すりはんどく日誌

創価学会壮年部員の日誌。

生命の安全地帯

2006年01月29日 | Weblog
以前、初めて精神科の病院に行ったとき、待合室のあまりの盛況ぶりに驚きました。
ただでさえ、高ストレス社会と言われ、ストレスがもとで心身の調子を崩す人が多い時代。
仕事の重圧だけでも大変なのに、それに組織活動の重圧が加算される学会員が、ストレスのために体調を崩すことは、不思議ではありません。

先日、地域はちょっと違うけど、たまたま顔を合わせた男子部のとある副本部長が、ストレスのために長く不眠症を患っている話をしていました。

1週間は7日しか無く、1日は24時間しか無いのに、職場で責務を果たすために残業に励めば学会活動が不十分になるし、学会活動のために仕事を早く切り上げて帰れば、職場の部下たちの負担が大きくなってしまうし。

仕事と活動の両立、というだけならまだシンプルだけど、それに、恋人や家族のための時間、通院や通学、バンドや劇団の練習、などなどが二重三重に加わると、脳みそも心もぐちゃぐちゃに。

「創価学会は生命の安全地帯」
と、池田先生はおっしゃいました。
そうでなくてはならないはず。

もちろん、学会を生命の安全地帯にするためには、安全地帯たらしめるための陰の努力を担って立つ人も必要。
それは当然ふまえながら、組織活動に奔走することを尊ぶと共に、組織活動の重圧が重くなり過ぎることの危険性を、リーダーは厳格に認識しておかなくてはいけないと思います。

基本的には、活動に励んでいる同志の仕事・私生活面の状況を、臆病なくらいに詳しく、知り抜いておく努力が必要です。

「ボロボロになるまで走りぬいてなんぼじゃ!」

というような発想は、怠慢であり、リーダーとしての責任感が欠落しているとしか思えません。

活動に出てこない同志に関して、あれこれと心配したり気を遣うのは普通ですが、活動に元気に参加している同志に関しても、その姿を当たり前だと思わず、見えないところで神経をすり減らしていないか、気を配って欲しい。

学会活動によるストレスが一因となって、体調を崩してしまう人はけっこう多い。
しかし、その人の話をよく聞き、あとになって振り返ってみると、調子を崩している兆候は、元気いっぱい活動している時期にすでに明確に現れていたりするものです。

「あいつはいつも元気だから心配ない」
という油断、慢心を廃して、動ける人には動いてもらい、守るべき人を守り切っていかなければ、創価学会を「生命の安全地帯」にすることはできないと思います。


彼女に信心の話をする

2006年01月27日 | Weblog
以前から僕の学会活動に対しては好意的・協力的な彼女。

あらためて、真剣に、信心の話をしてみました。

ところが、話し始めたとたんに、目線を落とし、返事もロクになくて、
サッサと話題を変えてしまおうとする態度。

カチンと来て、こっちもサッサと話を切り上げてしまいました。
まだまだ人間革命が必要です。

納得するにしろ、反対するにしろ、
真剣に話をしているのだから、聞くだけでも聞いてくれていいのに。

こちらの真剣な態度を、シカトとは何事だ!

と、思うわけですが、そんなのは向こうの勝手なので、
こちらとしては粘り強く話をしないといけない。

今まで、何人かの友人を入会させてきましたが、ふつうの友だちなら、
シカトされたり、小バカにされても、腹を立てたりはしなかった。
1年にもならない付き合いながら、馴れ親しんでいる相手に、自分の恋人に、シカトされるというのはまたまったく別物で。。。

またがんばろう。

なんのための信心か

2006年01月24日 | Weblog
小説『人間革命』第十二巻 「憂愁」の章に、こんな一場面があります。
戸田先生の生涯の願業であった、七十五万世帯の折伏が達成され、それを盛大に発表する本部幹部会が開催される当日のことです。

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その日の昼過ぎ、理事長の小西武雄が戸田の自宅にやってきた。

