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風を泳ぐ -2-

■詩詠-ウタヨミ-
■SwimTheWind Part2
【By s/yumic.】

予感05 2011/12/14

2011-12-14 | blue heart
お金の力。リアルな札束。お金のかかった文化施設。
原発をかかえるエリアには、どんどんお金がつぎ込まれる。
お金が運んでくる豊かさが、人々の生活が。お金に換算できない豊かさへの関心を削ぐ。

戦後は終わった。
三種の神器。
戦後強くなったものは女性とストッキングだ。

「朝鮮特需」

から始まったかに思える戦後は終わった宣言は、誰のものか。

そして言われ出した核の平和利用。
ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ環礁で第五福竜丸での経験は、
非核三原則を作った経緯と、そのあり方への問い直しは何度なされただろう。

エネルギー消費の膨張は、家族の在り方も変えたと、よく言われる。
自衛隊ができる経緯ともリンクするだろうし、
(専守防衛が大義名分になり実態は傭兵は存在しないことになる)
流動労働者が現れ、
日本列島改造論は喝采された。

「東京≒都市のような、お金で暮らす生活がグレードアップした生活」
石油ショックが及ぼした震撼は、どこまでなのか。

その結果、どうエネルギー政策が決められたか。

そして、総中流化,その他もろもろ。

まとまりがつかないので、書きならべて見る。

沖縄に基地があることで成立させうる経済は、県民意識を分断している。

原発立地地域も、
2000年代の財政力指数という資料にも出くわした。

page137 「ここから言えるのは端的に言えば、
原子力ほど魅力的な地域経済振興策の選択肢は日本において他にないということだ」


page141「原子力ムラが自ら原子力ムラであり続ける志向を捨てることは極めて困難な状況にある。」

page147「'93年4月使用済み核燃料の貯蔵プール設置の要望を受けて承認するが、
その際、東京電力は核燃料リサイクル計画を進めて放射性廃棄物を『2010年に持ち出す』
という条件を出す。しかし『'94年4月に考える』と、その結果を反故にする。


そのような政策の差し替えに、自治体が混乱しない訳はない。

後に「汚職事件」でその任を追われる、当時の県知事、佐藤栄佐久に
2009年:63 原子力政策はもう国や電力会社だけに任せておけない」という発語を促す。

page155 03年4月14日それまでのトラブルの結果東京電力が持つ原発が全基停止する事態となる。(略)4月20日の読売新聞では「中央と県の決断の押し付け合い」と、
6月5日の日経新聞では「知事は合理的判断を」という旨で、夏に首都圏が電力不足でともすれば大停電になることを避けるべきだとおい社説が掲載される。(略)
中央財界の代弁でもある。


Not In My Back Yard←大都市のNIMB(ニンビィ)の強さ……

佐藤栄佐久元知事の発言を引用してある部分。

「国と県と市町村というのはイコールパートナーである
けっして主従の関係ではない、対等な協力者という意味であります。
しかし現実には国が一番上にいて、県がいて、市町村がいて、住民がいるという
タテの関係だと考えられていることが非常に多いのです」

これは本文によると、地方分権一括法成立を受けて、横のつながりを持つ法ができたという
佐藤氏の理解の表れだということ。

その先には

page164 (略)官・産・政・学・メディアといった中央のアクターが原子力政策の
維持を強固に進める体制がある。


page165 03年双葉町の発言 (略)例えば、東京の30階建てのビルが、電力不足で15階までしか
灯りが点らない。(略)自分たちの兄弟や親戚や知り合いが、双葉町や福島県からも大分、
東京に働きに行ってるわけですから、(略)そういう期待に答える必要があります。


と続き、著者の綴る「誇り」が、読み進むうちに伝わってくる。

そんな中で進んできた佐藤栄佐久元知事の独立性は、
議会に官僚を迎えないまでにも進んだが、2006年汚職事件による逮捕という事体が「勃発」。

そこから一挙に進んだのが、プルサーマル歓迎という立場ということになる。

人災なのではないのか。
真っ直ぐ読めば、私の感覚なのかも知れないが、そう思う。

---未だ半分しか読めていない。ツイッターTLもなかなか。それ程にこの書籍は重い。

予感04 2011/12/13

2011-12-13 | blue heart
全く手強い。開沼氏が示している方向は、福島の2011以前が如何に2011311に
つながったかを示す。そしてそれは、「原子力」という切り札を変えれば、どこにでも当てはまるのではないかと思えた。
ご当地名物。御菓子や、フィギュア、地元ならではのお酒などなど、何らかのサービスフロントをもっていれば、名産物販。現代になるにつれ、ご当地土産はどこかで量産されている気がする。
ともすれば、
made in China
made in Thailand
made in Korea
よぎるのは。これを筆頭にした東南アジア。

