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東北ボランティア - Day 2 南三陸町、志津川高校の避難所

2011-04-12 | Tohoku
南境生活センターの朝は早い。
6時前にはみんながもぞもぞと動き出し、7時からミーティング。



ここには色々なチームが集結しています。
ボランティアには色んな活動があるんだなぁ、と思いました。
例えば、炊き出し、泥出し、がれき撤去、重機を扱って家に突っ込んだ車の撤去、
避難所ではく個人宅を訪問してニーズを調査、子供たちと遊ぶ、などなど。
ヒッピーなお兄さんたちもいて、彼らは何をしているのか?!と思ったら、
バス停を作ったり、女川の個人宅を訪問したり、炊き出しをしたりと素敵な活動をされていました。
彼らの事を「闘うスピリチュアル系」とある人が言っていたのですが、
本当にそうだな、って思いました

本日はがれき撤去チームに入ったAックス。
気合い(?!)のポーズです。


私は整体師、マッサージ師、鍼灸師、美容師さん達のいる、リラクゼーションチームに入りました。
なぜリラクゼーション?と思っている方もいるかもしれませんね
実はアロマセラピーコーディネーターの民間の資格を持っているんですyo!
趣味の延長くらいの事しかやっていないのですが、「もしかしたら役に立つかな?」と思って、
エッセンシャルオイルの他に、トリートメントオイル、化粧水を作って一応準備だけはしておいたのです。
でも、「そんなニーズはないだろうなぁ」と勝手に思っていたし、
それに、被災者の方と直に話す事が私にできるかという不安もあった。
なので、包丁さばきに自信のない私は、炊き出しではなく、がれき撤去チームに入る準備をして神奈川を出発。
でも、到着した夜すぐにリラクゼーションチームのまとめ役に会う事ができ、
即リクルートされるという、ありがたい展開に進んだのです。

本日行動を共にする方々。
リラクゼーションチームのまとめ役、整体をされているT氏


同じく整体の施術をするS澤君と見習いのH川君。


今日私たちが目指すのは、今回の津波で町の8割の家が崩壊し、1000人が未だに行方不明の、南三陸町。
地図を見てもらったら分かりますが、東の海岸に面する町です。
そう、今回の津波で未曾有な被害にあってしまった町のひとつ。
テレビでもインターネットでも色々な映像を見てきたし、心の準備はしてきたつもりでした。。。
でも、現実を目の当たりにして、「言葉を失う」という表現はこういうことか、と思いました。
町があった形跡は全くなかったです。

三階建てのアパートの上に車や船がある。
あり得ない高さの所に生活用品がぶら下がる。
林の中の高い所にも車が突っ込んでいる。
鉄筋コンクリートの建物も、おかしな方向にぐにゃりと曲がっている。

あまりにも悲惨な光景。
家や店や人がいて生活しているのが想像できない壊滅状態。

帰ってきて、この↓映像を見つけてみたのですが、
津波が来る前は、こんな風に家がちゃんとある町だったのか、と驚くほど、
今は跡形もなくなってしまった町...。



↑このビデオ撮影がされている、高台にある志津川高校が本日訪れた避難場所。
まずは被災者のいる体育館へ。
何人かにマッサージをした後、今度は保健室へ。
そこには何人かの高校生がいました。
アロマオイルマッサージ初体験の高校生男子達。
じゃれあっている姿は普通の高校生ですが、話の内容は違っていました。

男子A「お前ん家は流されなかったからいいよなぁ。」
男子B「うん。でも、家の庭に車が7台流されてきてそのままだからサッカーの練習できないよ。」

なかなか聞く会話じゃないですよね。
(尚、車が家に何台も突っ込むのが想像できない方は、一緒のボランティア基地にいたヒューマンシールド神戸さんのブログをご覧ください。)


「学校に行かないで勉強しなくて済むし、このままの生活がいいな」とか言っていた子もいたけど、
もしかしたら、これが彼らなりの今回の被害の受け止め方なのかもしれない。
この高校の校庭から見えるのは、何もなくなってしまった津波の爪痕だけ。
これから登下校するのは、がれきの間を通る道。
家族や友人を失った同級生がいるかもしれない。

そんな彼らがふざけあって、笑顔でいられるなら、それでいいと思った。
若い男子諸君と話しながらマッサージをして、
「ちゃんと勉強もするんだぞぉ」と渇を入れるお姉さんを演じてきました。