さて、前回のエントリーで「なんで急にそんなはなしを?もしかして、そういうこと?」と勘の良い方は感じたかもしれませんね。
そう、生き物を飼う限り、必ず避けては通れない一つの運命。
実際にそれが起こったのは、もう一年半ほど前、2013年の春先、三月末から四月の頭頃のことだった訳なんですが…。
四月と云えば、僕の誕生日ともちょうど重なるんですよね。
毎年、誕生日前後には有給とって、ちょっとした旅行に行ったりしてる訳なんですが、去年はなんか自分、いよいよ大台乗っちゃうよって(笑)、もう鬱手前???ってくらいにふさぎ込んだり、物思いに沈み込んだり、そりゃぁもう精神的に不安定で、旅行先決めるどころじゃなかった訳なんですよ、ほんとに。
でもいよいよ有給も迫ってきて、いい加減旅行先決めて、飛行機やらホテルやら予約しなきゃ…って時になって、急にウチのレオ(ハリネズミ)がごはんを半分くらい残すようになって、あれ?って思ったらあれよあれよと云う間に体重が減り始めて。
急いで動物病院に連れて行きましたが、もう、こうなると旅行どころじゃないんですよね。二日おきに栄養剤の注射をしてもらったり、アレやらコレやら検査したり。
もう物理的にも精神的にも外出どころじゃなかったんで、まぁ、今年の誕生日は当日にどっかレストランでも行って、食事するくらいで良いかなぁ、なんて思いながら有給休暇に突入。
当初、ちょっと持ち直したね?と思っていたレオの体調が、有給入った途端に急変して、やっと食欲も回復してきたかな?冷凍ピンクマウスは好んで食べてくれてるね、と思ってたのも食べなくなり、有給二日目の朝、彼が大好きだった回し車の近くで冷たくなっていました。
ハリネズミの死自体二回目、と云う事もあるのかもしれないけど、直前まで元気だったし、一度は回復してご飯も食べるし、まわし車も一生懸命走っていたのが、急に死んでしまって、すごくショックだったけど、でもやっぱり、安楽死よりも自然死のほうが受け入れやすい気がしました。今回の感想。
でもやっぱり、すごく悲しくて、いっぱい泣いて、主のいないテラリウムを見るのがつらくて、レオのいない家に残っているのがつらくて。
そんな訳で、急きょ、やっぱり旅行にいこうと云う事になったんです。
その辺の経緯は去年五月二十日のエントリーにちょこっと書いて有りますが。
家から逃げるようにして旅行にでたスペイン・バルセロナ。
バルセロナは大好きだし、陽気な街で、そんないろいろな心の澱を忘れて楽しい時間を過ごさせてくれて。忘れられない40歳の誕生日になりましたが、家に帰って、いざテラリウムの中身を奇麗に掃除して、空っぽにしてみるとやっぱり寂しくて、悲しくて。
いろいろ考えました。
二回もこんなにつらい思いをして、それも、思いもよらぬかんじで二年ほどの命でしかなくて…って。
考えて考えて、やっぱりもう一度ハリネズミを飼いたいな、って。
ハリネズミは、けっして犬猫のように毎日触れて、一緒に遊んでコミュニケーションをとれる動物ではないけど、やっぱりハリネズミのいない生活は寂しいな、っておもって。
一つの別れがあるから、新しい出会いがあるのだと。
出会いがあれば、必ず別れはくるものだから、だからこそ、一つ一つの出会いを大切にしたい、毎日のコミュニケーションや。一つ一つの出来事の積み重ねを大切にしたい、それは相手が人間ではなくても、同じなんです。
いろいろ思い出を整理して、気持ちを整理して
、心の準備ができてきたのが2014年の夏の終わりか秋頃。それから、レオと同じブリーダーさんのところで、同じ系統の子どもが生まれるのをまってました。
直系に兄弟姉妹ではないですが、同じ系統の仔で、同じような体色の仔をえらびました。
やっぱり体色が白い方が、物怖じしない、おおらかな性格になるようです。
正直言ってこうやって写真だけ並べると、どっちがどの仔かわからなくなる位似てます(笑)。
今回の写真はぜんぶ、新しい仔の写真…なはずw
性格もほぼ同じ、本当に落ち着きないというか、警戒心が薄いと云うか。
ちなみに、頻繁に手に取って計量したり、一緒に遊んだりする事で、多少ハリネズミの警戒心を和らげて、人に慣れさせることもできるみたいですが(実際にある程度人の気配に慣れてきます)、それぞれの個人差もあるので、くれぐれもハリネズミのストレスにならないように、過度の接触は避けましょう。
ハリネズミの名前は、ドイツ語でも日本語でも無理のない響き、あまり違和感のない名前、でも和風なものが良いな、と思ってアズマとつけました。
漢字で書くと東真。本来は「東」一文字でもアズマと読みますが、一文字名ってなんか嫌だったし、東の地に真あれ、という気持ちを込めて。
もちろんオトコノコです。
そんなアズマももうすぐ一歳…
正直言って、かわいいです(親ばかw)。
・
そう、生き物を飼う限り、必ず避けては通れない一つの運命。
実際にそれが起こったのは、もう一年半ほど前、2013年の春先、三月末から四月の頭頃のことだった訳なんですが…。
四月と云えば、僕の誕生日ともちょうど重なるんですよね。
