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お勧めです。

第一条  オチンチンの誤った教育

2005-07-06 12:26:20 | Weblog
女子が幼い頃「私にはオチンチンが無いの?」と聞いたとき。または聞きたい素振りをしたとき、「オチンチンは男の子だけについているのよ」と間違ったことを教えてはいけない。
かの夢判断で有名な精神分析者フロイトは「エディプス・コンプレックス」として女児は一生オチンチンがないことにコンプレックスを抱く、と述べている。それほど大事なことなのです。コンプレックスを持ったまま大人になり、阿部定さんのような事件を起こしたらそれこそ大変なのです。
「でも無いものは無いとしか教えられないでしょ?」とおっしゃる方、あなたは間違っています。
ではその真実はどうなんでしょう。結論は、女性もちゃんとオチンチンを持っているのです。オチンチンだけでなく、オチンチンを包む皮(かわ)や玉袋だって、ちゃんと持っているのです。
お母さんのおなかの中の胎児は、妊娠後数週間から10週までは、男児女児を問わず卵巣や精巣のもとになる部分をちゃんと持っている。それが男子は男性ホルモン、女子は女性ホルモンの働きで10週を過ぎた辺りから、男女特有の形に変化する。基本形は女性の形だから、男子はクリトリスがホルモンの作用でオチンチンに成長する。ちなみに小陰唇はオチンチンを包む皮に、大陰唇は玉袋になる。
もしクリトリスがオチンチンでなかったら、男性の乳は乳でなくなってしまう。だって女性の豊かなオッパイが、男性の場合は男性ホルモンの働きで萎縮しただけなんだから。でも男性の乳もちゃんと乳とか、乳首と呼ぶのと同じことなのです。
でもいまさらクリトリスをオチンチン、またはミニオチンチンと呼ぶのは抵抗はありますよね。だけど実体は立派なオチンチンです。このことを認識することはとても大切なことなのです。改めて述べるまでも無く、クリトリスも性的に興奮すれば勃起もするのです。
だから子供に正しく教えるべきなのです。男も女も同じものを持っていると。ただホルモンの働きで、「男子は子供は生めないが子供の基になるもの(精子)を女子に与え、女子は自分のおなかの中で女子の基になるもの(卵子)を合体させて、子供を生めるようになっている」と。
遺伝子レベルでいえば人間は23対の46個の染色体を持っている。その23番目の遺伝子にY遺伝子があるかないかで男女の違いとなる。Y遺伝子があれば男子、なければ女子となる。一般的にはXY遺伝子が男子、XXが女子となるのです。でも染色体の話は、子供にとって難しいので中学校3年の理科の授業にまかせてもいいでしょう。
ここで念を押すのを忘れないようにしましょう。男女は人体のつくりから言っても全く平等だということを強調することが大切です。そして男子・女子の違いは、性ホルモンの働きによる区別に過ぎないことを強調することが大事なのです。


