おも〜か〜じ(面舵)‼︎

祖母が脳梗塞に倒れる

実は、吾は祖母との二人暮らし。

記事には一人暮らしの様に書いていたが、二人暮らしである。

両親は出て行った其の先で他界したと風の便りで聞いた。

兄弟は居らぬ。

日曜日の昼、買い物から帰ったら祖母が倒れていた。

意識は在ったが呂律が回らず、足が動かない。

直ぐに救急搬送し検査した処、脳梗塞だった。

年齢は99歳で、日頃から自立で身の回りをこなし、料理もする。

シルバーカーで散歩に出掛けたりと、運動不足にならぬ様に頑張っていた。

併し、99歳と云えば超高齢である。

三種類在る脳梗塞の内の一つである、心原性脳塞栓症だった。

心臓に出来た血栓 が脳の血管に流れ込み、太い血管が詰まってしまった。

不正脈が在ったので、年齢的に心臓の機能が衰えていたのだろう。

吾は寝る前には必ず、水分を摂らせていた。

だが、心原性の場合はどうしようもない。

朝迄は元気一杯だったが、突然に脳梗塞が祖母を襲った。

吾が家を出たのが9時過ぎ。

帰宅したのが12時半。

どの時間帯に発症したのかは分からない。

救急車で以前世話になった○○病院へ向かうが、余りにも大きな脳梗塞の為、其処では処置が難しく、設備と専門の医師が居る別の△△病院に転送された。

暫く経って其処の医師が...

「おばあちゃんの状態ですけど、申し訳ないですが、超高齢、体力的、発症部位から外科的処置は出来ません。ですので、最初に搬送された○○病院へ戻って下さい。彼方の先生には話してありますので」

