こんにちは、陶木です。
超久々となりましたが、「自転車トルコ横断記」の第15話をアップします。ちなみに最終回です。初見の方は、左下のカテゴリー欄にある「自転車トルコ横断記」をクリックして、できれば1話目からご笑覧ください。
───────────────────────────────────
■前回までのあらすじ
2002年1月4日、雪中に埋設した自転車を取り戻すためエルマダへ向かった僕は、現地で予想外の事態に直面し愕然とします。何者かの手によって、自転車を含む装備一式が持ち去られてしまっていたのです。
地元の警察署を訪ねた僕は、荷物の捜索を依頼しました。捜索に前向きではないエルマダ警察を5時間半におよぶ粘り強い交渉の末に説き伏せ、どうにか捜査実施の約束を取り付けることに成功。その後、アンカラへと引き返します。
■アンカラのホテルに引きこもる
自転車を盗まれ、旅行を続けるための手段を失った僕は何もすることがなくなり、アンカラで無為に時を過ごすことになります。

↑
アンカラ市内の様子。
行政都市としての性格が強く、見所が少ない。
であるならば、アンカラとその周辺を観光でもしてお茶を濁せばいいのですが、3日前に市内を歩き回ってすでにあちこち見て回っていたため特に訪れたい場所もありませんでしたし、そもそもトルコ共和国の首都であるアンカラは行政都市としての性格が強く、見所自体もそれほど多くありません。
それにエルマダ警察との取り決めでは、装備一式を発見した場合は、ただちに僕が滞在しているホテルに直通電話を入れてもらう手はずになっていましたから、四六時中、外をほっつき歩いているわけにもいきません。そのため、アンカラに戻ってからのほとんどの時間を、僕は安ホテルの一室で過ごさなければなりませんでした。
まさに進むことも退くこともままならない状況で、まるで入口と出口を塗り潰されたトンネルの中に閉じ込められたような絶望的な気分でした。
この状態は、悪く言えば「引きこもり」のようなものです。精神衛生上、よろしいはずがありません。次第に僕はネガティブな感情に支配されるようになり、心の中は強い不安と大きな焦りで満たされました。
エルマダ警察が自転車の捜索に真摯に取り組んでいない可能性もありますし、もっと言えば、捜索そのものを行なっていない可能性もあります。もしそうだった場合、寒々しい安ホテルの一室で今か今かと朗報を待っている僕の姿は、マヌケ以外のなにものでもありません。そうしたネガティブな考えばかりが頭の中を駆け巡りました。
同時に、脳裏には旅の過程で出会った人々の姿が浮かんでは消えていき、そしてまた浮かんできます。応援してくれた人、食事をご馳走してくれた人、土砂降りの雨の中、ずぶ濡れになりながら1時間も歩いてホテルまで案内してくれた人……。自分の不注意で旅が頓挫するようなことになれば、僕に対するトルコの人々の温かいサポートやおもてなし、親切心がすべて無駄になってしまいます。
加えて、日本のことも気になりました。僕は長期の休暇を取得してトルコに旅立っており、職場の同僚や上司などに大きな迷惑をかけてこの地にやって来ています。また、当時お世話になっていたS編集局長からは「もしかすると他の媒体で旅の模様をリポートする機会があるかもしれないから、写真をたくさん撮ってきてくれ」と言われ、大量のポジフィルムを預ってきていました。旅行を完遂できなかった場合、なんと言い訳してよいのやら……。
自分一人で完結する旅なら失敗しても自分が悔しい思いをするだけで済みますが、今回の旅はちょっと事情が違います。ある意味では多くの人を巻き込んだ旅とも言え、自分の失敗が他者の失望を招くことにもなりかねません。そのことが一種のプレッシャーとして僕の心に重くのしかかってきました。

↑
こちらもアンカラ市内の様子。天気は好いが、気温は相変わらず氷点下だ。
■アンカラで心が折れる
夜が明けてからも状況は好転せず、僕の心は一向に晴れません。無気力感に支配され、テレビを見ても食事をしても本を読んでも楽しめない。大げさでも何でもなく、世界中の不幸が自分の身の上にふりかかってきたかのような惨めな気分で2日目を迎えました。