ブランド品を正規ライセンスを持った他国で生産されていることが多い。


著書のなかに出てくる(page138-page139)表。各都道府県の財力ランキング。
トップにある経済的豊かさは、全て電力にかかわり、何らかの公害を伴っていることが多いことと一致する。空港は、騒音問題、原子力は、事故責任訴訟(放射能汚染に関するもの)。まさに今。
火力発電も同じ。一旦事故が起きれば火災を起こす。しかし、撤退するものは数少ない。

本文page123にある著述

東京電力が来たことで町は豊かにはなったが農村構造が崩れ、各農家の誰かしらが原発に働くようになった。
それがひとつのくさびとなり、東電に縛られて人間関係もなんとなくぎくしゃくしてしまったのです。


水俣病の辿る経過と重なりは
しないだろうか。
第二次世界大戦後66年。経済成長は、「特需」や「第二次産業」がその成長を牽引したといえよう。
わたしの親も、実家はもともと農業を主にしていた家庭。いわゆる農村部という「村」出身。家業を継いでいる親戚縁者はほとんどいない。

田園風景を「懐かし」んだりする。田毎の月を見られる個所は限られてきたし、農水産業を尊重する文化のレベルが低い気がする。

都市化する社会を、マスメディアからドラマは「お洒落」に放送され、メディアは洋モノ流行発信が続く。
真夜中でも消えないネオンライトの中で歓楽は続く。
お金があれば何でもできそうな文化が席巻する。
様々な才能は都市での開花こそが全てと思いこまれている節がある。
オルタナティブな文化は、少数派なのかもしれないが、自分の住まい地を尊重する潮流を生み出しつつはあるかもしれない。

ムラに落とされる大規模償却資産税は「主流文化」の中に入るチケットとなる。


85年頃からこの税の額面のピークは下降しはじめ、「ポスト原発」が語られるようになると、ムラが手に入れたチケットは消え、「かつての貧困が戻ってくるという『感状』は生じる状況」もあったわけだ……

page127
「あんたたちはいずれはここからいなくなるからいい。だが我々は一生この双葉地方で生きて行かなくてはならない。子供や孫の代を考えれば一層不安をかきたてられる」と言わしめるほどに。

(128pageを読みこむと)
原発がもたらした価値判断に別の角度からの判断が入り始めた。著述で言う所の
「『推進/反対』から『愛郷/非愛郷』というコードの転換」が現れ出す。

2003年岩本市長の弁が引用されている。(社団法人原子燃料政策研究会編集部2003:2-5)
「発電所は運命共同体」現在の原子炉の構造の中で、最悪の事故が放射能漏れの事故ですが、わが国の原子力発電所はそれを完全に封じ込める機能を十分に持っていると私は思っています。アメリカのスリーマイル島地図)の原子力発電所の事故とか、
ソ連のチェルノブイリ発電所(地図))の事故とか、あのような事故につながっていくとは
日本の原発ではまず無いと思っているのです」


また、読み進めるうちに、心に刺さって来たのは、

・「岩本のみならず、住民にとって『信じていきたい』『誇り』となり『メディアとしての原子力』は 今日の原子力ムラのシステムをより強固なものとして成立させている、
・原子力をメディアとした愛郷のコミュニケーション……

と読めるpage130からの文面。

まるで生活の根をつかみとられているようではないか。
経済・平たく言えばカネが飛び交い、テレビドラマのような生活、「第二次産業」の中で他地域の人が集まり、お金を落としてくれる場所への憧憬は、「第一次産業」の情報を現代的に翻訳してこなかったメディアが言わしめている見方をしてしまうし、

・東京らしさ、沖縄らしさ、京都らしさ、などにある象徴的な、PR(icon)としてのらしさを、手に入れられ栄えるなら、 住民・地域・行政としても手放すのは難しくなる。
・ただ、取材されるままではなく、自らうつ広報として、ネット社会での住み家を確保することも必携となってくる。

