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正しい性教育 第6条「女の子らしさ、男の子らしさ」

2005-07-31 23:20:57 | Weblog
      目 次
 ある時期、「女の子らしくしなさい」とか「男の子らしくしなさい」という教育方針に異論がだされた頃があった。私が思うに「女の子らしくしなさい」と教える言葉の中に、「女の子はでしゃばらず、男尊女卑と通しなさい」という意味が込められていた。それが男女平等が当たり前の時代になり、男尊女卑の言葉さえ死語になりつつある現代、ややもすると、女の子の持つ特性や男の子の持つ特性をまったく無視して(男女を性の特質を無視して)男の子らしさ、女の子らしさの言葉さを使用しないことは、正しいであろうか。
 大人もそうであるが子供も、男っぽい男の子、女っぽい女の子、女っぽい男の子、男っぽい女の子、と様々である。そして親が子供の特性を見抜き、女の子らしく、または男の子らしく育てるのは何の問題もないことだ。
 ただこの教育方針をとる背景に、徹底した男女同権思想を子供に教え込ませることが前提である。いや、教育方針ばかりでなく、親が実践としても男女同権思想を実行している必要がある。
 男の子にたいして、男らしく教育することは、ベースに男女同権思想が子供に植え付けられていれば、男の子は彼の腕力を決して弱いものに対して行使しないであろうし、むしろ弱いものを助けるほうに、その腕力を使うようになるであろう。
 問題は子供への平等意識教育の方法である。アメリカでは徹底したレディー・ファースト思想があるから、本心では男尊女卑でも、表面的には男女平等が保たれている。その教育を受けるアメリカの子供は、一応男女平等の形を整えている。
 しかし日本では、親のレベルでレディー・ファーストは徹底されていない。かといって北欧の男女平等意識の徹底も曖昧なレベルだ。こういった日本の状況でどうやって男女平等意識教育を進められるかがポイントだ。
 方法としては、子供を教育するあらゆるチャンネル(映画の選択、漫画の選択、ゲームの選択、テレビ番組の選択、校外活動の選択…、を行使し)、口すっぱく男女同権を言い聞かせるほか方法はない。
 しかし、親が本気になって子供に教え込めば、基本として正しいことだから、子供にしみこんでいくと思われる。

正しい性教育 第5条  恥ずかしさの教え方

2005-07-17 21:17:51 | Weblog
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恥ずかしさとは社会規範のことである。ともう一つ、ストレートな感情の表現と密接な関係を持つ。
例えば幼い男の子が、オチンチンを出して走りまわる事がある。周りの大人は大騒ぎをするが、本人の男の子は得意げである。この男の子がとった行動の背景は、男の子に社会規範がまだ理解されてないのに、ストレートな表現の意思が盛んだからこのような行動をとったのである。
社会規範は親の教育、学校での教育、社会での付き合いでおのずと身に着けていく。しかしストレートな感情の表現の抑制は、幼いときに体に染み付いてしまうと、一生自縛状態が続き、ストレートな感情を表現しない後世を送ることになる。
しかし人は時と場合、場所に応じてストレートな感情の表現を抑えなければならないときが多々ある。大切なことは、ストレートな感情の表現を抑制するのは、いつも感情の表現を抑制することを習慣づけるのではなく、本人の知性に判断をゆだねるべきである。
そのために、子供が幼いときから成長するまで、知性の教育に全力を注ぐ必要がある。
一般に知性教育は、学校では充分なされることがないためおざなりになりがちである。そのため親は、安易な社会規範を子供に叩き込む傾向がある。先ほどの例では、オチンチンを振り回して走り回る子供を叱り、「ともかくそういう行動をとってはいけない」と叩き込むのである。
子供がストレートな感情の表現が抑制されて育つと、大人になって、知性がついてきても、感情の表現をしなければならないときに、感情の表現ができず、大切なものを失ったり、本人の知性が過小評価されることになることが多い。
しかし近年、わが国の教育現場でストレートな感情の表現だけ許し、知性教育がおろそかになった結果、学校で授業中に勝手に走り回ったり、喋りまくる生徒がふえていること言う。この現象は欧米ではずっと以前から見られる現象である。
これなどは、生徒が授業中に勝手に寝転ばないように、べチャべチャ喋れないように、ブース式の勉強机にするとか、学習装置を考えることによって幾らでも解決できるのである。
確かに、ストレートな感情の表現だけ身につけ、知性が全く欠けた大人程始末に負えない者はない。
逆にストレートな感情の表現を時と場合に応じ発揮し、知性豊かな、例えばリチャード・ギアのような大人を見ると、大人の理想像を描く。
幼児教育とは、どういう大人を目指すかによって決定されるべきである。
 