この日も、僕は安宿の一室で悶々とした時間を過ごしました。そして夕刻、突如として僕の心のダムは決壊します。僕は自転車の奪還を諦めてしまったのです。
よくよく考えてみて、自転車が自分の手に戻ってくる可能性は極めて低いだろうという結論に至ったのです。小さな街とはいえ、万単位の人間が生活しているエルマダを隅から隅まで捜索するのは時間がかかるうえに、すこぶる骨の折れる作業です。警察も暇ではありませんから、自転車の捜索だけに時間とマンパワーを割くわけにもいかないでしょう。
時間に糸目をつけなければ見つけることは可能かもしれませんが、残念ながら僕の旅には締め切りがあります。6日後には、必ず日本行きの飛行機に搭乗しなければならないのです。残された期間中に自転車が見つかる保証は全くありません。これらのことを踏まえ、トルコ滞在中に自転車を取り戻すのは不可能だろうという結論に至ったのです。
自転車を失ってから、まだ2日しか経っていません。なんという諦めの早さ、そして執着心のなさでしょう。2日前にエルマダ警察の面々を前に見せた粘り強さと豪胆さはいったいどこへ行ったのやら……。
「アンカラにいても仕方がない。イスタンブールに戻ろう」
そう決心した僕は、アンカラ駅のチケットオフィスで22:00発の夜行列車の切符を予約。傷心した僕を乗せ、列車は夜のアンカラ駅を出発しました。

↑
アンカラ駅のプラットフォーム。
■イスタンブールで急転直下
列車がイスタンブールのハイダルパシャ駅(ボスポラス海峡の東側)に着いたのは、翌朝の7:12。適当な安ホテルにチェックインして一息つくと、とたんに自転車とエルマダ警察のことが気になり始めました。
もう少しアンカラで粘ってみても良かったのではないか、イスタンブールへの帰還は早計な選択ではなかったか……。そうした思いが浮かんでは消えていきます。きっぱり断念したつもりだったのですが、心のどこかに諦めきれない自分がいたようです。自分の一貫性のなさや往生際の悪さに情けなさを感じました。
見つかるはずがないという思い込みや、警察は本気で捜索しないだろうという勝手な推測からアンカラを飛び出してきた格好でしたが、冷静になって考えてみると、エルマダ警察は僕のために必死になって自転車を捜索してくれているかもしれないのです。あらためてその可能性に気づいた僕は、こちらから捜索を依頼しておきながら、彼らに一言も断りをいれずにイスタンブールに戻ってきてしまったことを強く後悔しました。僕の行動は、身勝手以外のなにものでもありません。
「エルマダ警察に、捜索の中止を要請しよう」
そう考えた僕は、電話をかけました。電話に出た相手に自分の名前と国籍を告げると、その人物は「君は、自転車を失くしたあのジャパニーズか?」と聞いてきます。
そうだと答えると、電話の向こうが急に騒がしくなります。「どうしたんだ?」という僕の問いに対する答えを聞いて、耳を疑いました。
「We got him!(奴を捕まえた)」
なんと! 僕の自転車を持ち去った人物を逮捕したというのです。寝耳に水とは、このようなことを言うのでしょう。聞けば、犯人を捕まえただけでなく、自転車とその他の荷物も確保したとのこと。事態のあまりの急転直下にうろたえる自分を感じつつも、「これからすぐにそちらへ向かいます」と伝え、僕は電話を切りました。
一刻も早くエルマダに戻りたかった僕は、アンカラ行きの特急列車のチケットを購入するために、今さっき到着したばかりのハイダルパシャ駅へ。時刻表によれば、アンカラ行き列車の出発時刻は22:00。発車までまだ10時間以上もありましたが、逸る気持ちを抑えることができません。先ほどチェックインしたばかりのホテルをチェックアウトし、列車の出発時間まで駅周辺で暇をつぶすことにしました。出発までの時間が永遠の長さに感じられたことは言うまでもありません。
■窃盗犯との対面
翌日の1月8日の早朝。僕は再びアンカラに戻ってきました。気温はマイナス15℃。極寒の中、路線バスに乗ってエルマダへと旅立ちます。
