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株式投資で人生を楽しむ方法

大きく儲けるのは諦め、株で細々と運用してじわっと人生を豊かにする投資方法を模索する

東京電力の損害賠償責任と株価

2011-03-23 19:28:47 | Weblog
東京電力の株価は7百円台から千円台に戻している。大地震の前の半分以下になっている。これを買い時とみるか戻し売りすべきとみるべきか。個人的には100株なら博打と思って購入してもいいかと思っている。もちろん紙くずになるリスクもかなり高まっているのではないかと思う。

今回の事故は決して天災というだけで片づけることは許されないだろう。天災が起こっても何重にもわたって原発で事故発生しないように防止機能が働くシステムが確立されたいたはずである。

それが想定外のことが起こって防げなかったというのは、想定が間違っていたということである。しかも発電機が稼働しないとか冷却器が機能しないとか、そうなった時にどうするかということがあらかじめマニュアルで決められるものだ。

結局起こらないはずのことが起こったことで、放射能が拡散することになったし、電力の供給能力が低下して計画停電などという事態が発生している。

このことは経済的にどれだけの損害を引き起こしているのか想像してみたい。直接間接の影響いずれも因果関係を否定することはできないが、東京電力に全面的に損害賠償責任を負担させられるかという問題がある。政府が分担すべき部分もあると思う。監督責任を負担するという点もある。

放射能汚染でまず社会不安が生じているが、これは算定不能だ。限りなく額が大きくなる。次に現実に汚染での人命への影響。汚染状況の検査と除染、被曝者の治療、これらがどこまで拡大するか。それによって損害額も変化する。

退避圏が広がったことや、酪農産物の出荷中止、水道水の汚染で被害はどんどん拡大していく。パニック状態に陥るおそれだってなしとしない。

放射能で汚染されたとみなされる地域は向こう数十年にわたって酪農産業はできない、作っても誰も買わない何も生み出さない不毛地帯になる。そして誰もその地域に住もうとしなくなるだろう。つまり生産資源としての国土の一定部分が、首都圏に至近距離にあるのもかかわらず壊死することになるのである。この損害額も莫大すぎて算定できない。

そこでの生産活動、居住権を奪われた住民(数百万に及ぶ)の損害を補てんすることも必要だ。居住地確保・所得補償に莫大な費用が掛かることだろう。

東京電力の自己資本がいくらあるのか確かめてもいないが、これらの損害を補てんしろと言われたら、どんな巨大企業とても会社更生法申請に追い込まれるに違いない。ここまでが限度か。具体的な金額の算定はエコノミストの方が得意だろう。

結論を言えば、限りなく損害は広がる可能性が残っているのであり、そうである以上東京電力の責任は部分的に問われたとしてもその額は立ち直りができないくらいに大きな額になるだろう。もっとも公益企業として政府が支える可能性も高いが株主責任がその場合問われる可能性もたかいと思う。だから買いは控えるべきということだ。もしかしたら、政府が全面的な支援を行う、株主責任も問わないことになれば株価は急騰して元値に復するに違いないから、100株程度なら賭けをしてみるという手もあるかもしれない。

しかし、そのシナリオは損害を被った人々からすればとても許しがたいことだろう。土地を奪われ健康不安におののき経済不安が追い打ちをかけるとしたら、東京電力は平然としてはいられないはずだ。

原子力発電事業に対する政策は全面的に見直されるべきだろう。人災であったとするならなおさら、安全対策がどうしたら担保されるかの保証がない限り事業の拡大は許されてはならない。

たとえ売名行為であっても誰も非難することはない

2011-03-23 19:03:15 | Weblog
震災の被災者に対して経済力ある著名人が積極的に募金をされていることに敬意を表したい。もったいぶることもなく、さりげなく支援の意思を示されるのはとても気持ちのいいことで、心が洗われる思いである。

大げさにタレントの皆さんが街頭募金活動をされることもいいことだと思うし、それがたとえ売名行為であったとしても構わない、むしろそれでどんどん名前を売り出したらいいのだと思う。要は被災者にどれだけ助けになったかということが大事なのだから。もちろん盗んだ金を募金されてもいいのかといわれると苦しいが、濡れ手に粟で儲けた金を募金するなら、せめてもの罪(?)滅ぼしにはなるかとも思う。

