西川隆範:シュタイナー教育随想

シュタイナー教育の考え方を紹介

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隆範伝-後篇

2013-07-12 09:41:24 | Weblog
 2011年春、命と引き換えに原発事故を収束させようと祈念したら、心不全になった。
 2012年は2月と6~7月に、胸水貯留のため日医大北総病院に入院した。7月にカテーテルで心室の組織を採取して生体検査をしてもらい、アミロイドーシスとの診断が確定した。異常蛋白質がさまざまなところに蓄積する難病で、私の場合は心臓に蓄積して心筋が変性している。心アミロイドーシスの平均余命は、発症から8ヶ月だそうである。8月2日の診察のとき、「いま生きているのがおかしい」と主治医に言われた。
 アミロイドーシスには、免疫グロブリン性・反応性・老人性・家族性があり、反応性以外が国の特定疾患治療研究事業の対象になる。私は免疫グロブリン性である。反応性というのは、骨髄腫・関節リウマチ・結核などに続発するものである。
 アミロイドーシスには治療法がないのだが、8月6日から、多発性骨髄腫に用いるベルケイドの静脈注射が始まった。4週間が1クールで、そのあと1週休んで、9月10日から第2クールに入った。回を重ねるごとに副作用が強くなって、ほぼ飲食不可能になり、ときどき気を失って倒れるようになった。海外の資料によると、第2クールまで投与すると効果が現われるということだったので、そこまでは頑張りたいと思っていたのだが、第2クール4週目の注射のまえに、もうここまででいいという気持ちになり、10月1日から、レブラミドの服用にかえてもらった。薬効はベルケイドより劣るが、副作用は軽くなる。3週が1サイクルで、そのあと1週間休んで、また3週である。
 9月21日付で、身体障害者手帳3級を交付された。「家庭内の日常生活活動が著しく制限される心臓機能障害」と記されている。同月26日、特定疾患受給者票を交付された。12月13日には、障害基礎年金2級(病状が日常生活に著しい制限を加えるもので、日常生活が極めて困難な程度のもの)の受給が決まった。
 要介護の両親のことを考えると、私は一人子なので、寛解にいたればありがたい。そうならなければ、身体を離れて天空を飛行しよう。西川家の墓は三十三間堂南西の専称寺にある。戒名は自作した。慈光隆範禅定門。
2013年4月30日、循環器内科の診察に行ったら、鬱血性心不全で、そのまま入院になった。ドレーンで胸水を吸引してもらったが、水を抜いたあと数日で肺の半分までまた水が溜まった。「病院にいてもこれ以上よくならないので、いったん退院して、必要に応じて再入院」ということになり、5月18日に退院した。5月15日にはシュタイナー派の牧師が病院に来てくれ、終油について説明してくれた。彼が言うには、終油は明瞭な意識を保って彼岸に赴くために行なうのだそうである。秋に麺麭と葡萄汁を持ってきてくれることになった。
 6月13日、循環器内科の診察のとき、特定疾患医療受給者票を重症認定にしようか、と主治医に言われた。同24日、血液内科の診察に行ったら、レブラミドが効いていないのでベルケイドに戻ることになった。2012年12月に副作用による治療断念が減少する皮下注射が認可されたので、今度は皮下投与になる。
 20130712

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隆範伝-前篇

2013-07-12 09:38:49 | Weblog
 私は昭和癸巳年(長流水)立春、京都(東本願寺と五条大橋の中間)で生まれた。振り返ればまことに恥ずべき点の多い歩みであったが、別の人生、今まで出会ってきた人々に巡り会わない別の人生というのは望まない。ここまで生き延びてこられた幸運を思うと、私に付き添う神霊の働きを想わざるをえない。
 父(大正12年生まれ)は薬学を修めたが、塗料会社の研究員をしていた。母(昭和4年生まれ)は亀岡から嫁いできた。母の叔父は透視者であった。母の弟が音楽教師と結婚し、私はその叔母にピアノを習うため亀岡に通った(私には妹がいたそうである。母と毎月、生駒山の水子地蔵に通った。母は命日を覚えていなかったので、後日、鎌倉の宗教家に相談したら、「西川ヒカル児之神霊・昭和29年6月21日帰幽」にしようと言われた。のちに西川家の菩提寺の住職から「智光嬰女」という戒名をいただいた。私自身にも昭和60年6月30日に妊娠3週間で流産した水子がいて、まず高野山で供養してもらい、のちに私が妹に合わせて「恵光嬰女」と名づけた。それからだいぶ経って善通寺でこの子の供養を頼んだとき、たまたま80名あまりの僧が四国巡礼中で宿坊に泊まっておられ、計100名ほどの僧が読経してくれた理趣経で成仏したと感じた)。
 宋から帰った道元が13年間閑居した深草(伏見稲荷大社から歩いて10分ほどのところ)で、小学校入学からの時期を過ごした。「弘法救生」を思いとして「重擔を肩に置ける」がごとく感じていた彼が「弘通のこゝろを放下」して「しばらく雲遊萍寄」しようとした地である。東本願寺の斜向かいに住んでいたころは、浄土真宗寺院の経営する幼稚園に通った。小学校は公立だったが、中学校は再び浄土真宗の大谷中学である。高校は、美術コースが併設されている日吉ケ丘高校。通学途中によく東福寺の雲水に出会った。大学紛争の時代で、高校もその影響を強く受けていた。芸術的な方面で身を立てたいと思っていた。大学に行こうとは考えておらず、渡欧しようと思って放課後に関西日仏学館に通ったのだが、それは1ドル360円の時代(308円になるのは1970年代)には果たすことができず、一浪して上京、仏文科に通うことになった。中学時代・高校時代は、浄土思想と般若経典にのめりこんでいた。
 祖父は呉服商で、宮津出身の祖母は幼年の私を奈良の真言律宗寺院によく連れていった。真言律宗は南都七大寺の一つ西大寺を総本山とする小さな宗派であるが、奈良の法華寺、海龍王寺、元興寺極楽坊、般若寺、京都府の浄瑠璃寺、金沢文庫の称名寺、鎌倉の極楽寺などを擁する。
 20歳のとき初めて高野山に登り、これが決定的な体験となった。密教学の方向に進もうと考えて、西大寺の松本実道長老に相談したら、出家を勧められた。こうして1976年3月6日、西大寺で得度した。そして、高野山宝寿院で加行に入り、宝寿院門主の蓮華定院・添田隆俊僧正から伝法灌頂を受けて、空海の血脈に連なった。
 その後、東京のカルチャー・スクールで高橋巌氏の講座を聴くことになる。シュタイナーが述べる死後の人生は私の抱いていた疑問に答えるものだったし、彼が語る宇宙史は私の求めていたものだった。勉学時間をかせぐために大学院(宗教学)に進んだ。
 鎌倉での高橋巌氏の勉強会に参加し、1979年からは鎌倉雪の下に住んだ。高橋巌氏・高橋弘子夫人・子安美知子女史・上松佑二氏・横尾龍彦氏・笠井叡氏ら、いまでは互いに袂を分かっている人々がつどっていた、日本の人智学運動の蜜月期である。私の記憶ちがいでなければ、高橋氏は戦後、あるプラトン研究家から薔薇十字団について研究するよう勧められた、と聞いたように思う。高橋氏が軽井沢で正田美智子さんと知り合いになられる話も興味深かった。
 1982年春からドルナッハの隣町アーレスハイムに間借りしてゲーテアヌム精神科学自由大学で1年、それからシュトゥットガルトに移ってクリステンゲマインシャフト神学校で2年学び、1985年に帰国した。1990年からベルンのシュタイナー幼稚園教員養成所の講師を6年間つとめた。
 道元は深草に僧堂を建てるにあたって、「思ひ始めたる事のならぬとても、恨みあるべからず。ただ柱一本なりとも立てゝ置きたらば、後来もかく思ひ、くはだてたれども成らざりけりと見んも、苦しかるべからずと思ふなり」と述べている。「我等後代亡失不可思之」だ。

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シュタイナー華徳福育児(その1)

2012-11-24 18:00:30 | Weblog
シュタイナー式 - 華徳福な子育て         


    目次

1 年齢に応じた育児
    乳児・幼児 / 小学生 / 九歳と一二歳 / 思春期 / 人生の中盤と後半

  2 環境――子どもの五感と衣食住
    おもちゃ・あそび / TVのこと / しつけ 

  3 生活リズム
    一日の時間割・一週のスケジュール / 一年の経過

  4 気質
    気質の特徴 / 気質の対処法 / 大人の気質の影響

  5 大人の生活
    親子の不思議 / 秘訣



1 年齢に応じた育児


 いにしえの日本語「愛〔お」しむ」が「おしえる」になり、「真似ぶ」が「まなぶ」になりました。この語源に育児の奥義のすべてが込められている、と言ってもいいのではないでしょうか。
 英語の「スクール」は元々、古代ギリシャでは「レジャー」という意味でした。人間にとって学習こそ最大のレジャーである、と言えるのではないでしょうか。大人が熱心に勉強会に参加するのは、学ぶのが何より楽しいからでしょう。

 建築に譬えれば、小学校に入るまでが基礎を固める時期です。小学校時代は柱を立てる時期、中学・高校時代は屋根を乗せる時期だといえます。基礎(体)や柱(心)がしっかりできていないうちに、急いで屋根(頭)を乗せようとすると、安定感に欠けた家になります。
 体→心→頭の順に、十分に時間をかけて丁寧に作り上げていきたいものです。