約1時間後にエルマダのバス停で降車。市の中心部に向かって歩いていくと、エルマダ警察署の前で談笑している数人の警察官たちの姿が見えてきました。そのうちの一人が僕を認めた瞬間、「ジャパニーズが戻ってきたぞ!」と大声で署内に呼びかけました。すると、建物の中から大勢の警察官たちがワラワラと飛び出してきて出迎えてくれます。どの警官も満面の笑みを浮かべています。僕の到着を今か今かと待ち構えていた様子でした。
「自転車が見つかったぞ。良かったな」
「これで旅行が続けられるな」
彼らは口々にそう言い、僕の肩をたたきながら署内に迎え入れてくれました。ほんの数日前、途方に暮れる僕を嘲ったり悪口雑言を浴びせかけたりした人たちとは思えないほどフレンドリーな対応。先日の態度とは打って変わって、彼らの顔には一種の誇りのようなものが浮かんでいます。やはり仕事でなにがしかの成果を挙げることは、公務員たる警察官たちにとっても嬉しいことのようです。
彼らは、僕を会議室のような部屋へと案内してくれました。そこには、二度と戻ることはないと諦めていた僕の自転車と装備一式が所在なげにたたずんでいます。紛失したものがないか装備品をあらためはじめたとき、会議室がにわかに騒がしくなりました。

↑
警察署内の会議室に保管されていた自転車と荷物。
なにげなく部屋の入り口のほうを見やると、そこにはボロボロの衣服をまとった40歳くらいのトルコ人男性が呆然とした態で立ち尽くしています。その男性は屈強な警察官に両脇をがっしりとつかまれ、身体の前で手錠をはめられています。説明されるまでもなく、この人物が僕の自転車を持ち去った人物だと分かりました。
手錠をはめられた人間を間近で見るのは初めての経験です。このときになって、僕は事の重大さに戦慄します。
本来ならこの人物に対して怒りを覚えるのが普通なのでしょうが、不思議なことにそのような感情はいっさい湧いてきません。それは「ムスタファ」という名のその男が、あまりにも惨めに思えたからに他なりません。彼の表情を見ると、明らかに怯えきっています。日本では窃盗は微罪ですが、もしかするとトルコでは厳罰に処される可能性があるのかもしれません。
荷物をあらためたところ、驚いたことに何も盗られていませんでした。紛失したものは一つもなく、数日前に雪中に放棄したときの状態のままです。僕の頭には一つの疑問が浮かびました。
「この男は、いったい何のために自転車を持ち去ったのか?」
ムスタファ本人に尋ねてみましたが、彼は「悪意はなかったんだ。お願いだから許してくれ」と哀願するばかりで会話が成立しません。嘘をついている可能性もありますが、本当のことを言っている可能性もあります。なにしろエルマダ警察の話では、トルコの社会通念では道に放棄されているものを持ち去ることは犯罪には当たらないそうですから……。
仮にそれが事実だとすると、ムスタファには実際に悪意が全くなかったのかもしれません。たまたま道を通りかかって、放棄された自転車を見つけただけかもしれないのです。にもかかわらず、僕が騒ぎ立てたことでムスタファが逮捕されてしまうようなことになれば彼は不運以外のなにものでもないですし、こちらとしてもあまり良い気持ちはしません。
いずれにせよ、ムスタファがあまりにも哀れに思えたため、僕は警察に対し「何一つ盗まれていないようなので、彼を解放してあげてほしい。君たちも言っていたように、トルコでは落ちていたものを拾うことは犯罪に該当しないんだろう? 今回は僕にも非があるので、彼を釈放してくれ」と伝えました。
元はと言えば、今回の騒動は僕の不注意や準備不足が発端となって起きています。不測の事態だったとはいえ、万全の計画と準備を整えていれば騒動は起こらず、ムスタファも逮捕されなかったはず。僕にも責任の一端はあり、ムスタファ一人にそれを押し付けることに心苦しさを感じました。
僕の訴えが効いたのかどうかは分かりませんが、とにもかくにもムスタファは別室へと引き立てられていきました。その後、彼がどうなったのか知りません。今となっては、無事に釈放されたことを祈るばかりです。