金を復興のために使う。広告をいま企業は自粛しているが、広告費はずいぶんと浮くことだろう。交際費だって自粛すればいい。関係各方面は大いに困ってしまうことだろうが。トヨタが広告費相当分を現金で提供するとか自動車の現物を提供するとかすると、おそらくテレビ広告を打つ以上の効果があると思う。どの企業も生活に必要なものを製造しているのだから、自社製品を広告費を使って提供することだって有効だし、市場開拓になるかもしれない。

広告費というのは社会貢献という形で使っても効果が大きいのであれば意味のある支出であるはずだ。ぜひ検討してほしい。ローソンが無償でおにぎりを被災地に届けるにはどうしたいいか模索しているという番組があったが、これだけで大きな広告効果が出たといえる。ローソンの消費者好感度はいやがうえにも高まったことだろう。

売名行為であってもいい、それが被災者やひいては消費者の支持を得られるものなら、企業戦略として有効だというべきだろう。そのような下心を我々は許容すべきだろう。そして彼らだからできることをしっかりとやろうとしていることに拍手を送りたい。1973年の石油危機の際に千載一遇のチャンスと言って儲けまくろうとした石油会社と本質的にベクトルが違うことに注目したい。



悲観論をあえて・・・日本経済を待ち受けるもの

2011-03-20 20:02:52 | Weblog
原発事故はそろそろ情報慣れしてきて、国民の間に「免疫」でもできたかのように騒ぎも静まってくるようにも思える。実際にも冷却作業が多少は効果を見せてきて市場も安どしてこよう。でも本当にそうか。そんなに簡単に収まるものであろうかという素人の疑問もある。「水」とその中を通す「電気」、うまくいってほしいという願望は強いが客観的な現実はいかがなものだろう。

すでに放射能汚染で野菜と牛乳に出荷自粛が求められている。これから汚染が収まったとしても、風評被害は続くことだろう。何よりも輸出への影響が大きいと思われる。
これは農産物のみならず、食料品全体さらには製造業全体にまで及ぶことだろう。しかも、福島地域の生産物に限定されず、「日本」産全体に及ぶ可能性の方が高いだろう。

今回の地震は、だれしも経験したことのないものだが、実はフィクションの世界ではすでに予測されていた。高嶋哲夫氏の「TSUNAMI」という小説が今回の地震そのものと思えるような惨劇を描いている。読み始めたばかりだが、これから私が書こうとしている予測も書かれてあるに違いない。

電力は産業の、そして社会生活のインフラストラクチャである。その供給能力に制約が加わるというのは、かつてないことであろう。神戸でも電力供給が停電で一時的にストップすることはあっても長期間にわたって制約されることはなかったのではないか。

これによって大規模停電を避けるために、計画節電をしようとするがこれにはどうにも無理があると思う。社会生活上はもちろんそうだが、製造業ではきわめて困難な状況をもたらすことになるのではないか。

落ち着くところは、社会全体、産業全体にわたる経常的な節電努力を行うことである。工場の稼働は深夜稼働としてたとえば5割減、鉄道は休日ダイヤ以下に制限、小売り業は夕方6時までの営業、飲食業は制限しなくても閑古鳥だろうがとりあえず夜9時までとするなど。もちろん職場や住宅の電気使用も抑制する。確かに廊下やエレベーターホールの照明は危険を感じない程度であればその方があるべきすがたではないか。ふんだんに電気ガス水道を使えると思わず大事に使うという気持ちに社会全体がなればいいのだ。

結果として、何が起こるかといえば、経済活動の大規模な収縮だ。物資が有り余る
状態から、あるものを必要なだけ使うという感覚になれば、消費を刺激しなくなるので、GDPは大きく落ち込むことだろう。

企業業績はやはり大きく落ち込んで、株式市場も暴落する。国債も増発されることになり、金融緩和を継続するもいずれ国債利回りは上昇することになろう。為替レートも今は協調介入で円高を抑制しているが、いずれ日本経済が弱体化するとの見通しが強くなれば、介入なんかせずとも大幅な円安が出現することだろう。

金が回らなくなる状況になるということ。震災復興需要は5年も10年も続くことだろうが、全体としてはそれだけでは経済収縮に歯止めをかけることはできないだろう。14百兆円の個人金融資産が徐々に溶け出してくるだろう。厚生年金支給額を一律1割カットとかという話が出てくるかもしれない。その前に企業年金がカットされるだろうが。健康保険料も引き上げざるを得まい。

