(教育公論社発行の週間教育資料 10月8日号に掲載された記事です)
今春から、「特別支援教育」が学校教育法に位置づけられ、すべての学校が障害のある幼児・児童・生徒の支援をさらに充実していくこととなった。
我が家の近隣の公立小学校は、特別支援教育実践推進校として軽度発達障害がある子どもたちを積極的に受け入れ、ボランティアの協力を得ながら運営している。今年5月、新任の校長先生から電話があった。
「うちの小学校のサポートを、住民ボランティアとしてお願いしたい。人を集めていただけないか」という内容だった。
私がその依頼を嬉しく思った理由は二つあった。一つは地元の小学校を中心に、住民たちが温かいつながりを持ちながら、それぞれの持ち味を活かし、子どもたちの成長を応援する、そんなコミュニティーを育てていきたいというかねてからの夢の実現に繋がると思ったから。
二つ目は、星槎大学の教員である私がこの4月より、同大学学生になり、特別支援教育士の資格取得を目指していて勉強になると思ったためだ。
その後、校長先生に何度かお会いした。その際、校長先生が強調されたことの一つ目は、近所のおじさん、おばさんたちが僕たちを見守っていてくれる、という感覚が生まれれば、離婚増など家庭環境の変化で孤独を感じやすい子どもたちにとって、それは大きな支えになる、ということ。
二つ目は、障害がある子どもの支援だけでなく、普通学級の子どもたちのためにも、住民の方の技術や、持ち味、アイディアを生かした支援を幅広くお願いしていきたい、ということ。ただし、前例があまりない試みであるので、じっくり進めたい、ということだった。
この考えは、私の夢と重なっており感激した。私は、住民とコミュニティー・スクール・プロジェクトを組織し、活動を始めた。校長先生は、教員が子どもと十分な関わりを持つため、教員の仕事を軽減するようなボランティアの可能性を共に模索してほしいとおっしゃる。今まで、日本の学校では住民が入れなかった分野に、アイディアを生かして入っていける。このモデルが成功し、あちこちの地域でCSP(コミュニティー・スクール・プロジェクト)が生まれていったら、日本は素晴らしい国になるだろう。
今春から、「特別支援教育」が学校教育法に位置づけられ、すべての学校が障害のある幼児・児童・生徒の支援をさらに充実していくこととなった。
我が家の近隣の公立小学校は、特別支援教育実践推進校として軽度発達障害がある子どもたちを積極的に受け入れ、ボランティアの協力を得ながら運営している。今年5月、新任の校長先生から電話があった。
「うちの小学校のサポートを、住民ボランティアとしてお願いしたい。人を集めていただけないか」という内容だった。
私がその依頼を嬉しく思った理由は二つあった。一つは地元の小学校を中心に、住民たちが温かいつながりを持ちながら、それぞれの持ち味を活かし、子どもたちの成長を応援する、そんなコミュニティーを育てていきたいというかねてからの夢の実現に繋がると思ったから。
二つ目は、星槎大学の教員である私がこの4月より、同大学学生になり、特別支援教育士の資格取得を目指していて勉強になると思ったためだ。
その後、校長先生に何度かお会いした。その際、校長先生が強調されたことの一つ目は、近所のおじさん、おばさんたちが僕たちを見守っていてくれる、という感覚が生まれれば、離婚増など家庭環境の変化で孤独を感じやすい子どもたちにとって、それは大きな支えになる、ということ。
二つ目は、障害がある子どもの支援だけでなく、普通学級の子どもたちのためにも、住民の方の技術や、持ち味、アイディアを生かした支援を幅広くお願いしていきたい、ということ。ただし、前例があまりない試みであるので、じっくり進めたい、ということだった。
この考えは、私の夢と重なっており感激した。私は、住民とコミュニティー・スクール・プロジェクトを組織し、活動を始めた。校長先生は、教員が子どもと十分な関わりを持つため、教員の仕事を軽減するようなボランティアの可能性を共に模索してほしいとおっしゃる。今まで、日本の学校では住民が入れなかった分野に、アイディアを生かして入っていける。このモデルが成功し、あちこちの地域でCSP(コミュニティー・スクール・プロジェクト)が生まれていったら、日本は素晴らしい国になるだろう。