くたばれ !!! ストーカー

ストーカー・ストレスを解消するためのブログ。

ストーカーは、なぜ拒絶を受け入れようとしないのか

2009-01-07 00:19:22 | ストーカーの精神分析




 相手を激怒させ、露骨な拒絶の意思表示をされながら、相手にまとわり続けるストーカー。やつらはなぜ、拒絶を受け入れようとしないのか。

 それは、やつらの人格が肥大化した自己顕示欲と承認欲求で成り立っているからである。

 異常なほど肥大化した自己顕示欲と、承認欲求で成り立っている異常な人格を保つためには、異常なほど肥大化した万能感に浸るしかないのである。そのため、相手からの拒絶を受け入れると、万能感が崩れてしまい、人格が崩壊してしまうのである。

 また、異常な人格を異常なほど肥大化した万能感によって保っているため、そんな自分を客観視すると、万能感が崩れてしまうため、自分の言動を客観視しないことでもまた、人格を保っているのである。

 そのため、いくらストーカーに拒絶の意思表示をしても、異常なほど肥大化した万能感に吸収されるだけなのがオチで、焼け石に水状態なのである。

 つまり、ストーカーへの対抗策は、「ひたすら無視して(縁切り神社に)神頼み」しかないのである。






一切伝わらない感情

2008-07-25 00:58:26 | ストーカーの精神分析


 ストーカーには、際限の無いまとわりつきによって相手が抱く 「拒絶」、「怒り」、「絶望」といった感情はいっさい伝わらない。

 それらを想像する共感能力、感受性が欠落しているからだ。

 その点において、ストーカーの精神年齢は"幼稚園児"とほぼ変わらないといえる。




ストーカーの精神分析

2008-05-04 18:08:04 | ストーカーの精神分析


 世の中には、ストーカー的な人からのストーキング行為に苦しんでいる人たちが大勢います。ストーカー的な人からのストーキング行為は無形的なものが多いので、周りの人に相談しても、「あんたの被害妄想じゃないの?」と片付けられるのが現状です。

 これから社会に出る人や、今社会で働いている人へ、警告の意味合いを込めて「ストーカー」という存在について論じたいと思います。

 まず、ストーカー的な人の特徴は、

 1. 相手からの「拒絶」を受け入れることができない(拒絶が通用しない)
 2.「嫌われるようなことをしたら、嫌われる」という当たり前のことが理解できない
 3.「相手に精神的苦痛を与えている」という罪の意識が無い

 この3大特徴に尽きます。

 まず、「拒絶を受け入れることができないのはなぜか」というと、理由は2つあります。

 その理由をこれから論じたいと思います。


<拒絶を理解できない>

 まず1つ目は、拒絶という感情を理解できなくなっているから。

 これは、"相手によって態度を変えてはいけない"という優等生としての戒律を遵守するために、拒絶の感情が沸き上ってきてもそれを表に出さず、自分の内面で殺して感じなくしてしまっているからです。

 自分自身が拒絶の感情を表に出すことを禁じ、拒絶の感情を感じなくなってしまっている人が、他人が拒絶の感情を表に出すことを許すはずがありません。そのことが、相手に束縛感と息苦しさを与える結果となり、人が離れていく原因になります。

 相手の「思想・判断の自由」を奪って不快感を与えておいて、受け入れられようとするのは、論理的に矛盾しており、思考回路の論理性が破綻している証拠です。(2.の「嫌われるようなことをしたら、嫌われる」という当たり前のことが理解できていないことからも、思考回路の論理性の破綻を読み取ることができます)

 しかも、拒絶の感情を感じることができなくなってしまっているので、相手が拒絶の態度を表しても、それを拒絶として認識することができません。

 そのため、相手が嫌がっているのに、罪の意識を感じずひたすら受け入れられようとして、相手にどんどん嫌われ続けます。(これが、3.の「相手に精神的苦痛を与えている」という罪の意識が無いという原因となります)

 また、「優等生的に振舞えば、絶対に嫌われず誰からも受け入れられる」という偏狭な考え方に凝り固まっていて、「自分が嫌われるのは優等生的な振る舞い方が足りないからだ」と勝手に思い込んで、さらに優等生的アピールを強めようとするところにも拒絶を受け入れられない原因が潜んでいます。


