多田氏は1934年生まれの免疫学者である。
この記事の中で、多田氏は、自分たちが生きてきた時代を振り返り、それが、今の日本にどのように影響しているのかを省みる。膨大な消費エネルギーによって生じた二酸化炭素による環境破壊、作り出した核エネルギーによる核戦争が破壊した人間のモラルなどの負の遺産は、子や孫たちの世代の存続さえ危うくしている。その波及は、昨今の若者による無差別殺人や老人の生命を軽視した医療政策などに至り、これらの根は繋がっているのではないか、と多田氏は推察する。そして、それは、自分たちが豊かさを追い求めて突っ走った結果であるとの考えから、子や孫の世代への謝罪の気持ちを述べられている。
謝罪のあと、多田氏は次の世代への助言をしておられる。
まず、経済至上主義、成長神話を考え直し、新しい価値観を構築すること。そのためには、物事を近くから見るのではなく、遠い眼差しをもって全体を見る目を養う必要がある。
次に、自然(生命)と伝統を生きる原点に据えること。自然は万人が認めなければならない価値で、伝統は日本人の規範を教えてくれるものだからである。
最後に、多様性の価値を認め、その中でアイデンティティーを守るという原点に戻って、地球の未来を創造してほしいと訴えておられる。
多田氏の助言を読むと、その考え方の根本にあるものは、俳句や俳句の座と通じていることに気づかされる。
遠い眼差しをもって全体を見る目は、目の前にあるものから本質を見る目である。自然と伝統を原点に据えていること、多様性の価値を認めながら、アイデンティティーを守ること、どれも、私たちが毎日触れている俳句の世界に通じているのではないだろうか。
つまり、水煙という句座に連なる私たちは、次世代を明るいものにするための原点をよく理解し、各人が、その一助となることのできる存在なのだと思う。
俳句を作る傍らの花や動物を通して、子や孫、家族たちに、いのちの尊さ、いとおしさ、美しさを伝える、そんな当たり前のさりげないことこそが、次世代のための、大きな財産になるような気がしてならない。
多田 富雄(ただ・とみお)
1934年3月31日、茨城県結城市生
1959年千葉大学医学部卒業
東京大学名誉教授、免疫学者
能楽への造詣が深く、新作能も手がける。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E5%AF%8C%E9%9B%84
この記事の中で、多田氏は、自分たちが生きてきた時代を振り返り、それが、今の日本にどのように影響しているのかを省みる。膨大な消費エネルギーによって生じた二酸化炭素による環境破壊、作り出した核エネルギーによる核戦争が破壊した人間のモラルなどの負の遺産は、子や孫たちの世代の存続さえ危うくしている。その波及は、昨今の若者による無差別殺人や老人の生命を軽視した医療政策などに至り、これらの根は繋がっているのではないか、と多田氏は推察する。そして、それは、自分たちが豊かさを追い求めて突っ走った結果であるとの考えから、子や孫の世代への謝罪の気持ちを述べられている。
謝罪のあと、多田氏は次の世代への助言をしておられる。
まず、経済至上主義、成長神話を考え直し、新しい価値観を構築すること。そのためには、物事を近くから見るのではなく、遠い眼差しをもって全体を見る目を養う必要がある。
次に、自然(生命)と伝統を生きる原点に据えること。自然は万人が認めなければならない価値で、伝統は日本人の規範を教えてくれるものだからである。
最後に、多様性の価値を認め、その中でアイデンティティーを守るという原点に戻って、地球の未来を創造してほしいと訴えておられる。
多田氏の助言を読むと、その考え方の根本にあるものは、俳句や俳句の座と通じていることに気づかされる。
遠い眼差しをもって全体を見る目は、目の前にあるものから本質を見る目である。自然と伝統を原点に据えていること、多様性の価値を認めながら、アイデンティティーを守ること、どれも、私たちが毎日触れている俳句の世界に通じているのではないだろうか。
つまり、水煙という句座に連なる私たちは、次世代を明るいものにするための原点をよく理解し、各人が、その一助となることのできる存在なのだと思う。
俳句を作る傍らの花や動物を通して、子や孫、家族たちに、いのちの尊さ、いとおしさ、美しさを伝える、そんな当たり前のさりげないことこそが、次世代のための、大きな財産になるような気がしてならない。
多田 富雄(ただ・とみお)
1934年3月31日、茨城県結城市生
1959年千葉大学医学部卒業
東京大学名誉教授、免疫学者
能楽への造詣が深く、新作能も手がける。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E5%AF%8C%E9%9B%84
