深夜。ミミはふと目を覚ました。室内は静まりかえっていて、ガールズトークで盛り上がったまま、そのまま箱舟に帰らずにくーすか眠ってしまったサンディの寝息が聞こえる。
ふと部屋の反対側にあるもう一つのベッドを見ると、そこは空だった。
(イザヤール様・・・こんな夜中にどこへ行ったの・・・)
一瞬、ほんの一瞬だけ、全身に凍るような震えが走った。・・・今まで、イザヤールが帰ってきてくれたという長い幸せな夢を見ていたのではないか、という疑惑にかられて。
深呼吸し、きちんと畳んでベッドサイドに置かれているイザヤールの着替えを見て、心を落ち着かせる。着替えがあるということは、遠くに行ったわけではないらしい。
(こんなに、心配し過ぎちゃ、駄目・・・)
失うことに、必要以上に臆病になってはいけない。過剰な心配は、見えない鎖となって、愛しい人を縛ってしまう。それは、駄目。
ふとここで彼女は、バルコニーから長い影が伸びていることに気が付いた。窓の方を見ると、カーテンの隙間から、かすかな星明かりに照らされている人影が見えた。
(ああ・・・バルコニーに居たんだ・・・)
ミミはほっと安堵の息を吐き、そっと窓辺に近寄った。イザヤールは、夜空を見上げていた。その懐かしそうな、切なそうな表情を見て、彼女の胸は疼いた。
すると、不意に彼が振り返り、窓辺に居るミミを見つけた。少し驚いた顔をしてから、優しく微笑み、何か呟いた。
ガラス越しでも、何を言っているかわかる。・・・おいで。
ミミがバルコニーに滑るように出ると、イザヤールはすぐに彼女の頭に手を載せた。
「起こしてしまったのか?」
ミミは黙って首を横に振った。そして、満天に煌めく星を見上げた。
何事もなく天使としての使命を終えていたら、私も、イザヤール様も、彼処に居る筈だった。・・・星になるとは、どんな気持ちなのだろう。
「・・・ミミ。寂しくなったか?」
イザヤールが、かすれた声で囁いた。
「ほんの少しだけ。・・・でも、大丈夫です。みんな見ててくれるし、イザヤール様が居てくれるから」
微笑もうとする彼女の頬を、イザヤールの温かい手が優しくなでた。
「ミミ・・・。そう思ってくれていて、嬉しいぞ」
彼はミミから星を遮るように前に立ち、彼女をまっすぐな瞳で見下ろした。
「もしおまえが、寂しくて、どこにも帰る場所がない気持ちに襲われることがあったら」彼は低い、だが優しく熱の隠った声で囁いた。「この地上に・・・おまえのことを愛しく想っていて・・・いつでも帰れる場所でありたいと考えている男が居ることを、思い出してくれ。・・・それで少しでも慰めになるのなら」
「イザヤール様・・・」
ミミは、途切れそうな声を振り絞って、思いきって尋ねた。
「その方・・・イザヤール様の・・・ことですか・・・?」
イザヤールの瞳の光が、強くなった。
「・・・ああ、そうだ。ミミ、おまえを愛している」
吐息のような、言葉にならないかすかな声をミミは上げて、彼女もまた、熱の隠った瞳でイザヤールを見つめた。
「応えなくていい。おまえの幸せを心から願う者がこの地上にもちゃんと居ると、それを知っていてくれれば、それで・・・」
ここで、彼は溜め息をついて、辛そうに目を伏せた。
「・・・いや。そう言い切る自信は、まだないが。おまえを誰にも渡したくない、自分のものにしたい、そんな・・・そんな身勝手な思いを、捨てきれてはいないからな・・・」
「・・・身勝手なんて、言わないで・・・私・・・私も、そうだから・・・」
消え入りそうな声で、ミミが呟いた。
「ずっと・・・昔からずっと・・・お慕いしてました。イザヤール様、私も・・・イザヤール様が幸せでいてくれればそれでいい筈なのに、苦しくて・・・」
「ミミ・・・」
「イザヤール様を縛り付けそうでそれが怖くて。どんな強い想いを抱いているか知られたら、失ってしまいそうで、怖くて・・・」