<自他が未分化>

 2つ目は、自我が確立しておらず、精神的に自他が未分化状態にあり、自分と他人の境界が曖昧になっているためです(このような人格状態を心理学用語で「境界性人格障害」といいます)

 自分と他人の境界が曖昧で、自我が確立できていないので、常に周囲の人と感情的に一体化しようとする行為が、1.のような行為につながると考えられます。

 まさに、周りの人間が自分の補助輪になってしまっているわけです。


<支配中毒>

 本来、コミュニケーションとは、相手との信頼関係を築くために行うものである。しかし、ストーカー的な人は、相手を支配するためにそれを行おうとする。

 自分の行動を自分の責任下において決定している人にとって、自分の行動の決定権や自分自身の所有権を奪おうとしてくる行為は、強盗行為に等しく、そんなことをしたら嫌われるに決まっている。

 相手を支配することしか頭にない人と信頼関係を築くことはとても難しい。(職場に巣くう閉塞感の要因ともなっている)
 

<被害者の苦悩>

 いくら拒絶をしても、それが相手に伝わらず、ひたすらまとわりつかれる日々が続くと、被害者はストーカーの生霊に獲り憑かれたような状態になり、絶望を通り越して頭がおかしくなりそうになる。

 まさにバックミラーもブレーキが壊れた暴走トラック。

 「嫌いな料理を無理やり食べさせられたら、その料理をますます嫌いになる」という当たり前のことにすら気付かないほどの思考停止ぶりにはほとほと呆れ果てる。

 でも、そういう人間を誰でも彼でも無条件に受ける人のいい人たちが無条件に受け入れて野放しにしてしまうので、被害者の苦悩は深まり続ける・・・。


<いじめ問題とストーカー>

 今回更新したエントリーの内容は、近頃世間を騒がせている「いじめ問題」にも通ずる所がある。

 私は、いじめというのは、「いじめられる側にも責任がある」と考えています。いじめられるようなことをしてるから、いじめられるのであって、頭ごなしに「いじめはよくないからやめなさい」と言っても無意味。

 特定の相手に対して"キモイ"とか"ウザイ"とかいう感情(生理的嫌悪感)を感じ、そのような感情を喚起する相手を遠ざけようとするのは、自然な行為といえる。

 でも、その特定の相手が、精神的に未成熟で相手からの拒絶を受け入れられずに、その人にしがみつこうとする過程で、「こんなに拒絶してるのに、なんでまとわりついてくるんだ!」という防衛本能が、結果的にいじめに繋がっていく。 

 人間関係というのは、学校生活や会社生活の中で自然と学んでいくもの。でも、そういう機会に恵まれなかった人もいる。そういう人たちのために、学校で「人間関係学」という授業を行うというのも、いじめを減らす手立ての一つだと思う。



人生の悲劇は『よい子』に始まる/加藤諦三/PHP文庫


自我の脆弱性

2008-01-12 10:35:28 | ストーカーの精神分析



 ストーカーが誰彼構わず精神的に一体化しようとするのは、自我の脆弱さの表れなのではないだろうか。

 周囲にいる全ての人と精神的に繋がっていないと、自分を保てないのだろう。

 (あーキモい)



ストーカーの3大要素

2007-08-28 22:26:45 | ストーカーの精神分析
 



  
               ・自己喪失 … 相手とほどよい対人距離をとれない
               ・愛情飢餓 … 病的なしがみつき
               ・万能感  …  拒絶を受け入れられない
 



                        超キモうぜー






万能感とストーカー

2007-07-26 23:55:45 | ストーカーの精神分析


<自信と万能感>


 ストーカー的人格者は、「自信」と「万能感」を履き違えている。

 自信は日々の努力に裏打ちされたものであり、「万能感」とは全く違うものである。


<万能感に陥るメカニズム>


 万能感に陥る原因は、過度の迎合と我慢にある。

 迎合と我慢というのは、適度で一時的なものであれば問題はないが、優等生のように過度で永続的なものになると様々な問題が出てくる。

 (過度で永続的な迎合と我慢は、優等生の根幹を成すものであり、優等生はストーカー予備軍といっても過言ではない。戦後社会は優等生を規格大量生産したため、問題の根は深い)