これからの世代への助言としてあげられている「新しい価値観を構築するために遠い眼差しをもって全体を見る目を養うこと」「自然(生命)と伝統を生きる原点に据えること」「多様性の価値を認めること」は素直に心に入ってくる言葉です。
多田氏の言葉を俳句や俳句の座と通じることだと捉えられていることも大きく頷けます。本質を忘れずに日々の俳句づくりを続けていこうと思います。子どもたちに伝統としての俳句を通して、自然の素晴らしさ、生命の尊さを感じてほしいと思います。そして、互いの多様性を認め合える、そんな人間関係を築いていきたいものです。地道な活動を続けることで少しずつでも荒んだ人間関係を修復し、生きやすい社会にしていけるのではないかと考えています。
愛代さま、貴重な投稿をありがとうございました。
コメントをありがとうございます。こちらに転記させていただきました。ご専門の心身医学の分野からアプローチされたお言葉を興味深く拝読し、勉強させていただきました。
多津子さま
コメントをいただき、ありがとうございます。未来を担うたくさんの子供たちと触れあう現場におられる方の、「地道な活動」というお言葉に、力強いものをを感じさせていただきました。
2008-06-29 22:24:31
よませていただきました。達意の文章で多々参考に菜りました。ました。私も多田富雄さんの論説を偶々見かけまして、我々高齢者が戦後豊かさを求めて突っ走ってきて環境破壊や人命軽視を惹起したことを率直に次世代に謝罪し、今後は自然と伝統を生き方の原点に据えては?と提言しておられるのに大いに共感しました。俳句にも通じる、次世代を明るくするための俳句とのご指摘ご提言、誠にそのとおりと存じます。有難うございました。
感想文をありがとうございます。
「謝罪する」ことがよいのかどうかは別にして、今までの過去のひとつひとつの事実の積み重ねの上に現在はあるのだと思います。
確かに悲観すべき事柄の多い「現在」の日本ではありますが、個人的にはもっと複合的な、さして、もっと身近なところにも原因があるのではと思います。
それはさておき、「自然(生命)と伝統を生きる原点に据えること」ということには、共感します。
愛代様が書かれておられるように、「その考え方の根本にあるものは、俳句や俳句の座と通じている」と私も同感です。俳句を勉強するようになって、物の見方と言うものが確かに変わりました。意識的にではなく、正に、当たり前のように。「花や動物を通して、子や孫、家族たちに、いのちの尊さ、いとおしさ、美しさを伝える、そんな当たり前のさりげないことこそが、次世代のための、大きな財産になるような気がしてならない。」ということは、意識的に出来るものではなく、無意識のうちに、当たり前のように出来るようになりたいものです。
そういったところに、信之先生のいう「嘱目を大切にしたい」という思いと重ねて感じさせてもらいました。
最近、世間を騒がす事件を思うたびに日本はどうなって行くのだろうと心を痛めます。その要因は詰まる処、人としての資質の欠落、倫理観の欠如です。戦後の経済的急成長の物的豊かさの授受の陰で知らず失った大きな翳であろうと思います。教育の原点は家庭の躾けにあり、普段身についたものが人格を作ってゆくものと信じています。戦後教育で大きく変ったものは親の躾けに始まる一番大事な幼児やこども期の情操教育の薄れであり、学校教育の場だけに押付ける言動などに見られる変質だろうと私は思います。戦後60余年、世代交代を重ねて来た大人達も、夫々世代の親自体が気付いている筈の失ったものを謙虚に受止め足元から変える努力が必要です。昔は他人の子であろうと我が子であろうと同様に善悪を説き、社会が戒めたが、今、その姿は殆ど見られぬ。取り戻す努力が必要です。
皆さんが言われた様に、私自身俳句を始める様になってから物の見方が随分多様になり、自然や生活事象もとても情感を持って広く捉えたり、他人の思いを受入れる寛容さも培われて来た様に思います。最近医師の告知を受けて以来、今まで頭の中でしか捉え得なかった人の命の時間を現実のものとして、今を感じ取る思いは一層強くなりました。わが師を始め新スタッフが目指そうとする俳句の場は勿論ですが、師を中心に教職に身を置く水煙会員各位が子供俳句の普及に深い思いいれを持って教育に取り入れなさろうとする姿に日頃より只々敬意を表するものです。俳句を詠む心は大きく人の心を読める人格の形成に繋がることを信じて疑いません。 多田富雄氏の論拠が俳句の目指すものに繋がることは、日頃わが師が説かれている俳論に他ならないと思います。本件の感想文からは少なからず逸脱したものになりましたが思いを述べさせて頂きました。
思いのこもったコメントをいただきまして、ありがとうございます。泰次さまが、一日一日を、漫然とではなく、一層強くなったと仰る「今を感じ取る思い」とともに生きておられることを感じながら拝読いたしました。
お身体を、どうか大切にお過ごしくださいませ。