正しい性教育 第4条  正しくない性教育

2005-07-17 19:57:49 | Weblog
      目 次
私の付き合っていた女性、M子さんは綺麗な方だった。
M子さんは、生まれて間もなく両親が離婚した。幼いM子さんをどちらが引き取るかでもめた。
そのとき母に別の男性がいたので、父は意地でも娘を手放さなかった。母もやむなく娘を手放した。
やがて父は再婚した。しかし義母との折り合いが悪く、ぎこちない3人の生活が続いた。
父は娘に対し配慮がかけていた。幼いながら娘の視界の中で夫婦の行為を行うに至り、M子さんは父母への拒否反応を募らせた。さらに悪いことに酔った勢いで娘にいたずらをした。
やがて義母に子供ができるに至って、M子さんの居場所が無くなった。父母と親類が相談した結果、施設に入ることとなり、小中と学校は施設から通った。
父は、月に一回程度施設の娘を訪れた。しかしM子さんには施設の中でレズの友達ができ、もはや父の存在感はないに等しかった。
産みの母が初めて施設を訪れたのは彼女が中学2年の時だったという。しかし産みの母も、再婚者との間に子供がいて、M子さんを引き取ることはしなかった。中学を卒業すると同時に施設も出て水商売の世界に入った。その間ヤクザの親分の女になったが、さすが長続きはせず、再び水商売で生活を続けた。彼女は全ジャンルの職業をこなしたことになった。
彼女は油絵も上手く、モデルの経験もあり、きっと普通の家庭で普通に愛情を受けて育っていたら、何かの分野で成功していたであろう。
彼女は幼い頃「愛情」というものを周りから全く受けなかった。だから大人になっても愛情を他人に与えることが出来ないのだ。また他人から愛情を受けても、穴のあいたバケツのように、どんどん抜けていってしまうのだ。しかも最悪なことに、これは一生治らないという。
M子さんが三十を過ぎたある冬の日、父は病院で一人寂しく息を引き取った。義母とは既に離婚し、義母は子供を連れて郷里に帰ってしまっていた。
どんなに憎い父でも、父には変わらない。M子さんは父の葬儀には参列した。
葬儀後の皆が集まった部屋で、M子さんは義母と再会し、義母の2人の子供でM子さんにとっての腹違いの兄弟とも会った。
そしてM子さんはその席で3人と絶縁した。M子さんは父の遺骨をもらうかどうかで迷ったが、たった一個だけ持ち帰ったという。
産みのは母は、もちろん参列はなかったが、その後母とは年に何回かは会っている。母の子供とは、上の義姉とは血の繋がりがないせいか交流はないが、下の義妹とは母を同じにすることもあり時々は会うという。
私はM子さんのような親の愛情を受けなかった例はごく稀なケースだと思っていた。だがある作家のソープランドで働く女性のルポルタージュによれば、皆さん似たような生い立ちだという。
かってM子さんと私が車である施設の前を通りかかったことがあった。「止めて」と彼女がいうから車を止め、施設の広い庭を前に立った。数人の収容されている子供が無邪気に遊んでいた。「引きとろうかな、子供」と彼女が言った。私は彼女の気持が痛い程分かった。

