かつて、京急杉田駅裏に「報国荘」、「湘友荘」という集合住宅があった。この地図は昭和34年の磯子区明細地図で、右端に京浜急行の線路と杉田駅が描かれている。右下には第1踏切。
この住宅の名称から考えて、「報国荘」というのは、おそらく戦前からあったのではないかと思う。もう一つの「湘友荘」は“湘南”と“友達”の連想から、湘南電鉄(京急の前身)の社員や関係者が住んでいたのではないだろうか。
そんなことを考えていたときに、たまたま横浜市が発行していた『市民グラフ』をパラパラめくっていたら、こんな特集記事が目に入った。
現代長屋考と題して、「報国荘」と「湘友荘」の内部がイラスト入りで紹介されていたのである。
この二つの共同住宅に関しては、インターネットで検索しても当時の写真が出てこないので困っていたのだが、こうしてイラストで紹介されていたので、内部の様子もよく分かった。
敷地に入るには、このようなゲートがあったのだ。自転車が通れないということは、住民も困っていたのではないかな。それとも住民専用の別な出入り口があったのだろうか。
郵便受けの構造は現代のものと大きな違いはなかったようだが、この時代は木製だったのかな。
下駄箱。
全世帯の履物がここに置かれていたのだ。
「湘友荘」内の階段。裸電球がぶら下がっている。
廊下。洗濯機が置かれているが、排水はどうなっていたのか。
「湘友荘」では履物は個別に保管していたみたいだね。
現代でも集合住宅ではごみ当番とかあるよね。
湘友荘の共同炊事場。調理道具も共同だったのだろうか。
さて、この特集の本文を読んでみようか。
100世帯近くの人たちが住んでいたんだ。10畳ひと間ということは1世帯一人か二人だったのだろうか。
分譲住宅だったというのもビックリだ。
なんだか、楽しそうな生活をしていたようだね。
by うめちゃん
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