佐藤先生、過分なご紹介ありがとうございました。また、わたくしの退官のためにこのような場を用意してくださいました田中学長、そして山田学科長に、まずは心より感謝申し上げたいと思います。そして、今日集まってくださった学生の皆さんにも御礼申し上げます。
昨年末に山田学科長より退官講演をお願いされた時には、わたくしはそのような器ではないとご辞退申し上げましたが、先生からの根強い説得もあり(笑)、講演をお引き受けいたしました。その後、何を話そうかとあれやこれやと推敲を重ねましたが、やはりわたくしの専門である「下等生物学」について話すのが妥当であろうと思い、今日の退官講演のタイトルを「下等生物学とわたくし」とさせて頂きました。講演と申しましたが、どちらかと言うと回想と言った方が近いかもしれません。今日はわたくしの歩みとともに、下等生物学の発展を振り返ろうと思っているからです。
さて、「下等生物学とわたくし」と申し上げましたが、まず何から話せばよいか…。ここにいる皆さんにとって、下等生物学とはどのようなものなのでしょう?少なくとも、まだ日本には幅広く受け入れられてはいない学問です。わたくしにとっては、下等生物学はもはやなくてはならない学問というか、プラクティスです。これはわたくしだけの予想ではないと思いますが、今後の日本にとって、おそらく一番大切になっていく学問だろうと思います。そのような、世間に幅広く受け入れられてはいないものの、今後、とても大事になってくる思想・学問をわたくしはわたくしなりに研究し、学生諸君に伝え・導いてきたと思っております。このことでわたくしは社会に対して幾ばくかの貢献をした…、そう思っているのですが、いかがでしょうか? <拍手> ありがとうございます。
わたくしは大学、そして大学院で分子生物学を勉強していました。その経験は非常に貴重なもので、そしてエキサイティングなものでした。わたくしはもっと分子生物学を学びたいと思い、1960年代後半にイギリスに留学いたしましたが、そこでこの下等生物学に出会いました。当初、わたくしは「イギリスの学者たちは一部の人間を下等生物と蔑んでいる、なんということだろう」と思いました。おそらく当時のわたくしにとって、彼らが一部の人間を差別しようとしていると感じられたのでしょうね。だからこそ、そのように思ったのでしょう。しかし、彼らと学術的交流をしていく内に、次第にですが、彼らのベース、つまり学問的基盤に下等生物学があって、それが研究に活きているということがわかってきました。そうすると、彼らが人間を差別している訳ではない、そういうことが自然とわかってきたと申しますか、理解できるようになってきた訳です。彼らの考え方はとてもシンプルで、「人間と呼べるものは上等生物だけで、それ以外の人間は下等生物である。下等生物は衝動に突き動かされ、社会のルールを無視し、利己的に動く。そのような生物を許してはいけない」というものでした。この辺りは下等生物学を学んだ方はお分かり頂けるでしょうね。このような経験をしていく中で、わたくしは自分が差別・偏見を持たない人間だという誤解をしていたことに気付く訳ですね。下等生物まで人間のカテゴリーに含め、そういう連中を上等生物と同じ権利を持つ者と理解していた。しかし、それは間違いだと気付く訳です。やはり、身の丈にあった権利・義務を付与されることこそ、人間にとっては大事なのだ、と。こう言えばわかりやすいのでしょう。少年・少女にお酒・タバコを飲ませたり・吸わせたりすることを日本では禁止している訳です。それは彼らの成長を阻害する恐れがあるからです。それはもっと長期的な視点で言うならば、おかしな大人にならないように予防しているとも言うことができます。社会にとって役立つ人間を育てよう、おかしな人間を育てないようにしようという強い意志があるからこそ、禁止している訳です。下等生物は社会の訳に立つどころか、社会を円滑に回していくことを阻害します。だからこそ、彼らを禁止しよう。彼らの生存を制限しようと言っている訳です。その思想に触れたわたくしは、まさに身体を雷に打たれたような衝撃を覚えたものです。
【つづく】