正しい性教育 第3条  性教育は子供の身になること

2005-07-17 19:57:34 | Weblog
      目 次
子供を信じることは大切なことだ。しかし子供と言えども中学校に通うようになる頃は身体は大人と変わらない。性的興味や性的行動に抑制がかからなくなるときがある。
子供が性的行動による問題を起こした場合、親は子供を信じていたのに、裏切られたと感じる。また子供も分かってもらえない親だと決めつけ信頼しなくなる。この悪循環は避けなければならない。
親は子供を信じることは大切だが、同時に子供の立場になり考えることが必要だ。
私の経験談だが。 私は多少文章が書けるので、近所のお母さん三人から作文の指導を頼まれた。週1回のことだからと引き受け、中1の女子3人の作文指導が始まった。
暫く経って、3人の内の1人が遅刻した。理由を聞くと、来る前にクモン数学教室があり、その関係で遅れるのだと言う。
私は、他の2人は時間通り来ているのだし、ましてや他の塾にいってて遅くなるのだから悪いのは彼女だと判断した。
だから私は定時に指導を始めた。10分程して、息を切らせながら彼女は部屋のドアを開けた。
その時彼女は、なんと「あ!授業、始めている!」と私をなじる声を出した。私は心の中で「当たりまえだ。遅刻してきた君が悪いんじゃないか」と呟いていた。
その日の指導が終わり、私は一人考えた。私や他の2人にしたら、「遅れてくる方が悪い」の結論だ。
でも私は彼女の立場で考えてみようと思った。彼女にしてみたら、クモンに行くのも親から決められたことだ。自分にとってどうしようもない状況で、私の教室に行ったら既に授業が始まっていて、とてもやり切れない思いがした。そう感じたことだろう。そう思った彼女に同情した。
次の週、私は彼女が来るまで作文のテキストは閉じたまま待った。他の2人には適当に予習をさせていた。10分後彼女はドアを開けた。同時に私のテキストが開かれてないのを確認した。
そしたら彼女の態度が一変した。ものすごく私を信頼するようになった。
次の週は何と時間通りに来たのだ。親に相談してクモンを早めたということだった。彼女の身になって行動をとったら、全てがいいほうに進行したのだ。

その彼女が自由作文のとき私に悩みを相談した。
悩みの内容は、以前父母がHをしているのを見てしまったことだった。言いようのないショックを今だに抱えていた。
彼女にとっては、夫婦の愛情表現としてのHという見方はまだ無理だった。あまりにも少女にとって強烈過ぎるシーンだったのだ。
彼女の中で、父親と一歩距離を置く感覚が生まれた。
父母は子供の感覚になって夫婦生活の管理をしなければならない。見られてしまってから寝室の管理を考えては遅いのだ。
子供が小さい頃から、寝室を別にするとか、夫婦の営みが子供の目に触れないようにすることに最大の注意を払わなければならない。
このことは子供を信じることとは別次元の問題である。
子供を信じることと、夫婦の性生活管理と、別次元の話しをしているようだが、私のポイントは子供を信じつつ、それとは別に管理や監察はしっかりしなければならないと言いたい訳だ。



正しい性教育 第2条  コウノトリが運んだと教えてはならない

2005-07-17 19:57:20 | Weblog
      目 次
子供から「赤ちゃんはどこから生まれるの?」と聞かれたとき。「お父さんとお母さんは愛し合って、お母さんのおなかに赤ちゃんができ、おなかから生まれた」とはっきり伝えよう。「父、母、愛、おなか」の4語は欠いてはならない。お母さんお父さんは、子供に対し恥ずかしがったり、もじもじしないこと。子供は敏感だから、親が恥ずかしがると、「何かまずいことでもあるのだろうか?」と詮索する。これがよくない。
「コウノトリが運んだ」の類を答えても、子供は絶対に信用しない。そればかりか、親の信頼を失墜させる。
但し答えるのは受精以後のことに限った方がいい。受精するときの説明は前述の「お父さんとお母さんは愛し合って、お母さんのおなかに赤ちゃんができた」に留めよう。それで充分だ。具体的に説明してしまうと、親に対し嫌悪感を植え付ける場合がある。また子供もそこまでは知ろうとしない。
受精以後のことを子供が質問したら、正直に知っている範囲で答えればいい。事実を話すのだから何も恥ずかしがることはない。
ただ子供は細かなことに興味はないから深くは聞かず、適当に話題を変えるだろう。また女の子と男の子の場合話す内容に差が生じるのは当然だろう。
しかし子供が仮に受精時の状況を知りたがったとしても、決して話してはならない。この部分は中学校の保健の授業に任せた方が無難だ。
親が自信を持って答えれば子供も変な想像はしない。逆に親が「コウノトリが運んだ」とか類似の曖昧な返事をすると、その時は子供は話題を変えてくれる。しかしそれは納得したわけでは決してない。何とか納得しようとして友達か誰かに聞くことになる。
しかし友達やほかの誰かが説明するときは「両親が愛し合って受精した」のフレーズは言わない。ここがポイントだ。この大切なフレーズを子供は聞かないことになるマイナスは計り知れない。自分が生まれてきた意味を狭くとらえてしまう。
子供が両親にこの種の質問をするのは、生涯で1回しかないと思わなければならない。その時にしか「お父さんとお母さんは愛し合って、お母さんのおなかに赤ちゃんができおなかから生まれた」の言葉は話せないのだ。
子供は親の反応に敏感だ。親の自信に満ちた答えを聞いた子供は、後日きっと両親の馴れ初めについて聞いてくる。そうやってどんどん親子の会話が弾み、親に対する信頼はますます深まっていく。
逆にどぎまぎしたり、曖昧な返事をすると、子供は「親に相談しても、きちんと答えてくれないな」と判断してしまう。
父母は日ごろからこの種の返事について話し合っていた方がいい。というのは、お母さん一人のときに子供からこの種の質問を受けると、「それはお父さんに聞きなさい」と答える場合がある。またお父さん一人のときには、びっくりしてしまって「そんなことは知らんでもいい。大人になればわかる」とパニックにおちいる場合がある。
それは親子にとって決してプラスにならないだろう。