と、大腿部からのカテーテル挿入は無理で、投薬治療となった。

△△病院から○○病院へ戻る時、看護師からこう云われた。

「タクシー会社のストレッチャー付きの介護タクシーを呼んで戻って下さい」

「え?」

最初、此の看護師が何を云っているのか解らなかった。

何等かの形で送ってくれるのかと思ったがそうではなかった。

此れは吾が世間知らずなのか、態々送り迎えはしないのが通念なのだろう。

「タクシーが手配出来ましたら教えて下さい」

直ぐに手配し、処置しなければ祖母の容体は益々悪化する一方である。

だが、日曜日だからと云う事で近辺のタクシー会社に片っ端から手配をするが悉く断られた。

何が介護タクシーだ。

多くのタクシー会社は車両は整えてあるが、休日は介護資格を持ったドライバーは休みなのだそうだ。

交代で勤務するとか、そう云う事はしないのだろう。

万策尽きた。

時間はタクシー手配に30分以上掛ってしまった。

そうこうしていたら…

「未だ手配出来ませんか?早くしてもらえませんか!」

とキレ気味に云われ、頭を抱えた。

すると其の看護士が…

「普通のタクシーでも呼んで、戻って下さい。乗せる時には介助するので」

脳梗塞で半身に麻痺が在り、患者服がはだけた高齢の祖母をタクシーに押し込み、介助に来た数名の看護士はそそくさと立ち去った。

タクシーのドライバーは困惑していた。

「大丈夫ですか?責任持てませんよ」

「責任は問わないので○○病院までお願いします」

意識が朦朧としていて半身が麻痺の祖母を抱き抱えて○○病院に舞い戻った。

○○病院では看護士に待機して貰う様にタクシー内から電話をして待っていて貰った。

到着したら、救急車が別の患者を搬送した後だったらしく、救急隊員が手伝ってストレッチャーに乗せてくれた。

漸く入院する事が出来た。

時刻は17時を回っていた。

発症して入院迄に5時間かかった。

此の様な事は普通なのだろうか…。

吾は疲れた。

此処最近、こんな疲れた事は記憶に無い。

祖母は以前に、両脚の大腿骨の置換術をやっていて、寝た切りににならず其の度に立ち上がり自立歩行迄自ら回復させた。

「ワシは絶対に寝たきりにはならん」

と云っていて、辛かったリハビリもこなして来た。

でも、今回ばかりは其れは適わない。

右半身の麻痺、失語、思考と判断がゼロ...。

コロナ禍であり、原則面会は全面禁止。

特別の許可を得て祖母に会いに行った。

吾が呼び掛けても、何処か遠くを見る様に反応が無い。

恐らく、祖母自身も自分の身体の状態が分からないのだろう。

取り乱す事も無く、静かな表情で感情が無くなったみたいで、眼は無機質なガラス玉の様だった。

明るく、冗談を云い吾を笑わせてくれていた祖母はもう其処には居ない。

祖母の前で大泣きした。

「婆さん、ごめん。俺が買い物になんか出掛けるんやなかった」

だが、祖母は何事も無い無表情で外を眺めていた。

吾は帰りの車の中で泣いた。

帰宅して、暫く泣いた。

此れ迄の祖母の生き様と貧しかったが楽しい祖母との生活を思い出し、其処で声を上げて泣いた。

外での強い風当たりで疲弊した体を引き摺って帰っても、祖母との楽しい会話で疲れも飛んでいた。

だけど、吾の人生の師匠で心の拠り所だった祖母は居ない。

いつも帰宅したら、玄関に明かりが点いていた。

「お前が仕事から帰って、玄関が暗いのはいかんからな」

と、足下を気遣って明かりを灯してくれた祖母は居ない。

帰れば、数点の夕食のおかずが作られていて、換気扇から外に漏れ伝わる美味しそうな煮物の匂いはもう嗅ぐ事は無い。

仕事から帰宅して外灯の点かない暗い玄関を入り、疲れ切ってぼろ雑巾の様な体を引き摺って静まり返った部屋入り、に蛍光灯の紐を引っ張る。

いつもニコニコした笑顔でベッドに座って「おかえり、お疲れ様」と労ってくれていた祖母の姿は無い。

テレビを点けて見ているが、全く頭に入らない。

ただ、画面を凝視しているだけである。

職場には連絡して数日の休みを貰い、諸手続きに奔走した。

二週間後には○○病院を出て行かねばならず、病院内のケースワーカーに相談する事になってはいるが、自分なりに次の移転先を調べてみた。

とても家にいての介護は出来ない。

仕事をしながら、訪問介護を頼むにしても夜間は様子を見たり、下の世話をするとなると吾は睡眠出来ぬ。

此れでは共倒れとなってしまう。

入所と云う形で特別養護老人ホームの料金表を調べ捲った。

介護認定の度合いや非課税世帯(生活保護世帯)かどうかで色んな料金体系となっている。

吾の場合は、30日での月額が自己負担11万以上と出た。

非課税世帯は此の約半分で、此れは生活保護から出る。

祖母の年金を遣うにしても、二カ月で4万円程。

吾の毎月の薄給をぶち込んでも間に合わない。

此れでどうしろと云うのか…。

万策尽きたとは此の事か…。

もう一層の事、生活保護申請をしようかと本気で考えている。

○○病院のケースワーカーに相談して、使える行政サービスを使おうと考えている。

利用者付負担は、所得の状況から第1~題4段階に分かれている。

此の認定を受けるには、「介護保険負担限度認定証」を受ける必要が在る。
【利用者負担第1段階】
生活保護を受けている方、又は所属する世帯全員が市町村民税非課税で老齢年金を受けている方

【利用者負担第2段階】
所属する世帯全員が市町村民税非課税で、且つ課税年金収入額と合計所得年金額が80万以下の方

【利用者負担第3段階】
所属する世帯全員が市町村民税非課税で、利用者負担第2段階以外の方(課税年金収入額が80万円超え266万円未満等。

※利用者負担第4段階は、上記に該当する者が受ける恩恵が無い。

或る特養ホームの料金表を見ると、

30日計算で、

〈個室
※第1段階から第3段階は非課税世帯が対象なので割愛する。
【利用者負担第4段階】
①要介護1(103,408円)
②要介護2(105,673円)
③要介護3(108,004円)
④要介護4(110,268円)
⑤要介護5(112,499円)
〈多床室〉
※第1段階から第3段階は非課税世帯が対象なので割愛する。
【利用者負担第4段階】
①要介護1( 93,928円)
②要介護2( 96,193円)
③要介護3( 98,524円)
④要介護4(100,788円)
⑤要介護5(103,019円)

となっている。

恐らく、吾の場合は第4段階であろう。

若し施設利用するなら多床室である。

此の料金表は、或る特養老人ホームの例であるが、大体何処も横並びだった。

審査の結果によっては、第3段階になるかも知れぬ。

第3段階になれば、約6万前後なので何とか払える。

市役所に行って、駄目元で頼み込んでみようと思う。

沈み込んでいても事が進まない。

前に歩き出すしかない。

第4段階となったら、纏まったカネを借入れするしかない。

一筋の光明は未だ見えぬ。

漆黒の闇である。

サボテン達も何処か寂しげに見えるのは気のせいだろうか…。

今吾に在るのは、後悔と自責の念のみである。
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