第二条  コウノトリが運んだと教えてはならない

2005-07-06 12:26:04 | Weblog
子供から「赤ちゃんはどこから生まれるの?」と聞かれたとき。「お父さんとお母さんは愛し合って、お母さんのおなかに赤ちゃんができ、おなかから生まれた」とはっきり伝えよう。「父、母、愛、おなか」の4語は欠いてはならない。お母さんお父さんは、子供に対し恥ずかしがったり、もじもじしないこと。子供は敏感だから、親が恥ずかしがると、「何かまずいことでもあるのだろうか?」と詮索する。これがよくない。
「コウノトリが運んだ」の類を答えても、子供は絶対に信用しない。そればかりか、親の信頼を失墜させる。
但し答えるのは受精以後のことに限った方がいい。受精するときの説明は前述の「お父さんとお母さんは愛し合って、お母さんのおなかに赤ちゃんができた」に留めよう。それで充分だ。具体的に説明してしまうと、親に対し嫌悪感を植え付ける場合がある。また子供もそこまでは知ろうとしない。
受精以後のことを子供が質問したら、正直に知っている範囲で答えればいい。事実を話すのだから何も恥ずかしがることはない。
ただ子供は細かなことに興味はないから深くは聞かず、適当に話題を変えるだろう。また女の子と男の子の場合話す内容に差が生じるのは当然だろう。
しかし子供が仮に受精時の状況を知りたがったとしても、決して話してはならない。この部分は中学校の保健の授業に任せた方が無難だ。
親が自信を持って答えれば子供も変な想像はしない。逆に親が「コウノトリが運んだ」とか類似の曖昧な返事をすると、その時は子供は話題を変えてくれる。しかしそれは納得したわけでは決してない。何とか納得しようとして友達か誰かに聞くことになる。
しかし友達やほかの誰かが説明するときは「両親が愛し合って受精した」のフレーズは言わない。ここがポイントだ。この大切なフレーズを子供は聞かないことになるマイナスは計り知れない。自分が生まれてきた意味を狭くとらえてしまう。
子供が両親にこの種の質問をするのは、生涯で1回しかないと思わなければならない。その時にしか「お父さんとお母さんは愛し合って、お母さんのおなかに赤ちゃんができおなかから生まれた」の言葉は話せないのだ。
子供は親の反応に敏感だ。親の自信に満ちた答えを聞いた子供は、後日きっと両親の馴れ初めについて聞いてくる。そうやってどんどん親子の会話が弾み、親に対する信頼はますます深まっていく。
逆にどぎまぎしたり、曖昧な返事をすると、子供は「親に相談しても、きちんと答えてくれないな」と判断してしまう。
父母は日ごろからこの種の返事について話し合っていた方がいい。というのは、お母さん一人のときに子供からこの種の質問を受けると、「それはお父さんに聞きなさい」と答える場合がある。またお父さん一人のときには、びっくりしてしまって「そんなことは知らんでもいい。大人になればわかる」とパニックにおちいる場合がある。
それは親子にとって決してプラスにならないだろう。


第三条  性教育は子供の身になること

2005-07-06 12:25:52 | Weblog
子供を信じることは大切なことだ。しかし子供と言えども中学校に通うようになる頃は身体は大人と変わらない。性的興味や性的行動に抑制がかからなくなるときがある。
子供が性的行動による問題を起こした場合、親は子供を信じていたのに、裏切られたと感じる。また子供も分かってもらえない親だと決めつけ信頼しなくなる。この悪循環は避けなければならない。
親は子供を信じることは大切だが、同時に子供の立場になり考えることが必要だ。
私の経験談だが。 私は多少文章が書けるので、近所のお母さん三人から作文の指導を頼まれた。週1回のことだからと引き受け、中1の女子3人の作文指導が始まった。
暫く経って、3人の内の1人が遅刻した。理由を聞くと、来る前にクモン数学教室があり、その関係で遅れるのだと言う。
私は、他の2人は時間通り来ているのだし、ましてや他の塾にいってて遅くなるのだから悪いのは彼女だと判断した。
だから私は定時に指導を始めた。10分程して、息を切らせながら彼女は部屋のドアを開けた。
その時彼女は、なんと「あ!授業、始めている!」と私をなじる声を出した。私は心の中で「当たりまえだ。遅刻してきた君が悪いんじゃないか」と呟いていた。
その日の指導が終わり、私は一人考えた。私や他の2人にしたら、「遅れてくる方が悪い」の結論だ。
でも私は彼女の立場で考えてみようと思った。彼女にしてみたら、クモンに行くのも親から決められたことだ。自分にとってどうしようもない状況で、私の教室に行ったら既に授業が始まっていて、とてもやり切れない思いがした。そう感じたことだろう。そう思った彼女に同情した。
次の週、私は彼女が来るまで作文のテキストは閉じたまま待った。他の2人には適当に予習をさせていた。10分後彼女はドアを開けた。同時に私のテキストが開かれてないのを確認した。
そしたら彼女の態度が一変した。ものすごく私を信頼するようになった。
次の週は何と時間通りに来たのだ。親に相談してクモンを早めたということだった。彼女の身になって行動をとったら、全てがいいほうに進行したのだ。

その彼女が自由作文のとき私に悩みを相談した。
悩みの内容は、以前父母がHをしているのを見てしまったことだった。言いようのないショックを今だに抱えていた。
彼女にとっては、夫婦の愛情表現としてのHという見方はまだ無理だった。あまりにも少女にとって強烈過ぎるシーンだったのだ。
彼女の中で、父親と一歩距離を置く感覚が生まれた。
父母は子供の感覚になって夫婦生活の管理をしなければならない。見られてしまってから寝室の管理を考えては遅いのだ。
子供が小さい頃から、寝室を別にするとか、夫婦の営みが子供の目に触れないようにすることに最大の注意を払わなければならない。
このことは子供を信じることとは別次元の問題である。
子供を信じることと、夫婦の性生活管理と、別次元の話しをしているようだが、私のポイントは子供を信じつつ、それとは別に管理や監察はしっかりしなければならないと言いたい訳だ。