毎年、誕生日前後には有給とって、ちょっとした旅行に行ったりしてる訳なんですが、去年はなんか自分、いよいよ大台乗っちゃうよって(笑)、もう鬱手前???ってくらいにふさぎ込んだり、物思いに沈み込んだり、そりゃぁもう精神的に不安定で、旅行先決めるどころじゃなかった訳なんですよ、ほんとに。
でもいよいよ有給も迫ってきて、いい加減旅行先決めて、飛行機やらホテルやら予約しなきゃ…って時になって、急にウチのレオ(ハリネズミ)がごはんを半分くらい残すようになって、あれ?って思ったらあれよあれよと云う間に体重が減り始めて。
急いで動物病院に連れて行きましたが、もう、こうなると旅行どころじゃないんですよね。二日おきに栄養剤の注射をしてもらったり、アレやらコレやら検査したり。
もう物理的にも精神的にも外出どころじゃなかったんで、まぁ、今年の誕生日は当日にどっかレストランでも行って、食事するくらいで良いかなぁ、なんて思いながら有給休暇に突入。
当初、ちょっと持ち直したね?と思っていたレオの体調が、有給入った途端に急変して、やっと食欲も回復してきたかな?冷凍ピンクマウスは好んで食べてくれてるね、と思ってたのも食べなくなり、有給二日目の朝、彼が大好きだった回し車の近くで冷たくなっていました。
ハリネズミの死自体二回目、と云う事もあるのかもしれないけど、直前まで元気だったし、一度は回復してご飯も食べるし、まわし車も一生懸命走っていたのが、急に死んでしまって、すごくショックだったけど、でもやっぱり、安楽死よりも自然死のほうが受け入れやすい気がしました。今回の感想。
でもやっぱり、すごく悲しくて、いっぱい泣いて、主のいないテラリウムを見るのがつらくて、レオのいない家に残っているのがつらくて。
そんな訳で、急きょ、やっぱり旅行にいこうと云う事になったんです。
その辺の経緯は去年五月二十日のエントリーにちょこっと書いて有りますが。
家から逃げるようにして旅行にでたスペイン・バルセロナ。
バルセロナは大好きだし、陽気な街で、そんないろいろな心の澱を忘れて楽しい時間を過ごさせてくれて。忘れられない40歳の誕生日になりましたが、家に帰って、いざテラリウムの中身を奇麗に掃除して、空っぽにしてみるとやっぱり寂しくて、悲しくて。
いろいろ考えました。
二回もこんなにつらい思いをして、それも、思いもよらぬかんじで二年ほどの命でしかなくて…って。
考えて考えて、やっぱりもう一度ハリネズミを飼いたいな、って。
ハリネズミは、けっして犬猫のように毎日触れて、一緒に遊んでコミュニケーションをとれる動物ではないけど、やっぱりハリネズミのいない生活は寂しいな、っておもって。
一つの別れがあるから、新しい出会いがあるのだと。
出会いがあれば、必ず別れはくるものだから、だからこそ、一つ一つの出会いを大切にしたい、毎日のコミュニケーションや。一つ一つの出来事の積み重ねを大切にしたい、それは相手が人間ではなくても、同じなんです。
いろいろ思い出を整理して、気持ちを整理して
、心の準備ができてきたのが2014年の夏の終わりか秋頃。それから、レオと同じブリーダーさんのところで、同じ系統の子どもが生まれるのをまってました。
直系に兄弟姉妹ではないですが、同じ系統の仔で、同じような体色の仔をえらびました。
やっぱり体色が白い方が、物怖じしない、おおらかな性格になるようです。
正直言ってこうやって写真だけ並べると、どっちがどの仔かわからなくなる位似てます(笑)。
今回の写真はぜんぶ、新しい仔の写真…なはずw
性格もほぼ同じ、本当に落ち着きないというか、警戒心が薄いと云うか。
ちなみに、頻繁に手に取って計量したり、一緒に遊んだりする事で、多少ハリネズミの警戒心を和らげて、人に慣れさせることもできるみたいですが(実際にある程度人の気配に慣れてきます)、それぞれの個人差もあるので、くれぐれもハリネズミのストレスにならないように、過度の接触は避けましょう。
ハリネズミの名前は、ドイツ語でも日本語でも無理のない響き、あまり違和感のない名前、でも和風なものが良いな、と思ってアズマとつけました。
漢字で書くと東真。本来は「東」一文字でもアズマと読みますが、一文字名ってなんか嫌だったし、東の地に真あれ、という気持ちを込めて。
もちろんオトコノコです。
そんなアズマももうすぐ一歳…
正直言って、かわいいです(親ばかw)。
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そうそう、和さん。
学校や幼稚園でウサギやニワトリを飼ったりする情操教育みたいに、オトナになっても、何度繰り返しても、常に学ばせてくれますね。
尊い命です。
たとえ人間同士でなくても、ヒトと動物でも、出会いってやっぱり一期一会なんですよね。
どんなに小さな生き物にも、どんな境遇の動物(肉牛などの家畜)にも、魂が宿り、一生懸命に生きている訳ですから、やっぱりひとつひとつの出会いを大切にしたい、その命を尊重したい、と思いますよね。