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風を泳ぐ -2-

■詩詠-ウタヨミ-
■SwimTheWind Part2
【By s/yumic.】

憂鬱な怒り

2012-02-28 | blue heart
原発キケン Nuke is danger【脱原発ソング】

【替え歌】日本が終るまでは...【原発事故】歌詞付き

「だれも来ない海」

替え歌 「福島原発 ノー リターン」

【替え歌】残酷な原子炉「もんじゅ」のテーゼ【エヴァンゲリオン

東電、日本一無責任男

#東電に入ろう (倒電に廃炉

原発民間事故調:北沢委員長「危機管理の取り組み不合格」

民間事故調「菅前首相は不合格」 情報提供に失敗

どこまでどこまで
ひた隠し
どこまでどこまで
嘘をつく
やり口こんなで
手に得るものは
教えておくれよ
素晴らしいかい
美味いのかい

それじゃあ
そこに
あんたがた住みなよ
議員会館豪華に立てて
工程表作りゃぁいい

原発廃炉になるならさ
電気料金値上げだと
しわ寄せは全て国民に

除染は放射能無化法かい?
アナウンサーはしたり顔

雑誌のコンテンツの中は
綺麗綺麗な夢ばかり
原発の「げ」の字もありゃしない
除染の「除」の字もありゃしない
脱原発の「脱」の字も
綺麗な写真の
そのお弁当
何処の材料で作ったの

安全な場所に
暮らせる場所に
やっとみなさん帰られるんだと
思い込ませたい除染計画

時がたっても
忘れることも
収束させることも
できないくせに

原発や米軍基地や地位協定は
りっぱな憲法違反事象

メディアもどうにかしているね
スキャンダルが起きたってさ
起こした女性はたたかれて
張本人の殿方は
何のお咎めもありゃしない
今や大臣様様です

どうした
いったい
この国は

雨が降ってる降ってるよ
セシウム拡散されていく
雨と一緒に流れていくよ
暗黒づくりの雨粒さ
さながら希釈毒の雨

覚えておいで
忘れるんじゃない
 
地球を作ったのは
人間じゃない

s/yumic.from2005

予感09 終章 2011/12/25

2011-12-25 | blue heart
本書は書き進められている。原子力ムラについての論説を軸に。
著者の試みはこの本を読むきるものに対しては、その成功をみるだろう。

読者としてのわたしが拾い上げていくものをここに連ねておく。

・戦後の福島の生活の困難→社会不安
・荒廃に対して有効なのは電源改発
      ll
   国土総合開発法
その状況下、政府・GHQは極秘に電源開発実現しうる為の駆け引きがあった。


・1952年電源開発促進法成立
・1957年特定多目的ダム法成立
      ll
電源開発事業促進へ。

・民主化、分権路線からの再軍備化の模索
集中路線への共鳴。

・地方からの強い働きかけの中身
 47年:石原知事は電力県として名乗りをあげる。

 50年:大竹 (略)我が福島に於いては再びこの電気県営問題が取り上げられ、
          県民の実現願望は一途をたどっている。

 53年:只見川電源開発実現
    (新潟県との確執。それを経ての獲得)

(※自分のためのメモ。新潟県が対峙したのは、東北六県:青森・岩手・秋田・山形・福島・宮城)

Page224
大竹知事を先頭にたて、県議会も一丸となって、何度も東京、新潟まで出かけて本流案実現のため奔走したが、東京電力は財力でまさっており、また電力の鬼と言われた松永安左エ門翁ら有力者がにいがら、東京電力がわを押しているため、運動は容易ではなかった。わたしは只見川筋ただ一人の県議だったので、負けてなるものかとがんばった。(松阪1980:298)


・福島民報県内電源地帯を空から見て認識を高めたいという申し出を行う
つまり、地元メディアによるキャンペーンによって、只見川改発は住民を巻き込んでいく。
巨大なエネルギー源只見川ダムが日本の産業を支えている現実。
これでよかった、と。(同上松阪1980:265 による。)

中央とのコネクションを、どう獲得しているかが鍵となる。そのコネクション戦で、新潟は破れた。

只見川ダム建設経緯は55年体制で明確になる中央政界から地方への利権誘導のモデル原型」となる。

佐藤善一郎の言う
1)官僚政治への反対
2)中央との繋がりへの懐疑
3)党派より「県政」の優先
という、スローガンがバックボーンとしてあったと見れば、原子力ムラのこの前史を見れば、その誕生も
頷ける。