正しい性教育 第1条  オチンチンの誤った教育

2005-07-17 19:57:03 | Weblog
      目 次
女子が幼い頃「私にはオチンチンが無いの?」と聞いたとき。または聞きたい素振りをしたとき、「オチンチンは男の子だけについているのよ」と間違ったことを教えてはいけない。
かの夢判断で有名な精神分析者フロイトは「エディプス・コンプレックス」として女児は一生オチンチンがないことにコンプレックスを抱く、と述べている。それほど大事なことなのです。コンプレックスを持ったまま大人になり、阿部定さんのような事件を起こしたらそれこそ大変なのです。
「でも無いものは無いとしか教えられないでしょ?」とおっしゃる方、あなたは間違っています。
ではその真実はどうなんでしょう。結論は、女性もちゃんとオチンチンを持っているのです。オチンチンだけでなく、オチンチンを包む皮(かわ)や玉袋だって、ちゃんと持っているのです。
お母さんのおなかの中の胎児は、妊娠後数週間から10週までは、男児女児を問わず卵巣や精巣のもとになる部分をちゃんと持っている。それが男子は男性ホルモン、女子は女性ホルモンの働きで10週を過ぎた辺りから、男女特有の形に変化する。基本形は女性の形だから、男子はクリトリスがホルモンの作用でオチンチンに成長する。ちなみに小陰唇はオチンチンを包む皮に、大陰唇は玉袋になる。
もしクリトリスがオチンチンでなかったら、男性の乳は乳でなくなってしまう。だって女性の豊かなオッパイが、男性の場合は男性ホルモンの働きで萎縮しただけなんだから。でも男性の乳もちゃんと乳とか、乳首と呼ぶのと同じことなのです。
でもいまさらクリトリスをオチンチン、またはミニオチンチンと呼ぶのは抵抗はありますよね。だけど実体は立派なオチンチンです。このことを認識することはとても大切なことなのです。改めて述べるまでも無く、クリトリスも性的に興奮すれば勃起もするのです。
だから子供に正しく教えるべきなのです。男も女も同じものを持っていると。ただホルモンの働きで、「男子は子供は生めないが子供の基になるもの(精子)を女子に与え、女子は自分のおなかの中で女子の基になるもの(卵子)を合体させて、子供を生めるようになっている」と。
遺伝子レベルでいえば人間は23対の46個の染色体を持っている。その23番目の遺伝子にY遺伝子があるかないかで男女の違いとなる。Y遺伝子があれば男子、なければ女子となる。一般的にはXY遺伝子が男子、XXが女子となるのです。でも染色体の話は、子供にとって難しいので中学校3年の理科の授業にまかせてもいいでしょう。
ここで念を押すのを忘れないようにしましょう。男女は人体のつくりから言っても全く平等だということを強調することが大切です。そして男子・女子の違いは、性ホルモンの働きによる区別に過ぎないことを強調することが大事なのです。


正しい性教育  目 次 (条数をクリック)

2005-07-17 19:56:49 | Weblog
編集画面
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第1条  オチンチンの誤った教育

第2条  コウノトリが運んだと教えてはならない

第3条  性教育は子供の身になること

第4条  正しくない性教育

第5条  恥ずかしさの教え方

第6条 女の子らしさ、男の子らしさ

第特別条 赤ちゃんはどこから生まれるの?