あり方としての2つの面が相反しても(らしさ。は、アナログ的な「演出」だろうし、それを発信するネット発信はデジタルな存在という意)、併せ持たねば生き残れないのが現代なのかもしれない。

農林水産。この各産業を尊ぶ文化の未成熟。現代の情報過剰、エネルギー使用過剰などが、阻んでしまったのでは思いがある気がするし、わたしの思いに刻みつけられた、京大原子炉実験所助教の「たかが電気のために」という言葉がなんどもよぎる。

予感03 2011/12/10

2011-12-10 | blue heart
本屋に行く。
にぎやかなのは、音楽誌、ファッション誌、コンピューター関連の情報誌、あとは、
日本人はどうすれば世界のマーケティングの中で成功するか、というようなもの。
著名人によるエッセイも根強い人気。

身近な雑誌。週刊誌に読み手の性別を意識させる力があるなどとは思わなかったが、
やはり、わたしは週刊新潮や週刊文春、現代ポスト、といったような種類の雑誌を、
積極的には脳内検索しない。
ファッション誌か、文芸誌が多い。

ページを飾るのは、シャーベット色の似合う肌の人達。そして、紹介される、お洒落なお店は、
ことごとく東京情報だ。エリアメディアも健闘しているけれども。
東京の幻想は、まことしやかに、読者の中に入り込んでいる。
東京(そもそもこれは誰or何になるのだろうか)も、それを気に入っている。
多くのアーティストは、海外で絶賛されてやっと日本自身が日本の誇る「◯◯!」となる事は案外多いと思う。
(ジャズピアニスト上原ひろみさんなどの存在)。東京メディアからのゴールデンタイムに流す番組でのドキュメントで、
わたしたちは、未知だった日本人に出逢う。数多くがいわゆる全国ネットのメディアによって。
ミュージシャンや、タレントの多くも、出身地から続けてきた活動の拠点を、その多くが東京に移転する。
スポーツ選手は、欧米に行く。あまり、アジアのスポーツ界に行く話を、わたしの生活テンポの中では、聞かない。

武道館
幕張メッセ
東京ドームで華々しくライブをやる(立見席のチケットが出るほどの盛況)ことが、ある意味成功の証。
銀座
麻生
新宿
原宿
世田谷
目黒
などの23区(順不同)に居を構え、全国ネットの番組で名前をクレジットさせることが成功の証。のような。

メディアで、そのような人達のことが紹介される時、中央としての東京が、地方に与えるのは、イメージだと思う。
都市型サラリーマン社会をデフォルメされたもの。
いろいろな雑誌の中に、東京人は東京を見る。東京人ではない人は、そのイメージを「最先端だ」と、やはり、
未だに思うだろう。
少し観点が違うが、高校野球における甲子園は、若き野球選手の夢であることなどが連なるか。

「地方」とその地域を呼ぶ時、そこには、「都市型社会に遅れていますよ」というメッセージがノンバーバルに
発現されてはいないか。何のことはない「東京」などの都市で、田畑を耕す土地はなかろう。地方に豊かなのは、第一次産業。
誇り高き、地球相手の仕事なのだが。

ここで面白いのは、東京発の番組で、「東京という都市」から抜けだした人達の番組があり、案外多くの人が見ているということ。
憧れめいて。
そして、「地方」は、「東京に飽いた人達の持ち物」に憧れる。
席巻したのは、コンビニエンスストアや、大型スーパー。「地方」の人達は、住まう土地を田畑としているので、
「公共交通機関」は敷設されることは少なく(今や、どこにでも新幹線でいける時代になろうとしているが)、
「都市」が交通手段を選べるのに比べて「地方」は「車がないと不都合が多い」生活になっている。
コンビニエンスストアで、24時間開店している雑誌コーナーには、「都市の歓楽」が、溢れている。
お金があれば大丈夫という太鼓判のようなもの。農作業をするにあたっての服装の流行が全国ネット発信
されることは、まずない(だろう)。「都市」の人間はそれを知らないだろう。けれど「地方」の人達は、
圧倒的なその「東京情報」によってなされる、めくるめく消費社会のズームアップ、輝き、に憧れる。
情報網が整ったとしても、中身が、『トップダウン』のような流行物であれば、それを楽しめればなと思うだろう。