 ルソーは書物中心の教育を批判して、感覚体験を重視し、自由な存在として生まれた子どもに幸福な幼年期を過ごさせる必要を説きました。そして、感性(幼年期)から知性(少年期)、そして理性(青年)にいたるという三段階の発展を説きました。
 ペスタロッチは模倣を教育手段として、子どもの自然な歩みに沿う教授法を打ち立てようとしました。頭(知性)と心(心情・道徳)と手(技能)の調和的な発達を大事に考えて、子どもの持って生まれた素質を延ばす教育の方法を探求しました。
 シュタイナーは人間を、「からだ・いのち・こころ・たましい」の四部分からできているもの、と考えました。「いのち」は「からだ」を形成・維持するもの、「こころ」は自分の思い、「たましい」は自分そのものです。これらの部分がおよそ七年ごとのリズムで開発されていく、と彼は考えました。そのような人間観から、彼は「教育 = 技芸」という方法を構築していきました。
* 
 生まれてから七歳ごろまでは、心と頭の土台になる体を築くことが最も大事です。
 幼児は全身で周囲の印象に没頭しています。自分と周囲との境界は、はっきりしません。ですから、環境からとても大きな影響を受けます。安らかな印象を与える環境づくりが第一です。周囲の音や物の色・形だけでなく、まわりの大人の行動も子どもに影響します。落ち着いた、愛情のある言動を大人たちがしていることが大事です。いらいらしていると、子どもはその様子を真似して、同じような気分になっていきます。大人が美的なことを楽しんで、心をのびのびさせていることが大事です。
 生後九カ月ぐらいまで、母乳で育てるのが規準です。ただ、最近は食料などの問題で母乳も汚染されているので、注意してください。九カ月以上、母乳を与えつづけると、身体的には問題ありませんが、個人として自立する度合いが弱まることがあります。母乳の温度が子どもにとって一番いい温度です。
 離乳食ですが、一歳になるまではジャガ芋は避けます。妊娠中の女性もジャガ芋は控えます。その時期にジャガ芋を摂ると、将来、思考力が浅くなる可能性があるといいます。また、妊娠前の男女、妊娠中の女性は飲酒を控えます。父親になる男性が飲酒していたら、子どもは神経に落ち着きがなくなります。妊婦が飲酒すると、子どもの内臓が重くなります。
 親は、子どもが持って生まれた能力・素質を尊重し、それを成就させようとします。
 子どもは自分の魂を生かすのに相応しい身体を、遺伝を通して与えてくれる親を選ぶのですが、両親から提供された「からだ」は、自分がイメージしたものにぴったりのものとはいえないそうです。それで、「いのち」の形成力によって「からだ」を自分に適したものに作り変えるのです。
 この作業の終了したしるしが、乳歯が抜けて、永久歯が生えてくるという現象です。もしも、この約七年間に「からだ」の作り変えに専念せず、知的な方向に力を回すと、「こころ」と「たましい」は自分にぴったりしない「からだ」のなかで生きていかなくてはならず、「こころ・たましい」と「からだ」とのあいだに無意識的な違和感が響きつづけます。
 成長力はやがて想像力に変わり、さらに知力へと変化していきます。約七年間で「からだ」の基礎を構築した「いのち」は、記憶をたくわえ、イメージを形成する活動を始めます。いままで心身の区別がはっきりしてなかったのが、七歳ごろ、「こころ」が独自の力を発揮しはじめます。
 七~八歳までは模範、それから一四~一六歳までは権威者を見習うこと、そのあと二一~二四歳までは原理原則が必要です。
 七歳ごろまでは周囲を反映し、人々は善人であると感じているときで、愛を感じられる家庭が大事です。七歳ごろから一四歳ごろまでは、生きることの楽しみを感じるときで、教師を信頼できることが大切な時期です。一四歳ごろから二一歳ごろまでは、内的な自立に向かいます。知識を概念・理念の形で受け取り、ものごとを自分で判断できる人間になる時期です。
 生まれてから七歳ごろまで、体の動きによって意志が形成されます。そして、七歳ごろから一四歳ごろまで心・感情を育て、一四歳ごろから頭・思考を使うという、おおまかな見通しが立てられます。
 約七年ごとの節目以外にも、自分と外界を区別する九~一〇歳、因果関係を理解する一二歳ごろ、将来の方向を意識する一八歳ごろが注目されます。

  幼児

 一歳・二歳から、おなじ言葉を何度も繰り返すことによって、記憶ができていきます。そして、毎日おなじ時刻に同じことが行なわれるよう求めます(幼児期全般にわたって、なじみの話、いつもの遊びなど、生活のなかに繰り返しがあると、意志の強い、しっかりした子になります)。三歳ごろ、イメージを記憶するようになります。また、手足の活発な動きから、二歳・三歳で想像が豊かになっていきます。
 一歳で歩きはじめて、三歳で歩行が完成します。二歳で話すようになって、五歳で言語の基礎が出来上がります。三歳で思考が目覚め、七歳ごろに思考の基礎ができます。
 三歳ごろにしっかり歩けることが、しっかり話せる基盤になります。五歳ごろにしっかり話せると、しっかりと考えられる基盤ができます。 
 早くから歩かせようとすると、のちに身体の不調を引き起こします。大人が子ども言葉を使うと、しっかりした心身になりません。記憶させようとすると、神経がのびのびしません。
 幼稚園時代に知育すると、心身が虚弱になる可能性が出てきます。

 三歳ごろ、言葉の習得が進み、正しい構造の文を語るようになります。それとともに、思考が目覚めてきます。記憶がはっきりしてきて、それと同時に、自分を意識するようになります。
 言語の話ですが、よいのは方言です。方言は素朴な心に関わっているだけでなく、頭にも関係してきます。というのは、方言は標準語よりも言語として複雑です。標準語では表現できない微妙なことを方言は表現できます。言い回しが細やかです。方言を話せるということは、複雑な思考をこなしているということです。心の面では、方言で嘘をつくと心が痛みますが、標準語なら頭で嘘をつけます。
 親の仕事の関係で海外で生活することになった場合に子どもが現地の言葉を自然に習得するのはよいですが、それ以外は、外国語は小学校に入ってから学ぶものであって、それ以前にやっても、あまり益はありません(二枚舌になる可能性があるそうです)。
 小学校に入ってから、月水金と火木土で、英語と第二外国語を習得していけます。
 小学校高学年になれば、古典語を二つ同時に習得することが可能です(西洋ではギリシャ語とラテン語ですが、日本なら漢文と梵語でしょうか)。ちなみに古典語のほうが、どうしてだか、現代語よりも難易度は上です。
 思考的言語・感情的言語・意志的言語の三つを習得するのが、人格形成のためにはよいでしょう。
 余談になりますが、大人は一つの外国語を、一日二時間×二年で習得できます。

童話

 三歳なかばごろから、童話を聞くことができます。きれいな心の主人公に幸いがもたらされるというイメージが、子どもの生涯を力づけます。
 子どもが小さいうちは、主人公が大きな苦労をせずにうまくいく話がいいと思います。大きくなれば、もうすこし話が入り組んで、苦労を乗り越えて成功する話にいけばいいでしょう。これを幼年期に聞いていると、子どものなかに物話が定着して、将来なにがあっても、くじけずに乗り越えようとする気力が湧いてきます。
 一つの童話を四週間あるいは三週間つづけて語るのがいいと思います。繰り返し同じ童話を聞いていると、主人公が苦難を乗り越えて何かを達成するストーリーが自分のなかに根付いて、努力しようという気持ちが身についてきます。みなさんの好きな昔話を数話~十数話えらんで、繰り返し語ってあげると、とてもよいと思います。
 童話のいい面はいくつかあります。一つは、お話の言葉をとおしてストーリーの情景を想像して聞いているので、その想像力が頭を作っていくということです。また、善人・悪人の登場する童話を、原作どおりに物語って聞かせることによって、道徳観が根づきます。このときのコツは、語るときに勧善懲悪的な抑揚をつけないことです。
 読み聞かせの場合は自分の注意が本に行きますから、話を大体覚えて、子どもの顔を見て話してあげたほうがいいです。
 「むかしむかし、あるところに」という民話は、時間・空間を超える長年の知恵の結晶です。
 小学生になったら、時代・場所が特定されている「伝説」を読むことができます。また、小学校高学年になれば、近代・現代の作家が書いた創作童話を読むことができます。