「先生、今晩の幹部会で、七十五万世帯を達成したことを発表しますが、あわせて来年は百万世帯を目指すことを打ち出したいと思いますが、いかがでしょうか」

「目標を掲げて進むことは大事だが、ここで、しっかりと足もとを固めておく必要があるだろうな」

「はァ、足もとを固めると申しますと?・・・」

「ここらで、なんのための信心なのか、また、一人ひとりが信仰を確立するために、何を目指せばよいのかを明らかにして、しっかり確認し合っておくことだよ。
数を打ち出すのはよいが、みんなが組織のために、折伏に追い立てられているように思いでもしたら、歓喜もなくなるし、力も入らない。
そんなことにでもなれば、みんな功徳を受けられなくなってしまうからね」


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学会員なら誰でもご存知のとおり、こうして発表されたのが、

一、一家和楽の信心

一、各人が幸福をつかむ信心

一、難を乗り越える信心

の「永遠の三指針」です。

信仰は、その人が家族仲良く暮らし、自身の夢を実現し、ふいの困難があっても負けないようになるために、やるものです。

学会のため、組織のため、という文言は「三指針」にも、新たな「五指針」にも含まれていないし、「広宣流布」という要素も、ここでは顔を出していません。
あくまでも、「ひとりの人間が幸福になること」が、信仰の目的であるし、日蓮大聖人の悲願でもあり、創価学会が目指すべき究極の目標であると思います。

「そんなことになれば、みんな功徳を受けられなくなってしまうからね」
という戸田先生の言葉を、よくかみ締めたい。

信心の継承

2006年01月24日 | Weblog
うちの地域(支部)には50人ほどの男子部員がいます。
そのうち、いつも会合に出てくるのは10人前後。
あとの40人のうち、学会に対して好意的なのがまた10人前後。
残りの30人ほどは、学会に対して無関心、もしくは学会嫌いです。

50人のうち、自分自身が折伏されて入会したのは5、6人。
ほとんどが、親が創価学会員だから、自分も、という「学会2世」。
で、学会に無関心または学会嫌いの2世たちのうち、
親も同様に学会に無関心または学会嫌い、というケースはほとんどありません。
バリバリの活動家の子どもが、男子部員を門前払いする男子部員になるパターンがすごく多い。

きちんと統計をとってみれば、「信心の継承」に成功している事例より、
失敗している事例のほうが多いと思います。

ついでに、学会員ではない友人と話をしていて、
「実は、じいちゃんが熱心な学会員なんだ。でも、うちの親は興味なくて、おれに至っては全く何も知らない。ただ、子どもの頃じいちゃんといっしょに勤行したことはある」
という話を聞いたことが3回あります。

なぜ多くの家庭で「信心の継承」がうまくいってないのでしょう?
また、「信心の継承」に成功している家庭の、成功のポイントは何だったのでしょう。
いろんな角度から考え直す必要があります。

男子部は忙しい

2006年01月22日 | Weblog
創価学会関連のブログを、ざっと拾い読みしたところ、
男子部の彼氏または夫を持つ女性の苦衷を語るブログが目立った気がします。
女子部の彼女または妻を持つ男性の大変さを語るブログは少なかったような。
あくまでおおざっぱな拾い読みの結果だけど。

男子部は多忙です。
そのため学会活動に時間をとられることが多く、そのぶん、
彼女や奥さん・家族のための時間は少なくなります。

男子部の活動が、週に1回、日曜日の朝のお祈りだけ、
とかいうのであれば、状況はだいぶ変わってくるでしょう。

男子部の多忙さへの不平不満の声というのは、女子部・婦人部からも多々寄せられています。
男子部と女子部が結婚し、奥さんが若手の婦人部として活躍しはじめたのはいいけれど、亭主があまりにも学会活動で家を空けることが多すぎることから組織に不信感を抱くようになり、やがて学会全体への大きな不満となって、婦人部の活動からも遠ざかるようになってしまった、純真ないい子だったのにどうしてくれるんだ、と婦人部から男子部にクレームがつくという構図。