第7条  大人へのステップ

第8条  男女児の”愛”教育


第9条  初潮を祝ってはならない

動画配信サイトです。お楽しみください。

2005-07-17 19:55:05 | Weblog
編集画面
ロイター動画配信/変わった、面白ニュース
[ワンちゃんネコちゃんに音楽を教える学校!]

[「アカデミー・トレーナーは、単なる強制ではなく「肯定的な補強」によってこれらの行為を達成することができると強調します。ビベイン・テビー(ウットリッチの南西のドイツの町の「アカデミー・スクールの創立者および所有者)は、彼女の目的が動物とコミュニケーションをとることを人々に教えることであるとロイター・テレビジョンに語りました。「それが私がネコにピアノを、鶏に木琴を教える理由です。あなたがたは猫にピアノを教えることができないと常に言われていますが、人々に伝えたいためにわざと「奇妙な」ことをします。」テビーの動物が達成するものはほとんど「音楽」と呼ぶことができません、しかし、それはポイントではありません。テビーは主張します:「人々は、強制力の使用により、動物らが成功し、強制力の使用によって、動物が100パーセント従うだろう、と考えています。しかしそれは間違いです」彼女がペットに、より多くのビスケットを供給したので、テビーは「単にそれを与えることにより、あなたは動物を従わせることができる」ことを説明しました。家族の鶏(カティー)は、ダイニングテーブルの上にそのトリックを示すことができました。テビーは、どうにか4つのチップからの青色のチップを異なる色と見分けることを鶏に教えました。「必須条件はもちろん、人間がそれを行う方法を知るということです。そのため、私はここでほとんど人間性を教える理由です。それらを示すために、餌を与えるタイミング、および餌を増加させるべき方法です。」とテビーは言いました。「そして、それはだからといって実際に困難であるわけではないということです。」冬の数か月がテビーによれば、伝統的に暇なビジネスである間がいい機会です。希望されるお客さんは提示された新しいクラスが従来の犬トレーニング集会だけでなく「猫ワークショップ」も含んでいる春を期待するかもしれません「あるいは犬のためのダンスをすること」「犬にはまったく楽しくないでしょうが。」と。。」
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[映画サユリがイギリスで上映開始]

[映画、サユリがイギリスで1月12日から封切られました。]
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ロイター動画配信/芸能ニュース
[ジョリー/ブラビその他セレブの最近ニュース]

[1月20日-ソウルミュージック歌手ウィルソン・ピケットを含む最新の名声ニュースは致命的心臓発作を受けます。また、アンジェリーナの子供はブラッド・ピ�bトの名前を聞き取ります。ベテランのソウルミュージック歌手ウィルソン・ピケットは死にました。アラバマの自国の人は、「ムスタング・サリー」のような打撃で、および「真夜中の時間で」知られていました。64歳(この人は1991年に、ロックンロール殿堂に選任された)は、ヴァージニアで致命的心臓発作を受けました。サンダンス映画祭は、初日の夜映画「お金を持った友達」、喜劇のドラマを主演するジェニファー・アニストンから始まって、ちょうどパーク・シティ(ユタ)において進行中になっています。競技主催者は、彼らがより小規模なインディー料金に返�チているが、アプローチが、ハリウッド・スタジオ(それらは、次の大きな商用ものを捜して行楽地を不意に襲っている)のうちのどれも脅して追い払っていない、と言います。Anistonに関連する、より多くのニュースでは、彼女の外夫ブラッド・ピットは公式にアンジェリーナ・ジョリーの2人の養子への親になりました。サンタモニカの裁判官は、女優によるリクエストが俳優が彼らの養父になるつもりであると考える名前を変更することを認めました。ジョリーの弁護士は、子供の名前がZaharaマーリー・ジョリー=ピットおよびMaddox Chivanジョリー=ピットになるだろうと言いました。「コンスタン庭師」は、最優秀映画用の一つを含む10のBAFTA指名をつかんで、英国のためのフラグを翻しました。それはトップのカテゴリーのただ一つの英国の映画であるが、ゴールデン・グローブ賞から生成されたうなりに依存することができました、ちょうど勝たれた、レイチェルWeiszを共演させます。オスカーを勝ち取る女優ホリー・ハンターは双子を生みました。子供たちは、ハンターおよび彼女のパートナー(英国の俳優ゴードン・マクドナルド)にとって1番めです。47歳は「ピアノ」における彼女の役割のために1993年に主演女優オスカーを勝ち取りました。ナタリーRotman、ロイター]
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ロイター動画配信/ファッション・ニュース
[ケイト・モス、ロンドン警察から呼び出し!]

