くたばれ !!! ストーカー

ストーカー・ストレスを解消するためのブログ。

ストーカーの精神分析

2008-05-04 18:08:04 | ストーカーの精神分析


 世の中には、ストーカー的な人からのストーキング行為に苦しんでいる人たちが大勢います。ストーカー的な人からのストーキング行為は無形的なものが多いので、周りの人に相談しても、「あんたの被害妄想じゃないの?」と片付けられるのが現状です。

 これから社会に出る人や、今社会で働いている人へ、警告の意味合いを込めて「ストーカー」という存在について論じたいと思います。

 まず、ストーカー的な人の特徴は、

 1. 相手からの「拒絶」を受け入れることができない(拒絶が通用しない)
 2.「嫌われるようなことをしたら、嫌われる」という当たり前のことが理解できない
 3.「相手に精神的苦痛を与えている」という罪の意識が無い

 この3大特徴に尽きます。

 まず、「拒絶を受け入れることができないのはなぜか」というと、理由は2つあります。

 その理由をこれから論じたいと思います。


<拒絶を理解できない>

 まず1つ目は、拒絶という感情を理解できなくなっているから。

 これは、"相手によって態度を変えてはいけない"という優等生としての戒律を遵守するために、拒絶の感情が沸き上ってきてもそれを表に出さず、自分の内面で殺して感じなくしてしまっているからです。

 自分自身が拒絶の感情を表に出すことを禁じ、拒絶の感情を感じなくなってしまっている人が、他人が拒絶の感情を表に出すことを許すはずがありません。そのことが、相手に束縛感と息苦しさを与える結果となり、人が離れていく原因になります。

 相手の「思想・判断の自由」を奪って不快感を与えておいて、受け入れられようとするのは、論理的に矛盾しており、思考回路の論理性が破綻している証拠です。(2.の「嫌われるようなことをしたら、嫌われる」という当たり前のことが理解できていないことからも、思考回路の論理性の破綻を読み取ることができます)

 しかも、拒絶の感情を感じることができなくなってしまっているので、相手が拒絶の態度を表しても、それを拒絶として認識することができません。

 そのため、相手が嫌がっているのに、罪の意識を感じずひたすら受け入れられようとして、相手にどんどん嫌われ続けます。(これが、3.の「相手に精神的苦痛を与えている」という罪の意識が無いという原因となります)

 また、「優等生的に振舞えば、絶対に嫌われず誰からも受け入れられる」という偏狭な考え方に凝り固まっていて、「自分が嫌われるのは優等生的な振る舞い方が足りないからだ」と勝手に思い込んで、さらに優等生的アピールを強めようとするところにも拒絶を受け入れられない原因が潜んでいます。


<自他が未分化>

 2つ目は、自我が確立しておらず、精神的に自他が未分化状態にあり、自分と他人の境界が曖昧になっているためです(このような人格状態を心理学用語で「境界性人格障害」といいます)

 自分と他人の境界が曖昧で、自我が確立できていないので、常に周囲の人と感情的に一体化しようとする行為が、1.のような行為につながると考えられます。

 まさに、周りの人間が自分の補助輪になってしまっているわけです。


<支配中毒>

 本来、コミュニケーションとは、相手との信頼関係を築くために行うものである。しかし、ストーカー的な人は、相手を支配するためにそれを行おうとする。

 自分の行動を自分の責任下において決定している人にとって、自分の行動の決定権や自分自身の所有権を奪おうとしてくる行為は、強盗行為に等しく、そんなことをしたら嫌われるに決まっている。

 相手を支配することしか頭にない人と信頼関係を築くことはとても難しい。(職場に巣くう閉塞感の要因ともなっている)
 

<被害者の苦悩>

 いくら拒絶をしても、それが相手に伝わらず、ひたすらまとわりつかれる日々が続くと、被害者はストーカーの生霊に獲り憑かれたような状態になり、絶望を通り越して頭がおかしくなりそうになる。

 まさにバックミラーもブレーキが壊れた暴走トラック。

 「嫌いな料理を無理やり食べさせられたら、その料理をますます嫌いになる」という当たり前のことにすら気付かないほどの思考停止ぶりにはほとほと呆れ果てる。

 でも、そういう人間を誰でも彼でも無条件に受ける人のいい人たちが無条件に受け入れて野放しにしてしまうので、被害者の苦悩は深まり続ける・・・。


<いじめ問題とストーカー>

 今回更新したエントリーの内容は、近頃世間を騒がせている「いじめ問題」にも通ずる所がある。

 私は、いじめというのは、「いじめられる側にも責任がある」と考えています。いじめられるようなことをしてるから、いじめられるのであって、頭ごなしに「いじめはよくないからやめなさい」と言っても無意味。

 特定の相手に対して"キモイ"とか"ウザイ"とかいう感情(生理的嫌悪感)を感じ、そのような感情を喚起する相手を遠ざけようとするのは、自然な行為といえる。

 でも、その特定の相手が、精神的に未成熟で相手からの拒絶を受け入れられずに、その人にしがみつこうとする過程で、「こんなに拒絶してるのに、なんでまとわりついてくるんだ!」という防衛本能が、結果的にいじめに繋がっていく。 

 人間関係というのは、学校生活や会社生活の中で自然と学んでいくもの。でも、そういう機会に恵まれなかった人もいる。そういう人たちのために、学校で「人間関係学」という授業を行うというのも、いじめを減らす手立ての一つだと思う。



人生の悲劇は『よい子』に始まる/加藤諦三/PHP文庫