片足が切断された男

2023-03-05 22:03:28 | 日記

2才に交通事故に遭い、

農業トラクターにひかれて、

片足の切断が余儀なくされた。

 

義肢を付けていないのはお金がないからかもしれないが、

その代わりに松葉杖が意のまま使えるようになった。

就職活動もしたが、

足が不自由だから採用してくれる企業が全くなかった。

差別で溢れる世の中に怯えることなく、

いろいろ苦労して、二十代の時、やっと屋台を出して、

なんとか食べるようになった。

 

こんな苦しみの多い人生を生きてきたが、

ある女性に見込まれて、幸せな結婚を実現した。

今の夢はと聞かれると、夫婦と一人の小さな子供の生活を支えるよう

毎日頑張ることと答える。

 

平凡だが平凡でもない人の素晴らしい人生には驚嘆するばかりだ。

最近、上野千鶴子さんの『女嫌い』を読んでいるが、

女は男個人よりもその人の男性集団でのポジションに

「発情」するみたいな論断をされたのが印象的だが、

先の例を見ると、

主人公の男はお金も権力も顔もない

社会の隅っこに忘れられるほどの哀れな存在に違いないが、

女性がこんな人までに惹かれること自体が

上野さんの論点を否定しているのではないか。

大体、社会学者や哲学者などは経験から

あるパターンを模索しようとするのだ。

人類の行動を判明するには、

そのような解読が効果あると否定的ではないが、

連続的なスペクトラムのようなものを

無理して2分化するトライも多いことも忘れられない。

理屈を付けて天地を裁くような

無理難題を提起して

それを天下に広めようとするのは

社会学や哲学に従事している人の仕事ではないか

と思う時もある。

一見して問題なさそうな「発見」でも、

後になって、辻が合わなくなり、

破綻してしまうケースがよくなる。

例を挙げると、地主が圧迫者で悪いものとすると、

全ての土地所有者が打倒される結果に繋がり、

ソビエットや毛時代の中国のようなとんでもない大惨事に発展するかもしれない。

女性主義もそのような傾向があるのではないか。

ひょっとしたら、利害関係を入れずに他人を温かい目で見れる

人性の善があることは軽視されるかもしれない。

 

 



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