いつの間にかミミは泣きじゃくりながら、声を詰まらせながら想いを告げていた。
「一緒に居られる幸せを、友達としてでも側に居られる幸せを、無くしたくなくて・・・イザヤール、様っ・・・」
「ミミ、もういい、私も、同じことを思っている、だから・・・」
そう言って彼は、ミミの涙に濡れた顔を片手でそっと包み、もう一方の腕で彼女の体を引き寄せた。
「おまえを愛する資格も、愛される資格も、おまえを酷く傷付けたあの時、失ったと思っていた・・・。だが、もう・・・少なくとも、愛する資格は、もう迷わない。・・・ミミ、私を許してくれるか?」
「もうとっくに・・・許してます・・・」
「私がおまえを愛することも・・・許してくれるか?」
「許すどころか・・・愛して・・・ほしいです・・・」
「私を・・・愛してくれるか?」
熱い声で囁かれる最後の問いに、涙で濡れた目を見開いて、唇を震わせて彼女は答えた。
「・・・はい。イザヤール様、愛しています」
「・・・ありがとう」
それからしばらくの間二人は、互いの腕の中で、互いの体温と鼓動を分け合って、長い長い想いが通じた幸せに浸った。
数多の星は、祝福かひやかしか、楽しそうに煌めき、瞬いた。
儚い命になってしまったからこそ。
一度、永遠に引き離されたと思ったからこそ。
大切に日々を積み重ねていければ。
「イザヤール様・・・たくさんの証人の前で、告白してしまいましたね・・・」
イザヤールの胸に赤くなった顔を付けたまま、ミミは恥ずかしそうに呟き、笑った。
「そうだな。もう、取り消せないぞ」
回した腕に力を込めて、イザヤールも楽しそうに笑う。
「取り消しません」
少し拗ねたようにミミは呟いてから、付け加えた。
「ずっと想ってきた人にちゃんと想いを伝えられて、嬉しいです」
「ああ、そうだな・・・」
未来のことはわからないけれど。それでも、繰り返し訪れるであろう変化を受け入れて、二人で一緒に生きていきたいと。
その誓いも聞き届けたように、星の輝きは、一層増していた。〈了〉
ふと部屋の反対側にあるもう一つのベッドを見ると、そこは空だった。
(イザヤール様・・・こんな夜中にどこへ行ったの・・・)
一瞬、ほんの一瞬だけ、全身に凍るような震えが走った。・・・今まで、イザヤールが帰ってきてくれたという長い幸せな夢を見ていたのではないか、という疑惑にかられて。
深呼吸し、きちんと畳んでベッドサイドに置かれているイザヤールの着替えを見て、心を落ち着かせる。着替えがあるということは、遠くに行ったわけではないらしい。
(こんなに、心配し過ぎちゃ、駄目・・・)
失うことに、必要以上に臆病になってはいけない。過剰な心配は、見えない鎖となって、愛しい人を縛ってしまう。それは、駄目。
ふとここで彼女は、バルコニーから長い影が伸びていることに気が付いた。窓の方を見ると、カーテンの隙間から、かすかな星明かりに照らされている人影が見えた。
(ああ・・・バルコニーに居たんだ・・・)
ミミはほっと安堵の息を吐き、そっと窓辺に近寄った。イザヤールは、夜空を見上げていた。その懐かしそうな、切なそうな表情を見て、彼女の胸は疼いた。
すると、不意に彼が振り返り、窓辺に居るミミを見つけた。少し驚いた顔をしてから、優しく微笑み、何か呟いた。
ガラス越しでも、何を言っているかわかる。・・・おいで。
ミミがバルコニーに滑るように出ると、イザヤールはすぐに彼女の頭に手を載せた。
「起こしてしまったのか?」
ミミは黙って首を横に振った。そして、満天に煌めく星を見上げた。
何事もなく天使としての使命を終えていたら、私も、イザヤール様も、彼処に居る筈だった。・・・星になるとは、どんな気持ちなのだろう。
「・・・ミミ。寂しくなったか?」
イザヤールが、かすれた声で囁いた。
「ほんの少しだけ。・・・でも、大丈夫です。みんな見ててくれるし、イザヤール様が居てくれるから」
微笑もうとする彼女の頬を、イザヤールの温かい手が優しくなでた。
