日本下等生物禁止学会 公式BLOG

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下等生物禁止学入門 【第3回】

2014-07-23 09:09:14 | 加藤真紗丈「下等生物禁止学入門」
 「下等生物禁止学入門」の第3回です。思いのほか早く脱稿できて嬉しく思っています。第2回目の原稿に私の体調のことを書いたことで、皆さんにご心配をおかけしてしまいました。大変申し訳なく思います。最近は体調も回復しており、下等生物禁止学の論文を読んだり、この原稿を執筆したりしています。不定期連載がリハビリ替わりになっている側面があるようです。半分趣味、リハビリ半分の不定期連載ですが最後までお付き合い頂ければ幸いです。

 さて、本文です。下等生物禁止学が盛んな国では、下等生物を処分するための公的な施設が存在します。その施設に下等生物を集め、計画的に処分しているのです。今回はその下等生物処理施設の概要について解説します。

【下等生物が下等生物処理施設に入所するまでの流れ】
 下等生物禁止学が国学となっている国家では、下等生物の生存は原則的には禁止されています。下等生物は国家によって下等生物認定がなされます。認定されると、その下等生物の元に訓練された特殊部隊が赴き、下等生物を拘束することになります。なぜ警察ではなく、特殊部隊が下等生物の元に赴くのかというと、下等生物が拘束する際に取り乱したり、暴れる可能性があるからです。下等生物が暴れることによって、一般市民に被害が及ぶ可能性があります。それを回避するために特殊部隊が組織されている訳です。特殊部隊が下等生物を捕縛すると、一時的に下等生物収容所に送られることになります。そこで様々な検査が行われ、その後、処理施設に送られることになっています。

【下等生物処理施設の概要】
 下等生物を処理する施設は国によって運営され、国民の税金によって維持されています。日本ではこのような動きはまだ見られませんが、将来的には国の主導によって下等生物を処理していくことが望ましいと私は考えています。それはなぜかと言うと、下等生物問題は個人の問題ではなく社会全体の問題だからです。社会全体に関わる問題を国が責任もって行うことは当然だと私は考えます。そして少なくとも下等生物処理施設がある国ではそのような考えが国民にも広く受け入れられています。
 下等生物処理場では主に下等生物の処刑を行っています(先ほど述べた下等生物収容所では処理関連のことは行いません。あくまでも一時的に収容するだけです)。処刑の決定は最終的には国家が判断しますが、それまでに各地にある下等生物協会がどのような処刑方法がよいか検討を重ね、それを報告書にまとめ、国家に提出しています。このようなプロセスを経ることによって、国家による暴走を防いでいるのです。
国家による処刑決定が下されると、下等生物は直ちに処刑される訳です。多くが即日処刑となっているようですが、一部翌日に持ち越しされることもあるようです。処刑というのは、基本的には死刑のことを意味します。処刑、死刑と言うと何かおどろおどろしい感じがしますが、生きる価値のない下等生物や生きる必要のない下等生物に対して考えうる限り最大の苦痛が伴う罰を与えることは正義です。つまり決しておどろおどろしいものではないのです。

【A国(仮名)の場合】
 先述の通り、処理施設は国民の税金によって運営されています。世界で最初に下等生物処理施設が作られたのは1972年のA国(仮名)です。A国は日本円換算して約2兆円の国費を使い、様々な刑罰が行える下等生物処理施設が建設されました。運営金には国民の税金が充てられでおり、処理施設で働く人は日本で言う国家公務員です。これらの人たちは下等生物に一番近い所で働くことになっているため、かなり過酷な労働だと言えます。しかし、志願者は数多くいるそうです。これはやはり下等生物禁止学が国学になり、幼い頃から下等生物を禁止するための教育を受けている影響が大きいと言えましょう。幼い頃から下等生物禁止学に触れた者は、下等生物が生存する価値のない汚物であると理解しているのでしょう。さて、処理施設の運営費用ですが、100%は国民の税金から賄われています。そのため、税率は高いそうです。しかし、国民は「下等生物と一緒に暮らすくらいであれば、税金が高い方が数千倍マシだ」と述べているそうです。日本もこのA国のようになっていくことが望まれます。

