一瞬のいま

生涯一教師のあゆみ

180度の違い

2005年10月30日 | 匠の技
 こんなことがありました。
 ほんの些細なことです。
 給食のかたづけ
「○○ちゃん、ちょっと通してくれる」
「うん」
 
 私は感心してみていました。
 うーん、いいなー。前だったら「そこどいて」といっていたのにな…

 「通して」と「どいて」
 話し手は同じような意味で使っています。
 しかし、受け手はそう思いません。
 「どいて」といわれて、いい氣持ちがする人はいないでしょう。
 なにか、ないがしろにされている感じがしませんか。
 相手の意志を無視 強行突破の「どいて」
 相手の意思を尊重 やんわりの「通して」
 
 いわれてみるとわかります。
 
 使うときは無意識に 罪の意識はありません。
 相手を配慮しているつもりになっています。
 しかし、現実は相手無視になるのです。
 配慮は、言葉に表れます。
 
 言葉かけによって、結果は180度違ってきます。
 天国と地獄です(経験者は語る…私は何度も…)。
 考えないと、地獄へ直行!
 もっと、言葉を選ばなくては。
 
 子どもに学びました。

わずかな違い

2005年10月28日 | 匠の技
 家族旅行をしました。
 土産を選んでいるときのことです。
 (その地方の焼き物の)コーヒーカップです。
 氣に入ったたものは、2つの店にありました。
 それぞれの店で、1つずつ買うことにしました。
 1つの店は、事務的な感じを受けました。
 お釣りをもらおうと手を出したら、投げるように下に置かれました。
 「ありがとうございます」の一言もありません。
 すぐ次の客の会計をはじめました。
 温厚な私も(笑)、かちんとしました。
 次の店に行きました。
 店員さんがにこにこしています。
「どちらからいらしゃったんですか」
「○○をごらんになりましたか。あそこはいいですよ」
と、声をかけてくれます。
 買い物をして、お釣りをもらうとき…
「どうも、ありがとうございました。お釣りでございます」
 ていねいに そっと、両手でお釣りを渡してくれました。
「ご旅行、楽しんでくださいね」
 すっかりいい氣分になって店を出ました。
 
 同じことでもこれだけ違います。
 ほんのわずかなことですが、私の感情は180度違いました。

 教育でも、この「わずかな違い」が大切だと思いました。
 「わずかな違い」が、結果として大きな違いになります。
 子どもが伸びるか伸びないか…わずかな違いではないでしょうか。

タイミング

2005年10月24日 | 匠の技
 私には2人の子どもがいます。
 下の子は女の子、由紀子といいます。
 がんこです。「そっくり」といわれます。
 親がいくらいっても、納得しないとやりません。
 似ていますね、だれかさんに(笑)
 由紀子が5歳の時のことです。

「おとうさん、カルタやろう」
 冬休み、カルタをやろうといいにきました。
 そういえば、最近文字に興味を持ちだしたようです。
 さっそくやりました。
 上の子は、男の子、1年生です。
 結果は、上の子の圧勝。
 下の子は、大泣きしました。
「由紀負けたー、竜くん(りょうといいます)勝ったー」
 一度泣き出すと、なかなか止まりません。
 なだめるとよけいに泣きます。
 すごいライバル意識というか…
 下の子は、負けず嫌いですね。
 これまた似ています。
「じゃあ、由紀子一人でやろうか」
 私が読み、一人で取らせました。
 これなら、大丈夫です。
 ときどき、私も取るふりをしました。
「あー、お父さん取ろうと思ったのに、由紀が取っちゃったー」
 と泣くまねをしたり。お父さんは、大変です。
 
 2日もやると、取るのが速くなってきました。
 言葉を全部読まないうちに取るようになりました。
 「お父さん、『わ』ってどれ」というように、聴かなくなりました。
 覚えてしまったようです。絵で覚えたんでしょうね。
「今度は、由紀が読む。お父さん取って」
 自分が読むと言いだしました。
「これ、なんて読むの?」
 最初から、これです。
 えらく時間がかかりました。
「わ…に…な……」
 視力検査のようです。
 ようやく1回終わりました。
「もう1回やる」
 2回目スタート。
 この日は、3回やらされました。いや、やりました。
 
