マツダの乗用車デザインは、傾向がかなり変化してきたと思います。ひとつひとつを取り上げるとえらいことになりそうです。そこでEpoc毎に焦点を絞って見てみます。
まず乗用車へ参入する為に製作した2台の試作車です。キャロルの基となったマツダ700。ファミリアの基となったマツダ1000です。まだその当時3輪車メーカーだった東洋工業にしてはかなりの完成度だと思います。
1961 マツダ700 1961 フォードアングリア
1962 マツダ1000 1961 トライアンフヘラルド
*)マツダ700,マツダ1000の年号を1年ずつずれて書いていました1960->1961,1961->1962です
ここでちょっと気付くのは、マツダと言えばドイツ、という位ドイツでの評判が良く、技術交流もある。と思っていたのが、試作車の持つ雰囲気が当時の英国車のムードなのです。1950年代は、日本国内での外国車は、英国車、米車中心でした。ドイツ車(VWも)は少数派でした。ロータリーエンジンのライセンスを獲得した後に関心が大陸に向かったのかもしれません。ドイツ車、イタリアンデザインへの興味は、この当時はそれ程ではなかったのかもしれません。
もう一つアレッと思うのは、マツダが既にボデー製作技術でかなりのレベルに到達していることです。その当時モノコックボデーの製作技術を持っていたのは、富士重工、三菱位では?他は道半ばだったのでは。広島の付近には、腕の良い板金職人が存在していたのでしょうか。
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初期の試作車から市販化された乗用車は・・
1962 キャロル360
スバル360とシェア争いするところまでいった。しかし、本来Aセグメントのボデーを無理に軽規格に縮めたイメージを感じます。
1963 ファミリアバン
一連の小型車の基と言って良いのでは
1964 ファミリア800セダン 1966 ルーチェ1500
ベルトーネ起用によりイタリアンデザインを大成功させる
1967 ファミリアFA3 SONYトランジスタTV
私は、これが一番好きです。自動車デザインより商品デザインを強く指向したのでは。それがかえってモダンであり「現代的」だったと思います。煩わしいクロームが無い。ヘッドランプ形状は、ヨーロッパで盛んになり始めた矩形ランプの影響より、トランジスタTVのブラウン管から?良く似てますね。
1977 ファミリア323(FA4) 経営危機により、FRシャシーのままハッチバックボデー。これが良いまとまりで、良く売れた。このメーカー、経営危機の度にこんな「孝子」を出しますね。
FWD以前のメカニズムの乗用車までを。
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SA22もデザインの骨格がしっかりしてて、マツダの第2期黄金期かも。(第1次は360クーペからコスモスポーツまで)
ある意味で70年代の後半で世界のデザイントレンドに乗りつつ、デザインの独自性を確立することに成功できたと思う。
RX-3前後のマツダは国内で売れたが、アメ車の悪しき模倣だった。
その後、初代FFファミリアとFFカペラ以降は面質が画期的に変わって、欧州トップメーカー並みのモデラーの腕になった、ここらへんの蓄積が初代MX-5やFDのシンプルながら熟成された作品に繋がったんだろうね。これは第3期黄金期
そして、暗黒時代がRX-8で終わり現在第4期黄金時代へ。
ベルトーネはその頃ID的な嗜好で突き進んでいますので親和性も高いです。
その後、対米輸出をもくろんで、アメリカンデザインに舵を切りRX-3とかを生み出します。この時期のエモーショナルなアメ車を日本のボディサイズで表現する中で日本中のモデラーの腕が急激に向上したのがこの時期だと思います。
オイルショックでアメリカで販路を失い、オリジナルデザインで失地回復します。この時期にデザイナーのある意味ルネサンス到来だったのではないでしょうか?
おそらく、この会社の製品造形の面白いところはデザインが面白い世代と モデリングが面白い時代が交互に来るところです。
しかも、それが時代の空気とよく合っているところなのです。