その後、数日前に対決した警察署長に挨拶。彼も満面の笑みを浮かべながら、「良かったな」と言ってくれます。署長をはじめ、お世話になった警察官たちにお礼を述べたのち、僕はエルマダ警察を後にしました。
■旅の終焉

↑
イスタンブールに戻る。とても美しく楽しい街だが、傷心の僕は何一つ楽しめず。
このような顛末で、僕は自転車と装備一式をこの手に取り戻しました。いま振り返ってみても、奇跡的な展開だったと思います。しかし一連の騒動で丸5日を浪費してしまい、帰国日が4日後の1月12日に迫っていました。目的地であるエルズルムまでの道のりはまだ1000km以上も残されており、どんなに頑張って自転車を走らせたとしても、期限内にエルズルムにたどり着くことは不可能です。
一瞬、「せっかくトルコまで来たのだから、行けるところまで行ってやろうか」という考えが頭の中をよぎりましたが、それにはかなりの危険が伴います。潔く、自転車旅行の継続を諦めることにしました。
残りの4日間、僕はイスタンブールを散策してまわりました。しかし、目標を失った僕の心にはポッカリとした大きな穴が開き、何をやってもどこへ行っても誰と話しても楽しめません。亡骸のような日々を過ごしました。
総じてトルコは素晴らしい国で、旅行するなら最高の国と言えるかもしれませんが、僕にとっては、敗北感と挫折感にまみれた苦い思い出の地以外のなにものでもありません。
「いつか再チャレンジしてやろう」
捲土重来を期す思いもありましたが、いまだに実現できていません。トルコでの冒険行をともにした愛車「WN2000」も、その後、回復不能のダメージを負ったため廃棄を余儀なくされ、今はもう手元にありません(終わり)。

↑
帰国前日。失意のうちに旅行を終える。
超久々となりましたが、「自転車トルコ横断記」の第15話をアップします。ちなみに最終回です。初見の方は、左下のカテゴリー欄にある「自転車トルコ横断記」をクリックして、できれば1話目からご笑覧ください。
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■前回までのあらすじ
2002年1月4日、雪中に埋設した自転車を取り戻すためエルマダへ向かった僕は、現地で予想外の事態に直面し愕然とします。何者かの手によって、自転車を含む装備一式が持ち去られてしまっていたのです。
地元の警察署を訪ねた僕は、荷物の捜索を依頼しました。捜索に前向きではないエルマダ警察を5時間半におよぶ粘り強い交渉の末に説き伏せ、どうにか捜査実施の約束を取り付けることに成功。その後、アンカラへと引き返します。
■アンカラのホテルに引きこもる
自転車を盗まれ、旅行を続けるための手段を失った僕は何もすることがなくなり、アンカラで無為に時を過ごすことになります。

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アンカラ市内の様子。
行政都市としての性格が強く、見所が少ない。
であるならば、アンカラとその周辺を観光でもしてお茶を濁せばいいのですが、3日前に市内を歩き回ってすでにあちこち見て回っていたため特に訪れたい場所もありませんでしたし、そもそもトルコ共和国の首都であるアンカラは行政都市としての性格が強く、見所自体もそれほど多くありません。
それにエルマダ警察との取り決めでは、装備一式を発見した場合は、ただちに僕が滞在しているホテルに直通電話を入れてもらう手はずになっていましたから、四六時中、外をほっつき歩いているわけにもいきません。そのため、アンカラに戻ってからのほとんどの時間を、僕は安ホテルの一室で過ごさなければなりませんでした。
まさに進むことも退くこともままならない状況で、まるで入口と出口を塗り潰されたトンネルの中に閉じ込められたような絶望的な気分でした。
この状態は、悪く言えば「引きこもり」のようなものです。精神衛生上、よろしいはずがありません。次第に僕はネガティブな感情に支配されるようになり、心の中は強い不安と大きな焦りで満たされました。
