◆新聞を読んで/臼井愛代◆

俳句雑誌「水煙」編集人

○日本経済新聞6月12日朝刊、「秋葉原無差別の殺意(下)」

2008-06-28 14:06:55 | Weblog
先日、東京秋葉原で起きた無差別殺人は、社会を震撼させる出来事だった。
水煙誌8月号の「選後に」で、高橋正子先生も触れておられる、「仮想と現実の錯綜」が関係している事件と思われる。
日本経済新聞六月十二日朝刊、「秋葉原無差別の殺意(下)」の記事には、
秋葉原の街が、ある人たちにとっては仮想と現実が交錯する異空間となっており、
「何でもあり」の無法地帯となっている現実が紹介されていた。
この、無法地帯というのは、私たちが普段使っているインターネットの世界にも当てはまる言葉だ。
インターネットは便利な手段ではあるが、あくまでも、現実の生活でできないことを補填する手段である。
また、使い方を間違うと危険なものにもなりかねないことを忘れてはならない。
水煙は、インターネットに取り組み始めた当初より、高橋信之先生が、そのセキュリティの構築のために心を砕いておられる。
私たちが水煙ネットに安心して参加できるための、目に見えない部分の恩恵があることを忘れてはならないと思う。
この、セキュリティは、水煙誌8月号の表紙裏、高橋信之先生の「私たちの俳句」にあるように、
「少人数」の仲間だからこそ守れるものでもあるのだろう。

「秋葉原無差別の殺意(下)」の記事は、
秋葉原再開発にかかわった、産学連帯推進機構の妹尾堅一郎理事長の、以下の言葉で結ばれている。
「今後は人を集めるだけではなく、安全に帰す街になる必要がある。
ここに集う人が自主的に団結し、街を守ろうとする動きが出ることを期待する」
この言葉を借りれば、水煙という場所が、人を集めるだけの場所ではなく、
集う人の安全に配慮する場所になるように、今後も、そのセキュリティが重視されることは間違いない。
そして、水煙に集う私たちの連帯感がセキュリティの一端を担うのだという事を、
一人一人が自覚することが大切だと思われる。

2 コメント

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感想 (池田多津子)
2008-06-29 23:45:21
 「仮想と現実の錯綜」は今の子どもたちを見ていて、とても気になることです。体験が減っていく子どもたちにできるだけ実体験を積ませたいと思います。
 信之先生が寝る間も惜しんで管理していただいていることを忘れてはならないと思います。インターネットのことを知らないと、その苦労がどれだけのものか分かりません。関係ないかもしれませんが、人権に関する学習では「相手のことはよく分からないということを自覚する」ことがスタートだと学びました。分からないと自覚すると知ろうと努力を始めるから。「わたしは知っている」と思うのは傲慢だと…。
 「水煙に集うわたしたちの連帯感がセキュリティの一端を担うのだと自覚する」こと、よく分かりました。ありがとうございました。
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多津子さまへ (臼井愛代)
2008-06-30 00:19:22
多津子さま
コメントをいただき、ありがとうございます。信之先生、正子先生が、私たちの目に見えない部分で、水煙のために夜も昼も無くどれほど多くのことをしておられるのかということを、私も、先生のお近くで事務局のお仕事をさせていただくようになって初めて知り、そのご苦労を実感した次第です。多津子さまがおっしゃるように、私たちはそのことを忘れてはならないと思います。
人権に関する学習の、興味深いお話をありがとうございました。相手を知ろうとすることは、相手の立場になって考えるという一歩なのだと思います。そこから、他人への思いやりなども生まれてくるような気がします。
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