「俯くな、下を見るな、顔を上げて前を向け」
と先輩や高明な御仁から尻を叩かれて来た。
明らかに失速していて、オーバヒートしかけているにも拘らず、「俯くな、下を見るな、顔を上げて前を向け」が吾を立ち止まらせてはくれなかった。
そうして突っ走っていた36の時、ついにオーバーヒートし心が折れ、壊れた。
家庭が在ったが、休息の地と思っていた家庭は更に吾を追撃した。
前にも書いたが、元嫁の二重生活と娘の種違いと云う裏切りが吾に追い討ちをかけた。
此れにより一時期、社会から離脱していた。
立ち止まる良い機会だったが、壊れた心で冷静に自分自身を見詰める事等出来はしない。
何もかも投げ出したかった。
此の時の自分は、祖母を思いやる事もなかった。
人生途上では、立ち止まり、しゃがみ込む事も大事である。
だが、立ち止まり、しゃがみ込む事は、或る程度自分自身を俯瞰出来る程の心の余白が無いと出来ない。
簡単に云う者がいるが、とても難しい事である。
心に余裕が無く、下を見ずに前だけを見る事に捉われていた吾は、色んなチャンスと幸せを見逃して来た。
今思い返してもどの様なチャンスと幸せだったのかは解らない。
今置かれている現状の真逆の事だったのかも知れない。
今更こんな事を云ってもどうしようもない。。
チャンスも幸せも、足下に在るのかも知れぬ。
前ばかりを見据える先にチャンス、幸せは無い。
立ち止まり、付図足下を見た時チャンスや解決策が転がっている。
吾は幾つも足下に在った幸せやチャンスを見逃して今日迄来てしまった。
見逃した幸せとチャンスの内容は一度切りである。
其の時の幸せとチャンスは、吾をどう導こうとしていたのだろうか.....。
此の先の人生は足下をよく見て、恐らく在るであろう幸せとチャンスを拾って行きたい。
幸せやチャンスは草林や物陰にそっと忍んでいる。
脚下照顧と云う仏教用語が在る
此れからの人生は、一度立ち止まって、己自身を顧みる(足下を見る)生活を心がけたい。