【第4回に続く】



下等生物禁止学入門 【第2回】

2014-05-08 19:45:53 | 加藤真紗丈「下等生物禁止学入門」
【第2回目の掲載が遅れたことについて】
 はじめに、第1回目の原稿がBLOGに掲載されてから、今回の第2回目の原稿が掲載までに1年以上の時が経ってしまったことを心からお詫びします。第2回目の話の前に、このような事態になってしまった経緯を説明させてください。単刀直入に言うと、第2回目の原稿が掲載されるのが遅くなってしまったのは私の健康上の理由が大きく関わっています。第1回目の原稿を掲載した次の日、私は原因不明の身体的な不調によって緊急入院を余儀なくされました。そしてそのことによって原稿執筆の時間を確保することができない状況となりました。家族や病院スタッフの看護・看病に助けられ、現在ある程度体調が回復しました。山嵜会長とも確認した上で「下等生物禁止学入門」の連載再開ということになりました。不定期連載という形ということもありますし、そしてなにより私のコンディションもあり、第3回の掲載がいつになるかわかりません。楽しみにしてくださっている皆さんには申し訳なく感じていますが、気長に待って頂けるとありがたいです。

【「下等生物の処理、処分」という概念を理解する】
 では「下等生物禁止学入門」第2回目を始めたいと思います。今回は「下等生物の処理・処分」という概念の説明を行いたいと思います。まず、この「下等生物の処理、処分」という概念は下等生物学と下等生物禁止学の違いを表す最大のものと言えます。この概念を理解することこそ、下等生物禁止学を理解することに繋がると言っても過言ではないほど重要なものですので、しっかり説明していきたいと思います。

【「下等生物」という存在】
 まず、地球には様々な生物がいることは周知の事実です。ヒトはもちろんのこと、犬、猫、トカゲ、パンダなど数えていけばきりがありません。そのような中に下等生物と呼ばれる生物が存在しています。実は、この下等生物という存在を定義づけることはこの上なく困難なことです。なぜかというと一見しただけでは、人間に見えるからです。しかし、人間の形をした生物であるものの、人間にはない愚かさを持っている。これが下等生物です。このようなことを述べても具体的なイメージが湧かないかもしれません。一般的な言葉で述べるとすると馬鹿、アホ、マヌケと呼ばれる人間のことだと考えて頂ければよいでしょう。このような存在を我々は下等生物と呼び、蔑んでいます。下等生物は人間のような姿・形をしていますが、人間ではありません。下等生物禁止学ではそのように理解していますし、下等生物学もそれは同様です。

【下等生物学と下等生物禁止学の違い】
 では下等生物学と下等生物禁止学では何が違うのか。まず下等生物学という学問では、このような人間ではない下等な生物と出会った際に生じる人間側のインパクトや感情を検討することを主な研究テーマとしています。極端なことを言えば、下等生物と接した時に上等生物がどのように感じ、考えるのかを研究するのが下等生物学と言うことができます。一方、下等生物禁止学では下等生物学が大事にしている上等生物側に起こるインパクトや感情も大切にしているものの、それ以上に私たち人間にそのようなインパクトと感情を与える存在をどのように処理・処分するのかを研究・検討していく学問と言えます。つまり下等生物学において考えられていない下等生物の処理・処分問題を考えることこそ、下等生物禁止学の重要テーマであると言えるのです。
 例を用いて、もう少し具体的に考えてみましょう。私はつい最近まで入院していました。入院生活では多くのことを看護師の方や家族がやってくれるので、ある程度日常で体験するような些細なストレスは感じなくて済みます。もちろん、身体を動かせないこと、自由が制限されることはストレスですが、それでもストレスは少ないと言えましょう。これは病者のストレスをなくし、病者が心身ともに休むことができ、回復への道のりを歩むために必要なことだと言えます。ある日、私のベッドの隣に下等生物がやってきました。彼は夜中になってもウォークマンで音楽を聴き、私はその音が耳触りで眠ることができなくなりました。つまり非常にストレスフルな状況下におかれることになったのです。その結果、私の心身はみるみる内に疲弊し、せっかく回復傾向だった病状も再び悪化してしまいました。つまり、下等生物の存在によって私の健康は阻害されたということです。私は隣にいる下等生物に「もう少し音を小さくして頂けませんか。うるさくて眠れないのです」と声をかけましたが、彼は私の言葉に耳をかすことはありませんでした。私は耐えられなくなり、病室の変更を主治医に申し出ました。このように下等生物が生存することは、私たち上等生物に多大なマイナスの影響を与えることがわかっています。先ほども述べたように、下等生物学のグループでは、そのインパクト(つまり私が感じた耳障りだという不快感など)を感じ、考えることが大切だと主張しました。確かにそれは一理あります。しかし、今回のケースでもお分かりいただけるように、私がいくらその不快感を感じ、考え続けた所で現実(つまり隣の下等生物の行動)が変わることはありません。このような下等生物に対応するためには、上等生物の気持ちの持ち方を考えていても仕方がなく、現実的な問題に対してどのように対処すべきかを具体的に議論しなくてはならないのです。つまり上等生物の生存に実害を及ぼす下等生物をどのように処理、処分していくのかということです。そこで、下等生物禁止学という下等生物の処理、処分に関する学問が必要になってきたという訳です。

