おも〜か〜じ(面舵)‼︎

祖母が他界

一昨日の9:58分、祖母が他界した。

苦痛も無く、眠る様に101年の生涯を閉じた。

大往生だった。

看護師さんより、容体が低下したとの連絡を受け駆け付けた。

部屋に入ると、祖母は静かに呼吸していた。

モニターが表す血圧は70を切っていた。

「婆さん、来たよ」

当然返事は無い。

薄らと眼を開けてくれて、吾の方に顔を向けて小さく頷いてくれた。

間も無く心拍数が下がり初めた。

するとモニターの波形が0を表示した。

主治医から、

「9:58分 お亡くなりになりました」

主治医と看護師さんが一礼をし、吾も倣って一礼をした。

「其れでは、準備をしますので、其れ迄、一緒に居てあげて下さい。お別れが済みましたら声を掛けて下さい」

祖母が吾が来るのを待っていてくれたのだろうか。

祖母に別れを告げた後、葬儀屋に連絡して迎えを依頼した。

死去して直ぐの迎えは出来ない。

病院側が祖母の体を拭き上げて清め、髪や顔を整える死化粧を施さねばならない。

此の死化粧、生前中の苦痛や悶絶の表情が残らない為に施すものだが、入院中から亡くなる寸前迄、苦痛や悶絶は一切無かった。

入院してからは、元気な時よりも表情が柔らかくなり穏やかな顔をしていた。

亡くなる寸前も呼吸は静かで、穏やかで安らかな表情だった。

當に眠る様に逝った。

亡くなった筈の祖母を見つめていると、今にも眼を開けて呼び掛けて来そうな程だった。

胸の辺りを見ると、上下して呼吸しているんじゃないかと錯覚をする程である。

霊安室に移された祖母に再び会うと、綺麗に死化粧が施されていた。

髪は整えられ、頬は温かい色、唇は薄いピンク、光沢が有った。

幼少期から祖母と人生を共に過ごして来たが、祖母の化粧が施された顔を見たのは最初で最後だった。

「婆さん、別嬪さんじゃないか」

暫くすると葬儀屋が迎えに来た。

ベッドから搬送用の担架に祖母を移し替える時、吾も一緒にと云われ、足を持って。

1、2、3の掛け声と共に持ち上げた。

無事に搬送用の担架に移された。

祖母の足を持った時、軽かった.....。

食事と水分を摂れなくなり、身体が痩せ細っていた。

泣くまいと堪えていたが抑え切れず、憚らずしゃくり上げる様に泣いてしまった。

翌日の9/12(月)、身内も居らぬ吾は、小さくシンプルな葬儀を挙げた。

火葬場に着き、最後の別れをするべく、バーナーの点火スイッチを押した。

1時間半後、アナウンスが有り焼却室に向かった。

担当の方の指示に従って、橋渡しでお骨を骨壷に収める。

担当者の方が、

「骨がしっかりと形を留めておられますね。生前は身体を使って元気に過ごされていたんですね」

寝た切りの方だと殆ど骨が残らず、何れが手と足の指、肩、肩甲骨、尾骶骨、腰、膝、股関節かが判別が付かないと云う。

吾の祖母に場合は、各部位が判別出来る程だった。

2回の大腿骨骨折で、置換術を施した人工関節とボルト類が残っていた。

満身創痍の証である。

2人暮らしで、介助も要らぬ程に元気な祖母だったが、吾が常に側に居て気を付けてやればよかったが、2人生活する為には吾が働かねばならず、常に祖母の心配をしながら働いていた。

吾に甲斐性が無いばっかりに、祖母に苦労を掛け通しだった。

思い返せば、大正・昭和・平成・令和と4つの時代を生き抜いて来た祖母の強さには平伏するばかりである。

88歳の時に転けて右の大腿骨を骨折したがリハビリに耐えて自立歩行する迄回復。

93歳の時に散歩中に転けて、左の大腿骨を骨折。

此の時も、寝た切りだけにはなりたくないと根性で、自力歩行まで回復。

元来から百姓で身体が強かったのと、気持ちを強く持っていた事で、寝た切りにならなかったのだと思っている。

祖母は、自分の事よりも、先ずは他人の事を優先して行動する人だった。

だから、周りから慕われていた。

そんな強くて優しい祖母はもう居ない。

祖母との別れに、慟哭したい所だが、其の後の諸手続きが待っている。

年金を受給していたので、其の請求手続きをしなければならない。

未支給年金・未払い給付金請求書及び受給権者死亡届(報告書)である。

受け取りは吾になるので、祖母と吾との関係性が明らかとなっている戸籍謄本(抄本)が必要となる。

本来なら、祖母の子等でしか受け取れず、吾には其の権利は無い。

祖母の子等(叔父、叔母)に少しでも生計に関わっていれば、年金は叔父や叔母が受け取る事となる。

だが、叔父や叔母とは一切関わっていない。

共に生活をして生計を立てているとの証が在れば其の限りではない。

受給者の死亡を隠して年金を貰い続けると云う不正受給をする輩がいるが、そんな事をすれば祖母が浮かばれない。

後期高齢者医療保険証、介護保険被保険者証等の廃止手続きもしなければならず、煩雑であり涙に暮れている暇は無さそうだ。

生前に祖母は、

「ワシが死んで、居らん様になっても泣くなよ。此の歳迄生かして貰えて幸せだ。お釣りが来るくらいだ。泣かずに、喜んで祝ってくれ」

と。

諸手続きが終わったら、生前愛飲していたコーヒーを一緒に飲もうと思う。


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