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デフラグビーがPR上手な訳

2007-03-15 23:53:02 | 障害とは何か

今さらですが、ラグマガ掲載のお知らせ。

『ラグビーマガジン』4月号(2月25日発売)の73ページに、

2月の大阪合宿の記事が出ています。

これはカメラマンで、デフラグビー発起人の

長田耕治さんが書いてくださった記事です。

日本でデフラグビーが始まったのは、今から13年前。

長田さんがニュージーランドのデフラグビーを取材し、

『ラグビーマガジン』誌で発表。

日本チーム結成を呼びかけたのです。

以来、合宿や大きな試合があるたびに、

ラグマガに載せてもらっています。

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(長田さんが撮影した、ニュージーランド代表デフ・ブラックスのハカ)

ラグビーに限らず、障害者スポーツの活動が、

健常者向け専門誌で紹介されることは少ないです。

しかしデフラグビーは、ラグマガに限らず、

これまでたくさんのメディアに取り上げられてきました。

なぜか。

発起人が健常者でありカメラマンだから、というのも理由のひとつ。

でもそれ以上に大きい理由は、

ラグビーは15人だから」です。

               ★ ★ ★

この時から本多にとってラグビーとは、

「人集め」から始まるものとなった。

(「静かなるホイッスル」第1章より)

これは、静岡の強豪・東海大翔洋高校ラグビー部の

本多茂監督の経験談です。

本多監督が大学1年の春、ラグビー部に同期が一人もいなかった。

これでは困る、と必至に集めたそうです。

高校ラグビー部の監督となってからも、これは同じ。

毎年、春は勧誘の季節です。

静岡は、サッカー以外の運動部は部員が集まりにくい土地。

その中で、1チーム15人も必要なラグビーをするには、

「人集め」は欠かせないのです。

花園で活躍した難聴のラガーマン・倉津圭太選手は、

そんな中で発掘された存在でした。

Photo_30

(05年11月、倉津圭太は無音の花園を駆け抜けた)

撮影:長田耕治

               ★ ★ ★

デフラグビーも、これと同じ状況にありました。

ゼロからチームを作るために、長田さんは誌面上で勧誘を始めた。

しかし、なかなか人数は揃わない。

ろう学校で盛んなスポーツは、野球やバレーボール、陸上など。

安全面を重視し、接触の少ないものが多い。

ラグビー経験者はほとんどいない。

ただでさえ聴覚障害者人口は少ないのに、

その中で1チーム15人も必要なラグビーのチームを作るのは、

簡単なことではない。

しかし「ラグビーではなく別のスポーツにしよう」とは考えなかった。

ラグビーが好きで好きで仕方がない。

簡単でなくてもやろう、と考えた。

そこで「人集め」のため、

あの手この手のPRを実践してきたのです。

                ★ ★ ★

長田さんとデフラグビーは今もPRを続け、積極的に勧誘しています。

勧誘とは「不自然で、強引な出会い」と言えますね。

そもそも、聴覚障害とラグビーという出会い自体が不自然です。

でも、その不自然さ、強引さが、大きなドラマを生み出す力となる。

倉津君の活躍とデフラグビー13年間の軌跡が、

それを証明しています。

さらに言うと、「不自然さ」と「強引さ」は

長田さんの行動そのものを表しているようにも思います。

長田さんは、とてもドラマチックな人なんだなあ。

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「静かなるホイッスル」についてはこちら

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