【インパクトを考えることから実際問題の処理へ】
 私のケースに戻ってもう少し考えてみましょう。私のケースの場合、私の中に湧き起こる感情などのインパクトを考察しても、何の解決にもならないことは明白です。私の場合、病室の変更をして頂きましたが、私の中の「なぜ私が病室を変わらなければならないのか」というもやもやした感じは消えることはありません。そしてそのもやもやした感じが心身の不調へと繋がります。そんなことをちまちまとするよりも、実際問題として隣に来た下等生物を亡き者にしてしまえば、私の気も晴れますし、不愉快な感情を私自身が抱えなくても済む訳です。現実的なことを考えれば、下等生物禁止学の方が役立つと言えます。

【「下等生物の処理、処分」への反論】
 この考え方には反論もあります。(1)下等生物だからと言って殺してしまってよいのか。(2)そもそも人間を下等生物と上等生物に分けてしまってよいのか。大きく分けると反論はこの2つになります。まず(1)についてお答えします。確かに殺してしまうことに異論があることは理解できます。しかし、ではどうしろというのでしょうか。そのまま生かしておけばこの先ずっとその下等生物は上等生物に迷惑をかけ続けます。下等生物が上等生物に迷惑をかけ続けることは断じて許されません。それは上等生物がこの世の経済や政治を回しており、現実的に見ても非常に重要な価値ある存在だからです。上等生物の健康を守ることこそ、この世の平和を守ることになる。逆から言いましょう。上等生物の健康が守れなければ、下等生物が勝手なことをし始め、世界は乱れる。ですから、下等生物を処分しなくてはならないのです。続いて(2)についてです。現代日本において悪しき平等主義が広がってしまい、人間全て平等であるという考え方が主流となっています。ですからこのような主張が述べられるのでしょう。しかし、本当にそうでしょうか?人間は生まれながらに各々違います。能力、知力、家族など、全てが違うのです。「違っても存在の価値は平等」「違うからこそ平等」という考え方もありましょうが、それはもはや平等という概念を拡大し過ぎ、そこに横たわる圧倒的な「差」という現実に目を向けようとはしていません。現実の中に平等性はかけらもありません。平等などというのは人間が作り出した単なるスローガンであり、それは現実とかけ離れた絵空事、机上の空論です。実際には差があり、人間の中にも下等生物と上等生物はいるのです。この分類を誰がどのようにしていくのかは議論がある所です(この点については後々取り扱います)。(1)でも述べたように、下等生物は上等生物に迷惑をかけ続けます。それは間違いない事実です。下等生物がいなくなれば、上等生物が感じているストレスの元は軽減し、生産性は更に上がることでしょう。現在、世界的に見て経済や生産性は低下している状態です。このような時代だからこそ、下等生物を処理・処分しなくてはならないのです。下等生物禁止学の考え方は、現代社会にマッチしていると言えましょう。

【第3回に続く】

下等生物禁止学入門 【第1回】

2012-12-17 17:46:06 | 加藤真紗丈「下等生物禁止学入門」
 皆さん、はじめまして。日本下等生物禁止学会 副会長の加藤真紗丈です。不定期ではありますが、このBLOGで下等生物禁止学の基礎的な事柄をご紹介したいと思います。今回はその1回目ということで、下等生物禁止学の歴史についてご紹介し、下等生物学と下等生物禁止学の違いについて解説します。

