさに形だけ。その力加減だけ見れば相対的に欧米化している日本よりも随分と後退します。力を込めることなど端っから考えていない無防備さと言うべきか、その柔らかさにはそこはかとない情緒を感じてしまいます。アジアと欧米の違いを感じます。

シドニーの物価の話

2008-07-28 07:54:14 | シドニー生活
 先日来、不動産価格が高騰しているとか、私学の学費が高いといった話に触れて来ましたが、それだけでなく概してシドニーの物価は上がっているようです。ほんの数年前まで、昼食は5~6ドルで済んでいたそうですが、今では最低9~10ドル出さなければなりません。豪ドル・ベースでの比較でこのレベルですから、日本人が円換算する日には、溜息は更に大きくなります。シドニー・オリンピックの頃の1豪ドル60円程度であれば納得も行くのですが、今や100円前後で高止まりしており、恒常的に昼食に1000円も出すのは、今どき、日本の都心でも余りないのではないでしょうか。バブルと言うべきですが、どこまでこの状態は続くのでしょうか。
 既に冷静な見方が出ています。
 最近発表されたあるレポートによると、来年度に向けたオーストラリア経済は、資源ブームに後押しされて、鉱業と農業は今年度の成長を上回りますが、消費者マインドは過去数年にはない低水準に落ち込んでおり、小売や不動産・製造業は成長が減速すると予想されています。結果として西オーストラリアやクイーンズランドのような資源大州(?)は成長を続ける一方、ニューサウスウェールズ州やビクトリア州のように製造・金融・不動産で伸びてきた州は落ち込み、オーストラリア経済の二極化が進むと報じられています。この豪ドル高で観光業も打撃を受けるのは必至とか。一次産品価格の高騰がインフレを誘発し、結果として利上げを引き起こしてきましたが、今や経済圧迫の最大の脅威ということでしょう。
 3年前、ペナンに引越した時には、マレーシアが変動為替制に移行することが予想されていたため、マレーシア・リンギッを持っていれば損はなかろうと、生活立ち上げ名目で資金を持ち込んだものでしたが、今回は必要以上の資金はなるべく持ち込まないようにしています。

インターネットと新聞

2008-07-25 07:34:45 | シドニー生活
 自宅にインターネットが繋がらない日が2週間を過ぎました。その間、手元に数冊の本があるにも関わらず、夜は手持ち無沙汰で、インターネットの存在が自分の中で如何に大きなものであるかを実感しました。
 一方で、日経新聞の購読を始めました。外地では日本の新聞購読は高くつきます。ペナンでは一ヶ月の購読料が1万円(300リンギッ)と日本のほぼ倍の値段で、現地の物価からすると破格です。ここシドニーでは月220ドル、なんと単月で2万円を越える計算で、さすがに家内は難色を示しました。インターネットがあるから新聞はいらない言って憚らない人が周囲でも増えている昨今ですが、私はまだまだ古いタイプの人間なのか、ニュースを一覧できること、もっと言うと、見たくない(あるいは見るつもりのない)ニュースも目に入るという利便性を捨て切れず、子供への教育のためという大義名分も手伝って、新聞購読を続けることにしたのでした。
 書籍も電子化が進んでいますが、あのくるっと頁を丸めて寝転がって読める文庫本の利便性に勝るものはなく、なかなか捨て切れません。よく言われる命題ですが、本や新聞や雑誌のような旧来のメディアは、電子メディアと果たして棲み分けられるものでしょうか?

生活のセットアップ

2008-07-24 09:33:52 | シドニー生活
 新しい家やアパートに引っ越して先ずやらなければならないのは、電気・ガス・水道・電話などの公共サービスの契約(サービス再開)であるのは、いずこも同じです。Brand-newの家に引っ越さない限りは、サービス再開を申請する電話一本の簡単な手続きで済むはずですが、こちらは英語のハンディもあるために、一筋縄では行きません。
 電力会社には一度の電話で済みホッとしたのも束の間、ガス会社では、一度目の電話では、住所が登録されていないので、サービスを提供するのは別の会社のようだと断られ、そうは言っても家主から教えられた連絡先一覧を確認するとガス会社の電話番号は同じなので、もう一度電話すると、ガス・メーターの番号を調べて連絡しろと言われただけ、三度目の電話でようやく新規(新居でもないのに?)登録してもらうことが出来ました。電話会社の場合は、ちょうどシステム・ダウンした後だったせいもあり、詳細は追って連絡すると言われながら、待てど暮らせど連絡が来ず、こちらから電話し直して一からやり直し、更にインターネット接続のことは忘れ去られていたために、三度目の電話でようやく全てが繋がるありさまでした。しかも、最近はこうした電話の問合せに対して、延々機械音のメニューを選択し続けなければ、サービスの係員に到達しないのが、便利そうで実は業者側の効率のみ追求され、全く顧客サイドの利便性に適っておらず、いちいち厄介で面倒です。なお水道は、シドニーのマンションの場合は家主負担のため、テナントは何もする必要がありません。
 そしてほんの数日の間に、契約ありがとう!のメールとともに届くのが、セキュリティ・デポジットの請求書です。電気200ドル、ガス150ドル、電話59ドル(接続料)・・・そう言えば、ペナンを引き払った後のデポジットの回収はまだ終わっていなくて、全くこういった連中は、デポジットの金を取るのは早くて、払い戻すのには時間をかける(あわよくば忘れさせる!?)、現金なものですね。