旅行や外食・娯楽などちょっとしたぜいたくも自己抑制が働くので、消費欲望を刺激してGDPを伸ばすどころか減少を止めることが自体が無理になってくる。

不動産市場にも影響が出てくる。臨海地域の地価は低下傾向となるだろうし、山手地域をTSUNAMIを避ける可能性が高いということで求めるようになる。持ち家も倒壊したらおしまいということで賃貸に向かうかもしれない。あるいはマンションが好まれるかもしれない。さらに産業界からするとリスク分散の必要を再認識して都市部に工場を集中することは避けてこれまで以上Jに地方に分散することを重視することになるだろう。かえって地方都市の過疎化の問題を解決する足掛かりになるかもしれない。

今回の地震ではどんなに強い耐震構造を持つ家であってもTSUNAMIが来ればひとたまりもないということが改めて分かった。予知ができれば逃げることもできる、予知できなければTSUNAMIが来ないことを選択したほうがいいし、都市機能を失わないためには高台に学校や官庁ビジネス街を置いた方が望ましいということにならないか。住居は丘の上が好まれるかもしれない。今度は大雨の鉄砲水を心配しなくてはいけなくなる。

ともかく原発事故が大地震災害と同時発生したことによって、かつてないリスクを発現したということだ。チェルノブイリのような数十年にわたる不毛地帯を作るようなことになったら、それは結果的に日本全体の息の根を止めることにもなりかねないということを私たちは認識しなければならない。

今日になって、祖母と孫が9日振りにがれきの間から救出されたという報道があった。良かったと思う、がなぜ9日もかかってしまったのか不審に思う。母親と連絡を取っていたが途中で連絡が途絶えたと記者はレポートしていたが、であるならなぜ母親はすぐ救助隊に救出を要請しなかったのだろう。所在は分かったはずなのにと思う。記者のレポートが悪かったと思うが、あんな報道では母親が祖母と孫を見殺しにしていたのではないかと視聴者は思うのではないだろうか。事実をきちんと伝えること、明らかにおかしいと思われることは報道しない方が関係者に迷惑をかけないために必要なことではないだろうか。

「想像力の欠如」。ある団体があの地震の後に宴会を予定していたが、会場が使えるのか否かを確認するのに5時まで待って、中止を決めたという。大地震の状況を判断できないのだから、電車が止まっているという事実もよく考えず、会場が使えるなら宴会開こうという判断だったようだ。リスク管理意識があれば、即刻中止を決めたことだと思う。まともな判断ができなくなっていうのか、ノー天気なことだ。被災者が多数報告されているのに宴会やって楽しめるのだろうか。どうやって帰宅しようと思ったのだろう。無神経というか想像力がかけるのだと思う。

日本経済に打撃が与えるというのなら、株を買おうとは思わないのが普通だろうが、ここは買い支えなくてはならんという人がいてももちろんそれを想像力が欠如していると非難しようとは思わない。

マスコミの取材一つとっても・・・もっとなすべきことが

2011-03-17 22:31:21 | Weblog
大地震以来、ずっとテレビ画面に釘づけになっている。もっと生産的なことやれよと自嘲しながらも不安が先だってついつい大事なことも後回しにしてしまいそうだ。

どのチャンネルも同じように震災の惨劇を映し出し、被災者にインタビューし、画面に向かって支援が必要だと訴えかけてくる。報道があるから被災地の情報もよくわかるし、政府も企業もいい加減な対応したりしようものなら国民から激しい批判を浴びるから、きちんとやらざるを得ない。きわめて重要な役割を果たしているのは言うまでもないことだと思う。

でも、あまりにも画像が共通で、被災者からしても何度も何度も同じことを取材で答えるのはもちろん効果はあるだろうが、いい加減疲れてしまうのではないだろうか。

取材している方もいい加減自分たちがどれだけのコストをかけて取材しているかということを認識したらどうだろうと思う。どのテレビ局も自動車、ヘリコプターそして燃料を使って競って報道合戦を繰り広げている。

冷めた目で見ればどうだろう。それほどの資金を使うなら被災者・被災地の支援に振り向けたらどうなんだろう。取材を各社で分担して経費を節減して、余力を支援に回したらいい。ヘリコプターや取材バンがあれば被災者を運んだり、医薬品や食料品を運んだり、いろんなことができると思う。

取材は時事通信とか共同通信とかNHKとか2~3社で行い、データは各社に配信する。どのチャンネルもどうせ同じような 画像なのだから(もちろん報道の自由の侵害につながってならないことは当然であるが)視聴者はそれを見て情報をつかめばいいのだ。