 皆さんご存知のように下等生物学はドイツ人のヴィクトール・フンヴァルデン(1886-1970)が創始した学問であり、その本質は下等生物の生態を明らかにすること、下等生物と接した我々上等生物がどのように感じ、考えるのかを考察するものです。下等生物学は少しずつ世界に広がり、多くの人々が下等生物学を学ぶようになっていきました。高等生物師という資格が作られ、下等生物学を修めた人に対して授与される資格制度もできてきました。そのような中で、フンヴァルデンの弟子の1人であったイギリス人のリチャード・チンクォマン(1902-1985)が高等生物師資格取得のための論文で、今後は下等生物の処理・処罰に特化して考え、それを実行していくことが必要なのではないかという内容の論文を書きます。これが下等生物禁止学の始まりです。

 チンクォマンの主張は、従来の下等生物学のパラダイムシフトを迫るものでした。従来の下等生物学は下等生物と上等生物が接した時に生じるインパクトに関する議論が多く、下等生物自体をどのようにしていくべきかを議論していませんでした。チンクォマンはそれを指摘した上で、今後必要になってくるのは下等生物の処分であるとし、下等生物学が将来的に目指す方向性は下等生物の禁止であると主張したのです。確かに以上のようなチンクォマンの指摘は的を射ている側面があります。伝統的な下等生物学は下等生物の処理や処分に関して一切言及しておらず、下等生物の生態を理解しようという側面は強いものの、上等生物の苦しみを少しでも和らげていこうという側面は非常に薄いものでした。チンクォマンはその点を師匠のフンヴァルデンに突き付けたと言えます。フンヴァルデンはこの指摘に関して「下等生物学は人間の営みである」という旨の発言をし、人間の中に湧き上がってくる感情こそ、下等生物学の中で扱うものであり、処理や処罰という側面は下等生物学が扱うものではないと明確に批判し、チンクォマンの論文を退け、高等生物師の資格を与えませんでした。その結果、チンクォマンはフンヴァルデンに破門され、所属していたドイツ下等生物協会から追放されることとなりました。その後、チンクォマンはイギリスに活動の拠点を移します。そこで彼は下等生物禁止学を確立していくため研究所を立ち上げ、研究に邁進していきます。そこで下等生物禁止学にとって非常に重要な概念や下等生物の処理法などが次々と誕生することになります。これらの紹介は次回以降ということになりますで、楽しみにしていて下さい。

 約30年前に私がチンクォマンの研究所に留学した時には、30名程度の研究員がおり、下等生物の処理に関する実践的な研究がなされていました。80歳を越えたチンクォマンも週に2回は研究所に顔を出し、若い研究者の指導に当たっていました。チンクォマン自身は1985年に亡くなりましたが、研究所は今でもイギリスにあります。前述の通り、チンクォマンはフンヴァルデンに破門されたので、破門後に下等生物学や下等生物協会と公式な場面で関わることは一切ありませんでした。それもあって下等生物学と下等生物禁止学との関係は分断され、現在に至っています。つまり、下等生物禁止学は下等生物学からは認められていない学問と言えます。

 余談ですが、フンヴァルデンはチンクォマンの論文を退けたものの、2人の交流はフンヴァルデンが亡くなるまで続いています。フンヴァルデンの最後の弟子であるジョン・チンコーデル(1914-2004)は「あの追放問題の後も、二人はまるで親子のように仲が良かった」と発言しています。実際フンヴァルデンがイギリスに旅行に行った際は必ずチンクォマンと会っていたようです。チンクォマン自身もフンヴァルデンにネガティヴな印象を持っていたということはなく、あくまで高等生物師という資格取得を巡る対立であったことが推測されます。おそらくチンクォマンは下等生物学を非常によく理解していた人間の1人です。フンヴァルデンはそのことが良くわかっていたのではないかと思います。フンヴァルデンの追悼論文集である『下等生物学』にはチンクォマンも論文を寄稿しています。それが有名な「インパクトを与えるものと与えられるもの」という論文です。この論文はインパクトという側面から下等生物と上等生物の内的世界を記述したものであり、ドイツ下等生物協会では高等生物師の資格取得のための必読論文の1つとして挙げられている位素晴らしい論文です。このような素晴らしい論文を書ける人間が、下等生物学のことをわかっていなかった訳がありません。下等生物学の価値や限界がわかっていたからこそ、下等生物学から離れていったのではないかと私は考えています。

 今回は下等生物禁止学の歴史を振り返り、下等生物禁止学と下等生物学の違いを述べました。次回から、下等生物禁止学の重要な概念をご紹介する予定です。2013年2月までにはBLOGに掲載できるようにしたいと思います。

【つづく】