 次の日、またやりました。
 どんどん読み方がうまくなっています。
 「これなんて読むの?」と聴くことも少なくなってきました。
 わからないときは、上の子が使っている「ひらがなポスター」なるものを見て、自分で探しています。
 そうこうしているうちに、ひらがなを全部覚えてしまいました。
 
 家内がいくら教えても、覚えなかった子が…
 自分から字を覚えたのです。
 カルタをやることで、一氣に覚えてしまいました。
 上の子と試合をしても、かなり取れるようになりました。16枚くらい取ります。
 
 ものごとには、タイミングが大事だとあらためて思いました。
 いくらいっても、子どもがその氣にならなければ効果はありません。
 子どもがその氣になったときがチャンスですね。
 こんなときは、徹底的につきあいます。
 こちらがあれこれいわなくても、子どもは自分でやります。
 自分で伸びます。
 すごいエネルギーです。
 
「お父さん、由紀がいっしょにカルタやってあげるね」
 おかげで、私も読み札のほとんどを覚えました。

切りかえ

2005年10月20日 | 匠の技
終業式のことです。
 終業式のあと、生活指導主任が冬休みの過ごし方について話しました。
「みなさん……早寝早起きして……食べ過ぎないように……あいさつをきちんと…」
などなど。
 どこの学校でも見られる光景ではないでしょうか。
 どこかおかしいと思いませんか。
 自分にできないことを子どもにいうのはどうでしょう。
 
 子どもには「早寝早起き」といっているのに、自分は「遅寝遅起」していませんか。
 特に、正月ですからね。ふだんと生活のリズムが違うのは当たり前だと思います。
 それを普段通りにやりなさい というのは無理ですよ。
 普段通りだったら、正月ではなくなってしまうのでは?
 
 子どもたちは、敏感です。
 「あの先生は、えらそうなことをいっているけど、自分ではやらない」
 一発で見抜かれてしまいます。
 それがわからないのは教師だけです(笑)
 
 私は次のようにいいました。
「遅寝遅起、大いにけっこう。正月しかできないことを楽しみましょう~」
 その他いろいろいいました。
 もちろん、教師らしいこともいいました(笑)
 
 お正月を思いっきり楽しんだ子は、3学期にはいるとすぐに氣持ちを切りかえられます。
 中途半端だと、なかなか切りかわらないのです。


「氣持ちを切りかえなさい」
といいつつ、「お正月どうだった」と聴いたり、正月についての作文を書かせたり…、ゲームをやったり…
 子どもは氣持ちを切りかえようとしているのです。
 休み氣分を引きずっているのは教師です。

 私の場合、始業式から授業をします。

ちょっと一工夫  とっさの一言

2005年10月16日 | 教師修行
 冬休みのことです。
 公園で子どもたちが遊んでいました。姉妹のようです。
 羽根突きをしていました。
 何度やっても、お姉ちゃんが勝ちます。
 しまいに、小さな妹は泣き出してしまいました。
 どうするかな?
 今度は手加減してやるのかな?
「ねえ、どっちが勝ったじゃなくて、何回続くかやろう」
 妹がぴたっと泣きやみました。
 さっきまでとは別人です。
 にこにこしてやっています。
 どんどんうまくなります。
 20回以上続くようになりました。
 
 私は、すっかり感心してしまいました。
 勝ち負けにこだわる妹、悔し泣きする妹の態度が一変しました。
 お姉ちゃんの一言で。
 実に見事な一言です。
 とっさの一言 なかなかいえるものではありません。
 勝ってうれしい人がいれば、負けて悔しい人がいます。
 勝負の宿命ですね。
 それを変換しました。
 勝負から記録づくりへの変換です。
 どちらかから2人でへの変換です。
 勝ち負けはありません。
 2人が力を合わせないと記録は伸びません。
 自然に力を合わせます。
 相手の打ちやすいところへ打ちます。
 どんどん上手になります。