以下、読了までに、胸に迫った言語をピックアップしておこう。
もし、このブログを読んでくださっている方が、この「『フクシマ論』原子ムラはなぜ生まれたのか」を
手にとってくださることになれば、なるほどと思っていただけそうなワード。

◆植民地的主体性

◆すなわち「植民地的主体性」より獲得したものを班長とする

◆京大出の朝鮮人張村隊長

◆リーダー張村隊長は下関から船に乗った途中で仲間により海中に落とされたという消息が……

◆周縁的な他者の「固定化の役割」に他ならない。

◆支配/被支配 抑圧/被抑圧 加害/被害

◆スピヴァクがサバルタンについてすすめた議論に接続しうるもの。

◆”地方のエージェントを中央に送り込むという、戦時までの状況とは真逆の中央・地方間利害の調整システム”

◆東電の中の構造

◆琉球処分

◆1879・1895・1945・1995・2011

◆変わらぬもの

◆ポスト成長期

◆非西欧における特殊な近代化の達成を可能たらしめてきた官僚制と巨大資本の協奏の対極に<原子力ムラ>があることを見てとる

◆4.10 のありか。

◆コロナイゼーション

多少前後しているけれども、羅列するとこのようになろうか。


そして痛烈にわたしに迫ったのは、学閥の作用だった。

帝国大学。
その長。東大を東大であらしめるものと、何か似てはいないか、と。

開沼博氏を、おそらく見事にサポートされたであろう、上野千鶴子氏が東大に移られた時、事情には不案内だが、やはり、東大なのかと思ったことを、補章を読み終えて着地した場所に見つけた。
それらがわたしにとっての、読了の境地。

是非、みなさまもご一読なさることをお勧めする。

予感08 2011/12/22

2011-12-22 | blue heart
これまで、社会学の視座で論じられている、開沼博氏の著書を、わたしなりに読み進め、
わたしなりの理解の方法を書いてきたわけなのだが、このトピックを「予感」としたのは、
多分「ある」或いは、「誰かがいる」という気配だった。
犯人を知ってからミステリー小説を読むたちではないので、表紙をめくり、目次に目を通し、
順番に読み進めていた。今読んでいるところを確認するために、頁を遡ることはあっても、
未読の部分を、パラパラと見ることはしなかった。
でも。
予感があり、それは、当たった。

Page240から 紹介されている。

ここでは、、原子力ムラも位置する阿武隈高地の山村で農林業に従事しながら詩や評論を
遺した草野比佐男の文章からその状況を追ってみる。
草野比佐男は27年に生まれ、原子力ムラの北側にある福島県立相馬養蚕学校を卒業し、
同じく南側にある現在のいわき市に住み続け05年に78歳の生涯をとじた。草野を一躍
「中央」において、有名にしたのは詩集「村の女は眠れない」だった。72年に出版される
こととなった同詩集は、本来個人的に書き溜めていたものであり、それがNHKでドキュメン
タリーとして取り上げられたことで、出版することになったのだった。(草野1972=2004:181)

(略)

…村の夫たちよ 帰ってこい
それぞれの飯場を捨ててまっしぐらに眠れない女を眠らせるために帰ってこい
横柄な現場のボスに洟ひっかけて出稼ぎはよしたと宣言してこい
オトコにとって大切なのは稼いで金を送ることではない

女の夫たちよ 帰ってこい
一人残らず帰ってこい
女の眠れない理由のみなもとを考えるために帰ってこい
女が眠れない高度経済成長の構造を知るために帰ってこい
帰ってこい 自分も眠るために帰ってこい
税金の督促状や農機具の領収書で目貼りした納戸で腹をすかしながら眠るために帰ってこい
胃の腑に怒りを装填するために帰ってこい
装填した怒りに眠れない女の火を移して気のくわない一切を吹っとばすために帰ってこい
女といっしょに満腹して眠れる日をとりもどすために帰ってこい
たたかうために帰ってこい
帰ってこい 帰ってこい
村の女は眠れない
夫が遠い飯場にいる女は眠れない
女が眠れない時代は許せない
許せない時代を許す心情の頽廃はいっそう許せない


(草野1972=2004:32‐349)

モノガミーだとか、異性愛文化だとかいうことには、わたしは今回触れずに進む。

Page243

(略)出稼ぎ先では安全ではない肉体労働に従事することも多く、ムラの高齢化も
進んでいった、日本が「成長」すればするほど衰退するムラの現実。そこにかつて
あったものが中央の成長によって揺らいでいく。