エルマダ警察が自転車の捜索に真摯に取り組んでいない可能性もありますし、もっと言えば、捜索そのものを行なっていない可能性もあります。もしそうだった場合、寒々しい安ホテルの一室で今か今かと朗報を待っている僕の姿は、マヌケ以外のなにものでもありません。そうしたネガティブな考えばかりが頭の中を駆け巡りました。
同時に、脳裏には旅の過程で出会った人々の姿が浮かんでは消えていき、そしてまた浮かんできます。応援してくれた人、食事をご馳走してくれた人、土砂降りの雨の中、ずぶ濡れになりながら1時間も歩いてホテルまで案内してくれた人……。自分の不注意で旅が頓挫するようなことになれば、僕に対するトルコの人々の温かいサポートやおもてなし、親切心がすべて無駄になってしまいます。
加えて、日本のことも気になりました。僕は長期の休暇を取得してトルコに旅立っており、職場の同僚や上司などに大きな迷惑をかけてこの地にやって来ています。また、当時お世話になっていたS編集局長からは「もしかすると他の媒体で旅の模様をリポートする機会があるかもしれないから、写真をたくさん撮ってきてくれ」と言われ、大量のポジフィルムを預ってきていました。旅行を完遂できなかった場合、なんと言い訳してよいのやら……。
自分一人で完結する旅なら失敗しても自分が悔しい思いをするだけで済みますが、今回の旅はちょっと事情が違います。ある意味では多くの人を巻き込んだ旅とも言え、自分の失敗が他者の失望を招くことにもなりかねません。そのことが一種のプレッシャーとして僕の心に重くのしかかってきました。

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こちらもアンカラ市内の様子。天気は好いが、気温は相変わらず氷点下だ。
■アンカラで心が折れる
夜が明けてからも状況は好転せず、僕の心は一向に晴れません。無気力感に支配され、テレビを見ても食事をしても本を読んでも楽しめない。大げさでも何でもなく、世界中の不幸が自分の身の上にふりかかってきたかのような惨めな気分で2日目を迎えました。
この日も、僕は安宿の一室で悶々とした時間を過ごしました。そして夕刻、突如として僕の心のダムは決壊します。僕は自転車の奪還を諦めてしまったのです。
よくよく考えてみて、自転車が自分の手に戻ってくる可能性は極めて低いだろうという結論に至ったのです。小さな街とはいえ、万単位の人間が生活しているエルマダを隅から隅まで捜索するのは時間がかかるうえに、すこぶる骨の折れる作業です。警察も暇ではありませんから、自転車の捜索だけに時間とマンパワーを割くわけにもいかないでしょう。
時間に糸目をつけなければ見つけることは可能かもしれませんが、残念ながら僕の旅には締め切りがあります。6日後には、必ず日本行きの飛行機に搭乗しなければならないのです。残された期間中に自転車が見つかる保証は全くありません。これらのことを踏まえ、トルコ滞在中に自転車を取り戻すのは不可能だろうという結論に至ったのです。
自転車を失ってから、まだ2日しか経っていません。なんという諦めの早さ、そして執着心のなさでしょう。2日前にエルマダ警察の面々を前に見せた粘り強さと豪胆さはいったいどこへ行ったのやら……。
「アンカラにいても仕方がない。イスタンブールに戻ろう」
そう決心した僕は、アンカラ駅のチケットオフィスで22:00発の夜行列車の切符を予約。傷心した僕を乗せ、列車は夜のアンカラ駅を出発しました。

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アンカラ駅のプラットフォーム。
■イスタンブールで急転直下
列車がイスタンブールのハイダルパシャ駅(ボスポラス海峡の東側)に着いたのは、翌朝の7:12。適当な安ホテルにチェックインして一息つくと、とたんに自転車とエルマダ警察のことが気になり始めました。
もう少しアンカラで粘ってみても良かったのではないか、イスタンブールへの帰還は早計な選択ではなかったか……。そうした思いが浮かんでは消えていきます。きっぱり断念したつもりだったのですが、心のどこかに諦めきれない自分がいたようです。自分の一貫性のなさや往生際の悪さに情けなさを感じました。