被災者が何がほしい、足りないといっている、それを伝えるのは大事なことだが、どの局も同じことを伝えるのは好いにしても同じことをやる必要はない。被災者の悲惨な状況が伝えられれば伝えられるほど、支援物資を持って行っているのかよ自衛隊のヘリの代わりに被災者を救ってやれよと言いたくなる。

ちょっと違うんじゃないかと思うのだ。

歴史的大災害とそれによる大暴落相場にどう立ち向かうか

2011-03-15 20:50:52 | Weblog
何とも言いようがない大事件だ。発生当時高層ビルにいて、もしかするとニュージーランドの崩落した建物のことを思い浮かべていた。あまりに大きくて強い揺れなので震源は東京かとさえ思った。

東北で震災に遭った方々は、もしかすると私の姿でもあった。これから時間をかけて再生に取り組んでいかれることになろうが、辛く長い道のりに違いない。

今なすべきことは、被災者の命と健康を守ること、行方の分からない被災者の捜索と収容。それが終わって初めて被災地の片づけに始まる復興作業なのだろう。あらゆる資源を活用して被災者を守り抜く努力を国を挙げて取り組まねばばらないといえる。

これに加えて、福島原発のトラブルは別の意味で大変な問題になりつつある。国家の命運を左右しかねない性格の大事件だ。天災か人災か、それをいま問うても始まるまい。いずれ責任追及はしっかりやればいい。東京電力の不祥事なのか天災による不可抗力なのか、今のうちから責任逃れ的な言動も見られなくもないが、いずれ明らかになる。大事なことは、この「今そこにある危機」に対してどう対応するかだ。

何でもいいから、これ以上災害の被害者を拡散することのないよう、事態を収拾するほかない。嘘を嘘で塗り固めて結果的に対応が後手後手になることがないよう、速やかに問題を解決することだ。

大地震で日本列島の東北部の産業機能が大きく損なわれた上に、電力会社の原発事故が輪をかけるように日本経済全体にきわめて大きな制約を加えることになった。電力はインフラの一つであることは言うまでもないことだが、これに制約が加わり、しかもその持続性に疑問符が付いたことによって、原状回復はありえなくなった。原子力不信に安全エネルギーを国家として推進せざるを得なくなるだろう。ということは電源供給は早急には回復しない、「計画停電が続く」ということだ。その結果、生産能力が全体として数割減少するということになる。

これに対して製造業はどう対応するのだろうか、海外にこれまで以上に生産シフトするのだろうか。それはまた雇用問題をさらに深刻化することにもなろう。また原発問題は、農業生産にも影響することだろうし、今回事故で放射能汚染を受けた地域を半永久的に壊死させることにもなりかねない。

これはどんなに日銀が金融緩和を促進しようとどうすることもできない。今日の株式市場の大暴落は、数か月先の経済状況の先行指標という意味合いもあろうが、それ以上の大きな意味を含んでいるのである。

いったん深く相場が落ち込んでも、また再び数日もすれば復元するというのが過去の相場であった。しかし今回はどうも違うのではないだろうか。悲観的に予測しようというつもりはない。客観的に眺めればそうではないかといいたい。

日本経済がメルトダウンする、でなければ大きく縮小するということになりかねない。決して甘くはない状況が我々を待ち受けている。繰り返し言う。エネルギーインフラが日本経済を大きく制約してしまうのである。このことはサービス業まで影響を及ぼすのである。

結論を言えば、株式市場は崩落する、ナイアガラ瀑布に突っ込んだところである。東京電力の株価は限りなくゼロに近づいていくことだろう。主要産業の株価も水準訂正が行われることになる。日経平均7千円8千円とかのレベルではない。長期保有として保有するのだと自分に言い聞かせている私自身ですらつらい思いを味わされることだろう。そういう気構えで明日以降の相場に立ち向かうべきだろう。ここまで下落したら歴史的な買い時だと思って拾うのは今回に限っては極めて危険なことに、もしかすると命取りにさえなってしまうかもしれないことを肝に銘じておくべきなんだろう。

あくまで、自分にこれを言い聞かせて自らのはやる気持ちをコントロールしたいと思っているところである。為替も80円台に入った79円台に突っ込むのも時間の問題だ。日経平均が30%下落したら償還が外国通貨になるとか、いろんな仕組み商品もある。これがその動きを促進してしまことだろう。寒気がする。