星槎大学メルマガ用ブログ

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教師をもっとサポートして、こども達のロール・モデルになってもらおう! 野口桂子

2007年02月09日 21時31分54秒 | Weblog
もっと教師をサポートし、表彰し、若者のロールモデルになってもらおう!
星槎大学 共生科学部 助教授 野口桂子


 日本の教育現場が、教師たちにとってますます苦しい場所になってきているように思う。 学校選択制により、公立の学校同士の競争が生まれつつある。義務教育の場はとくに、地道な学習や生活の習慣を身につけるところなのに、教師たちは、「親たちから選ばれる、特別な何かをもった学校」を創ることが求められていくのだろうか。現在、世界一の教育をしていると言われるフィンランドの教員たちは、「私たちは特別なことは何もしていません」と口々に言う。 ただ、習ったことが確実に子どもの身についているかどうかを確かめながら徹底して基礎学力を築いているのだ。学校は、「他の学校より高く評価される学校にしよう」とするのではなく、子どもたちが自然に成長できる場にしようと努力すべきではないか。 日本ではまた、能力が十分でない教師を学校から見つけ出し、排除しようとする動きも活発だ。 教員に対する評価を、父母たちも加わって行っていく動きがある。 教師たちの悲鳴が聞こえてきそうだ。実際、まじめで一生懸命な教師ほど、親たちからの締め付けや、子どもとの人間関係で苦しみ、心を病んでいる。
未熟な教師を何とか探し出し、無能だと決めつけて排除するより先に、もっと基本的で大切なことをしなくてはならない。それは、困っている教師をサポートすることだ。最初から完璧な親がいないのと同じで、教師も最初から熟練教師ではない。

 教師は就任1日目から「先生」と呼ばれ、子どもからも親からもほぼ完璧を求められるのだが、実のところは暗中模索で、熟練教師に聞きたいことがいっぱいあるのだ。22歳で小学校教員になった筆者の記憶は実に生々しい。 どうしていいか分からないことを安心して質問でき、問題解決をサポートしてもらえるシステムを教師たちは切望しているのだ。 それがないと、教師は心身ともに疲弊してしまう。公立学校では、平成の幕開けとともに新任教員研修が文部科学省の指導のもとに始められたが、どれだけ機能しているだろうか。2006年全米最優秀教員が勤めるメリーランド州モンゴメリー学校区の教員サポートシステムを見てみよう。
まず、新任教員は、同じ学校のメンター・ティーチャート呼ばれる熟練の指導教員と1年間ペアを組む。学級経営や、授業計画、子どもの扱いなど、何でも気軽に聞くことができる。このペアリングは、校長がそれとなく新任教員の意見をくみながら決める。その他に、マスター・ティーチャーという教科ごとの熟練教師がいる。国語の教師であれば、自分では授業を持たずに2-3校の国語教師数名の指導教員として、毎週、あるいは隔週に会合をもち、どの単元を、何を用いて、どんな手法で教えるか、実践的なアドバイスをする。マスター・ティーチャーは、担当する新米教師たちの成長に責任をもち、一般の教師以上の給料を得ながら、担当教員の授業に訪れたり、時には教員同士がお互いの授業を見学したりして授業の腕を上げていく。


アメリカの教育を見てみると、優れた教師を積極的にプラス評価し、ティーチャー・オフ・ザ・イャーと表彰したり、昇給させることが多いことに気づく。National Standard for Profession というランクに位置する教師は全米の教師の5%にあたり、特別な地位、名誉、そして特権を有する。それに比べ、日本では、学歴や資格によって教師の待遇に差をつけることも非常に少なく、教員の持ち味を活かした素晴らしいパフォーマンスを、国民の注目を浴びる形で表彰する機会も少ない。 どんな教師も待遇は同じで「悪平等が平等なのだ」という、暗黙の価値観が根強いようなのだが、筆者には、それが教師の成長を妨げているように思われる。子どもたちや若者が、「あんな素晴らしい教師になりたい」と思えるようなロール・モデルとなる教師を積極的にプラス評価し、マスコミも協力して教師のイメージを上げていくことがこの国には求められている。


NPO法人 「日本スピリチュアル・ケアワーカー協会」発足! 大塚秀高 助教授

2007年02月09日 20時36分54秒 | Weblog


最近、スピリチュリティ(spirituality)という言葉がよく使われています。TVでも人気を得ている流行語の一つですが、その言葉の意味と本質を知る人は極めて少ないと思います。
この言葉は、もともと英語のスピリット(spirit)からきている言葉であり、スピリチュアリティは、スピリットの形容詞になります。スピリットは、ラテン語のSpiritus(いのちの息吹)を意味している言葉であり、ギリシア語のプネウマ(息・風)と同義といわれています。ギリシア哲学では、生命の原理とされています。


『広辞苑』には、「霊・霊魂・精霊・精神・意気・生気」などと、多義的な意味が記載されています。したがって、この言葉はカウンセリングと同様に、誤解を招かないように原語をそのままカタカナ文字で表しています。
そもそも「スピリチュアリティ」という言葉は、1998年に開催されたWHOの理事会において、WHOの健康定義(従来のWHOによる身体・精神・社会という三つの側面からなる固定的な健康定義に対する批判の一つとして)をめぐって提出された用語であり、いわばこの用語には、近代医学に対するアンチテーゼとしての意味があるようです。