見つかるはずがないという思い込みや、警察は本気で捜索しないだろうという勝手な推測からアンカラを飛び出してきた格好でしたが、冷静になって考えてみると、エルマダ警察は僕のために必死になって自転車を捜索してくれているかもしれないのです。あらためてその可能性に気づいた僕は、こちらから捜索を依頼しておきながら、彼らに一言も断りをいれずにイスタンブールに戻ってきてしまったことを強く後悔しました。僕の行動は、身勝手以外のなにものでもありません。
「エルマダ警察に、捜索の中止を要請しよう」
そう考えた僕は、電話をかけました。電話に出た相手に自分の名前と国籍を告げると、その人物は「君は、自転車を失くしたあのジャパニーズか?」と聞いてきます。
そうだと答えると、電話の向こうが急に騒がしくなります。「どうしたんだ?」という僕の問いに対する答えを聞いて、耳を疑いました。
「We got him!(奴を捕まえた)」
なんと! 僕の自転車を持ち去った人物を逮捕したというのです。寝耳に水とは、このようなことを言うのでしょう。聞けば、犯人を捕まえただけでなく、自転車とその他の荷物も確保したとのこと。事態のあまりの急転直下にうろたえる自分を感じつつも、「これからすぐにそちらへ向かいます」と伝え、僕は電話を切りました。
一刻も早くエルマダに戻りたかった僕は、アンカラ行きの特急列車のチケットを購入するために、今さっき到着したばかりのハイダルパシャ駅へ。時刻表によれば、アンカラ行き列車の出発時刻は22:00。発車までまだ10時間以上もありましたが、逸る気持ちを抑えることができません。先ほどチェックインしたばかりのホテルをチェックアウトし、列車の出発時間まで駅周辺で暇をつぶすことにしました。出発までの時間が永遠の長さに感じられたことは言うまでもありません。
■窃盗犯との対面
翌日の1月8日の早朝。僕は再びアンカラに戻ってきました。気温はマイナス15℃。極寒の中、路線バスに乗ってエルマダへと旅立ちます。
約1時間後にエルマダのバス停で降車。市の中心部に向かって歩いていくと、エルマダ警察署の前で談笑している数人の警察官たちの姿が見えてきました。そのうちの一人が僕を認めた瞬間、「ジャパニーズが戻ってきたぞ!」と大声で署内に呼びかけました。すると、建物の中から大勢の警察官たちがワラワラと飛び出してきて出迎えてくれます。どの警官も満面の笑みを浮かべています。僕の到着を今か今かと待ち構えていた様子でした。
「自転車が見つかったぞ。良かったな」
「これで旅行が続けられるな」
彼らは口々にそう言い、僕の肩をたたきながら署内に迎え入れてくれました。ほんの数日前、途方に暮れる僕を嘲ったり悪口雑言を浴びせかけたりした人たちとは思えないほどフレンドリーな対応。先日の態度とは打って変わって、彼らの顔には一種の誇りのようなものが浮かんでいます。やはり仕事でなにがしかの成果を挙げることは、公務員たる警察官たちにとっても嬉しいことのようです。
彼らは、僕を会議室のような部屋へと案内してくれました。そこには、二度と戻ることはないと諦めていた僕の自転車と装備一式が所在なげにたたずんでいます。紛失したものがないか装備品をあらためはじめたとき、会議室がにわかに騒がしくなりました。

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警察署内の会議室に保管されていた自転車と荷物。
なにげなく部屋の入り口のほうを見やると、そこにはボロボロの衣服をまとった40歳くらいのトルコ人男性が呆然とした態で立ち尽くしています。その男性は屈強な警察官に両脇をがっしりとつかまれ、身体の前で手錠をはめられています。説明されるまでもなく、この人物が僕の自転車を持ち去った人物だと分かりました。
手錠をはめられた人間を間近で見るのは初めての経験です。このときになって、僕は事の重大さに戦慄します。