「ミミ・・・。そう思ってくれていて、嬉しいぞ」
彼はミミから星を遮るように前に立ち、彼女をまっすぐな瞳で見下ろした。
「もしおまえが、寂しくて、どこにも帰る場所がない気持ちに襲われることがあったら」彼は低い、だが優しく熱の隠った声で囁いた。「この地上に・・・おまえのことを愛しく想っていて・・・いつでも帰れる場所でありたいと考えている男が居ることを、思い出してくれ。・・・それで少しでも慰めになるのなら」
「イザヤール様・・・」
ミミは、途切れそうな声を振り絞って、思いきって尋ねた。
「その方・・・イザヤール様の・・・ことですか・・・?」
イザヤールの瞳の光が、強くなった。
「・・・ああ、そうだ。ミミ、おまえを愛している」
吐息のような、言葉にならないかすかな声をミミは上げて、彼女もまた、熱の隠った瞳でイザヤールを見つめた。
「応えなくていい。おまえの幸せを心から願う者がこの地上にもちゃんと居ると、それを知っていてくれれば、それで・・・」
ここで、彼は溜め息をついて、辛そうに目を伏せた。
「・・・いや。そう言い切る自信は、まだないが。おまえを誰にも渡したくない、自分のものにしたい、そんな・・・そんな身勝手な思いを、捨てきれてはいないからな・・・」
「・・・身勝手なんて、言わないで・・・私・・・私も、そうだから・・・」
消え入りそうな声で、ミミが呟いた。
「ずっと・・・昔からずっと・・・お慕いしてました。イザヤール様、私も・・・イザヤール様が幸せでいてくれればそれでいい筈なのに、苦しくて・・・」
「ミミ・・・」
「イザヤール様を縛り付けそうでそれが怖くて。どんな強い想いを抱いているか知られたら、失ってしまいそうで、怖くて・・・」
いつの間にかミミは泣きじゃくりながら、声を詰まらせながら想いを告げていた。
「一緒に居られる幸せを、友達としてでも側に居られる幸せを、無くしたくなくて・・・イザヤール、様っ・・・」
「ミミ、もういい、私も、同じことを思っている、だから・・・」
そう言って彼は、ミミの涙に濡れた顔を片手でそっと包み、もう一方の腕で彼女の体を引き寄せた。
「おまえを愛する資格も、愛される資格も、おまえを酷く傷付けたあの時、失ったと思っていた・・・。だが、もう・・・少なくとも、愛する資格は、もう迷わない。・・・ミミ、私を許してくれるか?」
「もうとっくに・・・許してます・・・」
「私がおまえを愛することも・・・許してくれるか?」
「許すどころか・・・愛して・・・ほしいです・・・」
「私を・・・愛してくれるか?」
熱い声で囁かれる最後の問いに、涙で濡れた目を見開いて、唇を震わせて彼女は答えた。
「・・・はい。イザヤール様、愛しています」
「・・・ありがとう」
それからしばらくの間二人は、互いの腕の中で、互いの体温と鼓動を分け合って、長い長い想いが通じた幸せに浸った。
数多の星は、祝福かひやかしか、楽しそうに煌めき、瞬いた。
儚い命になってしまったからこそ。
一度、永遠に引き離されたと思ったからこそ。
大切に日々を積み重ねていければ。
「イザヤール様・・・たくさんの証人の前で、告白してしまいましたね・・・」
イザヤールの胸に赤くなった顔を付けたまま、ミミは恥ずかしそうに呟き、笑った。
「そうだな。もう、取り消せないぞ」
回した腕に力を込めて、イザヤールも楽しそうに笑う。
「取り消しません」
少し拗ねたようにミミは呟いてから、付け加えた。
「ずっと想ってきた人にちゃんと想いを伝えられて、嬉しいです」
「ああ、そうだな・・・」
未来のことはわからないけれど。それでも、繰り返し訪れるであろう変化を受け入れて、二人で一緒に生きていきたいと。
その誓いも聞き届けたように、星の輝きは、一層増していた。〈了〉
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