第四条  正しくない性教育

2005-07-06 12:25:39 | Weblog
私の付き合っていた女性、M子さんは綺麗な方だった。
M子さんは、生まれて間もなく両親が離婚した。幼いM子さんをどちらが引き取るかでもめた。
そのとき母に別の男性がいたので、父は意地でも娘を手放さなかった。母もやむなく娘を手放した。
やがて父は再婚した。しかし義母との折り合いが悪く、ぎこちない3人の生活が続いた。
父は娘に対し配慮がかけていた。幼いながら娘の視界の中で夫婦の行為を行うに至り、M子さんは父母への拒否反応を募らせた。さらに悪いことに酔った勢いで娘にいたずらをした。
やがて義母に子供ができるに至って、M子さんの居場所が無くなった。父母と親類が相談した結果、施設に入ることとなり、小中と学校は施設から通った。
父は、月に一回程度施設の娘を訪れた。しかしM子さんには施設の中でレズの友達ができ、もはや父の存在感はないに等しかった。
産みの母が初めて施設を訪れたのは彼女が中学2年の時だったという。しかし産みの母も、再婚者との間に子供がいて、M子さんを引き取ることはしなかった。中学を卒業すると同時に施設も出て水商売の世界に入った。その間ヤクザの親分の女になったが、さすが長続きはせず、再び水商売で生活を続けた。彼女は全ジャンルの職業をこなしたことになった。
彼女は油絵も上手く、モデルの経験もあり、きっと普通の家庭で普通に愛情を受けて育っていたら、何かの分野で成功していたであろう。
彼女は幼い頃「愛情」というものを周りから全く受けなかった。だから大人になっても愛情を他人に与えることが出来ないのだ。また他人から愛情を受けても、穴のあいたバケツのように、どんどん抜けていってしまうのだ。しかも最悪なことに、これは一生治らないという。
M子さんが三十を過ぎたある冬の日、父は病院で一人寂しく息を引き取った。義母とは既に離婚し、義母は子供を連れて郷里に帰ってしまっていた。
どんなに憎い父でも、父には変わらない。M子さんは父の葬儀には参列した。
葬儀後の皆が集まった部屋で、M子さんは義母と再会し、義母の2人の子供でM子さんにとっての腹違いの兄弟とも会った。
そしてM子さんはその席で3人と絶縁した。M子さんは父の遺骨をもらうかどうかで迷ったが、たった一個だけ持ち帰ったという。
産みのは母は、もちろん参列はなかったが、その後母とは年に何回かは会っている。母の子供とは、上の義姉とは血の繋がりがないせいか交流はないが、下の義妹とは母を同じにすることもあり時々は会うという。
私はM子さんのような親の愛情を受けなかった例はごく稀なケースだと思っていた。だがある作家のソープランドで働く女性のルポルタージュによれば、皆さん似たような生い立ちだという。
かってM子さんと私が車である施設の前を通りかかったことがあった。「止めて」と彼女がいうから車を止め、施設の広い庭を前に立った。数人の収容されている子供が無邪気に遊んでいた。「引きとろうかな、子供」と彼女が言った。私は彼女の気持が痛い程分かった。

魔の海に炎たつ 矢-島-慎の読書感想文

2005-07-06 12:25:28 | Weblog
 僕は主人公の満吉の生き方に感動しました。自分のやりたい船大工の道をめざし、苦労を乗り越え、ひたすら進む満吉はすばらしいと思います。
 でも兄の丈太郎が家業を継ぐと決められた時、次男の満吉は養子にもらわれて行けと父から言われたとき満吉の気持ちはとても無念だったでしょう。いまから百年以上も昔の時代では、養子にもらわれていくということはよくあることだったかも知れません。でも満吉にとって家族と離れなければならないこと以上に、大好きな船大工の仕事が続けられないことは、死ぬほど悲しいことだったと思います。
 でもその養子の話もなくなり、自分の好きな船大工の修行の旅に出られたのは幸せなことだったと思います。
 現在でも職人と呼ばれる職業の人たちが、技術を習得することはとても苦しい修行を経なければなりません。ましてやずっと昔の時代だから技術を習得することの困難さは想像することすらできません。
 でも満吉はその苦しい修行を乗り切り、親方から認められるほどになりました。そうなれたのは、満吉が心底船大工の仕事が好きだったのだと思います。
 この本を読んで感じたことは、自分の好きな道であればどんなに苦しい修行でも乗り越えられるということが分かりました。ことことはとても大切なことだと思います。楽な仕事、給料の高い仕事、そういった要素だけで将来の道を選択しても、満吉がしたような苦しい修行に耐えられるかどうかわかりません。
 そして物語の最後では、満吉は父の船大工の仕事を受け継ぐことになりました。これも満きちが船大工の道を諦めずに、初心を貫いたおかげだと思いました。
 本の面白さだけでなく、自分の将来について考えさせられる物語でした。