「たまには、鄙びた温泉にでも行って疲れを癒したいなぁ」
この「鄙びた(ひなびた)という言葉の持つ意味は一つではない。
「鄙びたものを維持する」ことは、あこがれの消費社会、コンビニエンスストア、大型スーパーや、
デパートでの買い物で暮らしている現実は隠蔽される。
それでもあるのは。自動販売機だろうか。

そして原発建設という札。著者は、原子力ムラとなった人々は、正しい引用ではないと思うが、独断で記述するならば、
「原子力を抱擁する(著者の表現。詳細は、当該箇所を読まれたし)」ことで、憧れを日常に組み込む。
原子力の札を出す側は、チェルノブイリやスリーマイル島の事故は、「ああなってはならない、良い教訓」として
住民側には説明される。裏打ちは何も無い。安全なのだと信じることで、ムラは安定し維持され、様々な文化施設に
その姿を変えて、ムラに存在し始める。暮らしは良くなった。そう思わせようとする、電気会社側の意思だろうけれど。

どこかの原発で事故が起きた時。電気会社は、その土地の人達と共に「観察者」になるという。
「ああなってはならないですね」という。そして手は打たれたのか?今回の311以降ですら、原子力の扱いが如何に難しく、
リスクの高いものか、それと引換に、ここでは、私たち○○電力は、日々安全操業に努力していると語る。
補助金で立てられたイベント会場などで。

実は、原発事故は、火山列島日本にとっては、おそらく逃れきれない天災を抱えての稼働で、それは、今回事故が起きなかった
ムラの人達の生活と地続きなものであることを、見事に隠蔽する。

今回読んだ120pageまでの中で、目を惹いたのは
「実際、原子力ムラにおいては、原発は関連施設の危険性を過度に引き立たせようとする雑誌やインターネット
で流す情報がムラの円滑な運営についてノイズになっている面も伺えた。」

という箇所だった……

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予感02 2,011/12/05

2011-12-05 | blue heart
さて。今頭の中に何重かに浮かんでいるコレ。「フクシマ論」を100Pageほど読み、過ぎったコレ。
ムラ・地方・都市 への眼差し。関係性。還元性。そのようなものを含んだ何か。
そのイメージのシッポ。

2011年現在も、音楽や映画は母国語文化とは寸断されていることを思わせる。日本は、アジアというよりも、亜アジアのような気持ちも抱く。この図式は、新興国・日本・欧米
という位置づけでもあるのではないかと思わせたりする。

日本に住んでいる多くの人が馴染んでいるものは、アメリカナイゼーションを再構築したもの。
欧米化されたものの再構築と言ってもいいかも知れないが。
音楽などで言えば、ロック・ポップスのカテゴリーが成立し、日常を司るテンポになっている事は、
BEATLESを日本語で歌うような、BEATLESに憧れて音楽に目覚めたミュージシャンたちが証明している。
PRESLEYであるかもしれない。つまり洋楽。

クラッシック音楽の中にヤマトは存在しうるか。全く違う特別な古典音楽を再生させる、特殊な才。
ウィーン・フィルで指揮をとる日本人、小沢征爾氏が今は頂点なのだろうか。
ここから日本古典にブリッジすることはおそらく簡単だ。

演歌は朝鮮半島の文化との交錯文化と言えるのではないかと思ったり。

わたしが、東南アジア圏で出会った音楽で、ある種のじれったさを勝手に感じたのは、その国のコブシ
を聴きたいのだという欲求が果たされにくかったこと。しかし、彼らも同じように、ロック・ポップス
というジャンルへの欲望が当然あるにもかかわらず、そうではなくて、と、たどったもの。

それを拾い上げていた人達の中の一人、サンディーさんの Air Mata(あいる・また)「涙」の意味の
タイトルで製作されたCDは、正に、インドネシア・マレーシアのコブシ、ダンドゥッツにたどり着く。
そして、わたしは和む。
その後でシーラ・マジッドさんや、シティ・ヌルハリザさんを知った。
Sandiiさんは、日本の楽曲も、Sandiiヴァージョンとしてアルバムを作り続けてこられた方の一人。
細野正臣さんもシンクロするだろう。

Asianにとって何がcoolなのか。カッコイイのか。
そのあたりの混沌は、Dick・Lee(シンガポーリアン)さんがかなり強いインパクトで表現してきたもの
だとも思う。有名なのは Mad Chinaman か。