 学級づくりの秘訣は、このへんにあると思いました。
 

ちょっと一工夫  よけいな一言

2005年10月15日 | 教師修行
 15年くらい前のことです。
 職員室で仕事をしていました
 1年生が、やってきました。
「先生、校庭にお金が落ちていたのでもってきました」
 その女の子はいいました。
 まわりにいた教師たちはなんといったでしょうか。
 「ありがとう」と軽くいったあとに、
「職員室に入るときは、『失礼します』っていうんですよ。黙って入ってきてはいけません」
などなど、3人がいっていました。
 私は、思わずいってしまいました。
「なんで、よけいなことをいうんですか。あの子は、遊びの途中で、お金をもってきたんですよ。やりたいことをやめてもってきたんですよ。どうして、ほめてあげないんですか」
 シーン。

 どうしてよけいなことをいうのでしょうね。
「ありがとう。遊びをやめてもってきてくれたんだね。どうもありがとう」
といってあげないのでしょうか。
 ポイントをはずしています。
 ずれています。

 これを毎日やられたら、子どもはたまったものではないでしょうね。
 
 よけいな一言 あなたはいっていませんか。
 私も、よくいってしまいます。いってから「しまった」と思います。
 どうも、変な教師根性が抜けませんね(笑)

 子どもを伸ばすのも一言、殺すのも一言
 よけいな一言 いわないようにしませんか。

ちょっと一工夫 目的が変わってしまう…

2005年10月14日 | 匠の技
 大事なのは、授業を通して子どもを伸ばすことではないでしょうか。
 いつの間にか、忘れ物をさせないことに意識がいっています。
 子どもを伸ばすことを忘れています。
 これが本当の「忘れ物」なんですけどね。
 
 ともすると、最初の目的を忘れてしまいますね。
 人間の習性でしょうか?
 
 まずは、原点にかえりましょう。
 「授業を通して子どもを伸ばす」にかえります。
 
 そうはいっても、忘れ物で困っていることは事実です。
 何とかしなければと思います。
 ここで、多くの方が間違います。
 子どものせいにしてしまうのです。
 「忘れ物する子が悪い」と思ってしまうのです。

 子ども側から見てみましょう。
 だれだって「忘れ物をするのはよくない」「自分が悪い」とは思っています。 その子なりに、反省もしています。
 しかし、教師にいわれるとかちんとくるのです。
 意地になるのです。
 なぜって?
 先生が、自分に対して何もしてくれないからです。
 冷たいからです。
 厳しく注意されたり、怒られたりすると、子どもは「自分は愛されていない」と思ってしまいます。ですから、教師の思いと逆の方向に走ってしまうのです。
 まずは、あたたかく接しましょう。
 忘れた子のために、いろいろとグッズを用意しておきましょう。鉛筆、赤鉛筆、消しゴム、教科書、ノート、絵の具など。
 子どもたちは、安心します。「この先生は、忘れ物をしても怒らない」「怒らないどころか、にこにこして貸してくれる」とうれしくなります。
 自分が困ったとき、先生は助けてくれる。「ぼくが悪いのに、先生は、ぼくを責めない。それどころか、フォローしてくれる」と思うようになります。

 このように子どもに接します。
 子どもたちは、だんだんいうことを聴くようになります。
 なぜって?
 人間は、自分を愛してくれる人のいうことはよく聴くものだからです。
 みなさんだって、そうではありませんか。
 
 同じことをいわれても、素直に聴けるときと、反発するときがあるでしょう。 この人のいうことは聴きたくない!と思うことはありませんか?
 その通りだけど「こいつのいうことは聴きたくない」と思うことはありませんか?
 私はありますよ(笑)