中央はここ

東京を中央とよぶな
中央はまんなか
世界のたなそこをくぼませておれたちがいるところ
すなわち阿武隈山地南部東縁の
山あいのこの村

そうさ 村がまさしくおれたちの中央
そもそも東京が中央なら
そこはなんの中央
そこはだれの中央
そこで謀られるたくらみが
おれたちをますます生きにくくする

そんな東京を
きみはなぜwがめる
そんな東京に
きみはなぜ出かける
葉のない鉄骨になぜヘルメットの黄の花を咲かせる
初戦は捨て苗のかぼちゃに如かない
花のあとにはうらなりの実も残らない
まぼろしの中央に唾して
ほんらいの中央に住め


東京をかりそめにも中央とよぶな
僭越な支配が目当ての詐称を許すな

(草野1972=2004:156‐157)

まさにこういう詩が詠まれていたのではないかというのが、予感だった。
そして、その詩は、わたしの中でシンクロナイズするだろうとも思っていた。
その通りだった。


また、私見であるが、この詩人の存在のドキュメンタリーをNHKが制作したというのは、
まったく皮肉だとも思う。
首相試写会見では、フリージャーナリストの質疑に入れば、スタジオ中継に戻るという、
報道をする放送局。真実から目をそらせようとする企てが腹立たしい。

現在の東電の扱いは国有化に向かっている。税金がつぎ込まれるという理解でいいのか。
本当にそんなことをするのか。
泊でも?玄海でも?伊方でも?駿河でも?
そんな疑問が湧き出す。

そして、草野比佐男という詩人の詩を引用した筆者の心の温度が伝わってくる気がする。

何が中央で、何が東京なのか。
何が日本で、何が先進国なのか。
アメリカやヨーロッパでは、景色を見上げ、
アジアでは、地べたを見る旅行者……
やっぱり日本がいい。
そう思うか。
その時示す日本とは何か。
「単一民族国家」「牧歌的な風景」「田舎」だけども「田舎」だけではなくなった「田舎」。
目くらましが続く。

萱野茂氏が、政党を作ったことすら、揶揄されるのかもしれないと思ってしまうほど、わたしは信じられる人を慎重に捜すしかないのが、
苛立たしい。

さあ、そろそろ、佳境だ。

予感07 2011/12/19

2011-12-19 | blue heart
もとより、この書籍の意味の重さこそが、今の日本の抱える重さ。
図式としては、

東京=中央>地方

都市生活(のようなもの)が各地にもたらされるために絶対必要なエネルギーは、電気。
それを供給できる条件がある場所は東京以外の場所。
本当に東京というのは謎だ。
資本も、メディアも、学問も、政も、最先端=西欧 を取り入れることにやっき。

アメリカ・ヨーロッパが経済危機を迎えても
その様式への羨望を keep させ続ける広告力は衰えない。
インパクトを一番先に受けるのは東京。
さらに「成長」を求め、様々な手練手管で「素敵な生活=消費(生活)するために必要なのは、
お金だぞと広告は言う。

TVCM は、ビールを飲め、健康管理をせよ、車はこれだ、痩せていないとダメ、洗濯物は真っ白に、
臭いは消しましょう、食品はデパ地下で。疲れてもこれを飲んで頑張りましょう、エトセトラ。
東京はその姿をkeepするために、さらなる工業化が必要。その源の生々しい作業は、
職業を選択する余地がなくなった者に押し付けられている現実は知らされない。

今回の東京電力福島原発事故をめぐっても、責任の所在は、当事者同士でうやむやに。
その現実を、最初からつきつけられたのは、「統合会見」。
マスメディアだけで情報を独占している事態ではないと、フリーランス記者達の気迫は、
ジャーナリストの矜持を守りきった。そして、その会見は幕を閉じようとしている。
簡単に言ってしまうと冷温停止の安定を見たからだそうだが。疑問・疑念だらけなのは、
私だけではないだろう。


都市生活に必要なのは、24時間稼働のコンビニエンスなストア。

東京が渇望するものは、東京以外の場所(いうところの地方)でも、渇望される。

日本が振り向くアジアの国々は、懐かしさを孕み、都市生活の疲れを癒す場所。
今で言う新興国が一番求めているのも、発電拠点。もっと素晴らしい歓楽、電化されたものに
囲まれる「豊かさ」の為に、日本政府は原発システムを輸出しさえする。