模倣

 自分の思い、考えや感情が背景にあって、私たちは行動したり言葉を使ったりします。子どもは親の口癖や身振りを真似しますが、それを通して親の持っている思いも吸収します。たとえば、怒っている時には動作にイライラ感が出るとか、発する言葉が険しくなるとかありますね。それを真似すると、気持ちも自然に真似てしまうことになります。
 そのように、幼児は親の言動を模倣することによって、その言動の元にある親の考え・思いを吸収するわけです。
 親の行為の模倣をとおして受け取ったものが、内的な道徳を作り上げます。頭による理解よりも、よいことは好き、悪いことは嫌いという心の反応のほうが身につきます。よいことを喜び、悪いことを悲しむようにして、道徳感を発達させます。
 よい思いで暮らすと、その思いを子どもは吸収していきます。大体生まれて一〇年間ぐらいのあいだ、親の模倣をとおして子どもは自然に学んでいきますので、それまでは親が見本を示すことが大切です。
 それ以前に子どもに任せるというやりかたは、お勧めできません。放任のほうが自由でいいという意見もありますが、一〇歳未満の子どもの場合、自分で何かを決めるときに十分な知識や経験がないので、本当にこれでいいかどうか分からずに、正しくない選択をするケースもあります。そういうことがあった場合、自分の判断に自信が持てなくなってきます。
 ですから、子どもが自分で判断できる年齢になるまで、大人が模範を示すことが大事です。幼いうちから子ども自身に決めさせると、無気力で不機嫌な人間になります。子どもの言いなりにしていると、子どもは自分の規準とすべき見本がなくて、自分を支配できなくなります。
 それよりも親のよい見本を見習い、自信がついてから決断する方が子どもにとって健全です。大事なのは、親が明確な考えをもって行動することです。真似をする手本を親が示さないと、子どもの意志は盲目のものになります。見本を示されていると、思春期になって、自分の考えで自制できるようになります。
 
  小学生

 私が今までで特別うれしかったのは、息子が小学校第1日目の授業を終えて一人で家まで歩いて帰ってきたとき、そして、最初の授業参観に行ったら、ちょうど休み時間で、校庭で遊んでいる姿を見たときです。
 生まれてから七歳ごろまでは感謝の気持ちが育成される時期、七歳ごろから一四歳ごろは愛情が発達する時期になります。
 低学年のあいだは、幼児期の余韻が残っており、まだファンタジーに浸っているのが適しています。このころに知的な勉強をさせられると、創造的な力が奪われます。
 歯が生え変わると、先生を尊敬したいという気持ちが湧き起こります。権威者から学び、成長したいと願うようになります。子どもに畏敬の念を育てることは、後年にいたるまで大事な作用を及ぼしつづけます。子どもの周囲にいる人間が、子どもの理想にならねばなりません。また、歴史や文学作品のなかから、子どもは理想の人物を選びます。
 七歳ごろから一四歳ごろのあいだに権威者を見上げることを学ばなかった子どもは、成人してから自由な人間になれないといいます。教師が生徒に仰がれるかどうかは、教師の精神性が深いかどうかによります。そして、子どもの本質を深く見る教師は、子どもを敬う気持ちを持ちます。もしも、教師が美術的・音楽的なものへの喜びに浸されておらず、知的な授業をすると、生徒はその教師を尊敬しなくなります。
 学童にとって、大人は確かな判断をするオーソリティーである必要があります。教師の適性は、学識ではなく、生徒に信頼される人格(親しみやすいと同時に、よい意味での権威者として見上げられる風格)です。子どもは本来、大人を見上げて、そこに向かって成長していこうとするものです。
 思春期前に判断力に働きかけると、害があります。
* 
 一般の学校のことを言っておきますと、一番問題なのは時間割です。同じ教科が曜日によって一時限目にあったり四時限目にあったり、ばらばらです。しかも、学校の都合で頻繁に時間割が変更になります。子どもは一定の時間割、一定のリズムがあって、安心して落ち着いて勉強するし、意志も強くなります。それから、体育の時間があって、そのあとに勉強の時間というのは子どもが勉強に集中できません。
 私がどうしても馴染めないのが鍵盤ハーモニカ(ピアニカ)です。ああいう楽器で子どもが音楽を体験するのは本当にかわいそうです。大人だったら、こんな楽器はいやと思って避けることができますが、子どもは何でも無防備に体験します。小さい子にこそ、本物の音を聴かせることが大事です。リコーダーもプラスチック製なのは、悲しくなります。
 音楽に関しては、九歳ごろまでの子どもは五音音階(レミソラシ)の曲にふれているのがよく、九歳・一〇歳から長調・短調の体験を取り入れます。いま学校では、年齢に合った曲ではなく、流行の歌を教えることが頻繁になされています。
 授業・教科書は私の子どものころに比べて、格段によくなっています。唯一、醜悪なのは図工です。廃材利用のアート風になっていて、心や気持ちが美しさを感じるものではないです。
 教科書のことを言いましたけれども、本当は、授業は教科書なしでやるべきです。先生が自ら語る、その言葉は生徒に届きます。先生が教科書もメモも見ずに説明なさると、生徒は感心して聞きます。先生が教科書を頼りに授業なさると、先生は教科内容を身に付けていないと子どもは感じて、習得する意欲が減ります。先生は教科書以外の本もよく読んで、教える内容をしっかり身につけて、自分の言葉で教えましょう。
 うちの子は家の事情で公立学校に行ったのですが、ありがたいことに、よい先生方に巡り会いました。多くの先生方が、一生懸命がんばっておられます(ときどきニュースで教師の不祥事が報道されますが、シュタイナー教育者のなかに子ども虐待容認の方がおられるようで、困惑します。よく先生の見識を見極めましょう)。

 七歳ごろから一四歳ごろまで呼吸系・循環系が発達します。呼吸と血液循環との調和が生まれると、子どもはリズム・音楽を欲します。
 小学生、特に七歳ごろから九歳ごろまでは、美術的・音楽的なものへの要求を強く持っています。
 学童期は、イメージ的・絵画的・音楽的な学習が大切な時期です。少年期における抽象的思考は、批判的・衝動的な行動を誘発します。
 水彩できれいな色を塗るのは心に作用します。一方、形を描くときは頭を使います。調和的な形を描くと、頭も心もすっきりします。
 脳を知的に活動させると疲労し、芸術的・創造的な活動は子どもを元気にします。今日、知識偏重と協調性強要によって、子どもたちの脳は慢性疲労状態になっているといいます。夜間も脳が緊張している状態になっているそうです。活動状態の体温を脳がずっと保っていて、休息して脳の温度が下がる時間がなくなっているといいます。家庭では、子どもが美的な楽しみに時を過ごせるようにしたいものです。

  九歳と一二歳

 九~一〇歳ごろ、子どもは自分と外界を区別します。一二歳ごろ、原因と結果の関係を理解するようになります。
 三歳で目覚めた個我は、九歳で一つの発展段階を迎えます。子どものなかに個我が入り、幼年期の夢のような世界は消えていきます。自分と他人とをはっきり識別します。また、人間と人間以外のものとを、はっきり区別するようになります。
 いままで気づかなかったことに気がつくようになり、親や教師を批判的に見るようになります。九歳までは先生を無条件に敬っていたのが、九歳をすぎると疑問を抱くようになります。
 それまでは世界をメルヘン的にとらえていたのが、知的・科学的に把握しようとします。自意識が発達し、世界を観察しはじめます。
 九歳ごろまで、子どもはまだ天上的な故郷とのつながりを保っていました。思春期を経て、地上との結び付きが深まるにつれて、天上的な故郷は遠ざかっていきます。
 このころ、子どもは外界としっくりいっておらず、内面に不安を持っています。子どもは孤独を感じます。かまいすぎると、子どもはますます内に閉じこもります。自分の内にこもるのですが、人に理解してほしいと望んでいます。
 九歳・一〇歳ごろに必要なのは、人間への信頼を失わないことです。大人が内的に成長しようという気持ちで生きていると、子どもも自らを肯定できるといいます。
 九歳ごろになると生物(動物・植物)の勉強を始めます。文法の勉強も始めます。文法の学習は、自意識の健全な発展に寄与します。
 一二歳ごろになって、子どもは原因と作用の関係を理解できるまでに成熟します。知的・思考的な勉強に向いてきます。
 一二歳から思春期までの時点で、無機的な自然について考察できるようになります。

 このころ、子どもはさまざまな問いを発します。もっとも大きな問いは「どこから自分は来たのか」でしょう。
 この問いには、幼児期に、誕生日のお話として、あらかじめ答えておくことができます。
 空の高みに、お城があります。暖かい光に満ち、子どもたちが歌ったり踊ったりしています。ある日、ある子どもがお城の塔から下を見ました。遠くに、きれいな青い星が見えます。その子は、その星に行きたい、と思いました。その願いは、だんだん大きくなっていきます。天使が、その子がその星に行けるよう、神様にお願いしてくれました。つぎの朝、その子は星の光で織られた服を着て、天使と一緒にお城を出発します。雲のなかを歩いていくと、やがて、緑の野原が見えてきました。色とりどりの花が咲き、よい香りが漂っています。小鳥が歌を歌い、蝶々が飛び交っています。小川がさらさらと流れています。そこまでやってきて、その子は眠くなり、すやすや眠りました。そのころ、「子どもがいたら、いいなあ」と思っている夫婦がいました。そう思っている夫婦のところに、天使はその眠っている子を送り届けました。夫婦はとても喜び、その子を大事にしました。その夫婦が、あなたのおとうさん・おかあさん。その子の誕生日が、今日また巡ってきました。おめでとう。
 子どもは、「人間は死んだら、どこへ行くの?」と訊くこともあります。
 虫が蛹になり、蝶となって天空に飛んでいくように、人間も体を脱ぎすてて、光に包まれ、天に昇っていく、と答えることもできます。
 小学校高学年なら、もっとストレートに、地上での仕事を果たした魂は天に帰っていき、やがて新しい仕事をするために再び地上にやってくる、と答えることができるでしょう。
 地上での仕事を果たし終えないうちに天に帰りたいと思うのはいけない、ということもしっかり伝える必要があります。
 そういう話以上に大事なのは、親が日々先祖の供養をしている姿を子どもが見ていることです。心を込めて、先祖に花などを供える親の厳かな様子を見て、子どもは霊魂の不滅を確信します。