男子部の忙しさは異常だ、いったいどういうつもりなんだ、という批判の矢が、婦人部からじゃんじゃん飛んでくる。
少なくとも僕の地域では。。。

どっぷり組織に浸かって寝食を忘れて活動に励む、というのが、仏道修行なんだ、という男子部的発想は、改めていく必要があります。

少子高齢化社会を迎えるにあたって、男性も育児に積極的に関わっていくことで女性の労働力を活かしていかなくてはならない、というのが、当たり前になっている現代では、なおさら、余暇をとことん学会活動に注ぎ込むという発想は、通用しません。
むしろ、反社会的であるとさえ言えるかも知れない。

本当に、広宣流布が、日蓮大聖人の仏法の慈悲の精神を社会全体に行き渡らせる活動であり、「仏法即社会」であるのなら、信仰で培った智慧を家庭や社会で活かしていく時間が確保されないといけないと思います。
「組織バカ」は、ちょっと。


自信

2006年01月17日 | Weblog
今月の未来部の会合は、全国的に、昨日やったところが多いと思いますが、うちは、諸般の事情により22日にやります。

少年少女部員会。

今月の「ライオンキング御書」は、『崇峻天皇御書』の一節、

蔵の財よりも 身の財すぐれたり

身の財よりも 心の財 第一なり


(日蓮大聖人御書全集 1173ページ)

です。

ライオンキング博士・キング君が語るところによると、

心というのは、自分の「思い」のことなんだ。
決意したり、勇気を出したりすると、ボクたちの可能性は、はてしなく広がっていくんだよ。
「よーし」って決めたら、自分が変わり、自分のまわりが変わり、世界が変わるんだよ。
その力を引き出すのがお題目なんだよ。


とのこと。

日蓮大聖人の仏法のミソは、「民衆に自信と勇気を与える」ところにあると思います。

大聖人の時代、主流だった宗教は浄土宗ですが、この宗教は、この世界を「穢土」と蔑み、この世での人間の努力に限界のワクをはめて、本当の幸福は、ただ西方十万億土の彼方にのみ有ると説きました。
どんな悪人であろうとも成仏できる、と、慈悲深いようなことを主張しながら、本質的に、人間の可能性を見限っている宗教であり、人間をバカにしてる教えであると思います。

それに対して、日蓮大聖人は、人間の「心」には無限の力があり、自分が今いるこの世界を寂光土に変えて行くことすらできるんだと説きました。

その無限の力を引き出すのが、南無妙法蓮華経なんだというのが、キング君の主張するところ。

創価学会も、永遠に、民衆に「自信と勇気」を与える団体でなくてはいけない。
重たい数値目標を背負わせてゲキをとばして、幸福になりたいと切望する会員さんたちを疲労困憊させてるようでは困ります。

再開しました

2006年01月15日 | Weblog
以前に書いていたブログ
「創価学会員の生活」
が、不幸な事故によって消滅してしまい、今日からまた再開します。

今年の大きな目標のひとつは、結婚。

彼女は創価学会員ではありません。
いまのところ、僕が学会活動で多忙なことに対しても寛大だし、
紹介する地域の学会員とも仲良くし、会合に参加したこともあります。

学会の人の中には、恋人が入会することを、
結婚の絶対条件に数える人もいますが、僕はそうは思いません。
ただし、自分の信仰についてもっとちゃんと話をし、
「いっしょにやろう」
とは言うつもり。

学会員なら当たり前か。。。

入会してくれなければ結婚はできない、
なんて言い出すと、交換条件みたいになってしまって、筋が通りません。
自分の中だけの決意として、
「結婚する前に入会してもらおう」
と思うのはいいでしょうけど、ハッキリそれを口に出してしまうと、
それは「要求」になってしまうし、うまくない。

何から切り出そうかなー。