動画配信サイトです。お楽しみください。

2005-07-06 12:25:13 | Weblog
ロイター動画配信の方法下の灰色の「」をクリックするとロイターサイトがでます。
「Life!」「Entertainment」などの6つのカテゴリーから、お好みの「LOAD CHANNEL」をクリックします。
サムネイル画像が現れますので、右端の「NEXT→」をクリックしながら「指定のタイトル」を探し、画像をクリックすると動画が流れます。


[中国で魚からワインを作るって!]
カテゴリー「Oddly Enough」タイトル「Chinese make wine from Fish」お魚からワインを作る中国。制作過程でお米を付け足すそうです。それってお酒?ここをクリック

[日本で新タイプのロボット。着るロボットです。日本語解説]カテゴリー「Life」タイトル「Japan:Robot Suit Helps Elderly 」ロボットを着る発想は面白い。実用としては凄くありそう!
ここをクリック



[新しい歯のファッション]カテゴリー「Life」タイトル「Cosmetic Copy Celebrity Smiles 」自分の好みの人の写真を持参して作ってもらうもの。自分の歯にかぶせる薄い歯の貼り付け物。合成アクリルの新素材製。新しいファッションになるかも?!
ここをクリック



[足指相撲選手権]カテゴリー「Oddly Enough」タイトル「Toe Wresling Chanpionships。」イギリスでの足指相撲選手権。相手の指を板に着けたほうが勝ちお。男女別。
ここをクリック




[ヌード絵画展にヌードまたは水着着用者は無料」
カテゴリー「Life!」タイトル「Austria Museum Opens To Nudists 」オーストリアの首都の美術館でヌード絵画の展覧会開催。但し来場者がヌードや水着または下半身の下着着用者は入場無料。暑い夏でのイベントです。
ここをクリック



[ネクタイ自動しめ機]
カテゴリー「Oddly Enough」タイトル「Neck Tie Machine 」
アメリカ、ワシントン州である技術者が自動ネクタイ機を開発。しかしどうやって利用するのか?
とか値段が(25万ドル)高すぎる、といった問題が山積。話題だけのニュースでした。
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CNN動画配信の方法下の灰色の「ここをクリック」をクリックするとCNNサイトがでます。
「U.S.」「WORLD」などの12のカテゴリーから、お好みの「タイトル」をクリックします。動画が流れます。



[スペースシャトル打ち上げ成功]
カテゴリー「SCIーTECH 」タイトル「America Lunches Back inTo Space 」
打ち上げからブースター切り離しまでの画像がみられます。
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[日本語タイトル ]
カテゴリー「U.S.」タイトル「 英文タイトル 」
日本語での内容説明。
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魔の海に炎たつ 著者あとがき