  思春期

 思春期に個性が目覚めないと、依存的・反抗的になっていきます。
 ティーンエージャーのころ、大事なのは先生自身が自分の教える学科に、どれだけ熱中しているかです。自分がつまらないと思っているものを教えたら、生徒も面白いわけがないですね。どの学科も本当はとても面白い。勉強以外のことに気が散らないほど面白い。もし一〇代で非行に走るなら、その原因は先生の授業がつまらないからです。
 思春期には、内面とは逆の行動するという特徴があります。思春期の男子は、内面に閉じこもりがちです。自分を外に出さず、不良の真似をしてみることもあります。
 女子の個我は、大自然に結び付いている心(思い)の影響を受けます。自由で開放的な自分を示しますが、人に対して批判的になります。
 少々のことは、いちいち注意せず、大目に見ます。
 男子には、ユーモアをもって接するのがいいでしょう。
 思春期に必要なのは、理想を持っていることです。男子には、英雄の性格を物語り、女子には偉人の美しい行為を絵画的に物語ります。思春期の少年少女は、人生は崇高な目的のためにあると思っているので、それを挫くようなことを大人が言ってはなりません。自然の雄大な美を体験するのは、とてもよいことです。
 また、思春期には父母を人間として知ること、両親が子どもの話相手になることができます。
 父親の態度が思春期の子どもに大きな意味を持ちます。父親は、こまごましたことで子どもを叱るよりも、ゆるがせにできない根本的な道徳を、このころ子どもに話すのがいいかと思います。そのためには、普段から子どもが子どもが父親を信頼している必要があります。
 子どもは、具体的に見えるものでもって納得します。お父さんが会社員の場合、子どもは父親が働く姿を目にしていないので、休日に家庭労働すると、子どもは父親の価値を認めます。母親が家庭で父のことを話題にすると、子どもと父親との結び付きを支援できます。日曜大工をするとか、外出した時のお父さんが颯爽と道案内するとかいう姿がいいと思います。

  人生の中盤と後半

 成人までは学びの時期です。二〇代・三〇代は経験を積む時期といえます(つらいこともあるでしょうが、かならず乗り切れます)。寿命は予測がつかないものですが、平均的には、学びと経験を生かしてライフワークに取り組むのが四〇代・五〇代かと思うのですが、まず四〇代では計画をたてるだけで十分です。五〇代で実行方法を検討して、六〇歳ごろから実行するのでも十分です。
 ライフワークは人生後半が勝負どころですから、経済的に困窮していなければ、子どもとともに過ごす時間を可能なかぎり沢山とって、仕事に復帰するのは中年以後で十分です。
 私は四四歳のときに息子が生まれましたので、高齢育児になりました。
 育児中は仕事を半分にするつもりでいましたが、実際はもっと仕事を削ることになりました。一般の保育園・幼稚園には入れず、シュタイナー教育の幼児クラスに付き合いました。それでも、毎日一時間か二時間は仕事をしました(いつか四時間か六時間くらいは仕事ができるようになりたいなあ、と思っていました)。
 自分がこの人生でなすべき仕事は何かをあらためて考え、どうしても成し遂げるべき仕事だけに絞りました。それでも、育児中は何かと予期せぬことが起こって予定どおりには運ばないので、以前より何倍も余裕のあるスケジュールを組むことです。子どもが小学校に入ると、学校に行っているあいだは時間ができました。なるべくたくさんの時間を子どもとともに過ごし、家計は低空飛行で貯金ゼロからやり直す、という考えでやりました(借金はしないほうがいいですよ)。
 これは私が居職なのでできたことで、出職の方はそんなに融通が利かないと思いますが‥‥。
 息子が中学校に入った年、私の母親が脳梗塞で入院し、米寿の父を助けに頻繁に実家に通うことになりました。やがて母は退院しましたが、半身不随になり、両親の世話が続いています。
 想定外だったのは、両親の介護を始めてから私の心不全(心房細動・心房中隔欠損症・僧帽弁閉鎖不全・アミロイドーシス)の症状が進んで、心臓の負担(BNP = 一八以下が正常)が介護を始めて三ヵ月で二二〇、一年で二九五、一年半で四九〇、二年で五八五、二年半で八一〇になり、左心室駆出率も二〇パーセントで身体障害者になり、両親の世話に通うのが困難になったことです。私には水子の妹がいるのですが、「生まれていたら、介護を分担できたのになあ」と思います。肉眼には見えない妹の霊魂よりも、私のほうに親の愛が注がれて、妹は寂しい思いをしただったろうと思います。

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シュタイナー華徳福育児(その2)

2012-11-24 18:00:24 | Weblog

2 環境――子どもの五感と衣食住


 感覚的印象と想像力が脳を形成していきます。穏やかな感覚的印象と、想像力を刺激する素朴なおもちゃが大事です。完成されたもの(本物そっくりにできている玩具)だと、想像力がせき止められるし、知育目的の抽象的な遊びは、子どもを生活から引き離していきます。想像力がないと、他人に敷かれたレールの上を歩むことしかできなくなります。あとでもお話しますが、遊びは大人の仕事の真似をして、生活能力へとつながっていくものがいいです。
 幼児は全身で周囲の印象に没頭しているので、環境が安らかな印象を与えることが大切です。子どもは、きつい味付けのものを好むことがありますが、それが体によくないことは、だれでも知っています。同様に、けばけばしい色や騒々しい音は、子どもの心身を害します。すでに述べたように、まわりの大人の行為と思考が、落ち着きと愛情あるものであることも大事です。まわりの大人の行ないと思いに、落ち着きと愛情があることによって、子どもの心身は健やかに育まれます。幼年期の生活に愛情と善意が満ちていることによって、健康の土台が作られるのです。
 
  五感

 最初の大事な感覚は触覚です。どういう素材の衣服を身につけているかですが、子ども用の服に関しては綿一〇〇%が主流のはずなので、問題は少ないと思います。これだと着ていて気持ちがいいはずです。もちろん、シルクの肌着もよいです。
 素材だけでなく、どういう色や柄の服を着るかにも注意したいと思います。残念ながら、一般に売っている子ども用の服というのは、子どもにとって好ましくないものが多いです。もっと穏やかな色がいいですし、柄も派手でない方が子どもにとっていいです。
 衣服のほかにも、子どもの手が触れるものが気持ちいいものであるように気を配りたいです。大人も、プラスチックなどはあまり気持ちよくないですよね。大人は皮膚の表面で感じて判断できて、嫌なものからは手を離したいと思いますが、子どもの感覚は無防備で、大人の何倍も深く全身で感じてしまうので、体調に影響します。家具やおもちゃは天然のよい素材のものを選ぶのが一番です。
 その次の感覚は、子どもにとっては耳、聴覚でしょう。大きい幼稚園の園庭で先生方が子どもたちの前でマイクやスピーカーを使って大きな声で話しておられることがあります。これは、よくないです。静かな音や穏やかな色調が、子どもを本当に元気にします。童話も、静かにしないと聞こえないくらいの小声で語ります。
 視覚はどうでしょう。自然界の微妙な色の移り行きを楽しむ時間がたっぷりあるでしょうか。聴力がイヤホンの使用によって害されることがあるように、バックライトのもの(テレビやコンピュータの画面)を見ることによって視力が衰えます。また、あまりに細かな文字を目にするのも、視力に影響するそうです。
 土の香り、木々の香り、花々の香りなど、嗅覚の楽しみも大きいものです。
 新建材の匂いなど、嫌な匂いも多いのですが、その部屋にしばらくいると、匂いに慣れて、感覚が鈍ってくることがあります。嫌な匂いには邪悪なものが集まってくるといわれますね。健康によくない人工的な匂いに注意しましょう。
 最後に、味覚を考えましょう。舌の機能は二つあります。一つは、無害か有害かを判断する機能。私たちも腐ったものを味や匂いで感じますよね。もう一つは、食べている量が適量かどうかを判断する機能です。
 適量かどうかは、本来は舌で判断するものなのです。胃で判断しようとすると、満腹感が脳に伝わるのに時間がかかるので、食べすぎてから満腹に気づいたりします。舌に注意すると、食べすぎる瞬間から味が落ちてくるのでわかるのです。ですから、おいしくなくなったら、これはもう十分だと思ってやめる方がいいです。
 砂糖は、天然のものだと適量で満足するのですが、人工的に精製したものは癖になって、度を越して欲しがるようになります。

