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正しい性教育 第8条 「男女児の”愛”教育」

2005-10-27 22:20:22 | Weblog
      目 次

 私は幼い頃、ラジコン少年だった。私だけでなく私の男友達はだいたいにおいてそうだった。
 一方、幼い頃は意識さえしていなかったが、女児は幼い頃から「人生」を知っているように思われた。
 一般論として、女児の社会感覚は男児に比べて早熟、あるいは男児の成熟が遅いようだ。
 これは女児が本源的に所有している母性本能によるものと考えられる。
 わかりやすい例をあげたい。英会話の例えがよくあてはまる。
 女児、男児が英会話の学習を始めたとしよう。女児は家庭的で育児本能から日常の出来事に関心を持つ。英会話でも、日常会話の英語や身の回りの会話表現を学習する。
 一方男児は日常生活のすぐ外側のことに関心を持つ。宇宙とか未来乗り物とか、知らない世界に限りない興味を示す。
 英会話でいえば、科学とか抽象的な英単語をまず覚えようとする。いきおい日常会話はおざなりだ。
 外国人と英会話をする段になり、男児は一言も喋れないのだ。頭の中では自分の表現したいことはあるのだが、それは日常会話とはかけ離れているため口から出てこない。
 一方女児は日常生活の会話表現を身につけたから、簡単な表現ではあるが外国人と会話ができるのだ。
 女児男児の成熟速度の差はこんな背景があるようだ。
また女児は恋愛感覚でも早熟だといわれる。これも私の幼児体験からして当たっている。
 女児は母性と各種の愛が近い関係にあることから、幼くしてバランスのとれた愛を内包する。結果として成熟が早い。
 一方男児は、各種の愛の認識が薄い。しかし体内から湧き出す性愛のみが突出する。結果として極めてアンバランスな愛感覚を形成する。
 さて本題の愛についてである。愛には何種類ものものがある。親子愛、兄弟愛、性愛、人類愛、無償の愛、など様々だ。それらの愛が個人の中で総合され人格を形成する。
 まず幼児期に内なることに興味を持つ女児型と、外なる世界に興味を持つ男児型は、個性の差だから問題はない。あえて均一化する必要はない。
 問題は「愛」についての教育だ。
 キリスト教国では、愛について聖書に記載があることから家庭において教育がなされることがある。
 しかし日本は仏教、神道、などが一般的だから、余り愛について家庭で語られることが少ない。
 親子愛や兄弟愛は身じかな問題だからまだしも、犠牲愛、無償の愛については教育どころか親自身の認識が薄い場合がある。
 これらのテーマについて、宗教論を離れて、人間性の立場から、幼児教育をするのが好ましい。しかし言葉で教えようとしても児童はなかなか理解しようとしない。効果的なのは映画である。
 先にも述べたが、アメリカはバランスの取れた愛を提示する映画が多い。親がまず映画館とかビデオで見てみて、納得する映画があったら是非親子で鑑賞したいものだ。そして見終わったあと、親子で映画論を交わせば一層子供に、様々な形の愛の大切さが理解されるのではないだろうか。