2005-07-06 12:24:47 | Weblog
 海には、何故か故郷のような懐かしさを感じます。この物語が生まれるいきさつを話すに先立って、まず「黒潮」にるれておきます。
 はじめてわたしが黒潮を見たのは、船で高知に行ったときでした。船中に泊まり、朝、甲板に上がって、はっと自分の目を疑いました。下は黒い海でした。
 今まで見てきた海水の色とまったくちがいます。光の向きによって色は変わるのかと、みよしからも、右舷から左舷からも下を除きました。ともへも回ってみました。やはり眼には、黒に近い紺紫の色に映りました。
「これが黒潮なのだ」と、ある種の感動を覚えました。
 黒潮は、幅約100キロメートルもある太平洋でもっとも大きい海流です。巨大な海中の川です。本流の流れの速さは一時間で約5400メートルといいますから人の歩く早さとそれほど変わりません。しかし、陸上の川が地形によって流れの速さや幅や、深さが変わるように海流も変化します。
 この黒潮が房総半島の南にきたところで、海中に隠れて土手のように立ち塞がった暗礁にぶつかります。そこが「鬼が瀬」です。「瀬」とは海や川の浅いところです。
「鬼が瀬」は、地図では「布良瀬」と書かれ、一ノ瀬、二ノ瀬、三ノ瀬と分かれています。一ノ瀬が最大で、陸地から南西へ約14キロメートルつづきます。三瀬あわせた幅は約800メートルで、陸から600メートル沖へ出ても深さがほんの1メートル20センチという浅瀬もあります。
 黒潮は、鬼が瀬の上で流れを速めたり、流れの向きを複雑に変えたりして、白波をおどれせています。ここは船の難所で、まさに「魔の海」でした。むかしから岩手、福島など北の地方から船で江戸に産物を送るとき、危険な房総沖をとおらず、銚子から川船に荷を積み替えて、利根川を遡るのが普通であったほどです。
 しかし、この魔の海は浅瀬ですから、潮の動きがはっげしく日光がよくとどき、海中植物が繁り、魚介類にも条件がよく、海産物の宝庫でもありました。鬼が瀬の物語の舞台は、このように豊かな海を前面にほろげています。小さな村でありながら、漁師は勇敢に船を漕ぎ出して漁獲を船に満載し、海女は岩場でよい稼ぎをして、活気にみちた村でした。それが、大火でほとんど全村消失し、村人は、十年もの辛酸にたえなければなりませんでした。満吉の少年時代は、その試練の時期でありました。
 マグロは、以前はもっと陸地に近い沿海に回遊していたのです。ところが、江戸時代からイワシをあまりに獲り過ぎたため、マグロは沿海をあきらめ、餌を求めて沖合いにいってしまったのです。マグロが沿海にきた頃は、敷き網で待っていればマグロが獲れたのでスガイ沖合いではマグロの通る位置をしらべて仕掛けをしないと獲れません。それにぴったりの漁法がはえなわでした。しかし、マグロがよくかかるのは夕方とか早朝だったので、はえなわ漁船は沖で夜明かしするようになりました。日帰りでは、ほとんど遭難はなかったのに、沖で二日、三日、そのうち五日、七日と漁をし続けるようになると、そのあいだに天候の変化がおきて遭難する船が出るようになりました。
 わたしは千葉県立館山図書館の郷土資料コーナーで、富崎村役場の記録を発見しました。富崎村は、現在の館山市布良・相の浜に当たります。明治時代の貴重な記録を、おそらく大正時代にガリ版刷りにしたものでしょう。
 紙は茶色くがさがさになって、ガリ刷りは薄らぎ、文字の線が消えかかっていました。しかし、それを丹念に読み取るほどに、この村で起きた壮大なドラマが私の脳裏に浮かんできました。その綴りは、かんたんな事務的な文書であったのに、それを物語化したい思いが、三年、五年と年月を経てもはなれませんでした。
 --荒っぽいが気風のよさがある漁師の群像、海をおそれぬ仕事ぶり、ときには大漁旗をひるがえし、万祝いに酔いしれる漁村の華やかさ。一変して海難事故、犠牲者と、その数に見合う家族達の悲哀、後家船といわれたはえなわ漁船。それに立ち向かうように、遭難しない漁船を造ろうと、改良に一生をかける船大工がいた。
 
     以下省略

犬ぞりの少年 矢-島の短評

2005-07-06 12:24:36 | Weblog
矢島慎のお勧め度 ★★★★

アメリカ、ワイオミング州の農場でのお話。おじいちゃんとウィリー少年それに犬のサーチライトとが、主にジャガイモの栽培をつづけてきた。でもおじいちゃんの具合いが悪くなって、ウィリー少年と犬のサーチライトだけでジャガイモの収穫をやりとげてしまう。
 でも農場の税金が払えなくなり、農場を明け渡さなければならなくなった。そのときウィリーしょうねんが、町で開催される犬ぞりレースの話を知り、レースに参加することになった。
  