  おもちゃ・あそび

本物そっくりの自動車のおもちゃだと、空想のなかで飛行機にすることはできません。笑顔の人形だったら、空想のなかで泣き顔にすることはできません。拾った葉や小枝や石だと、いろんなものに見立てて遊べます。単純なおもちゃのほうが、ファンタジーと創造的な意志を豊かにするのです。想像で補う余地のない本物そっくりの玩具は、子どものファンタジーを堰き止めます。
幾何学的に作られた積木よりも、自然の枝のほうがファンタジーが広がります。ファンタジーは、くつろいでいるとき、気分のよいときに、のびのびと展開します。
 さっき言いましたように、知育目的の抽象的な遊びは、子どもを生活から引き離してしまいます。大人の家事や仕事の真似をするのが、一番好ましい遊びです。子どもは遊びに熱中し、真剣に遊びます。ゲームばかりで遊んでいると、将来、「ゲームが面白いもの。仕事は面白くないもの」と思うかもしれません。
 小さな子どもは、ひとり遊びが基本です。年長さんのころから仲間で遊びだします。仲間で遊ぶというのは、人間が社会のルールを学ぶ最初の機会です。遊びというのは遊びたいからやるものですが、ルールは決まっています。子どもは、進んでそのルールに従おうと思います。
 
TVのこと

テレビに親しんでいると、自分が努力しないでも楽しませてくれるものに慣れます。また単純な言語に慣れて、難解なものに取り組めません。一定時間以上、受動的にテレビを見ると、暴れたくなります。
 そのように、テレビを見ていると思考が受動的・表面的になり、言葉が単純になり、集中力・創造性が低下します。意志が弱くなり、攻撃的になります。
 テレビを見ても害がないのは一六歳以後です。一〇歳以降なら、害はいくぶん少なくなりますが、親が一緒に見て、番組の内容についてあとで話し合って消化する必要があります。
 子どもは、人類が通過してきたことを、自分の成長につれて順に体験していくものです。たとえば、楽器はまず昔からあるもの(笛や弦楽器や打楽器)を手にし、近代の楽器(ピアノ)は、もう少し大きくなってからにします。現代の発明品であるコンピュータは、青年になってから習得するものです。
 コンピュータは仕事に使うものであって、遊びに使うものではありません。遊びに使うと、没頭してしまって、受ける影響が多くなります。

  しつけ

 「しかる・ほめる」が、思春期に良心が目覚める準備になります。良心が目覚めるのは一〇歳ごろからです。外からの規範に合わせるのではなく、自分の良心から行動する人間が自由な人間です。
 大人が感情的に怒ると、子どもは大人の怒りに反応し、叱られている内容を洞察できません。いつも叱られて、びくびくし、不安になると、子どもは不器用になっていきます。叱りすぎると、子どもは過敏になり、叱らないと、良心が欠如した人間になります。甘やかすと、断念を学べず、意志の弱い、無気力な人間になる可能性があります。厳しいしつけは、子どもを受動的にし、やがて外界に対する関心を失わせ、ついには暴力的な行動に走らせます。
 叱るとき、「罰を与える」と言うと、自分の行為の善悪を考えないまま、罰を恐れて行動を控えます。それだと、教育になりません。
 幼児期全般にわたって、子どもは親を模倣して育つものですから、真似をする見本なしに、自分で決定するように言われると、意志の方向を定めようがなくなります。
 子どもを甘やかしすぎる、たとえば、子どもが「いや」と言えば、なんでもやらせずにすませていると、子どもは自制する力を持てません。放任主義にした場合、子どもは無気力になりがちです。逆に、しつけを厳しくすると、さきほど言ったように、子どもは受け身になって、自分からものごとに関心を示さなくなります。叱ってばかりだと、その怒りに反応して萎縮し、不器用になることがあります。感情的になるのではなく、威厳をもって落ち着いて諭すのが教育的でしょう。
 また、おおげさにほめすぎるのも考えものです。手伝ってくれたときは、「ありがとう」で十分。ほうびは不要です。子どもは、親の手伝いをできることが嬉しいのですから、「これをしてくれたら、ほうびをあげる」と言う必要はありません。そのようにしたら、親の手助けをできること自体が嬉しかったのに、ほうび目当てに手伝うようになってしまいます。



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シュタイナー華徳福育児(その3)

2012-11-24 18:00:10 | Weblog
3 生活のリズム


 一日を静かに始め、元気に過ごしたあと、静かに終えることが大切です。
 一日が二四時間なのは、太陽の運行に拠っています。月の運行に拠れば、二四時間五〇分になります。人間の生命活動は月のリズムに従っています。
 二四時間の生活に合いはじめるのは生後三ヵ月ぐらいからで、すっかり慣れるのは五~六歳になってです。

一日の時間割・一週のスケジュール

 子どもは一般に午前七~一〇時ごろが活発で、それから正午まではゆったりした時間、そして午後二時ごろまで静かな時間が必要です。二時から四時ごろ、また活発になり、現代の欧米のお医者さんたちの一致した意見によれば、午後七時が就寝に適した時刻です(午後六時ごろから、内臓は眠る準備態勢に入るそうです)。
 夕食は夕方、日があるうちに食べるもので、日が落ちてから食べるのは夜食です。欧米の医師たちの意見だと、夕食は四時から食べはじめて五時までに終わるのが一番いいそうです。いま述べたように、幼稚園・保育園の時期は、子どもの就寝時間は七時です。小学校低学年なら、七時~八時に就寝です(大人の場合、健康によいのは九~一〇時就寝、五~六時起床だそうです)。
 子どもの就寝前には、きれいな詩や、お話・歌・音楽(もちろん親の生演奏)など聞かせてあげるといいですね。
 朝、起きるときも、きれいな詩か音楽を聞かせてあげるのがよいです。朝食は、ゆっくり摂れる時間の余裕があるようにしましょう。食事が、子どものしつけにとっては一番大事です。しつけは「躾」と書きますね。美しい姿勢と所作で食事をしたいものです。
 朝は思考、午後は意志、夜は情緒に適した時間ということは、だれもがわかると思います。大きくなれば、朝に学び、午後に屋外で体を使い、夜は美的・芸術的な体験の時間にできます。

 月曜・火曜・水曜・木曜・金曜、そして土曜・日曜。日曜は文字どおり「太陽の日」ですから、晴れ晴れしい気分になるのではないでしょうか。
 日曜の朝は、いつもより綺麗な花がテーブルに飾ってあって、いつもよりご馳走の朝食で、家族で音楽を演奏するとか、特別の日にすると、一週のうちにアクセントが作られて、心がいきいきしてきます。
 ちなみに、カレンダーには月曜はじまりと日曜はじまりのものがありますが、月曜の仕事から始まって週末が休みという感じよりも、まず特別の日曜があって、そのあと普段の仕事という感じの方が人間の心は元気になります。
 日曜は生命の星 = 太陽、月曜は宇宙の鏡 = 月、火曜は強さの星 = 火星、水曜は癒しの星 = 水星、木曜は英知の星 = 木星、金曜は美の星 = 金星、土曜は記憶の星 = 土星のことを思って過ごすこともできます。
 太陽は金、月は銀、火星は鉄、水星は水銀、木星は錫、金星は銅、土星は鉛に関連すると言われてきました。太陽はラの音で橙色、月はシの音で紫色、火星はドの音で赤、水星はレの音で黄色、木星はミの音で青、金星はファの音で藍色、土星はソの音で緑という感じです。

一年の経過

 生命力を取り戻すのに季節の体験は大きな効力を発します。毎年おなじ行事を繰り返していると、安定した郷土感が生まれ、安心して暮らせるようになります。
 地球は心的・星気的な呼吸をしており、息を吐き出しているのが春夏、息を吸い込んでいるのが秋冬です。地球は春夏に眠り、秋冬に目覚めます。
 「華徳福教育の本質的な課題は、民族文化に結び付くことだ。西洋的な教育内容によって、小学生を自らの根から引き離してはいけない」という「植民地主義からの脱却」が教育・医学会議で確認されました(『ダス・ゲーテアヌム』二〇〇六年四一号)。「シュタイナー教育を日本に根付かせる」と言うとき、舶来品種を日本の土壌で育つように手を加えることと同様に、日本の生活のなかに息づいてきた知恵を現代的に開花させることが肝要だ、と私は考えています。

 春は命の「張る」季節です。春の花が飛び散るときに疫病神が分散するというので、旧暦三月末は鎮花祭です。旧暦四月一日は衣替えです。
 秋は「飽きる」ほど収穫があり、空が「明らか」です。旧暦八月一五日は仲秋の名月、十五夜の芋名月です。芋名月に続いて、旧暦九月一三日は十三夜(豆名月・栗名月)です。
 冬は魂が「増ゆ」ときです。旧暦一〇月一日が衣替えです。新暦一一月二三日は新嘗祭。この日以降に、新米を食べます。旧暦では、一二月一三日から正月の準備を始めます。

 東洋の天文学では、黄道を二八に区分して「二十八宿」を設けました。そして、黄経を二四等分して、一五度ずつの節目を設けたのが「二十四節気」です。
 「立春」のあと、雪が雨に変わる「雨水」、虫が活動しはじめる「啓蟄」。「春分」は彼岸の中日です。それから、気持ちのよい「清明」、雨が穀物をうるおす「穀雨」。「立夏」のあと、草木が茂る「小満」、芒のある穀物の種をまく「芒種」。黄経八〇度の日が入梅です(梅の実が熟し、黴が生えるころなので、梅雨・黴雨と言います。旧暦で言えば五月雨で、梅雨の晴れ間が五月晴)。そして「夏至」、梅雨明けが近い「小暑」、「大暑」と続きます。立秋前の一八日間が夏の土用 = 暑中です。
 「立秋」のあと、旧暦の七夕の翌日「処暑」に暑さが止み、台風襲来の二百十日があって、野草に露がやどる「白露」から秋気が加わります。「秋分」の前後七日間は秋彼岸。それから、肌寒くなる「寒露」、露が霜に変わる「霜降」です。
 「立冬」のあと、冷え込む「小雪」「大雪」「冬至」。冬至には南瓜を食べたり、小豆粥を食べたり、柚子湯に入って、疫鬼を祓います。ついで、寒さ厳しい「小寒」が寒の入り、そして「大寒」です。
 一年を七二に分けて季節の変化を示したのが「七十二候」です(五日ごとに、立春から「東風、凍を解く」「黄鶯なく」「魚、氷をいずる」、立夏からは「蛙はじめて鳴く」「蚯蚓いずる」「たけのこ生ず」、立秋からは「涼風いたる」「ひぐらし鳴く」「ふかき霧まとう」、立冬からは「つばき始めて開く」「地はじめて凍る」「金盞花さく」というふうに進みます)。

