西川隆範:シュタイナー人智学の研究

シュタイナー思想を日本語で語りなおす

シュタイナー語録88(その6)

2011-01-25 18:57:01 | Weblog
45 宇宙の転生
 人間が何度も繰り返し受肉してきたように、地球も輪廻転生を経てきており、これからも転生を続けていく。
 地球は今日の姿として再誕するまえに、三つの受肉を経てきたことが洞察できる。
 今日の地球となるまえの地球を、神秘学では「月」と名づけている。天文学でいう月ではない。今日の月は、不要なものとして投げ捨てられた残滓である。
 太陽は地球のもっと以前の状態から生じたものである。「月期」のまえ、地球は「太陽期」にあった。
 「太陽期」には「土星期」が先行している。地球は「土星期・太陽期・月期・地球期」と転生してきたのである。人間の祖先として土星期に進化の過程をたどっていた人々は、物質体原理しか有していなかった。太陽期にエーテル体、月期にアストラル体、地球期に個我を獲得してきたのである。
 地球期は前半に火星から決定的な影響を受け、後半に水星から重要な影響を受ける。
 将来、地球が転生する新しい惑星状態は「木星」と呼ばれる。「木星期」にいたると、アストラル体は現在よりも遥かに成熟して、今日のように物質体の敵ではなくなるが、まだ完成されるわけではない。現在の物質体のように完成されるのはエーテル体である。
 アストラル体が今日の物質体のように完成するのは、月期・地球期・木星期の進化を体験して、「金星期」にいたったときである。地球の最後の受肉状態「ウルカヌス星期」において、個我は最高の進化段階に達する。地球の未来の受肉状態は、「木星・金星・ウルカヌス星」である。
 朦朧としたものではあっても、宇宙の全知を開示するような意識を、人間はかつて土星期において有していた。この意識状態は、深いトランス意識と呼ばれる。私たちの周囲には、今日でもこの意識を持つものが存在する。鉱物である。
 第二の意識状態は、私たちの知っている通常の眠りの状態である。この眠りの意識を、地球が太陽期にあったころの人間はずっと有していた。太陽期の人間は絶え間なく眠っていたのである。今日でも、植物はこの眠りの意識を有している。
 第三の意識状態、形象意識について、私たちはかなり明瞭な概念を持っている。ひとつの痕跡でしかないが、私たちは夢のある眠りのなかで、月期の人間が有した意識の余韻を体験しているのである。
Die Theosophie des Rosenkreuzers

46 土星
 「土星」には、土・水・空気を見出すことはできない。ただ、熱あるいは火のみが存在していた。
 今日地球上に存在するものすべてのうちで、「土星」にはただ人間のみが存在した。鉱物界・植物界・動物界は存在しなかった。
 植物は深く眠った存在である。もっと深い眠りの状態を考えてみよう。深い昏睡意識である。それが「土星」意識である。
 「土星」上の人間の意識は、このようなものであった。「土星」自体は無意識な存在である。というより、全宇宙の鏡像を内に担い、それを描くことができるような低次の意識を有していた。
 人間は「土星」では、一種の鉱物であった。人間は鉱物のような意識を持っていた。人体のなかには、今日では人間段階よりもずっと上位の崇高な存在たちが住んでいた。権天使つまりアルカイ=人格の神霊たちである。彼らは「土星」で人間段階を通過した。
 彼らは宇宙に対峙し、人間段階を体験し、個我意識を獲得するために物質的な人体を使用したのである。
 最初の段階ではまだ物質的な熱はなく、物質的な熱が用意されていた、とイメージしなければならない。ただ心魂的なもの、心魂的な熱が存在したのである。「土星」進化の中期に、初めて物質的な人体が物質的な熱質量から形成されて、存在した。
 ここで、「人体を形成した実質はどこから来たのか」と問うことにしよう。高次の神霊的な存在たちが、みずからの本質を物質的な人体のための素材として流出したのである。みずからの本質を流出するという供犠の行為を果たしたのは、意志の神霊たち、すなわちトローネである。「土星」で、意志の神霊たち=トローネが人体に実質を与えた。ついで、人格の神霊たちが人体に住んで、人間段階を通過した。人間は物質的萌芽として存在していた。「土星」進化は、始まりと頂点と引き潮を経ていく、とイメージしなければならない。そのあと、全体はプララヤを通過していく。
 惑星進化の道は螺旋状に上昇していく。インドの神智学は、可視状態をマンヴァンタラと名づけている。惑星も植物と同様に、開示された状態と隠された状態を通過していく。隠された状態は、宇宙の眠りと呼ばれる。
Theosophie und Okkultismus des Rosenkreuzers