 迎合とは、自らの価値判断を放棄して、全ての物事を肯定することである。

 つまり、判断という機能を使わない。

 使わない筋肉が衰えるように、判断力は退化していく。

 判断とは、正誤、美醜、善悪、できることとできないこと、わかることとわからないことなどを区別する能力である。

 判断力が低下すると、正誤、美醜、善悪の区別がつかなくなる。

 これはモラルや倫理観の低下に結びつく。昨今の大企業の凋落はこれが原因。

 判断力が低下すると、できることとできないこと、わかることとわからないことの区別がつかなくなる。

 これが、万能感に陥る原因。はやく気付けこの地縛霊野郎!!!!!キモイんだよ!!

 今日も、近くにやってきたが、そばを通られただけでハリーポッターに出てくるディメンターのように精気を奪われそうになった。

 一体なんなんだろうあの圧迫感と嫌悪感は。。。

 






 

ストーカーの精神分析3

2007-07-07 11:36:10 | ストーカーの精神分析


 人間の欲求は段階的になっていて、一つの低次の欲求が満たされると次の高度な欲求に移行する。欲求説として有名なのは、マズローの欲求段階説です。

 欲求の段階は、

  第1段階の    生存の欲求(食欲、睡眠、性欲)から、

             安全の欲求(存在、生活上の安全、安定)、

             帰属の欲求(集団への帰属)、
 
             承認の欲求(周囲から認められる)を経て、

  第5段階である  自己実現の欲求(自己表現、能力発揮、創造的活動)

  に区分される。


 欲求は、人間の存在にとってより根源0的な第1段階から始まり、それが満たされると、より高次元の段階の欲求に移行します。つまり、人間は、日々の生活において欲求の階段をいったりきたりしている。(いったりきたりする階段の長さは、辿り着いた欲求段階のレベルによって個人差がある)

 ここで問題となるは、承認欲求というのは、本来の自分を周囲の人に受け入れられて、認められなければ満たされないということ。

 自分の考えを捨て感情や欲求を殺して上司の言いなりになったり、時代遅れの規則を守ったりすることで認められて出世しても、それは本来の自分ではないので、承認の欲求は満たされず、次の自己実現欲求には移行できない。 

 なので、どんどん承認の欲求が肥大化していき、ひたすら周囲の人全てから受け入れようと突っ走る。しかし、感情や欲求を完全に殺して生きているので、相手からの拒絶の感情を感じることができず、承認に飢えた餓鬼のようになり、ストーカー的人格となる。


 自己喪失に陥り、感情や欲求を完全に殺してしまって感じなくなってしまっている人(優等生)は、永遠に自己実現欲求には辿り着けず、一生、承認欲求のステージから脱することができない。

 自分らしく生きれなかった人が、ストーカー的人格になるのである。


 ”自分の”自己実現欲求を満たすために生きている人にとって、”相手からの”承認を得ようと一心不乱になっている人間というのは、人生の障害物以外の何物でもない。

  


万能感

2007-06-27 21:59:03 | ストーカーの精神分析


 ストーカー的人格者は、自分の妄想的万能感を満たすために生きている。


  私は誰にも嫌われない。

  私は誰からも好かれる。

  全ての男(女)は私にひざまずく。

  周りの男(女)の注目は全て私に向いている。

  思い続ければ願いは必ず叶う。


 しかし、上記のことは全て妄想的錯覚である。

 つまり、ストーカーを撃退するためには、「あなたの万能感は妄想的錯覚である」ということに気付かせればよい。

 「私はあなたが嫌いで気持ち悪く思っている」ということを露骨に示し続けるしかない。

 じゃないと、ちょっとでも親切にしたり目を合わせたりすると、やっぱり私に気がある!とか、運命の人だ!とか勝手に思い込まれて、相手を増長させてしまう。

 ストーカーという存在は、モテないおっさんや誰彼構わず受け入れてしまう人がいる限りなくならない。

 それらの人たちが、ストーカー的人格者を野放にして増長させているからである。