 旧暦一月七日は七草。春の七草をいただき、七草粥の汁に手をつけて、爪を切ります。
 旧暦三月三日は桃の節句で、終日、山遊び・磯遊びをし、流し雛で厄を祓います。
 旧暦五月五日の端午の節句は、高温多湿の時期なので、菖蒲・蓬を軒に吊るして、邪気を祓います。「菖蒲」が「尚武」に通じるというので武者人形を飾るようになりました。
 旧暦七月七日は七夕です。文運を司る魁(北斗七星の第一星)の誕生日です。鵲の橋を渡って織姫と彦星が会う日です。七本の針に糸を通したり、五色の短冊に和歌を書いて竹の葉に飾ります。
 旧暦九月九日は菊の節句です。陽(奇数)の極み = 九が重なるので、重陽と言います。菊は霊薬です。前夜に菊に綿をかぶせ、九日の朝、その綿で体を拭くと、老いが去るそうです。
 以上が、五つの節句です。
 旧暦一一月一五日の七五三は、季節の祭というより通過儀礼で、遠くの有名神社ではなく、産土(鎮守)に行きます。

 日本では「無我」が尊ばれてきましたが、キリスト教は「自我」の確立において神を体験しようとします。
 「太陽の誕生日」として古代人が祝った冬至が、クリスマスになりました。原始キリスト教ではイエスの誕生日として、一月一日、一月六日、三月二七日などが候補にあがっていたのですが、四世紀にカトリックで一二月二五日と決定されました。
 樅のリースに四本の蝋燭を付けて、待降節(クリスマス前の四週間)の日曜ごとに蝋燭に火を灯し、宗教的な話をして過ごします。
 クリスマス・ツリーは、古代ゲルマン文化圏で冬至~新年に常緑樹を飾る習慣があったのが、近世になってキリスト教に取り入れられたものです。一七世紀以前からアルザス地方で、部屋に樅の木を立てて、林檎や薔薇を飾っていました。薔薇や林檎を三三飾るのは、とてもきれいです。
 シュタイナー学派では、独特の飾り付けのクリスマス・ツリーを作ります。人間を表わす五芒星・三角・四角、そして星々のしるしが螺旋状に配されており、古代の神話に登場する原初の「宇宙樹」を思い出させます。
 聖夜は世間の喧噪から離れて、自分の心のなかに神が誕生するのを体験するような気持ちで過ごしたいものです。子どもたちが蜜蝋蝋燭を付けた林檎を手に持ち、樅の枝で作った渦巻き形の道を通って、中央の蝋燭から火をもらってくるのは、古代の奥深い森での秘儀のような印象を受けます。
 サンタクロースは聖ニコラウス祭(一二月六日)の行事に由来します。聖ニコラウスは、四世紀~五世紀の司教で、一二月六日が命日です。この聖ニコラウスが一二月六日に、子どもたちにプレゼントを配ることになっています。
 子どもを殺して塩漬けにした肉屋に行ったニコラウスがその店にあった桶に指を触れると、殺された子どもたちが生き返って出てきたという伝説があります。また、貧しい親が娘三人の持参金を用意できずにいたとき、ニコラウスが金貨を煙突から投げ入れると、暖炉に干してあった靴下に入りました。こうして、娘は三人とも結婚できたそうです。これらの伝説から、彼は子どもの守護聖人、婦人の守護聖人になりました。
 日本では今のアメリカと同じく、サンタクロースはクリスマスにやってくることになっています。子どもたちとクリスマスを楽しく過ごすことが大事なのであって、子どもの関心がプレゼントに集中しないようにしたいものです。
 わが家では、サンタクロースを天界の霊魂存在と捉えています。子どもが寝ているあいだにサンタクロースがプレゼントを持ってくるのではなく、親がサンタクロースと相談して、子どもの願いに応じるようにしています。
 春分のあとの満月のあとの日曜日が復活祭です。ギリシャや小アジアで神の死と復活が春分のころに祝われたのと同じです。ユダヤ教で、祖先のエジプト脱出を記念する過越祭のころでもあります。死と復活というテーマは子どもには難しいものですから、大自然の春の生命を喜ぶという感じがよいでしょう。
 ヨハネ祭(六月二四日)は夏至のころです。古代ヨーロッパでは、夏至の前夜に火を焚いて、太陽に力を与えました。この夜には川や泉が治癒力を発揮する、と言います。
 ミカエル祭(九月二九日)は収穫祭のころです。素朴な農夫の祭りでした。
 以上が、キリスト教文化圏の四季の祝祭です。


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シュタイナー華徳福育児(その4)

2012-11-24 18:00:01 | Weblog
4 気質


 古代ギリシャ以来、人間には四つの気質(temperament)があるとされてきました。
 つまり、人体には血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁という四つの体液(humor)があり、どれが多いかで気質が決まる、と古代の医学では考えられていたのです。黒胆汁【ルビ・メランコリー】は憂鬱質といわれるようになり、黄胆汁がたんに胆汁質といわれるようになりました。血液が多いのは多血質です。

気質の特徴
 
 壁にぶつかると引き返すのが憂鬱質、壁を蹴飛ばして直進するのが胆汁質、壁の前で立ち尽くすのが粘液質、悩まずに迂回していくのが多血質です。
 赤い火のような気質が胆汁質です。意志が強く、決断が早く、目的がはっきりしています。自己流の正義感で怒りやすく、危険を冒すのを好みます。背は低くめで、肩幅が広く、首は短くて、目鼻立ちがはっきりしています。どしどしと、地面にめりこむような歩き方をします。ワンマンタイプで、人の意見を容れません。しかし、時間に正確ですし、食べ物に好き嫌いはありません。
 黄色のような、風のような気質が多血質です。気が変わりやすく、興味がつぎつぎに移りゆきます。跳びはねるような歩き方をします。楽観的です。スタイルがよくて、表情は豊か、身のこなしも軽やかで、人気があります。しかし、考えは浅はかで、だらしなく、優柔不断です。
 緑色のような、ゆったりした水のような気質が粘液質です。太りぎみで、無表情、だらだら歩きます。一人でいるのが好きです。整頓が好きで、人から言われたことを正確に行ないます。友だちができにくいのですが、できた友だちには忠実です。のんびりとしていて、激することがありません。几帳面で、持続力があります。食べすぎ・寝すぎ・厚着の傾向があります。
 藍色・紫色のような感じ、土のような気質が憂鬱質です。痩せていて、猫背です。うつむきかげんに、足を引きずるように歩きます。寝付きが悪く、朝は不機嫌です。悲観的で、敏感で、自己中心的です。自分を閉ざしているのですが、好きな人にはすなおです。不幸な人を見ると安心して、同情します。

気質の対処法

 胆汁質の子どもは、人から関心を示してもらわないと不満です。胆汁質の子には、その子の能力をやや越えた課題を与えるのが有効です。そこで頑張ってもらって、胆汁質を放出させるのです。苦労の多い人生が胆汁質には合っています。胆汁質の子どもは、自分が尊敬できる権威者がいると、自制できます。
 多血質の子どもには、静かな生活リズムが必要です。一つの遊びに変化をつけながら、その遊びを続けるようにさせます。 
 粘液質の子どもには、早朝の手伝いをさせるのが有効です。その子自身には無関心なふうにしているのがよいのですが、その子がものごとに興味を持つようにさせる工夫が必要です。たとえば、いっしょに散歩しているとき、「ああ、きれいな花だなあ」と大人が気づくようにします(「見てごらん、きれいな花が咲いているよ」と注意を促す必要はありません)。いっしょに遊ぶとき、すこしテンポを早めていきます。
 憂鬱質の子は、心身の暖かさを必要としています。大人が、みずからが苦悩にどう取り組んだか、その子に語ることができます。お話も、悲話を選びます。娯楽を軽蔑しますから、遊園地などに連れていくと、気分を害します。
 同気質で対処するという方法もあります。胆汁質の子どもと競争して、大人が胆汁質的にがんばって、勝つようにします。多血質の子どもと一緒にいて、大人がその子以上に多血質的に振る舞ってみます。粘液質の子どもに対して、こちらがその子以上にゆっくりとしてみます。いずれも、からかうようにしてはいけません。
 胆汁質の子どもには、穀物・生野菜のほか、甘いものを与えるとよいはずです。多血質の子どもには、砂糖や肉を控えめにします。東洋医学では問題視されますが、乳製品がお薦めです。粘液質の子どもには、雑穀・葉菜を与え、おかずは塩味にします。卵は控えめにします。粘液質は食べつづける傾向があるので、小食にするとよいです。憂鬱質の子どもには、蜂蜜や、花のハーブティー、果物、サラダ、そして甘いお菓子を与えるようにします。考え込む癖があるのですから、思考を促す根菜は控えめにします。キャベツも控えめです。
 