47 太陽
 「土星」の宇宙の眠りのあと、「土星」が闇から新しい、変化した形態のなかにふたたび出現したとき、そこに生まれたのは「太陽」であった。「土星」と「太陽」の違いは、「太陽」の中期状態において、「土星」の熱実質が空気・気体状態へと濃縮したことである。「太陽」は熱を保持し、そのほかに空気を発展させた。「太陽」には、いまや熱と空気がある。また、そのほかに、「太陽」に光が発生する。「土星」は暗い熱からなっていた。第二の惑星「太陽」は、光・熱エーテル・空気からなっている。
 かつて「土星」で、物質的な人体の萌芽が発生した。いま「太陽」で、新しいものが付け加わる。神霊的な存在たちから、エーテル体が注ぎ込まれるのである。第二の惑星状態において、人間は植物の段階に達したのである。人間のなかに生命が存在する。エーテル体が組み入れられたことによって、人間の物質体も変化した。人間の物質体は「土星期」の卵の形を保持せず、分節していく。人間の物質体は、いまや振動する熱卵であり、その熱卵は光の構成体のなかで輝いたり消えたりする。そして、エーテル体が物質体に手を加える。
 「土星」ではトローネが物質体の素材を自分から注ぎ出したが、いま自らの実質を大きな供犠として注ぎ出すのは他の存在たちである。叡智の神霊たち、すなわち主天使=キュリオテテスである。
 「太陽」で、ある存在たちが人間段階を通過した。大天使たち、すなわち炎の神霊たち、キリスト秘教でいうアルヒアンゲロイである。彼らは人体に住み、自らの個我意識を得た。
 プララヤのあと、「土星」が即座に「太陽」として現われていたら、人体はエーテル体をみずからの内に受け入れることはできなかっただろう。だから、新しい惑星「太陽」は、最初に「土星」の短い繰り返しを体験しなければならなかった。存在たちは、彼らの古い形態をふたたび受け取らねばならなかったのである。
 「太陽」には、ほかにどのような存在がいただろうか。「土星」で人間にならなかった人格の神霊たち、「土星」で個我意識にいたらなかった人格の神霊たちがいたのである。
 彼らはまだ「土星」における人格の神霊たちと同じ段階に立っており、いま「太陽」でそれを取り戻さねばならなかった。彼らは「太陽」で、エーテル体なしの物質体、エーテル体に浸透されていない物質体という外皮のなかにのみ住むことができた。だから、「太陽」にもう一度、物質体のみからなる構成体が発生しなければならない。
Theosophie und Okkultismus des Rosenkreuzers

48 月
 「太陽」は宇宙の夜のなかに移行し、第三の変容状態のなかで、「月」として再び生まれる。「月」は以前の諸状態を繰り返し、その繰り返しによって水実質が付加された。やがて、月と太陽が分離し、太陽が熱と光を伴って出ていく。高次の存在も、精妙な本質とともに月から出ていく。水状の月はしだいに濃縮して、一種の衛星になる。「月」には、熱と光と水があった。人間は「太陽」においてと同様にエーテル体、すなわち生命体を有しており、「月」で新しいものとして加わったのは、音あるいは響きと呼ぶことのできるものである。
 「月」の水は音に浸透され、そうすることによって規則正しい動きをもたらされた。こうして、物質体は「月」で内的な体験にいたる。
 器官が形成され、解消し、形姿とリズムのなかでの体験が生じる。それは身体を成熟させ、身体はアストラル実質を内に受け取る。
 「月」進化における本質的なもの、新しいものは、物質的な質量のなかに入れられる内的な振動のようなものである。
 「月」において、実質は水状で、波打ち、内的な振動によって動きをもたらされる。この振動によって、内的に変化する組織が発生する。
 いまや、一方では水状のものをみずからの内に有し、他方では内的な振動をとおして原初の音とエーテル体に浸透された物質的な人体のなかに、動きの神霊たち、すなわち力天使=デュナミスが人間にアストラル体を注ぎ込む。「土星」で意志の神霊たちが自らを供犠に捧げ、「太陽」で叡智の神霊たちが自らを供犠に捧げたように、いま、動きの神霊たちが自らを供犠に捧げて、みずからの実質から人間のアストラル体を流出する。
 「月」の基本実質が残り、惑星の一部が太陽として出て行った。出て行ったものは基本実質を取り囲み、基本実質のまわりを回転する。太陽は、その序列において惑星よりも高次のものになった。太陽は恒星になったのである。
 「月」において人間段階を通過したのは、天使たちであった。
 これらの「人間」は、今日の人間とは異なる意識を持っていた。「月」には、まだほかの存在たちもいた。「太陽」の段階に取り残され、いま「月」において人間段階を取り戻さねばならない大天使たち、また、人格の神霊たちの段階、すなわち「土星」における人間段階に「月」で初めて到達する存在たちがいた。
Theosophie und Okkultismus des Rosenkreuzers

