一人「妄想」
東京在住の頃まだ見習いの23~24歳の頃だと思います
45年位前なので記憶が多少あいまいな箇所があります
Aちゃんは長野県出身の3歳年上の26歳でスーパーに勤めていました
昼の弁当を買いに行きレジで働いていました
私は都内郊外の都市住宅公団の現場の担当になりました
寮は都内なので寮を出て現場の近くに住んでいた
独身の係長のアパートの2LDKの4畳半に間借りしていました
そしてAちゃんのアパートに転がり込み同棲しました
私は布団を近くのスーパーで買いAちゃんのアパートに届けて貰いました
私はAちゃんに生活費として12+2万円を入れて同棲しました
当時まだ見習いの立場ですが電気工事士の国家資格を持っていたので現場課長が
現場経費から班長手当を7000円付けてくれていました
Aちゃんのアパートは〇〇〇駅に近く風呂無し8畳一間で3万6千円の家賃でした
入口の通路に3畳ほどの広さの台所スペースが有り小さな食器棚も置けました
そして洗濯機・冷蔵庫も買い替え中型ワンドア冷蔵庫にしました
彼女は喜んでいました
そこから8駅隣の現場事務所に3年半通勤しました
会社から毎月38000円の住宅手当、交通費1万円が出ていました
2年後テレビを買い替え生活費も2万円アップし16万円入れました
帰宅時間が遅いので遊びに行けずお金は使いませんでした
毎日歩いて6分の銭湯に通い風呂から出ると隣の商店会のラーメン店で時々餃子、
おしんこ、チャーシューをつまみに瓶ビールを二人で3本飲みました
帰りに商店街で焼き鳥を買い家に帰ってから寝る前にジンライムを飲みました
4年後Aちゃんと別れる為アパートを出ました
此のころは上の国家資格も取れ主任に出世してました
布団はライトバンに入れ私が買った家電品は置いてきました
そして車に入る私物は全て持ちAちゃんに私の夏、冬のボーナスから
合計25万円をプレゼントしました
私の感謝の気持ちと愛のカタチでしたが受け取らないのでアパートの台所の食器棚に
手紙と花束と一緒に置いてきました
別れた理由は結婚は出来ないと言うと別れたいと言う事なので憎み合う前に
私が身を引き出てきました
私は早くは結婚したくなかったのですし,束縛されるのが辛かったのです
とにかく彼女は結婚に執着心が凄かったですね 年上だからでしょうか?
結婚しても私は耐えられないと感じ、私の我がままで考えが幼かったです
当時景気が良く建設工事現場は忙しく給料、ボーナスは多くもらえました
当時のサラリーマンの倍近い給料だったと思います
時間外時間が多く勤務時間も長かったです
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【二度目の同棲】
現場が都内に戻ったので寮に住まわせていただきました
3歳年上の彼女との同棲も破局して数ヵ月後です
此のころ一つ上の国家資格も取れ係長に昇進してました
現場の帰り池袋の駅デバートに寄るうち一人の女性と知り合いました
同棲前私の給料明細書を見せると驚いていました
それも同棲出来る事の一つでしょうね
私は苦労させないと言いましたが現実は苦労させてしまいました
彼女もまさか会社員を辞めるとは思わなかったようです
暫くして寮を出て彼女と同棲が始まりました
のちの妻となる人です 場所は東武東上線の大山でした
数年経ち小さな結婚式を都内であげました
それから現場の責任者になり楽しい現場管理業務の歴史が始まりました
そして起業し独立しました
妻は初めは涙を流し反対してましたが最後は支持してくれました
子供も出来ず・・・数年間いませんでした
そこから二人の山あり谷ありの人生がスタートしました
田舎にUーターンを決めてから子供が出来ました
散々頑張ったのに不思議です・・・でも私は心の中では原因は分かっていました
私が40歳になる直前の頃の子です
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【虹色の鯉】
私は雨が止んだので近くの人造池の有る公園に行きました
ここはカワセミ・キジバトが餌や水を飲みに訪れる人造池です
池の前にあるベンチに腰掛けていますと散歩中の女性が声をかけてきました
「暫く拝見していますが虹色の鯉に餌をやりながら話しかけていますね」
「知り合いの鯉ですか」「はい~~そうです知り合いの子が放した鯉です」