大人の気質の影響

 胆汁質の大人は子どもを驚かせるような言動をしてしまうので、子どもは不安を感じ、虐げられていると感じます。親・教師が胆汁質すぎる場合、子どもは血液循環に障害をきたすことがあるそうです。リューマチになったり、消化器に症状が現われることもあるそうです。
 多血質の大人は子どもから深い印象を受けず、子どもは生命の喜びを抑えられます。大人が多血質すぎる場合、子どもは活力がなくなることがあります。方向が定まらず、意志・忍耐力の弱い人間になる可能性があるといいます。
 粘液質の大人は、子どもに無関心です。大人が粘液質すぎる場合、子どもは精神的な呼吸困難に陥り、神経質になりがちです。愚鈍になることもあるといわれます。
 憂鬱質の大人は自分自身に関わっており、子どもとの関係を築こうとしないので、子どもの心が冷えます。大人が憂鬱質すぎる場合、子どもは感情が抑圧され、呼吸器や心臓を病むことがあるそうです。

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シュタイナー華徳福育児(その5)

2012-11-24 18:00:00 | Weblog
5 大人の生活


 最後に、大人のことをお話します。まず第一に、自分がどういうふうに子どもの幸福を考えているか、どういうのがいい人生だと考えているかをはっきりさせていることが大切です。これがないと、いろんな意見に左右されて、不安定な考えになります。親が不安定な考えだと、子どもも不安になってきます。
 それから、子どもを理解するために子どもをよく見るといいのですが、冷静に見ることと、一段と深く見るために愛情を込めて見ることが大切です。主観的すぎる愛情は問題ですが、愛情があると深いところで理解できます。
 大人が普段の生活を安楽にしすぎていて、日常からだを使うことが少なくて意志が弱っていたり、将来への不安や悲観があると、子どもは落ち着きをなくします。大人が世間を中傷することが多い場合も、子どもは未来に向かって力強く生きていく気分を持てません。大人が内的な時間を大事にして、敬虔な気分を育成し、人生を肯定していると、子どもも「生きよう」と思えます。
 はじめに言ったように、子どもは親の行動を真似ます。真似をされるにふさわしい、伸び伸びした大人になっていることが必要です。大人は自然体験や芸術活動をとおして、自分の心の抑圧や知的な硬化をときほぐし、のびやかで、くつろいだ人間になっている必要があります。大人自身が知的に硬化していない、自由で創造的な人間である必要があります。
 育児には時間をとられますね。そういうなかで、短い時間でもいいから、本当に自分のしたいことをする時間を確保するのがいいと思います。子どもが七時に寝たあととか、幼稚園・保育園に行っているときとか、時間が空いたときに自分の趣味のことをして楽しんで、気持ちを開放するのはとてもいいことです。自分の心を豊かにするために自然を体験することもとてもいいですし、芸術的な体験もいいですね。そういうことをして自分が満足できると、ゆったりした暖かい気持ちになってきます。そういう気持ちが子どもにとってよいのはもちろんですし、余裕のある気持ちでいる人は判断も間違わなくなってくると思います。美しい時間という余裕があることが一番ですから、まず私たちは美しいことを楽しみましょう。ちょっと贅沢な時間を持つことです。
 親が思っていることを子どもは無意識に感じ取って、親の思いのような人間になることがあるそうです。へんな例ですが、とても勤勉でまじめにしている親が、内心ではサボりたいと思っている場合、それが子どもに伝わって、子どもがサボってしまうということがあるそうです。それを思うと、自分がどういう人間かというのが教育では一番大事な問題ですね。
 ただ、すべてが親のせいというわけではありません。子どもが持って生まれた方向性があります。それは親からの遺伝ではなく、その子の過去生に由来します。
 繰り返しになりますが、子どもは周囲の大人の言動を模倣することをとおして成長していきます。ですから大人が、自分の行為に現われる内面の思いをよいものにしておくことが大切です。そのためには、大人が高みの自己に向き合って、内的な平安を育てる時間を確保しているのが有効です。幼年期に大人の行為を手本にした結果、子どもの内面に良心が形成されていき、その良心が思春期以後、自分の行動の指針になります。

親子の不思議

 心が外界に対して持つ興味のあり方が父親から遺伝されます。知的な活発さ、想像力、イメージ豊かな表象を、子どもは母親から受け取ります。
 子どもは意志に関連する特性を父親から受け継ぎ、心の活動、知性の活動を母親から受け取るのです。
 男の子は、人間と外界との交流に関することを、父親から習得します。精神生活のありよう全体を、母親から受け継ぎます。
 女の子の場合、父親の特性は意志の本性から一段高められて、心のなかに現われます。父親においてより外的に現われていた特性が、娘においてはより内面化されて示されるのです。
 父親の性格の特性は娘の心のなかに生きつづけ、母親の心の特性、精神の活動は息子のなかに生きつづける、と言うことができます。
 母親の特性は息子において一段下降し、器官の能力となります。父親の特性は娘において一段高められ、内面化され、心魂化されて現われます。
 妻が夫をどう思っているかが、そのまま子どもに伝わります。たとえば、妻が夫に対して不満があると、その思いを子どもが共有して、父親を低く見ます。
 いまは、シングルの親も多くなっています。育児と生計の両立で、大変なご苦労と思います(仲間や親戚で助け合うような形を探ってほしいです)。苦労が多い分だけ、子どもが親孝行してくれると思います。 

秘訣

 家族が仲良くて和やかなのが最も大切です。人間は一生の間、幼児期の家庭の雰囲気の余韻が意識下に残ります。意識下の幸福感、幸せな幼年期の余韻が心の一番深くにあります。それが、この人生を生きるための一番の原動力です。生きるのは幸福だという根本の思いがあって、それが一生を生き抜く力になるのです。幼少のころを振り返ると、楽園のような根元的な幸福感があるので、大きくなってどんなにつらくても生き抜いていけます。
 このように、幼年期・少年期に体験した暖かさ・楽しさは、たとえ意識の表面からは消え去っても、生きていこうとする力として、深みから作用しつづけます。

 親は夜、今日一日のわが子の姿をありのままに思い浮かべてみます。自分の希望をこめずに、ただ思い浮かべます。
 そうするだけで、不思議なことに、子どもが順調になるという話をよく聞きます。
 また、 ご多忙で子どもに会う時間が少ない場合、昼休みなどにわが子のことを思い出すといいです。その思いが通じていく心的空間があります。通勤途中や休み時間に子どものことを思うと、思いが繋がります。その結果、短時間しか会わなくても関係が維持できます。
 小学生のころ、子どもの仕草が何かの職業に向いているように見えることがあるかもしれません。それは過去生の癖が残っているので、今回は別の仕事をするのが目的であるほうが多いと思います。過去生の続きを行なうべき運命の場合は、小さいときから天才的な才能を示すと思います。

 子どもをしつけるには、その子を信頼することから始めます。すると、子どもも親を信頼します。
 華徳福教育はいいけれど、社会は楽園ではないんだから、先のことを考えると、最初から苦労に慣れているほうがいい、という考え方があります。これは、お昼ご飯に皆よくないものを食べるんだから、朝食も悪いものを食べておくほうがいい、というような考え方です。朝食だけでも良いものを食べておけば、お昼が粗悪なものであっても、なんとか体は持ちこたえます。ですから、小さいうちだけも良い教育をすれば、それが基礎体力のようなものですから、その後もやっていけるはずです。

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講座案内

2011-03-01 18:28:33 | Weblog
2013年7月の講座
《アミロイドーシス治療中のため休講になることがあります》

【中止!】6日:東京自由大学シュタイナーゼミ
【中止!】14日:シュタイナー読書会

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プロフィール

2011-03-01 10:17:58 | Weblog
プロフィール

昭和28年、京都市に生まれる。
1982~85年、ドルナッハ(スイス)とシュトゥットガルト(ドイツ)でシュタイナー人智学を研究。
1990~96年、シュタイナー幼稚園教員養成所(スイス)講師。
1993~96年、シュタイナー・カレッジ(アメリカ)客員講師。
池袋コミュニティー・カレッジ、朝日カルチャー・センター、早稲田大学オープン・カレッジなどで講義。
現在、多摩美術大学非常勤講師、自主学校〈遊〉オープン・ハイスクール講師。
嶺町幼稚園理事。東京自由大学顧問。元シュタイナー学園評議員。

おもな著書・訳書
『シュタイナー教育ハンドブック』(風濤社)
『人間理解からの教育』(筑摩書房)
『小さな子は夜7時に寝るのがベスト』(アルテ)
『子どもの健全な成長』 (アルテ)
『教育の方法』(アルテ)
『精神科学による教育の改新』(アルテ)
『子どもの体と心の成長』(イザラ書房)
『シュタイナー教育の実践』(イザラ書房)
『シュタイナー教育の基本要素』(イザラ書房)
『シュタイナー教育小事典-子ども編』(イザラ書房)
『音楽の本質と人間の音体験』(イザラ書房)
『色彩の本質・色彩の秘密』(イザラ書房)
『健康と食事』(イザラ書房)
『こころの育て方-物語と芸術の未知なる力』(河出書房新社)
『シュタイナー芸術と美学』(平河出版社)
『あたまを育てる・からだを育てる』(風濤社)
『人間の四つの気質』(風濤社)
『こころの不思議』(風濤社)
『自然と人間の生活』(風濤社)
『人智学から見た家庭の医学』(風濤社)
『シュタイナー用語辞典』(風濤社)
『絵本・極楽』(風濤社)