話は戦前・戦中のムラのあり方から、現在を見晴るかす場所を示す。

幾つかの例で説かれているように
P187
やはり、ここにもまた、ムラ自身は具体的な戦場とはならないながらも、都市銀行による融資に
象徴される政治・経済面、機密管理・思想統制といった文化・社会面の双方によって、それまで
のムラが経験したことのなかった国家の体系への取り込み、あるいは、戦況が極まっていくなか
で、明確になってきた中央がそのシステムの内部や体外傍聴で処理しきれない余剰の受け皿として
ムラが利用されていった過程を見ることができるだろう。そして、そこには、中央によるムラの
使用価値への評価、具体的に言えば、地理的に近い、そして機密保持、資源・用地確保といった
点で程良い(中央には存在しない後進性。周縁性がある)田舎である、といった中央の都合のよさが
背景にあったことも指摘しておく必要がある


この指向を念頭に読み進める。

P189
現在の原子力ムラである福島県富岡町・楢葉町付近から茨城県北部までの地域には、、筑豊炭田、
北海道炭田と並ぶ大炭田である常盤炭田があった。(略)市場での競争においては、北海道・九州・
植民地からの石炭に遅れをとることもあった(丸井ほか1997:271:福島民友新聞社福島県民百科事典
事業本部 1980:466‐467)。とは言え二度の大戦期には需要は拡大し、特に第二次世界大戦下に
おいては、42年10月、岸信介商工相の「米英の撃滅を期し挙国石炭確保運動を開始す。よろしく全
鉱上下心をいつにして工業報国にすべし」との宣言で始まる挙国石炭確保運動が始まった。


前述の条件に見合う土地に、財閥、炭鉱企業、を重ねて拡大し、最大規模の企業、常磐炭鉱成立の
際には、満州の炭鉱統合で活躍した軍需省の松村茂氏が社長に。合理化も図られた。

45年8月ピークには3.5万人が動員されている。朝鮮人労働者・学徒動員を含めた徴用労務者・
中国人捕虜・女子鉱員という構成となる。

待遇改善の争議(帰国促進を含む)が起き、45年11月下旬には帰国が完了する。
日本人の徴用労務者の動員解除を見る。

46年暮れ頃からアメリカ本体が日本に求めた「健全な日本復興」に必要とされた当時は「黒ダイヤ」
「地の油」と呼ばれた石炭。
日本復興は、石炭産業から始まることになる。
戦時を支えた石炭。戦後、また、「国家の期待を喜びと共に
引き受けることになる。

中央とムラの接続のなかでの地理的に、「田舎」的な点での中央によるムラの使用価値への評価が
終戦をまたぎながら持続と強化のなかにあった。

電力コントロールを制すものが勝者。そのような信念のもとにすすめられる。
・電力による成長は、電力供給不足が深刻になる成長…
・停電による(慢性的不足からくる)事情継続の困難さ
・電力消費の戦前・戦後の変化(農業・軽工業⇒重工業。化学工業へ
・戦時下において金属・機械といった軍需と結びついた勢いが再び呼び戻され
「平和」のなかでかつて以上に加速したものの

電力政策は「油主炭従」化が始まると、「一山一家」という集団というあり方が変化を強いられる。

(映画「フラガール」は常磐炭田が舞台なのだそうだ。)

次回また、読み進めている箇所を自分なりにまとめ、整理しながらUPしたい。

予感06 2011/12/17

2011-12-17 | blue heart
やっと読み進んで、Page200までたどり着いた。
今の時点で私の中にイメージされているものは、やはり予感していた、大資本主義への強迫的な憧憬。

電気エネルギーをどんな形であれ、自国でまかなえることの「強さ」。
様々な国々が、「豊かさ」を求めて最先端最先端へと流れを追う。

豊かさとは何かという議論は、終始正体の分かりづらい「大量のお金(=等価値の財力)」の大きさ、
と言えるのではという、私の解釈が深く実感されていく。

今回読み進んだ中で、そうだったのかと学習できたことは、
日本は東京の機能を支えるためのシステムとして構成されているといったような表現になる。

311、深刻な事故を抱えた東電福島原発で作られた電気の消費地は東京である。
何故原子力が、受け入れられたのか?という疑問は、根深いところに、事実がこうだから、という
回答を準備している。

今のカードが原子力発電所というもので、絶大な効果をもたらす。
そこに行き着く前の原子力ムラの経歴は、塩田、石炭エネルギーであったり、原爆を作りうるラドン埋蔵地
であったりしたのだ。

もともとは、農漁村として成り立っていた福島は、東京に近く、東海岸に面している土地で、
交通幹線によってより近いという立地条件を持つとのこと。
そしれ、ムラが、原子力ムラになる以前からの話となると、第二次世界大戦中にまで、事実を追わなければ
ならない。開沼氏は、そういうアナウンスを告げるのだ。

