此処で、吾が実際体験し、見聞きして来た宗教教団の裏話をしてみたい。
或る教団がテロ事件を起こした事が在ったが、彼処迄の狂いっぷりではないが、凡ての教団も相当狂っているので、身近に在る教団について書いてみたい。
人類が誕生し、大自然の中に神仏を見出したのはいつ位からなのだろう。
今では、己自身が神であるとか、我こそは久遠の仏の生まれ変わりであると云い出す者迄現れる。
キリスト教の牧師は幼子へ性的虐待をするし、寺の坊主は檀家から集めた布施で高級車を買い乗り回し、挙げ句の果ては煽りをかまして路上で一般人を恫喝する…。
宗教団体が幾つも在るが、宗教とは名ばかりで、カネと名声を上げる事にのみ考えている。
「あなた、ご供養が足らないわね。其れとお布施も此れでは駄目。一ヶ月の給料から1割をお布施しないとね」
何故か宗教教団の幹部には女性が多い。
「お布施は霊界に居るご先祖様へ届ける事になるから大事なの。其れでご先祖様が喜んであなたをご守護してくださるのよ」
と創作話を神妙な顔をして信者を騙す。
新規の信者を獲得させる為に…
「あなたが他人を導き入れる事で大きな功徳となり、其れで其の人も救われ、同時にあなたも救われるんですよ。1人よりも2人、数が多ければ多い程あなたの業が浄められて成仏へと繋がるの。今世で成仏するにはお布施を欠かさず、導きさせて頂きましょうね」
施設(教会、道場)煮は一般信者が入れぬ事務室の様な部屋が在る。
其処には、各支部の新規信者の獲得数がグラフ化されていて、其れを各地域の教会や道場のトップが口角泡を飛ばし、更なる信者獲得への檄を飛ばしている。
成仏(仏)するには、お布施と導き(新規信者の獲得)だと云うので在る。
宗派や教義は違えど、何処の教団も同じ様な事を云っている。
昔、キリスト教の宣教師が我が国に入ったりしたが、あれは伝導とは名ばかりで、其の国の領土と植民地獲得の先遣隊だった。
キリスト教は教勢拡大と他国侵略を目論んでいたのである。
キリスト教もイスラム教も仏教も、目的は己の教えの教勢拡大が目的である。
信者数がどうのこうの、こんな貢献をしただとか等と、実績を声高に叫ぶが、そんな事はどうでもよい。
吾は、其の宗教を創設した教祖や開祖が駄目だとは思わない。
当時は、本当に純粋に人間の心に向き合い、正していく事により、肉体を環境を変えて行く。
此の地上は、心の投影であると感得した当時の釈尊やイエス、キリスト教の影響を強く受けたイスラム教創始者のムハマンド・イブンも純粋に教えを確立しようとしていたと思う。
だが哀しいかな、伝言ゲームの如く、人伝に引き継ぐ度に、最初伝えた事が最後には全く違う言葉や意味合いで伝わってしまう。
今や、此処の都合の良い様に曲解され、創始者の思いとは全く掛け離れた教えに刷り替えられてしまっている。
其れは、各国の情勢を見れば解る。
過去から在る戦争は、各宗教の代理戦争でもある。
此の世の争いの根源は思想(宗教も含む)のぶつかり合いである。
誰もが…
己が1番
我が宗教・宗派が1番
我が教団が1番
と思っている。
表向きは…
「宗教は一つ、道は違えど行き着く先は同じ」
「宗教は万教帰一」
「宗教は万教同根である」
等と、融和を主張しているが、此れは大嘘である。
他国はもとより、我が国の各宗教、各宗派を見れば解るが、宗派争いに余念が無い。
心の平穏を願って入信したはいいが、布施と信者勧誘を強要され、怠れば不幸になる等と強迫観念を刷り込まれ精神疾患を患うとなれば、此れは本末転倒である。
其れよりも、家に仏壇が在れば供花の水を替え、お茶と水と仏飯を供え灯明を点け、線香を焚き、静かに息を整えて朝夕の感謝。
神棚が在れば、榊又は松葉の水を替え、米・塩・水を替えて心静かに柏でを打ち一日の無事を祈る。
此れで十分である。
何も特別に特定の宗教や教団に所属する必要は無い。
教団の活動に駆り出され、家の事が疎かになり、家族と触れ合う時間も無くなり、頭は来月の布施の金策と、新規信者の獲得で一杯になる。
此れで心が穏やかになる筈が無い。
吾は以前、特定の宗教教団に入れ込んで、心身が疲弊した経験があるので此の機会に書いてみた。
皆さんも、くれぐれもお気を付け下さい。