今さらですが、ラグマガ掲載のお知らせ。
『ラグビーマガジン』4月号(2月25日発売)の73ページに、
2月の大阪合宿の記事が出ています。
これはカメラマンで、デフラグビー発起人の
長田耕治さんが書いてくださった記事です。
日本でデフラグビーが始まったのは、今から13年前。
長田さんがニュージーランドのデフラグビーを取材し、
『ラグビーマガジン』誌で発表。
日本チーム結成を呼びかけたのです。
以来、合宿や大きな試合があるたびに、
ラグマガに載せてもらっています。
(長田さんが撮影した、ニュージーランド代表デフ・ブラックスのハカ)
ラグビーに限らず、障害者スポーツの活動が、
健常者向け専門誌で紹介されることは少ないです。
しかしデフラグビーは、ラグマガに限らず、
これまでたくさんのメディアに取り上げられてきました。
なぜか。
発起人が健常者でありカメラマンだから、というのも理由のひとつ。
でもそれ以上に大きい理由は、
「ラグビーは15人だから」です。
★ ★ ★
この時から本多にとってラグビーとは、
「人集め」から始まるものとなった。
(「静かなるホイッスル」第1章より)
これは、静岡の強豪・東海大翔洋高校ラグビー部の
本多茂監督の経験談です。
本多監督が大学1年の春、ラグビー部に同期が一人もいなかった。
これでは困る、と必至に集めたそうです。
高校ラグビー部の監督となってからも、これは同じ。
毎年、春は勧誘の季節です。
静岡は、サッカー以外の運動部は部員が集まりにくい土地。
その中で、1チーム15人も必要なラグビーをするには、
「人集め」は欠かせないのです。
花園で活躍した難聴のラガーマン・倉津圭太選手は、
そんな中で発掘された存在でした。
(05年11月、倉津圭太は無音の花園を駆け抜けた)
撮影:長田耕治
★ ★ ★
デフラグビーも、これと同じ状況にありました。
ゼロからチームを作るために、長田さんは誌面上で勧誘を始めた。
しかし、なかなか人数は揃わない。
ろう学校で盛んなスポーツは、野球やバレーボール、陸上など。
安全面を重視し、接触の少ないものが多い。
ラグビー経験者はほとんどいない。
ただでさえ聴覚障害者人口は少ないのに、
その中で1チーム15人も必要なラグビーのチームを作るのは、
簡単なことではない。
しかし「ラグビーではなく別のスポーツにしよう」とは考えなかった。
ラグビーが好きで好きで仕方がない。
簡単でなくてもやろう、と考えた。
そこで「人集め」のため、
あの手この手のPRを実践してきたのです。
★ ★ ★
長田さんとデフラグビーは今もPRを続け、積極的に勧誘しています。
勧誘とは「不自然で、強引な出会い」と言えますね。
そもそも、聴覚障害とラグビーという出会い自体が不自然です。
でも、その不自然さ、強引さが、大きなドラマを生み出す力となる。
倉津君の活躍とデフラグビー13年間の軌跡が、
それを証明しています。
さらに言うと、「不自然さ」と「強引さ」は
長田さんの行動そのものを表しているようにも思います。
長田さんは、とてもドラマチックな人なんだなあ。
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「静かなるホイッスル」についてはこちら。
長田さんのベストショットはこちら。
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