「以前は三分の一ほどの大きさでした」
「あれから30年近く経ちます」と言い10分ほど訳を話しました
すると「私も明日から何か餌を持って来てあげますね」と言い歩いて行きました
私は嬉しくなり鯉に「良かったな」と言い暫く話しかけていました
本当は私と息子が虹色の鯉を放しましたが嘘をつきました
さっきの人は私が独居老人と思い見つめていたのかな~~~
そうなら私と会話した事はもう~~~忘れているでしょうね
と又鯉に話しかけていますと妻が後ろにいました
「おとうさん何一人でブツブツ話しているの・・痴呆症の人と勘違いされるよ」
と言い微笑みました
私は妻とベンチに座りました
「あの虹色の鯉が以前家にいた鯉だよ」と妻に教えました
妻は「大きくなったね」と私を見つめ驚いていました
私が妻の手を握ると妻も微笑み返し力を入れました
暫くすると「お金取るよ~~いくらくれるの」と言い出しました
私は妻の手を強く握りしめました すると「痛い」と言い微笑みました
妻が「幸せです、ベンチで手を繋ぎ放した鯉を見れるなんて、こんな瞬間が来るなんて」
と私を見つめ囁きました
「おとうさんが独立した時反対しましたがお父さんを信じて良かった」と言いました
暫く鯉を眺めていましたが帰宅しました
そして並んで居間の電動ソファに横になりテレビの韓ドラをみました
すると今度は妻からてを繋いできました
楽ですね・・・最高です
横をみながら心の中で妻に感謝している自分がいました
そして30代の頃浮気していた事を謝罪していました
「もう時効ですね」・・・と自分で言い聞かせました
妻のパート勤務はPM3時~9時です
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【露出男】
今朝も雨は止みましたが寒いです もう・・・4月ですよ・・・
妻は寒いので餃子の王将にラーメンを食べに行こうと誘われました
「私がおごるから」と言われました
私は断りました すると一人で食べに行ったようです
私は歯の治療中なのでご馳走すると言われても迷惑です
妻は若い頃は一人で食堂には入らず帰宅してカップ麺を食べていました
60代になったので心に余裕が生えたようです
何処でも一人で行きますね 変わりましたね・・・
東京在中の30代の頃職場の帰りバスから降りてアパートに帰る道側で
スーツ着た男性が立ちションを始めたので反対の道側を歩いていると振り向き
一物をだしたまま追いかけられたそうです
妻は裸足で逃げたそうです 部屋に蒼い顔して裸足で帰ってきました
私はヒ―ルを探しに妻と来た道を探しましたね
こんな時学生の頃街の空手道場に通っていたのが自信になりました
街の大会では勝敗は五分五分でした
大山のアパートに住んでいた頃の出来事です 当時は池袋・東上線は物騒でした
妻は触られたり追いかけられた事も何度か有りましたね
妻に好意を抱いている人がいたのでしょうか?
履物を脱ぎ捨て裸足で逃げていました ある時は持っていたバックを投げ捨てていました
そんな怖い思いをしながらサービス業をしていました
デパートに勤務中タイトスカートを履いていて体のラインが良く分かりました
色が白いので蒼いアイシャドーが似合いましたね
私は化粧を止めるように言いましたので仕事が終わると会社で化粧を落とし
ジーパンを履いて低い靴に履き替え帰宅していました
出勤も化粧せず会社に出勤してからしていました
デパート勤務の社員さんはサービス業なので皆さん化粧が濃く感じました
また酔っぱらいも多くすれ違いさまお尻を触られる同僚女性も多かったそうです
そんな目に合うのでタクシーで帰るようにお願いしました事を思い出しました
そんな人は自慢出来る一物の持ち主なのでしょうか 見てやりたいです
ただ慌てて逃げる女性をからかうのが面白いのでしょう・・・
昔は多かったですね 下着泥棒もいました
妻は帰ってくると洗濯物が動いていると言いその下着は捨てていました
誰かが触ったので気持ち悪いと言っていましたね
また洗濯すれば良いと思いますが女性はいやなのですね
それからは下着は部屋干しにしましたね
エアコンも早くに設置しました
若い女性が住んでいる部屋はよく覗かれましたから・・・
会社通勤は地味な服装で通勤していました
ジーパンは何着も有りましたね 通勤用に・・・
最後までお付き合いいつも有難うございます