最近では、人間的な苦悩(特に死に直面したとき)を乗り越える力として、生命の質や生活の質の問題(QOL)として多用されています。
NPO「日本スビリチァルケアーワーカー協会」は、現代医学(科学的医療技術)では解決できない生死の問題―特にターミナル状態の患者や突然死の遺族に対するケアを目的として設立されたNPO法人であり、医師・看護師・臨床心理士・宗教家・言語療法士・介護福祉士などが参加して活動しています。現在、協会はNPO法人認定の「スビリチァルケアーワーカー」の資格整備を進めています。本学の大塚秀高助教授は、その認定委員会の副委員長をしています。委員長は、神戸親和女子大学の山添 正先生(ユング派の臨床心理士)です。

コラム by 服部由季夫 講師

2007年02月09日 18時10分42秒 | Weblog
コラム
服部由季夫
 私は、今、沖縄は石垣島にいます。残念ながらここ数日は雨続きで、沖縄らしさを感じることが出来ません。石垣島は、沖縄本島から更に凡そ400kmも南西にあり、もちろん今の時期でも半袖で過ごせます。




 石垣島には、年に数回訪れます。現在は、主にマンゴーの栽培における作業環境の調査の為に訪れています。マンゴーは、特に沖縄産のものは、高価な果物で、南国産の果物の代表といっても良いでしょう。沖縄県でのマンゴーの栽培は、実はハウスで行なわれます。沖縄のような非常に暑い地域で更にハウスで栽培を行なうのです。ハウスでの栽培のイメージは、寒い環境での栽培で、栽培の対象に暖かい環境を与える為に行なうといったものが一般的でしょう。では、マンゴーにとっては、沖縄の気候ですら寒い、ということなのでしょうか。実はそうではなく、このマンゴーのハウス栽培は、暖かい環境をマンゴーに与える為ではなく、雨よけの為に必要なものなのです。受粉の時期のおける雨は、マンゴーにとっては大敵で、花が咲いている時期は雨が花にあたらないようにビニールのハウスが必要になってきます。開花期に雨に見舞われると受粉できず、マンゴーが実らなくなってしまいます。因みにおいしいマンゴーの花の受粉を担っているのはハエです。従って、ハウスの壁、つまり横の部分はネットで出来ており、風は抜けるようになっています。天井のみがビニールで、雨風、ではなく雨だけをしのげるようになっています。今の時期は、収穫が終わり来期への準備段階ですので、天井もネットになっています。



 石垣島のような亜熱帯の環境では、いくら壁の部分がネットになっていても天井がビニールで熱が逃げなければ、特に夏などは、かなり厳しい暑熱環境になってしまいます。現在の調査は、こうした暑熱環境下における作業の実態を把握する為に行っており、ひいては作業者の作業管理まで繋げたいと思っています。
 ところで、マンゴーはもともとは沖縄原産の果物ではありません。マンゴーはフィリピンなどが原産で、フィリピンでは野生で実を付けます。野生のマンゴーは、高さ4mくらいまで成長するそうです。熱帯の国々で野生で実を付けていたマンゴーを、暑けりゃうまく実もつくだろう、という発想で沖縄に持ってきたわけですが、雨季などの関係で、野生では全く実を付けません。やはりその果物や植物に適した環境というものがあるということです。フィリピンでは野生しているマンゴーも、沖縄ではそれはそれは手間隙掛けて栽培しています。その為、おいしく、高価なものになっています。


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 マンゴーのような果物でも、実を付けるためには単に暑い寒いだけでなく、適した気候というものがあります。言い換えればその土地、その土地に適した果物、ひいては植物があるということです。これは、健康にもいえると、私は考えています。近年、生活習慣病やメタボリックシンドロームの予防のために、食事や運動が大切である旨が盛んに言われます。所謂科学的に健康を考えようとすると、運動にしても食事にしても、例えば有酸素運動を心拍数120で行いましょう、とか、1日2200Kcalにしましょうとか、ビタミンを摂りましょうとか、そういった考えになりがちです。また民間療法的な発想でも、ヨーグルトがガンを予防するとか、ローズの香りはリラックスできるとか、そういう考えになりがちです。しかし、その土地や地域、社会に適した食習慣や運動などがあるはずです。カスピ海地方の人がヨーグルトでガンが予防出来たからといって、我々日本人に当てはまるかどうかはわかりません。無理にカモミールを飲んだからといって、リラックスできるとも限りません。有酸素運動を行うにしても固定式自転車を漕ぐことが本当に健康に寄与できるかどうかは確信には至りません。科学的な方法論がイケナイわけではありません。ただ、生活習慣などはその地や社会に根差したものがあるはずです。食事でもその地域や季節に相応しいものがあるはずです。季節にあったおいしいものもあるはずです。
 私の授業でも、生活習慣病の予防のための運動や食事の話をします。しかし科学的に示されているデータですら、世界の事実のごく一部に過ぎません。そのようなものを参考にしながら、地域や社会に根差した生活習慣を送るとことが大切であると思います。
 今日は、おいしい泡盛とミミガー(豚の耳)をいただきました。ミミガーには、栄養学的にはコラーゲンが多く含まれているそうです。が、そんなことは気にしていません。北海道の西永先生は、おいしい日本酒と石狩鍋でも召し上がっているのでしょうか。