共著
『いのちに根ざす日本のシュタイナー教育』(せせらぎ出版)
『家庭でできるシュタイナーの幼児教育』(ほんの木)

雑誌
『結』
「なぜシュタイナー教育なのか」
『TECO』(www.e-motorcycle.jp/u/)
「シュタイナー教育は可能か」
「今を生きぬくシュタイナー教育」
「親子というカルマ」
「シュタイナー式の教育を日本でどう活かせるか」

【著書訳書一覧】
『人間理解からの教育』(シュタイナー)ちくま学芸文庫 130310 
『偉大な秘儀参入者たち』(シュレー、共訳)水声社 1212
『黙示録的な現代』(シュタイナー)風濤社 121210
『仏教は世界を救うか』(共著)地湧社 121129
『小さな子は夜7時に寝るのがベスト』アルテ 120725
『シュタイナー古代秘教講義』(シュタイナー)アルテ 120625
『シュタイナー文学講義』(シュタイナー)アルテ 111125
『天地の未来』(シュタイナー)風濤社 110901
『シュタイナーはこう語った』(シュタイナー)アルテ 110525
『社会改革案』(シュタイナー)水声社 110225
『シュタイナー・キリスト論集』アルテ 101225
『神仏と人間』(シュタイナー)風濤社 101101
『シュタイナー経済学講座』(シュタイナー)ちくま学芸文庫 101010
『シュタイナー哲学講義』(シュタイナー)アルテ 100825
『からだの不思議を語る』(シュタイナー)イザラ書房 100605
『天国と地獄』(シュタイナー)風濤社 100501
『地球年代記』(シュタイナー)風濤社 091225
『ゲーテ:精神世界の先駆者』(シュタイナー)アルテ 091225
『優律思美な暮らし・華徳福ライフへの手引き』風濤社 091001
『絵本・極楽』風濤社 090701
『シュタイナー世直し問答』(シュタイナー)風濤社 090601 
『シュタイナー自伝・下』(シュタイナー)アルテ 090525
『シュタイナー輪廻転生譚』(シュタイナー)風濤社 090105
『シュタイナー自伝・上』(シュタイナー)アルテ 080925
『シュタイナー心経』風濤社(アルテ)80901
『子育てがうまくいく、とっておきの言葉』(共著)ほんの木 080805
『いかにして前世を認識するか』(新版、シュタイナー)イザラ書房 080515
『ニーチェ・同時代への闘争者』(シュタイナー)アルテ 080425
『職業のカルマと未来』(シュタイナー)風濤社 080401
『ベーシック・シュタイナー』(共著)イザラ書房 071117
『シュタイナー教育ハンドブック』(シュタイナー)風濤社 071101
『マルコ福音書講義』(シュタイナー)アルテ 071025
『心・身体を考える』(共著)ビブリオ出版 070420
『聖杯の探求』(シュタイナー)イザラ書房 060715
『色彩の本質・色彩の秘密』イザラ書房 051225
『家庭でできるシュタイナーの幼児教育』(共著)ほんの木 051220
『エーテル界へのキリストの出現』(シュタイナー)アルテ 051115
『光が形態を創造する』(モロー)青い林檎社 051020
『シュタイナーの美しい生活』(シュタイナー)風濤社 050831
『精神科学による教育の改新』(シュタイナー)アルテ 050515
『身体と心が求める栄養学』(シュタイナー)風濤社 050131
『教育の方法』(シュタイナー)アルテ 041028
『こころの不思議』(シュタイナー)風濤社 040831
『子どもの健全な成長』(シュタイナー)アルテ 040618
『自然と人間の生活』 (シュタイナー)風濤社 040331
『ゴルゴタの秘儀』アルテ 040324
『人智学から見た家庭の医学』(シュタイナー)風濤社 030930
『イエスからキリストへ』(シュタイナー)アルテ 030730
『性愛の神秘学』(ハワード、新版)アルテ 030630
『人体と宇宙のリズム』(シュタイナー)風濤社 030430
『神秘的事実としてのキリスト教と古代の密儀』(シュタイナー)アルテ 030120
『あたまを育てる・からだを育てる』(シュタイナー)風濤社 021130
『シュタイナー仏教論集』(シュタイナー)アルテ 020928
『シュタイナー用語辞典』風濤社 020730
『色と形と音の瞑想』(シュタイナー)風濤社 011130
『星と人間』(シュタイナー)風濤社 010630
『いのちに根ざす日本のシュタイナー教育』(共著)せせらぎ出版 010330
『天使たち 妖精たち』(シュタイナー)風濤社 001130
『精神科学から見た死後の生』(シュタイナー)風濤社 000720
『人間の四つの気質』(シュタイナー)風濤社 000323
『20世紀を震撼させた100冊』(共著)出窓社 980921
『シュタイナー経済学講義』(シュタイナー)筑摩書房 980725
『生き方としての仏教入門』河出書房新社 980325
『薔薇十字仏教』国書刊行会 980316
『こころの育て方-物語と芸術の未知なる力』河出書房新社 970625
『秘儀の歴史』(シュタイナー)国書刊行会 961021
『人間理解からの教育』(シュタイナー)筑摩書房 960710
『見えないものを感じる力-天使・妖精・運命』河出書房新社 960510
『スピリチャル・セッション』(共著)たま出版 951225
『あなたは7年ごとに生まれ変わる』河出書房新社 950920
『心理学講義』(シュタイナー)平河出版社 950915
『死後の宇宙生へ』廣済堂出版 950910
『魂の隠れた深み』(シュタイナー、共訳)河出書房新社 950220
『歴史のなかのカルマ的関連』(シュタイナー)イザラ書房 940915
『シュタイナー教育の実践』(シュタイナー)イザラ書房 940524
『カルマの形成』(シュタイナー)イザラ書房 940408
『シュタイナー教育の基本要素』(シュタイナー)イザラ書房 940115
『瞑想と祈りの言葉』(シュタイナー)イザラ書房 931225
『カルマの開示』(シュタイナー)イザラ書房 931210
『いかにして前世を認識するか』(シュタイナー)イザラ書房 931210
『霊視と霊聴』(シュタイナー)水声社 931205
『泉の不思議』(シュタイナー)イザラ書房 930925
『音楽の本質と人間の音体験』(シュタイナー)イザラ書房 930325
『色彩の秘密』(シュタイナー)イザラ書房 930315
『秘儀の世界から』(ベック)平河出版社 930310
『いまシュタイナーの民族論をどう読むか』(共著)イザラ書房 921130
『子どもの体と心の成長』(ハイデブラント)イザラ書房 921115
『西洋の光のなかの東洋』(シュタイナー、新版)水声社 921110
『神秘学概論』(シュタイナー)イザラ書房 921030
『世界史の秘密』(シュタイナー、新版)水声社 920930
『人智学指導原則』(シュタイナー、新版)水声社 920920
『インドの叡智とキリスト教』(ベック)平河出版社 920905
『民族魂の使命』(シュタイナー)イザラ書房 920820
『シュタイナー教育小事典-子ども編』(編訳)イザラ書房 920815
『病気と健康』(シュタイナー)イザラ書房 920425
『健康と食事』(シュタイナー)イザラ書房 920220
『アントロポゾフィーと仏教』シュタイナーハウス出版部 911218
『シュタイナーの宇宙進化論』イザラ書房 911215
『ルカ福音書講義』(シュタイナー)イザラ書房 910930
『釈迦・観音・弥勒とは誰か』(シュタイナー他) 水声社 910920
『神智学の門前にて』(シュタイナー)イザラ書房 910910
『創世記の秘密』(シュタイナー)水声社 910810
『いま、シュタイナーをどう読むか』(共著)イザラ書房 910730
『黙示録の秘密』(シュタイナー)水声社 910410
『神秘主義と現代の世界観』(シュタイナー)水声社 890810
『輪廻転生とカルマ』(シュタイナー)水声社 881215
『四季の宇宙的イマジネーション』(シュタイナー)水声社 880630
『芸術と美学』(シュタイナー)平河出版社 870515
『西洋の光の中の東洋』(シュタイナー)創林社 870331
『シュタイナー思想入門』水声社 871230
『性愛の神秘学』(ハワード)創林社 861020
『秘儀参入の道』(シュタイナー)平河出版社 860715
『世界史の秘密』(シュタイナー)創林社 860707
『第五福音書』(シュタイナー)イザラ書房 860420
『仏教の霊的基盤』書肆風の薔薇 851115
『霊界の境域』(シュタイナー)水声社 851110
『仏陀からキリストへ』(シュタイナー)水声社 850720
『人智学指導原理』(シュタイナー)日本人智学協会 8505
『薔薇十字会の神智学』(シュタイナー)平河出版社 850205
『蓮華の書』(コリンズ)水声社 830715


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