一瞬のいま

生涯一教師のあゆみ

自分を見つめる機会

2010年12月31日 | 教師修行
  自分を見つめる機会


 ◆キャンドルサービス
  23日は、キャンドルサービスに参加。
  ※家内の通っている教会。
  クリスチャンでない私も、毎年参加している。
  年に1回だけ、たなばたのようなものだ(笑)
  牧師さんの人間性がすばらしい。
  私に似ているところもある。
  ※激しいところ、強いところ。
  教会の人たちも、すばらしい方ばかり。
  話がおもしろい。
  私も加わり、男性陣で話をする。
  爆笑の連続だった。
  私が話したこと。
  ・自分が無意識に言ったことを、子どもが覚えている。
  ・かつての教え子が、手紙(メール)をくれる。
   その子がつらいとき、何かを乗り越えたとき…
   私のところに便りが届く。
  「先生の言葉が、救いでした」
  「苦しいとき、先生に書いてもらった言葉を見ました」
  などなど。
  28年も教師をやっていると、いろいろなドラマがある。
 
  私は何を言ったか、覚えていない。
  でも、子どもははっきりと覚えている。
  20年たっても覚えている。
  意識して指導したことは、伝わらない。
  無意識に言ったことが、心に入っていく。
  教育の深さを感じる。
  教師の一言が、その子を支えることがある。
  教育の怖さを感じる。
 
  子どもではない。
  自分自身を高めることだ。
  自分自身を深めることだ。
  自分自身を広げることだ。
  話をしながら、自分自身に話しているのだと思った。
 
  牧師さんの話では、「不完全な者同士が~」が心に残った。
  完全を求めると、お互いが不幸になる。
  なるほど。
  相手を責めるのは、「完全を求める」からかもしれない。
  今年は…人間関係リセットの年だった。
  自分から、関係を切ったことが多かった。
  あまりにも、ないがしろにされたから…
  相手は、そう思っていない。
  切るにしても、切り方を考えるとよかった。
  ズバッと切ってしまった(笑)
 「相手に求めない」
  かなりできるようになってきたと思ったのだが…
  できていないことがわかった。
  まだまだ、修行がたりない。
  教会の方々と話すことで、自分を見つめることができた。
 
 
 
  

自分を見つめる機会

2010年12月31日 | 教師修行
 
  自分を見つめる機会


  ◆校内研
 
  保健の授業。
  担任、養護の先生、栄養士の先生によるコラボ授業。
  とても、よかった。
  子どもが、45分間集中した。
  メリハリがあった。
  その他いろいろ、いいところがたくさんあった。
  練りに練り、練り上げられた授業だった。
  ほとんど無駄がない。
  「無駄」のない授業を、久しぶりに見た。
 
  いっしょに研究してきた者にしかわからない。
  多くの方は、1時間の授業だけを見る。
  それを見て、ああだこうだという。
  私の場合は、過去・現在・未来を見る。
  今回は、取り組み(授業までの過程)を見たのだが…
  見なくても、だいたいのことはわかる。
  たとえば、学級の様子。
  ・以前の実態
  ・担任の思い
  ・これまでの取り組み
  ・成果と課題
  などなど。
  透けて見えるのである。
  指名の仕方一つ見ても、いろいろなことがわかる。
  ・誰を指名するか。
  ・どんな順番で指名するか。
  など。
  同じ発言させるにも…
  ・その場で発言させる
  ・グループでの話し合い後に発言させる
 
  教師が指名。
  挙手指名。
 
  発言するときの指導。
  ・みんなの方を向かせる。
  ・後ろの子は、一番後ろに行って発言。
   聴き手は、後ろを見る。
 
  トーク
  軽妙な受け答え。
  アドリブ。
  などなど。
 
  指導案通りに進めない。
  臨機応変に、進めた。
  最後に感想を発表させる予定もカット。
  目当ての発表に変更した。
  「臨機応変の授業」
  ほとんど見たことがない。
  どんな状況でも(笑)指導案通りに進める人が多い。
  子どものための授業なのか。
  指導案のための授業なのか。
  わからない授業が多い。
 
  今回の授業は、間違いなく「子どものための」授業だった。
 
  栄養士の先生も、「骨がすかすか」の部分でアドリブ。
  私にふってくれた。
 「杉渕先生のように50代になると~」
  爆笑だった。
  今までに、なかったことである。
  ちょっとしたことだが、大切。
  授業の潤滑油となる。
  笑いが、雰囲氣をつくる。
 
  協議会では、いろいろな意見が出された。
  しかし…
  理想論が多い。
  空論といってもよい。
 「できっこないでしょう」
  あの時間、あの密度で、あれ以上の授業は難しい。
  やらない人間は、わからない。
  すばらしい時間、すばらしい空間だった。
 

上達論 習字&SOHRAN

2010年12月31日 | 上達論
  ◆上達論
  2学期終了とならないのが、二期制。
  途中で冬休みになる…
  違和感あり。
  すべてが、中途半端。
  
  実践は、中途半端ではない。
 
  ★習字
  まだ、指導途中。
  全体的には、かなりよくなってきている。
  特筆すべきは、「名前」。
  私の指導は、名前から入る。
  一生使うものから教えるのである。
 
  今、それぞれの課題に向かって取組中。
  毎回、上達している。
  ・課題を見つける。
  ・コツを知る。
  ・練習方法を知る。
  ・練習する。
  このような手順で、練習している。
  ・始筆の開始位置
  ・角度
  ・いろいろなポイント
  などなど、細かいところまで教える。
  
  量ではなく質を重視した練習。
  ただ書くだけでは、変な癖がつくだけ。
 
  きちんとした練習が必要。
  全体的には、すごく上達している。
  「上達論」に乗ってきた。
 
 
  ★SOHRAN
  習字と同様、質を重視した練習。
  違う点は、自分が見えないところである。
  一つの動作に時間をかける。
  ゆっくり動く。
  ぴたっと止まる。
  かなりの時間、ストップさせる。
  「型」を決めるのである。
 「疲れる」
 「筋肉が痛い」
  それはそうだろう。
  昔の中国拳法のような練習。
  心臓に負担がかからない分、筋肉に負担がかかる。
 
  習字にくらべると、進歩が遅い。
  SOHRANは、高度なのだ。
  「上達論」に乗っては来たが…
  まだまだ、時間が必要。