【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

「死んで生きておられました」

2020-02-05 00:10:31 | ひとり公論
(「こころの時代」)
丸井浩:
これは言葉、概念を超えてるという意味では、なかなか私どもにとってみると、捉え難いところはあるかもしれませんけども、まあ私なりに禅を世界に広めた有名な思想家として鈴木大拙(すずきだいせつ)(禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者:1870-1966)という方がいらっしゃいますけど、大拙の生きざま、あるいは死にざまを語る言葉の中に、何かこのブッダの入滅に近いものをうかがい知るヒントがあるかなと思いますので、それを見させて頂きたいと思います。

ナレーター:鈴木大拙は、明治から昭和の半ばにかけて活躍した世界に知られる仏教哲学者です。その大拙が生涯を懸けて探究したのが禅。すなわちブッダが入滅する間際に見せた瞑想状態でした。それは一体どういうものなのか。その手がかりは大拙が生きた姿にあると丸井さんは考えています。晩年の大拙の身の回りの世話をした岡村美穂子(おかむらみほこ)(昭和10年、米国ロサンゼルス生まれ。昭和26年、鈴木大拙博士と出会い、41年の御逝去まで師事する。ハンター・カレッジとコロンビア大学に学ぶ。昭和44年から平成10年まで『ザ・イースタン・ブディスト』編集員。昭和50年から56年国際交流基金役員秘書室主任。平成4年から18年まで、大谷大学非常勤講師)さんは次のように語っています。

先生は静かなんです
死んで生きておられました

大拙の姿は死者の寂静(じやくじよう)に通ずるものだったといいます。

この岡村美穂子さんの大拙の生きざま、あるいは死にざまを語った言葉が大変印象的なものがございます。この岡村美穂子さんの言葉自体は、大拙の弟子筋である上田閑照(うえだしずてる)(哲学者。京都大学名誉教授。専攻はドイツ哲学、宗教哲学。マイスター・エックハルトの研究、マルティン・ハイデッガーの研究、西田幾多郎、西谷啓治等の京都学派思想の研究で知られる)さんの言葉を通じて私どもに伝わってるんですけれども、例えば岡村さんが語った言葉の中で
「大拙は隙だらけで隙がない」
とか、矛盾したような言い方ですよね。あるいは
「自分を主張しない。しかし自分がはっきりしている」
と。こんなふうにして、概念で言うと相矛盾し合うようなものがこの大拙という一人の人間の中に溶け込んでいるという中でもって
「先生は死んで生きておられました」
と。「死んで生きておられました」という、普通は死と生は相反するものだと思うんですけど、その相反するものが、実は調和した形でもって表現していて、それで大拙が亡くなられる時に看取った岡村さんは、

亡くなられた先生に
それまでの先生と
特に変わった様子は
ありませんでした

こういうふうに語ってるところが、ブッダが入滅していく時に、アーナンダがまだ入滅していないのに「亡くなられたんですか?」と言うくらい静かな状態。これとどこかやっぱり大拙が―岡村先生は「先生は静かである」という言葉も残しておりますが、生死という相反するものが一人の人間の中で「死んで生きている」という形でもって、生きていながら死というもの、そして死ぬ時には生きている時と全く違うという言葉が大変印象的なんですね。また別の場面では、一つのこの「考える」と題する写真の中では、

大拙の考える静けさには迫るところのない何か永遠なるものがある。二百年三百年先も視野に入っている。他の人たちと一緒の場合も、何か事に触れて大拙が考え始めると、この写真のように一人になって考える大拙の静かさには、同席の人たちは大拙の存在を忘れる。

とこういう語っているところがあって、何かこの大拙という一人の人間が、大自然と溶け合うという。そしてその周りの人間が忘れるくらい静かな、大拙の存在というのは、何か我々が通常考えてるこの死というものと生という境を、何かこう取っ払って自由闊達な、逆にこの生死の境を離れて自由に生きる大拙の何かすがすがしさを見るような気がしまして、これを通じてブッダの死を考えるというのも、一つの道筋としてあるのかなと。