本来ならこの人物に対して怒りを覚えるのが普通なのでしょうが、不思議なことにそのような感情はいっさい湧いてきません。それは「ムスタファ」という名のその男が、あまりにも惨めに思えたからに他なりません。彼の表情を見ると、明らかに怯えきっています。日本では窃盗は微罪ですが、もしかするとトルコでは厳罰に処される可能性があるのかもしれません。
荷物をあらためたところ、驚いたことに何も盗られていませんでした。紛失したものは一つもなく、数日前に雪中に放棄したときの状態のままです。僕の頭には一つの疑問が浮かびました。
「この男は、いったい何のために自転車を持ち去ったのか?」
ムスタファ本人に尋ねてみましたが、彼は「悪意はなかったんだ。お願いだから許してくれ」と哀願するばかりで会話が成立しません。嘘をついている可能性もありますが、本当のことを言っている可能性もあります。なにしろエルマダ警察の話では、トルコの社会通念では道に放棄されているものを持ち去ることは犯罪には当たらないそうですから……。
仮にそれが事実だとすると、ムスタファには実際に悪意が全くなかったのかもしれません。たまたま道を通りかかって、放棄された自転車を見つけただけかもしれないのです。にもかかわらず、僕が騒ぎ立てたことでムスタファが逮捕されてしまうようなことになれば彼は不運以外のなにものでもないですし、こちらとしてもあまり良い気持ちはしません。
いずれにせよ、ムスタファがあまりにも哀れに思えたため、僕は警察に対し「何一つ盗まれていないようなので、彼を解放してあげてほしい。君たちも言っていたように、トルコでは落ちていたものを拾うことは犯罪に該当しないんだろう? 今回は僕にも非があるので、彼を釈放してくれ」と伝えました。
元はと言えば、今回の騒動は僕の不注意や準備不足が発端となって起きています。不測の事態だったとはいえ、万全の計画と準備を整えていれば騒動は起こらず、ムスタファも逮捕されなかったはず。僕にも責任の一端はあり、ムスタファ一人にそれを押し付けることに心苦しさを感じました。
僕の訴えが効いたのかどうかは分かりませんが、とにもかくにもムスタファは別室へと引き立てられていきました。その後、彼がどうなったのか知りません。今となっては、無事に釈放されたことを祈るばかりです。
その後、数日前に対決した警察署長に挨拶。彼も満面の笑みを浮かべながら、「良かったな」と言ってくれます。署長をはじめ、お世話になった警察官たちにお礼を述べたのち、僕はエルマダ警察を後にしました。
■旅の終焉

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イスタンブールに戻る。とても美しく楽しい街だが、傷心の僕は何一つ楽しめず。
このような顛末で、僕は自転車と装備一式をこの手に取り戻しました。いま振り返ってみても、奇跡的な展開だったと思います。しかし一連の騒動で丸5日を浪費してしまい、帰国日が4日後の1月12日に迫っていました。目的地であるエルズルムまでの道のりはまだ1000km以上も残されており、どんなに頑張って自転車を走らせたとしても、期限内にエルズルムにたどり着くことは不可能です。
一瞬、「せっかくトルコまで来たのだから、行けるところまで行ってやろうか」という考えが頭の中をよぎりましたが、それにはかなりの危険が伴います。潔く、自転車旅行の継続を諦めることにしました。
残りの4日間、僕はイスタンブールを散策してまわりました。しかし、目標を失った僕の心にはポッカリとした大きな穴が開き、何をやってもどこへ行っても誰と話しても楽しめません。亡骸のような日々を過ごしました。
総じてトルコは素晴らしい国で、旅行するなら最高の国と言えるかもしれませんが、僕にとっては、敗北感と挫折感にまみれた苦い思い出の地以外のなにものでもありません。
「いつか再チャレンジしてやろう」
捲土重来を期す思いもありましたが、いまだに実現できていません。トルコでの冒険行をともにした愛車「WN2000」も、その後、回復不能のダメージを負ったため廃棄を余儀なくされ、今はもう手元にありません(終わり)。

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帰国前日。失意のうちに旅行を終える。