 そういったストーリーを通して、土地を大事にして守っていく住民の気持ちの大切さを伝えていく。

犬ぞりの少年 矢-島-慎の読書感想文

2005-07-06 12:24:26 | Weblog
 ぼくはウィリーくんが、のうじょうを一人でたがやしているすがたにかんどうしました。ひとりじゃなくて犬のサーチライトといっしょだったけど、ジャガイモのとりいれをかんせいさせたときは、ガッツポーズをとりました。
 あとでのうじょうのぜいきんをはらうため犬ぞりレースにしゅつじょうすることになるのだけど、犬ぞりレースのことより、びょうきのおじいちゃんを助けるために、いっしょうけんめいはたけをたがやすウィリーのすがたにかんどうしました。
 でもウィリーがのうじょうのぜいきんをはらうため、じぶんのたいせつなちょきんをひきだしてまでレースにでたいきもちもつたわってきました。がいこくのじじょうはよくわかりませんが、きっとすんでいるひとにとってのうじょうはいのちよりたいせつなところだとおもいます。
 またレースのライバルの先じゅうみんのストーン・フォックスさんもきっとじぶんたちのすんでいた土ちをとてもだいじにしていたのだとおもいます。だからストーン・フォックスさんがレースのさいごのところで、ウィりーにかちをゆずったのだとおもいます。
 ストーン・フォックスさんは、ウィリーがレースにかって、そのしょうきんで土ちをまもろうとしていたことをしっていたのだとおもいます。ストーン・フォックスさんも土ちのだいじさがわかっていたから、ウィリーにかたせてやりたかったのだとおもいます。
 いぬぞりレースはかちまけではないような気がしました。おじいちゃんのだいからつづいた土ちで、その土ちをまもっていくじゅうみんのひとたちの、レースはおまつりだとおもいました。だからストーン・フォックスさんは、犬ぞりレースのおまつりにウィリーのゆうしょうがふさわしいとかんじたのたとおもいます。
 でもレースのさいごで、ウィリーのあい犬のサーチライトがなくなってしまいました。とてもかなしかったです。サーチライトはとしとった犬だからレースがきつかったのだとおもいます。でもサーチライトにとっては、しょうきんはさいこうのプレゼントになったとおもいます。
 おじいかちゃんへのさいこうのおくりものになったとおもいました。

「犬ぞりの少年」訳者あとがき

2005-07-06 12:24:13 | Weblog
 私が、この少年とそり犬の美しくも悲しい物語を見つけたのは、常夏のハワイ、ワイキキビーチの小さな書店だった。物語の舞台は、同じアメリカでも、十月になれば初雪が降るワイオミング州ジャクソンの町だ。
 少年ウイリーは、病気の祖父の代わりに、愛犬サーチライトと力を合わせて小さな農場を切り盛りし、重い税金を払うために、周囲の反対を押し切って犬ぞりレースに挑戦する。ホテルで一読した私は、無敵の先住民ストーン・フォックスとデッドヒートを繰り広げるウイリーに、思わず声援を送っていた。そして、物語は劇的な結末を迎えるが、その余韻の中で、私は「ハドソン・カフェのボブに」という献じを思い出していた。
 この物語のアイディアは、北アメリカの背骨といわれるロッキー山脈に伝わる話がもとになっている。1974年、アイダホの滝にあるハドソン・カフェの主人、ボブ・ハドソン氏が、熱いコーヒーをすすりながら、私に語ってくれた伝説だ。ストーン・フォックスをはじめ、他のキャラクターは私の創作によるものだ。しかし、悲劇的な最後のシーンは、ほんとうにあったできごとといわれている。
 作者のJ・R・ガーディナーは、「あとがき」にこう記している。だが、私は、山の巨人ストーン・フォックスには、モデルがあるにちがいないと確信していた。ストーン・フォックスに、先住民族の歴史あるいは叙事詩の中の英雄(戦士)を感じたからだ。
 それから数ヶ月後、わたしはユタ州のソルトレーク・シティーから、ジャクソンに向かう機上にいた。窓越しに、アイダホ州とワイオミング州にまたがる森と湖と川、広大な牧草地と牛の大群を見下ろしていた。「ストーン・フォックスの祖先のショショーニ族は、白人たちに追い立てられるまで、こんなにすばらしい土地に住んでいたのか。」とつぶやきながら。
 まもなく飛行機は、四千メートル級の山々が連なるティートン山脈の上空から急降下して、すり鉢の底のようなジャクソン空港に着陸した。ところが、周りはどこを見ても岩石がゴロゴロの荒地。さっき見た緑草地帯とは天と地のちがいだった。
 ジャクソンの町は、市庁舎や教会の高い時計塔など、ウイリーの時代の面影が残されていた。違うのは、近くの保護区で暮らす先住民が、伝統的な彫り物や化石細工、はく製などの店をかまえていることだ。そして、まあ夏だと言うのに、こと地で二月に行われる国際犬ぞり駅伝レースの記事が、新聞をにぎわしていた。街には、他の犬ぞりレースのポスターもかざられ、優勝者の写真しは、ストーン・フォックスを思わせる顔があった。
 さまざまな先住民族が、それぞれの苦しみをのりこえ、伝統を守りながら新しい生活をきずいていくすがたを、ガーディナーもまたみていたのではないか? 私は、そんなことを考えながら、ジャクソンの町を後にしたのだった。
  2004年8月                     久米穣

