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それいけ!ホチョーカーズ

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テレビの罠

2007-04-13 22:33:33 | 障害とは何か

彼女が過酷な競技に挑むワケ」のつづきです。

昨日の感想は、番組の作り方に終始してしまい、

肝心の近藤さつき選手について書けませんでした。

これ、「あるある事件」の影響ですね。

最近はどんな番組を見ても、

その演出方法やお金の出所ばかりに目が行きます。

(でも、これは正しい視聴方法ですね。

テレビ番組というのは、娯楽の顔をしているけど、

純然たる経済活動ですからね)

さて昨日も書きましたが、番組内にて近藤選手は、

気になる発言をされました。

「障害を持つ人で、

障害を受け入れきれている人っていないと思う。

自分も明るくしているが、

結局自分の障害は全然受け入れていない。

それをごまかしているのかな。

何かやってると忘れるじゃないですか」

               ☆ ★ ☆

これ、とても正直で勇気のある発言ですね。

「私はもう障害を受け入れた」と

ウソでも言っちゃった方が楽なはず。

それに、テレビカメラを向けられると、

ついついテレビにありがちなコメントを言ってしまうものです。

私も経験がありますが、

何となくそうしないといけないように感じるのです。

番組スタッフに直接頼まれるわけではない。

だから「やらせ」とは違いますよ。

けれど、なぜかプレッシャーを感じるんです。

それはどこから来るのか?

やはり番組スタッフからだと私は思います。

テレビには映りませんが、

撮影時にはカメラの後ろには常に彼らがいて、

撮影前後には出演者は彼らと雑談しています。

だから出演者が素人であっても、

番組がどんな発言を求めているのか分かってしまうものです。

そこで自分の正直な意見よりも、

番組内容に沿うような発言を優先してしまう。

これは、テレビインタビューの罠ですね。

(よくニュース番組の街頭インタビューで、

お誂え向きの発言をするおじさんやおばさんがいますが、

あれも「やらせ」ではなく、無言のプレッシャーの力だと思います)

               ☆ ★ ☆

しかし、近藤さんはそうしたごまかしはしない。

多少はみかみながらも、正直に胸の内を明かした。

とても意志が強い方だと思いました。

これからも、ぜひ応援したいアスリートです。

それいけ!近藤さつきさん

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彼女が過酷な競技に挑むワケ

2007-04-12 23:22:56 | 障害とは何か

最近、シットスキー(座って滑るスキー)に関する

ドキュメンタリーを見ました。

タイトルは、

「白銀のゴールの向こうへ

彼女が過酷な競技に挑むワケ」

シットスキーは、障害者スポーツの中で

最も過酷な競技なのだそうです

これに挑んでいるのが、近藤さつきさん

中学時代はバレーボールの選手。

名門・四天王寺学園3年の時、

大山加奈選手のいた成徳学園を破り、全国制覇。

最優秀選手にも選ばれたほどのアタッカーでした。

しかし練習中の不慮の事故により脊髄損傷し、両足麻痺に。

そして社会人になって始めたのがシットスキーです。

このドキュメンタリーは、まだ慣れない競技に挑む

近藤選手の悪戦苦闘ぶりを追っています。

               ☆ ★ ☆

感心したのは、その追い方です。

多くのテレビ番組では、こうした人物を紹介する場合、

「障害に負けず、頑張ってます!」、または、

「障害を乗り越えました!」のどちらかで描こうとしますね。

そうした単純なイメージに落とし込まないと、

視聴者に分かりにくいと考える。

(でも、これは作り手の言い訳であることも多い。

他の捉え方をする余裕も想像力もない、ということ)

しかし、この作品は違います。

近藤選手自身は、障害に負けずに頑張っているわけでも、

乗り越えたわけでもない。

ご本人は番組内でこう語っています。

「障害を持つ人で、

障害を受け入れきれている人っていないと思う。

自分も明るくしているが、

結局自分の障害は全然受け入れていない。

それをごまかしているのかな。

何かやってると忘れるじゃないですか」

               ☆ ★ ☆

つまり、彼女は障害を忘れるために過酷な競技に挑んでいる

ここには、新しい視点がありますね。

これをテーマに持ってきているところが、素晴らしいですね。

非常に印象に残るドキュメンタリーでした。

番組の詳しい情報はこちら

(北海道ではこれからオンエアーのようです)