[このニュースは終了しています。]
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[チェコの動物園からゴリラの子育て映像ストリーミング。無茶かわいい!]
カテゴリー「これはロイター以外です」タイトルチェコ動物園
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Life! World Entertainment Oddly Enough On a Lighter Note


「オシムの言葉」 読書感想文

2005-07-17 19:54:22 | Weblog
http://blog.goo.ne.jp/sweetcreationjpn/e/da4f042a93c8e1ad29d09b5d528665aa

「オシムの言葉」木村元彦・著 集英社

 スポーツの指導者の語録は、スポコン丸出しの半世紀遅れの精神論を連想していたが見事に外れた。近代スポーツとは科学であり、論理の実証であることをオシム監督は如実に示してくれた。
 私はサッカーはワールドカップとか、オリンピック種目で楽しむ程度のにわかサッカーファンです。ですのでこの本で書かれている、サッカーの技術論は分かりません。試合後、ゲームの勝因、敗因を分析することもできません。できないのだけど、本書を読んでいると、ゲームのポイントが手にとるように分かるのは、オシム監督の話していることが本質をついているからだと思います。
 本書を読んだあと、オシム監督の率いる日本チームが外国のテームに勝ったときは、なんだか自分が選手になってゲームに勝利したかのような気持ちになりました。それは知らず知らずの間に、オシムイズムが身についてしまっていたのでしょう。また仮にオシムチームが負けたとしても、きっと一生懸命頑張った結果だから、選手もみている私も、なにも後悔することはないと、妙に納得するでしょう。
 名選手、必ずしも名監督にあらず。という言葉があります。しかし名監督、はすばらしい選手であった。の格言は当たっています。私にとって、サラエボがどういう地域かを想像することは難しい。しかしオシム監督が少年時代に、オシム少年がどうサッカーとかかわったか、そのときの状況がどういったものであったかを読むと、その困難さが想像される。
 サッカーを始めたきっかけはそれ以外にやることがなかったからだ。ボールは靴下を丸めたものだった。この記述から、当時のサラエボの苦情が垣間見られるし、戦後復興の困難な時期でのスポーツをする難しさが見て取れる。
 しかし反面、そういった苦しい状況下での生活が、選手やコーチの厳しい姿勢が生まれた背景を理解することができる。またオシム監督の母親はとても教育熱心な母親だったと書かれてある。オシム監督が大学で数学を教えられるほどの学力をつけさせたのは、派は親の功績が大きかったのだろう。そしてその数学的はっそうが、彼のサッカーの指導で生かされていく。まさにスポーツ科学を地で行く思いだ
 。
 その後結婚したあと、ボスニアで内戦が始まり、家族が分断されてしまう。こういった状況は現在の日本では考えられないことだ。しかしオシムの精神的強靭さは、こういった祖国の戦火、分断といった状況がそうさせたのではなかろうか。
 そういった事情をよむと、実践でオシム監督が日本の選手に指導する言葉の一つ一つが、重い意味を含んでいると思う。「作り上げることは難しい。でも、作り上げることのほうがいい人生だと思いませんか?」この言葉は、何もサッカーに限った言葉ではない。人生すべてに当てはまると思います。オシム監督の言葉のほとんどが、サッカーを超えて人生や人の生き方に関係すると実感しました。
 オシム監督は理論派である。しかしゲームを理論どうりすすめようとはしない。その場その場で、選手が、そして一番大切な観客がどう観てくれるのかを一番に考えている。だからすばらしい。だから、結果としていいものを残している。そう考えずにはいられない。この本を読んで、オシム監督にサッカーは教えてもらえないが、それ以外でなにか教えてもらえるものがあれば是非オシム先生の生徒になっ
て見たい。そう感じました。