 子どもにあたたかく接しましょう。恋人に接するように。
 思っていてもだめです。
 具体的に。

本当の忘れ物

2005年10月11日 | 匠の技
「うちのクラス、忘れ物が多いんです」
「専科の授業に行くとき、何も持っていかないんです」
という話を聴きました。
 忘れ物で苦労しているようです。
「口が酸っぱくなるほど、忘れ物をしないようにっていっているのに…」
 どこでもありそうな光景ですね。
 これで忘れ物がなくなったら、教師はいりませんよ。
 ただ口だけで指導しているだけです。忘れ物をさせないための工夫がありません。
 これはプロの指導とはいえません。
 読者のみなさんは、どんな工夫をしていますか。
 えっ、私ですか?
 私の場合、何もしていません。
 忘れ物についてあれこれいうことはありません。
 忘れ物は、バロメーターの一つだと思っています。
 授業がおもしろくない、教師への反抗などが、忘れ物という形としてあらわれると考えています。
 ですから、忘れ物をなくそうとやっきになるのは、本末転倒です。私の場合は。
 忘れ物をする原因は、他にあるのです。直接そのものを指導しても直りません。
 指導すべきは、他にあるのです。
 まずは、教師の姿勢です。
   ・持ってくるのが当たり前という傲慢さ。
   ・いえばできるという安易な心。
  この意識が変わらない限り、子どもを責めます。自分の指導不足を棚に上げます。子どもたちは、教師の傲慢さを敏感に察知します。そんな教師のいうことを聴きたくないのです。
  忘れ物は、教師の傲慢さを教えてくれるメッセージなのです。
  意識を変えましょう。
    
 授業がおもしろければ、忘れ物する子は少なくなります。努力すべきは、授業なのです。自分の授業がよくないのを棚に上げ、子どものせいにするのはやめましょうね。

ちょっと一工夫  ちょっと間って

2005年10月10日 | 匠の技

お礼をいわないのは

 「ありがとう」をいわないわけ
「お礼をいわないんだから」
 何かをしてあげたのにお礼をいわれなかったことはありませんか。
 私はよくあります。
 例えば、次のようなことがありました。
「先生、一輪車なおして」
サドルが曲がってしまったのでなおしてほしいというのです。
 なおします。
「はい」
「あっ、なおった」
といっていってしまいました。
 これは一つの例です。
 しかし、同じようなことはたくさんあります。
 礼儀知らずな人が多いのでしょうか。

 ちょっと待ってください。
 ほんの少し工夫すると、違ってきます。
 
 なおします。
「はい」っとはわたしません。
「ちょっと、乗ってごらん」
「ちょうどいい」
「よかったね」
「ありがとう」
 なおったとき、子どもの頭の中は「なおったー」でいっぱいなのです。
 お礼のほうには、意識がいかないのです。
 ちょっと時間をおくと、意識がもどります。
 そうすると、たいていの場合お礼をいいますね。
 ですから、子どもの意識が戻るようにちょっと間をおくといいのです。


ちょっと一工夫  あいさつ

2005年10月09日 | 匠の技
「あの子、あいさつしないんですよ」
という話をよく聴きます。
 教師からあいさつすれば、子どもはあいさつするものですけど…。
 中にはしない子もいるでしょう。
 あいさつしない子を怒ってしまうのは、ちょっと待ちましょう。
 あいさつしなかったのでしょうか。あいさつできなかったのでしょうか。
 なぜしないのかを考える必要があると思います。わざと無視しているのか、がつかないのか、面倒くさいのかなどなど。よく見る必要があるでしょう。それをしないで、子どものせいにするのはいただけません。
 自分のことを振り返ってみましょう。
 あいさつされたのにあいさつできなかったことはありませんか。
 私はけっこうありますよ。あっと、思ったとき相手は通り過ぎて…あいさつしそこなってしまうことがあります。
 用意ができていないとき、反応が遅れるのです。
 相手の用意ができるように声をかけてみるといいと思います。
   
  まず、「○○君」と声をかけます。
  相手がこちらを向きます。
  目があったところで「おはようございます」という。
  そうすると、ほとんどの場合「おはようございます」とあいさつがかえってくる。
  
 これは、私の経験です。
   
 ちょっと工夫するだけで、結果は大きく異なってきます。
 料理と同じで一工夫を。