ないた 矢-島-慎の短評

2005-07-06 12:24:02 | Weblog
子供がいろんな場合で泣く。そのいろんな場合を絵本で表した本である。絵を描かれた長新太さんは先日亡くなられたとのニュースがあった。遺作であろうか? 
子供が発育過程で、人はなぜ泣くのだろうと疑問を持ち始めるころに、この絵本を見たら一層興味をもつことだろう。
評価☆☆☆

いえででんしゃは こしょうちゅう 読書感想文

2005-07-06 12:23:50 | Weblog
 さくら子ちゃんのお誕生日にパパもママもいえにいなかったら、だれだっておこります。ママがいな
いりゆうが、いもうとの杏里ちゃんがおねつがでたのでしかたがないとはおもうけど。でもやっぱりマ
マとパパにおたんじょうびをいわってほしいです。
 そんなさびしくしているときは、いえででもしようかなとおもいます。そうおもったらさくら子ちゃ
んのいえに、いえでをさそうおとこのひとがきていました。はじめはゆうかいはんかなとおもい、わた
しもけいかいしました。でもいいひとだったんですね。カーテンのかげにかくれてかわいいひとだとお
もいました。わるいひとだったら「ゆうかいはん?」とうたがわれてないたりしないとおもいます。
 そしたらともだちのけいすけくんがきてくれてほっとしました。あとでわかったのですがママがけい
すけくんのおうちにケーキをちゅうもんして、それをけいすけくんがとどけにきてくれたことがわかり
ました。でもきてくれたことにかわりはないのだから、きっとさくら子さんはうれしかったのだとおも
います。
 いえででんしゃがこしょうしたときは、がっかりしました。わたしもいえででんしゃにのりたかった
からです。
 でもさんにんでこしょうしたいえででんしゃのなかでケーキをたべ、おはなししていたら、なんとい
えででんしゃがうごいた。よかった、うれしかった。そうおもいました。
 うごきはじめたいえででんしゃは、がいこくのめずらしいこうけいをあんないしてくれたり、せんと
うきがとんできたり、とてもわくわくしました。そのあといえででんしゃじしんがうちゅうにむかって
いえでするはなしにはびっくりしました。
 でもさくら子ちゃんもけいすけくんぶじおうちにかえることができ、とてもほっとしました。たのし
いおはなしでした。

「いえででんしゃはこしょうちゅう?」 矢-島-慎の短評

2005-07-06 12:23:39 | Weblog
矢-島-慎の評価 ☆☆☆から☆☆☆☆

 小学三年生のさくら子ちゃん。妹の病気でせっかくのお誕生日がめちゃくちゃ。そんなとき、家でを手伝ってくれる家出電車のしゃしょうさんが現れる。そして家出電車はさくら子ちゃんのお友達ものせて、外国の上空へ出発。せっかくのお誕生日がだいなしだと寂しがっていたさくら子ちゃんを、家出電車はいやしてくれる。
 物語の展開のスピードもテンポがいい。また外国の上空の内容も充分子供を楽しませてくれる。感動するというよりは、お楽しみ物語である。

「アレクセイと泉のはなし」の矢-島-慎の短評

2005-07-06 12:23:30 | Weblog
矢島慎の評価 ☆☆ 
 
写真家であり映画監督である本橋成一さんの文写真(文もあり)。
原子力発電所事故を起こしたチェルノブイから180キロメートル離れた、ベラルーシの小さな村の取材記。著者の監督した映画は好評であったとのことだが、写真と文では何とも評価の下しようがない。ましてや感動が湧くはずもない。