日本では、忌野清志郎さん charさん サザン・オールスターズの面々 山下達郎さん 吉田美奈子さん 
和田アキ子さん などなど。
独断だが、有名な師匠レベルのアーティストは、非常に上手に五線譜のメロディーに日本語を載せたり、
インスパイアされたものを演奏し歌唱する。

そして、らしさは何かと考えた時の、日本文化とされているのコブシ・舞い・舞台。それらの、多くの人達からの、
日常からの距離。
週に何回。いや。月に何回、歌舞伎・能・民謡にスポットをメディアがとりあげるか。国営放送が細々と。
国営放送が買い付けてきたドラマの変遷は、いかにも「日本人らしい買い物」だと思える。
ほぼ、アメリカ、イギリスの人気ドラマ。コメディ。最近席巻しているのは韓国モノらしいが、
わたしが慣れ親しんだ韓国の文化としての映画は、ハン・ソッキュさんの出演作品くらいまで。
今の韓国というより、ほとんどテレビを見ないので、わたし自身は、韓流と言われるドラマは、殆ど知らない。

閑話休題。
独自にたどり着いた自国文化として世に名をなす作品群の愛好家たちは、まったりと、演芸場で、
そのぬくもりを楽しんでいる。そしてそこで成立している社交は、他国のコブシとのみ成立する気がする。
平たく言えば、互いのジャンルで、コラボレーションを考えやすいのはどちらかということかもしれない。
坂東玉三郎さんが京劇とかかわったこと。そういうことに象徴される物と言おうか。

マレーシアで感じたコブシ。ハワイイにもあるコブシ。島々のコブシ。これが探していたものだと喜ぶ
のは、その国の産業が目指す所とは全く反対の位置にある。
その過程で失ってきたものへのノスタルジーを新興国に求めていた日本人の一人がわたしだなと腑に落ちる。
日本のコブシのありかは、民謡なのだと腑に落ちた時は、同時に目からウロコも落ちた。

フクシマ論。分厚い本だ。じっくり読み込もう。

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予感01 2,011/12/03

2011-12-03 | blue heart
わたしは今、青土社刊行 著者 開沼博氏 による 「フクシマ論」原子力ムラはなぜ生まれたのか、
を読もうとしている。読み進めながら、自分の経験にリンクする思いを見つけつつある。

わたしが、もう少し健康だった頃、アジア圏に旅をすることが多かった。その時の感覚は、和みや、懐
かしさのようなものに浸ると言えばいいだろうか。
マレーシア、タイ、ラオス、シンガポール等々を何度となく旅した。
当時は、パソコンを持っているわけでもなく、カメラもフィルム現像、携帯電話は持っていなかった。

インターネット情報もなく、今の日本にあるネットカフェとはもっと違う、マイクロソフト・ウィンドウズ、
のコンピュータが6-7台ある、簡便なエリア。椅子付。そんな感じかと記憶する。
唯一持っていたフリーアカウント、hotmail.comで、何人かと電子メールでのやりとりをしていたくらい。
そして、そのカフェを占拠している客は、欧米人がほとんど。そして、数台、日本人向けの設定にしたコン
ピュータを使ったりしていた。この配分が、それらの国々の旅行客の割合だろうと思う。

電子メールで伝えたのは、自分が訪問している土地への、曖昧な望郷の念や、和みについて。
何に和んだのか。
「あぁ、これが自分の知っている時代だ。」という幸福感。時間の緩さ。等だろう。

そして、帰国しては、その国々に「日本=東京」のような図式での豊かさを目指して欲しくないと思った。
そのままでいて欲しいと。
全く身勝手な思いだったと今は思っている。

様々な国で出逢う誰もが「豊かさ」を求めていたし、それは、当時のわたしを受け入れてくれた友人の、旅の
ような生活ではなく、自分が買える家がある暮らしの豊かさのような、「お金のある暮らし」と言えばいいだろうか。

今となっては日本国内ですら、「都会」にはない和みがもてはやされて、京都や奈良の古めかしさを求めて観光
客が押し寄せていく。
そして、観光都市は、らしさを保ちながらも最新鋭の情報が共有できるシステムに組み込まれなければならなくなり、
住民とって、観光都市であることは非日常なことなので、どんどん、観光客と住民の住み分けへが進むのを目のあたりにすることが多い気がする。土地の人達の、昔ながらの老舗が失くなることを嘆く声もよく耳にした。

前述の単行本を読み進めながら、自分の中で蠢くこの予感めいたものを綴っていこうかと思う。

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