P172 今日の原子力ムラには、一見外部から見たら特異に見える状況、つまり、
自ら持続的に原子力を求めていく addictional なシステムが存在する。それは中央の
<原子力ムラ>と共鳴しながら原子力の推進を強固に進めていくものだ。
 90年代後半以降の佐藤栄佐久県政は「保守本流」であるゆえに中央の原子力政策に抵抗を示すようになる。
中央との対峙の中でその中央-原子力ムラの共鳴の構造の間のメデイアとしてノイズを与え、
それはこれまでの原子力推進構造に大きなゆらぎを与えるが、結果として佐藤栄作県政の消滅と共に
ノイズメーカーとしての役割を持っていた地方の役割は消滅することになった。
(略)日本の戦後成長に不可欠なものとして存在した「地方の自動的かつ自発的な服従」の原理が
明らかになっていくだろう。


ということになる。

歴史的に言えば、先述の通り、戦時ー1950年代半ば までのスパンでの事実経過が、
如実にそれを物語っている。

双葉町。は、本書によれば、「東北のチベット」「福島のチベット」と呼ばれていたそうだ。
日露戦争で賠償金を得られなかった。
1902年・1905年には大凶作が起き、貧富の差は拡大したという。
滞納者が多く出る中で。議員解雇や剥奪もあったし、中学設立の費用すら賄えない事態も抱え、
そんな土地柄で、時が流れてゆく中、「国民精神総動員運動」へとなだれ込む。

「戦時下のムラ」は、戦争を直接的な被害よりは思想として実感しつつ、
国家へのヒト(兵)とカネ(税)とわずかなモノ(農漁業作物)の供給地として、自らを位置づけていき、
ムラにとっての敵は、前述のような条件を抱えた貧困が敵であるという実感が、人々の心情の中に
あったと述べられている。

そして迎えた終戦(敗戦)時の状況。
S20年にはまたもや大凶作。
そんな中で目を出したのが「塩田」業。瀬戸内海の塩田の荒廃によるバランスがもたらした。
戦中民家10件分の土地が接収(買収)され、現在の第一原発の一部の台地300haが、45年8月9日10日の空襲で
廃墟になった土地で、堤康次郎氏による塩田運営がなされた。

双葉の産品は常に東京に流れ続けていた状況下、海水から直接製塩できる技術により、
双葉の塩田は荒廃していった。

東京と福島(中央と地方)の依存関係と見てとれる。
わたしの予感は、日本と欧米の関係とこの状況がダブっているのでは?というところだ。

P180
いずれにせよ、それまで自らの消費物の居急不足を満たそうと必死に農漁業に勤しんでいた貧しいムラ、
すなわち国家、あるいは中央が主導する市場に対して「閉じたムラ」は「戦時の集約」と
「資本の進出」という二つの動員の経験を通して、国家と市場に「開かれたムラ」へと変貌していったのだった。


戦中、陸軍主導核兵器研究がなされもし(1990年4月~10月)長岡半太郎五男、物理学者嵯峨根良吉氏の
助言のもと、原爆の製造の可能性を明確にしていく経過の中で、ウランが着目された。
日本のウランだけでは足らず、占領下の朝鮮・ビルマが有望視されて前進していくかに見えたが、
45年4月、東京に焼夷弾が打ち込まれ、分離施設は消失。
その東京にあった分離箇所の代替地が、前述のことを踏まえて、石川町になった理由は同じだ。
住民は、ただひたすらに、お国のためになるんだという連帯感の先には、原爆開発にあることは
知らされない。中央からやってきた者が終戦まで動員し続けたという歴史。
さらに風船爆弾が勿来で「フ号作戦」として進められ、前述の条件のもと、水素の補給が可能である
という条件で選定される。

軍事体制のあり様と現代に通じる、機密性が確保できることが、軍(国家)にとってどれほど都合が良かったか。
銀行にも作戦があることは開示されないまま進む。
福島では勿来
茨城では大津
千葉では一宮
これらの場所から合計9000乃至9300球の風船爆弾が飛ばされた。


駆け巡る沖縄の基地問題。
日米問題。
根深いしがらみ。
その関係への耽溺。

これらの歴史を抱えた場所に、原子力推進は見事にヒットしたのだという理解が、現在である。

炭田エネルギーについては、また次のUPまで待たれたし。

では今回はこの辺で。