49 太古の地球
 プララヤ状態の暗闇から、「地球」は太陽および月と合体した姿で現われた。太陽と月と地球は、一つの巨大な天体だった。
 そのころ、地球は非常に精妙な物質からできていた。固い鉱物も水もなく、ただ私たちがエーテルと呼ぶ精妙な物質だけがあった。「地球」はエーテル的で精妙な惑星であり、今日の地球を大気圏が包んでいるように、霊的な大気に包まれていた。この霊的な大気のなかに、今日の人間の心魂を形成しているものすべてが含まれていた。今日では身体のなかに入っている人間の心魂は、当時は上空の霊的な大気のなかにあった。「地球」は、今日の地球よりずっと大きなエーテル球であり、霊的な実質に包まれていた。この霊的な実質のなかに、未来の人間の心魂が存在していた。エーテル球のなかには、もう少し濃密なものがあった。何百万という、殻の形をした構成体である。
 霊的な大気から、一種の触手が下方のエーテル球のなかへと伸び、殻のような構成体を包んだ。霊の高みから下って、個々の身体を包んだのである。この触手は個々の身体に働きかけ、人間の形姿を形成した。
 当時の地球、その上の殻のような形姿は、肉眼では見ることができなかっただろう。それらは響きを発する人間形姿だった。
 その形姿のなかには、まだ個体は存在しなかった。個体は、まだ霊的な大気のなかに溶解していた。
 それから何百万年も経って、大きな宇宙的出来事が生じた。エーテル球が締め付けられ、ビスケットのような形になり、しばらくそのままの形でいた。そして、この球から、地球と月とからなる小さな部分が離れた。
 太陽が分離したことによって、地球は太陽に照らされるようになった。照らされる対象ができ、それとともに目が形成された。
 人間の形姿は鐘の形をしており、上方は触手を受け入れるために開いていた。太陽に向かって開いていたのである。これがヒュペルボレアス人、第二根源人種である。
 私たちがいう意味での死はなかった。死ぬというのは、意識が身体から抜け出ることである。
 当時、個々の人間の意識は共通の意識の一部にとどまり、身体から抜け出ると、中断なしに他の身体のなかに入っていった。意識は中断されることなく、持続した。意識は、衣装を変えたとしか感じなかった。
Vor dem Tore der Theosophie

50 レムリア時代
 その百万年後、地球と月は今とはまったく違ったふうに見えた。動物と植物は卵白のようなゼリー状で、クラゲのようだった。この、器官を有した、濃密化した物質のなかに人間祖先はいた。
 植物界は、のちの人間や動物の乳に似たものを分泌した。人間は周囲の自然から栄養を採り、受精する無垢の存在だった。
 そして、非常に重要な時期がやってくる。地球と月が分離するのである。
 月は、人間や動物が自分から他の存在を生み出すのに必要な力を持っていった。人間には、生殖力の半分だけが残された。生殖力は二分され、しだいに人間は男と女に分かれていった。男と女による生殖が可能になったのである。この時代が第三根源人種、レムリア時代である。この時代にも、物質は硬化していった。地球と月が分離するまえに固い沈着が生じ、地球と月が分離したあと、人間と動物のなかに骨の萌芽となる軟骨実質が形成された。地表が固まり、固い土と地殻ができていくにしたがって、人間と動物のなかに骨が形成されていった。
 当時の人間の姿は、一種の魚-鳥動物のようだった。地球の大部分はまだ水のようであり、気温は非常に高かった。この水のような要素のなかに、のちに固くなるもの、たとえば現在の金属などが溶け込んでいた。そのなかを、人間は漂うように動いていた。
 水に小さな陸つまり島のようなものが溜まっていき、その上を人間があちらこちら歩き回っていた。しかし、地球全体に火山活動が見られ、ものすごい勢いで地表のさまざまな部分を壊していた。いたるところに、絶え間なく、破壊と再形成が見られた。
 人間は、まだ肺を持っていなかった。管状の鰓器官をとおして呼吸していた。
 人間に背骨が組み込まれた。最初は軟骨状のもので、やがて骨になった。そして、漂い動けるように、今日の魚のような浮き袋を持っていた。
 何百万年かが経って、地球は固くなっていった。水が引いて、固い部分と水の部分が分かれた。純粋な空気が現われ、空気の影響によって、浮き袋は肺に改造された。
 鰓は聴覚器官に改造された。肺の形成とともに、呼吸能力が生じた。
 どのようにして、精神は人間のなかに入ったのだろうか。空気をとおしてである。呼吸能力は、個体的な人間精神を受け入れることを意味している。人間の個我は、呼吸する空気をとおして人間のなかに入ってきたのである。
Vor dem Tore der Theosophie