少年は戦場へ旅立った。  読書感想文

2005-07-17 19:54:09 | Weblog
「少年は戦場へ旅立った」ゲイリー・ポールセン著 林田康一訳 あすなろ書房

 この物語はアメリカ南北戦争が舞台になっているので、読む前は少し心配だった。時代背景があまりにも現代と違うので、読み進められるかを心配しました。しかし第一章の冒頭を読み始めた瞬間、その心配が消えました。
 わずか数行を読み始めただけで、自分がこの物語の主人公、チャーリーに同化してしまった。彼が十五歳という私とそんなに違わない年齢だったことが、そのことの大きな要素だったと思います。
 今の私にとって、チャーリーが進んで戦争に参加しようとした気持ちはすぐには理解できません。でもその時代、家族も、地域もこぞって軍隊を鼓舞し讃えていた状況を推測すると、そのときに自分がいたとしたら、私だけが戦争に反対し軍隊に入ることを拒み続けたかどうかはわかりません。
 私の気持ちはさておいて、チャーリーが軍隊に進んで入隊を希望した気持ちは理解することができます。そして彼は北軍に入隊し、そして戦地に向かったのでした。そして読み進める私も、意識的には、チャーリーのすぐ後を進軍しているのでした。
 彼はワシントンのブルランの戦いで初めて戦争の悲惨さを体験することになりました。いや彼にとっての体験だけではなく、読者としての私にとっても、悲惨な戦争の擬似体験でした。それは驚きを超えたものでした。
 勿論戦争の体験もなく平和な日本に育った私にとって、日常の生活と百八十度違った世界でした。しかしそれは確かに地球上で起こった殺し合いの場面でした。この物語は1860年代の出来事ですが、現在の今も地球のどこかで繰り広げられているであろうと、充分想像できる戦争場面でした。
 私は、「これが戦争だ」と心に刻みながら、戦争場面を読み進めました。そしてチャーリーが味わっている、戦争の恐怖もまた、私の身体の中から湧き上がってきました。
 戦争って、実際は人間の血や肉が吹き飛ぶ、ものすごいものなんだ。この思いは、最終章を読み終えるまで、ずっと頭からはなれませんでした。
 チャーリーが戦地を転々とするにしたがって、少しずつ彼の心がむしばまれていきます。戦争の悲惨さとは、本当はこのことなんだ、と実感できるようになりました。だから戦争の敗者は生命を絶たれ、そして勝者は生命は保てても彼らの心は絶たれたと同じ状況だと思いました。結局勝者も敗者も、どちらも得るものはないということがわかりました。
 この本の凄いところは、その結論を会話で伝えるのではなく、チャーリーという十五歳で入隊した一兵士の行動で、私に伝えたことでした。戦争の悲惨さというものが、概念としてでなく、ある実体験のなかから生まれた、一種の体験学習のような形で私に伝わってきました。
 現代の戦争はテレビで知る限りは、ミサイルを打ち込み、戦闘機で攻撃し、まるでコンピューター・ゲームのようです。チャーリーが経験した肉弾が飛び交う光景は見ることができません。しかし実際の戦地で戦って兵士は、テレビで映されないだけで、チャーリーと同じ体験をしているのではないかと思います。
 また心の問題も、兵士の精神をずたずたにしているはずです。きっとそうに違いないと思います。
 チャーリーはペンシルバニア州の戦いで負傷しました。でも私は彼が凄く幸運に思えました。ほかの多くの兵士がばたばたと戦死していく状況で、負傷というのは凄く救いでした。
 著者の覚書によると、チャーリーは負傷した二年後の二十三歳のときに、戦争の傷と精神的ストレスが原因で、亡くなったと書かれていました。でもたった二年でも故郷で暮らせたのは幸せなときだったと思います。