【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

相対世界。DQNロードバイク乗りを例に(2)

2019-08-08 19:15:28 | ひとり公論
ふう。。。わかったかな?(笑) わっかんねーかなー

つづき
さらに混乱させることをいうと、幅寄せロードバイカーの世界で天変地異が起こり(笑)そいつが心を入れ替え(笑)ロードバイクを降りてママチャリに乗り換え、ママチャリで車道に出て車に幅寄せされたとするならば

そのロードバイカーの世界は一旦「閉じて」同類である俺があらわれる。

二度とオーバラップしないはずだったのに、心を入れ替えたことで相対世界が変わる。

俺の世界でもロードバイクを降りて改心したママチャリerとして俺の世界にふたたび登場する。

ただしお互い過去の記憶は持っていない。いや厳密にいえば完全に忘れているので俺がそいつに対してロクな死に方しねえと定義したことも忘れている。

つかそいつはママチャリerになってるわけだから以前ロクな死に方しねえと定義した人間ではなくなっている。だから再登場した。

再登場したけど、お互い再登場とは思っていない。


相対世界にはおそらくパワーバランスがあって、

今の例でいうと俺のほうが明確に善で幅寄せロードバイカーは悪でしょ。

いや善悪じゃなくとも、俺寄りのほうが圧倒的多数じゃない。パワーバランス的には俺のほうが上なのね。

だからなんていうのかな、その相対世界どうしの「重なり」のところ、善悪が出会う場所っていうのはね、マイノリティというのはだんだんと居心地が悪くなってきて、いずれ飲み込まれてしまうわけ。

だからさっきの例でいうとロードバイカーが改心してママチャリerになる流れが必然なわけさ。

ただね、幅寄せロードバイカー、はひとつの例だけど悪がはびこる相対世界もある。俺のような人間が、「あちら」に飲み込まれて、悪に目覚めて幅寄せしてしまうような世界ね。


つまり(?まとめじゃないけど)俺の相対世界において時空のキワで極悪人とかに一瞬遭遇し多くは二度と俺の世界には現れないわけなんだが(俺自身が望まないから)

現れない、っていう表現も悪くてさ
そいつが次に現れるときは極悪人じゃない姿でキワにあらわれることもあるし(俺がかつて遭遇したことに気づかない)、現れない場合は極悪人のままロクな死に方をせず死んでいく(この世界から消えていく)

どちらかしかない。



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