51 アトランティス時代
 レムリア時代の地球は一種の火の塊であった。
 温和な人は意志をとおして火の自然要素を鎮め、そのことによって陸が沈殿していった。激しい人間は反対に、意志をとおして火の塊を荒れ狂わせ、薄い地球の覆いを引き裂いた。
 助かった人々は、アトランティス大陸へと移り住んだ。アトランティス大陸は、ほぼ今日のヨーロッパとアメリカの間に広がっていた。ここで人類はさらに発展を遂げた。地球の大気圏からかつての煙の残りは取り除かれていたが、まだ霧に満たされていた。
 人間は植物の生長に対して支配力を有していた。今日とはまったく異なった形をしていた手を植物の上にかざすと、意志の力によって植物を早く生長させることができた。人間は、まだ自然と内的な関係を持っていた。アトランティス人の生活は、自然との関係に応じたものであった。
 総合感覚・知性・論理的思考といったものは、まだ存在していなかった。その代わり、もっと別の能力、たとえば記憶力が高度に発達していた。
 アトランティス人は先祖が体験したことを、非常に明瞭に記憶していた。あたかも手が身体の一部であると感じるように、共通の血によって、アトランティス人は自らを祖先の一部と感じていた。
 アトランティス人のエーテル体の頭部は、物質的身体の頭を遥かに聳え立っていた。特に額の部分は、エーテル体が力強く突出していた。眉間の約一センチ奥を物質体の脳の中心点、約二センチ奥をエーテル体の頭の中心点と考えねばならない。アトランティス人の場合、この物質体の脳の中心点とエーテル体の頭の中心点は、たがいにもっと遥かに離れており、この二つの中心点が近づきあってくることによって人類は進化してきた。アトランティス時代の第五期にエーテル体の頭の中心点は物質体の脳のなかに入り、この二つの中心点が接近したことによって、計算・判断・概念・知性といった今日の人間が有する能力が発達したのである。
 アトランティス時代に入ったとき、人間はまだ、音節ごとに分かれた言葉を話すことができなかった。言語はアトランティス時代になって初めて発展するのである。
 今日のアイルランドの近くの、いまでは海底になっている地帯に住んでいた、特に進化していた人々にエーテル体が深く組み込まれ、このことによって彼らは知性を発達させた。これらの人々は最も進化した者に導かれて、東へと移動していった。徐々に海水がアトランティス大陸を侵食していった。
Die Theosophie des Rosenkreuzers

52 アトランティス後の文化
 アーリア根源人種の第一亜人種であるインド人は、つぎのような道を行った。神に満たされた幾人かのマヌの使者・聖仙たちが原インド文化の教師となった。
 太古のインド人は、「私たちに外的な自然として残されたものは、本当の自然ではない。この自然の背後に神が隠れている」と思った。そして、自然の背後に隠れているものを、インド人はブラブマン、「隠れた神」と呼んだ。外的な世界は幻・錯覚・マーヤーだった。
 「外界のどこにも神性は姿を現わしていない。人間は自分の内面に沈潜しなければならない。人間は神性を、自分の心魂のなかに探求しなければならない。高次の霊的な状態で神性を探求しなければならない」と、インド人は言った。
 大きく、力強い思考のイメージ、ヴィジョン、イマジネーションのなかにブラフマンの世界が現われてきた。
 第二亜人種である原ペルシア人の文化は、同様にマヌから発したものだったが、インド文化とは異なった使命を持っていた。
 外界は神性の模像であり、外界から目をそむけず、外界を改造しなければならないという考えが現われてきた。ペルシア人は自然に働きかけ、自然を改造しようと思った。
 ペルシア人は、二つの世界の戦いのなかに置かれた、と思った。そして、善神オルムズドの世界と、改造しなければならないアーリマンの世界という二つの力があるという考えが形成されていった。しかし、外的世界は理解できないものとしてペルシア人に対峙していた。
 この世界法則を学んだのは、第三亜人種であるカルデア-アッシリア-バビロニア-エジプト民族と、のちにその分枝のように現われたセム人である。彼らは星空を見上げ、星々の運航を観察し、それらが人間の人生にどのような影響を与えるかを観察して、星々の動きと影響を理解できる学問を考え出した。
 偉大な叡智が自然の経過を支配しており、すべては偉大な法則に従って生起していることが、彼らに明らかになった。
 第四亜人種の文化であるギリシア-ローマ文化は、直接マヌの影響下にはなかった。
 ギリシア人は完成された自然を研究するより、まだ形成されていない物質である大理石を取り上げて、そこに自分の精神を刻み込んだ。第三亜人種は、外界のなかに精神を探求した。第四亜人種は、外界に自分の精神を刻印したのである。
Vor dem Tore der Theosophie