近藤選手のブログもありました。→こちら

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デフラグビーがPR上手な訳

2007-03-15 23:53:02 | 障害とは何か

今さらですが、ラグマガ掲載のお知らせ。

『ラグビーマガジン』4月号(2月25日発売)の73ページに、

2月の大阪合宿の記事が出ています。

これはカメラマンで、デフラグビー発起人の

長田耕治さんが書いてくださった記事です。

日本でデフラグビーが始まったのは、今から13年前。

長田さんがニュージーランドのデフラグビーを取材し、

『ラグビーマガジン』誌で発表。

日本チーム結成を呼びかけたのです。

以来、合宿や大きな試合があるたびに、

ラグマガに載せてもらっています。

Nz

(長田さんが撮影した、ニュージーランド代表デフ・ブラックスのハカ)

ラグビーに限らず、障害者スポーツの活動が、

健常者向け専門誌で紹介されることは少ないです。

しかしデフラグビーは、ラグマガに限らず、

これまでたくさんのメディアに取り上げられてきました。

なぜか。

発起人が健常者でありカメラマンだから、というのも理由のひとつ。

でもそれ以上に大きい理由は、

ラグビーは15人だから」です。

               ★ ★ ★

この時から本多にとってラグビーとは、

「人集め」から始まるものとなった。

(「静かなるホイッスル」第1章より)

これは、静岡の強豪・東海大翔洋高校ラグビー部の

本多茂監督の経験談です。

本多監督が大学1年の春、ラグビー部に同期が一人もいなかった。

これでは困る、と必至に集めたそうです。

高校ラグビー部の監督となってからも、これは同じ。

毎年、春は勧誘の季節です。

静岡は、サッカー以外の運動部は部員が集まりにくい土地。

その中で、1チーム15人も必要なラグビーをするには、

「人集め」は欠かせないのです。

花園で活躍した難聴のラガーマン・倉津圭太選手は、

そんな中で発掘された存在でした。

Photo_30

(05年11月、倉津圭太は無音の花園を駆け抜けた)

撮影:長田耕治

               ★ ★ ★

デフラグビーも、これと同じ状況にありました。

ゼロからチームを作るために、長田さんは誌面上で勧誘を始めた。

しかし、なかなか人数は揃わない。

ろう学校で盛んなスポーツは、野球やバレーボール、陸上など。

安全面を重視し、接触の少ないものが多い。

ラグビー経験者はほとんどいない。

ただでさえ聴覚障害者人口は少ないのに、

その中で1チーム15人も必要なラグビーのチームを作るのは、

簡単なことではない。

しかし「ラグビーではなく別のスポーツにしよう」とは考えなかった。

ラグビーが好きで好きで仕方がない。

簡単でなくてもやろう、と考えた。

そこで「人集め」のため、

あの手この手のPRを実践してきたのです。

                ★ ★ ★

長田さんとデフラグビーは今もPRを続け、積極的に勧誘しています。

勧誘とは「不自然で、強引な出会い」と言えますね。

そもそも、聴覚障害とラグビーという出会い自体が不自然です。

でも、その不自然さ、強引さが、大きなドラマを生み出す力となる。

倉津君の活躍とデフラグビー13年間の軌跡が、

それを証明しています。

さらに言うと、「不自然さ」と「強引さ」は

長田さんの行動そのものを表しているようにも思います。

長田さんは、とてもドラマチックな人なんだなあ。

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●長田さんのHP→「デフラグビー写真博物館

●3月17日、講演します!→「同志社大学での講演のお知らせ

(関連記事)

「静かなるホイッスル」についてはこちら

長田さんのベストショットはこちら