goo blog サービス終了のお知らせ 

おも〜か〜じ(面舵)‼︎

個人的な見解で書いております

此の世に於ける、己の凡ての不利益は己の能力不足によるものである

2025年04月14日 21時48分00秒 | 日記
此の世は循環している。

吾が日頃、幾つも悪態を吐く中で、カネに関する事で気付いた事が在った。

此の世は循環して物事が成り立っている。

吾は己の能力不足を棚に上げて「不遇」だの「カネの回りが悪い」などと愚痴を溢しているが、富裕に見える人は其の中でカネや物を循環させている、循環している。

吾は、吾自身の器量の範囲内で、器量に相応した程度でカネや物を循環させている、循環している。

だから、他と比べても仕方の無い事である。

一人一人、其々の器量に応じたカネや物が循環している。

カネを増やし、物を増やしたければ、己の器量を上げてやるしか術は無い。

其れは若いうちに器量上げをやっておかねば、齢を重ねてからでは遅い。

吾は其の事に今になって気付いたが、時既に遅し。

環境に押し流されて今日迄来てしまった。

此の世に於ける、己の不利益は己の能力不足によるものだと云う事がハッキリと解った。







過去の思い出は人生(実生活)の手枷・足枷になる

2025年04月08日 17時23分00秒 | 日記
今日は、先日の出張の代休である。

愛車で街を疾走していると、学校が人で賑わっていた。

ああそうか、今日は入学式か。

小中高の新入生と其の両親、片親等と校門の前にたむろしていた。

小学校では可愛い新一年生は不安気な表情だった。

入学式に疲れたのかも知れない。

期待と不安を...いや、今は不安しかないだろう。

此れからは、班ごとに集まって登校する。

吾は入学式の事、全く記憶に無い。

当時、晴れだったのか雨だったのか.....。

どんな食事をしたのか.....。

どんな会話をしたのか.....。

全く記憶に無い。

何の思い出も無い。

記念の写真を見た事も無ければ、見せて貰った事も無い。

抑も、写真が存在したのかも知らない。

幼少期の頃の思い出写真等、一枚も無い。

同級生の家に遊びに行くと、アルバムが何冊も在り、家族や親戚、知人友人と親し気に写っている。

社会人になってから今日迄の吾が写る写真は一枚も無い。

婚姻した時の写真が有ったが、関係が怪しくなってから、ゴミ出し時に写真が無造作に燃えるゴミの袋に捨てられていた。

吾は其れを見た時、何の感も無く、ただ「此れで終わったな」とだけ言葉が突いて出た。

吾が画角に入った写真のみが捨てられていた。

今唯一在るのは、仏壇の写真立ての中で祖母の笑う写真のみである。

独りになり、祖母の喪失から最近漸く立ち直った。

此れからは自分を生きるに当たり、過去の思い出等必要無い。

過去の思い出等は、此れからの人生に手枷、足枷となる。

過去の思い出を有り難がっても、何の益も無い。

代々続いた〇〇家を絶やしてしまう

2025年04月08日 15時58分25秒 | 日記
吾は何も残してこなかった。

己の種も残せなかった。

遥か過去より御先祖が守り受け継いで来た当家を、吾の不甲斐無さで絶やしてしまう事になる。

何とも罰当たりな事であろうか。

何を以てしても償う事が出来ぬ程の事である。

御先祖様、本当に申し訳ありません。




社会生活は、報われぬ事が9割5分である

2025年04月08日 14時33分07秒 | 日記
4月になり年度替わりとなった。

各企業では、新卒者の入社式が執り行われている。

毎年、耳にするのが入社当日に即辞めする奴がいると云う話。

「最近の若い者は.......」

と云うツッコミが飛び交う。

入社当日の即辞めや、一週間も経たぬ内fフェイドアウトする者。

此れは昔から見られた光景である。

吾が若かりし頃でも、結構な数居た。

今の若者だけが悪者の様に云うのは違う。

どの時代にも居た。

社会人の生活は、学生生活とは真逆である。

最近はハラスメントに対して非常に厳しい時代である。

しかしながら、ハラスメントは無くならない。

人が此の世に存在する限り無くなりはしない。

人は誰でも其の様な言動に走る。

「私はそんな言動はしないし、してはならない」

と声高に叫ぶ者の方がハラスメントの気質をお大いに持っている。

気付かぬだけである。

吾も其の様な言動に走る事が在る。

後になって、「ああ、しまった.....」と後悔する事茶飯事。

ハラスメントを無くす努力をどうこう云わぬが、「人=ハラスメント」なのだから、其れを躱す、又は受け流す術を学んだ方が早い。

努力しても報われぬのが9割5分である。

又、吾の様に周囲の凡ゆる人々から煙たがられるかも知れない。

其の対策として、報われる事に期待するよりも、人知れず自分自身を守る為の足固めに注心した方が良い。

吾は他人を信用しないが、他人も吾を信用しない。

多様性やジェンダーフリーを標榜する精神的奇形者

2025年04月05日 09時36分00秒 | 日記
「多様性」と云う言葉を振り翳して、凡ゆる所に土足で入り込む、昨今の風潮が気味悪い。

「多様性」を水戸黄門の印籠に如くバァーンと突き付けて、我が国の文化や伝統、伝統文化財を異国に晒しまくるインバウンド政策は、日本国と日本文化や伝統を破壊する。

伝統や文化には秘匿性が在る。

我が国の「祭」、「祭事」には其の土地だけに人知れず継承されて来たものが多く在る。

「多様性」を掲げ、其れを暴き出して面白半分に公開する。

数年前、福岡県宗像市の宗像大社と沖ノ島が世界遺産登録された。

此の聖域は、古来から原則女人禁制であり入島禁止である。

限られた神職や禊を行なった男子のみが年一回許される程。

宗像大社、沖ノ島には、古来の埋蔵物が当時の儘現存している。

だが、世界遺産登録と云う悪しき潮流に飲み込まれて、世界に公開してしまった。

其の後、当然ながら外つ国の異人がやって来て、又マナーやルールを遵守しない日本人観光客が大量に押し寄せた。

自治体は、或る程度のルールを設けたが其の甲斐も無く、立入禁止区域にもお構い無く入り込む。

観光客の無法ぶりに、流石の自治体が困惑した。

此の無法ぶりに、当時の知事は方針を撤回して、原則入島禁止に戻した。

「女人禁制」、「男子禁制」等と云えば、多様性やジェンダーフリーを喧伝する輩共が発狂する文言である。

宗教色が強い祭事の伝統継承を、此れらの忌まわしき言葉である「多様性」と「ジェンダーフリー」が其の国の受け継がれて来た伝統や文化を破壊する。

ジェンダーフリー等と云う、男女の境を無くしてしまうと云う自然の摂理を逸脱して捻じ曲げる愚かで邪な行為は必ず自然の摂理に反した弊害を自ら被る事になる。

神仏や大自然は決して罰は与えない。

自然の法則や摂理、流れに反する本人が自ら被る事になる。

己で己の首を絞めると云う、所謂、自傷行為である。

「多様性」や「ジェンダーフリー」を標榜し其れを良しとする哀れな連中は、被虐待的淫乱と云う精神障害の症状を潜在的に包含しているのである
 
解りや易く云えば、マゾヒズムの持ち主である。

精神的奇形とは恐ろしい。