中年男のブログ

書く内容は気まぐれ。書く頻度も気まぐれ。

マクロ経済と古本の売れ行き

2013-06-29 04:19:48 | Weblog
前の投稿に続く話でもありますが。



1980年代末から90年代初めにかけていわゆる「バブル経済」の時は、円高・原油安・

金利安のトリプル・メリットによって、日経平均が4万円台直前まで上昇しましたね。

この時代は、自動車・電気機器その他の海外進出企業の国際競争力が圧倒的に強かった

ので、「円高」でも利益を産める体質でした。

その後バブルが崩壊して、東南アジア諸国の台頭やら、優秀な技術を持った人たちが引き

抜かれたりとかで、現在では円高下では日本の海外組産業は利益を出しにくい体質に変容

してしまいました。



そこで安部首相就任以降のアベノミクス体制下では、

円安→日経平均上昇

円高→日経平均下落

という図式になっています。

直近の日経平均の高値は先月でしたが、そのときの円ドル相場は102~103円まで円安に

なっていました。

だから日経平均が再び上昇トレンドを明確にする先行指標としては、

円ドル相場が100円台で推移している

というのが絶対条件になります。



前の記事でもチラッと触れたとおり、株価が上昇トレンドか下降局面なのかで、

マケプレの売れ行きも影響されます。

そういえば、大抵の本屋さんたちが支店を複数出したりして、ものすごく儲かって

いたのは、まさしく文頭に触れたバブル時代のことでしたよね。



「この7月・8月の売れ行きに影響するであろう要因」

円ドル相場が100円台で安定し、日経平均が直近の上値を超えるかどうかということ。


以上です。



地獄サーバー??

2013-06-28 06:14:17 | Weblog
6月に入ってから、うちも売上が芳しくない。

で久しぶりに「地獄サーバー」説が囁かれたりしている。

懐かしいな。この響きw

これ数年前は、4つか5つくらいのサーバーが存在していて、各出品者はそのいずれかに

属している、という前提があってね。

あるサーバーに属している出品者のみが売れなくなる状態を地獄サーバーに入ったとかね。

この場合、逆に普段より売れ行きがよくなるサーバーに属していると天国サーバー入りなわけで。

では、今月に入って売上がアップしましたという人はどのくらいいるんだろうか。

全出品者が売れてない出品者ばかりのような気がしますがw

そうすると全サーバーが地獄サーバー状態というのはおかしいんじゃないですかね。




あと、アマゾンの新品が売れるように、マケプレ商品が売れにくく制限をかけるという陰謀説。

アマゾンからすると、新品が売れようが、マケプレ商品が売れようが、利益率・利益幅が大差の

ないように、もとよりマケプレの手数料も設計されている、と考えるのが妥当だと思います。



私が感じている、今月売れない要因は、

1. 季節要因

  5月に税金とか学費とか、臨時出費の発生する家計が多い。ボーナスまでは緊縮財政の

  家庭も多いのでは?

2. 天候要因

  6月に入ってから気温・湿度の高い日が多かったと思いますが、こういう時って不眠

  とか体調不良とかで、なかなか読書できる状況でない人も多いのではないかと。

  まして眉間にシワを寄せて読むような専門書とか、急ぎの用がなければなおさらかなあと。

3. 株価の下落

  5月27日に最高値の15000円台をつけてから、13000円割れでしたか、急激に下がったりして

  ましたので、心理的にも消費に向かいにくい、人によっては実損が生じた人もいるでしょう。

  一説によると今回の株価の乱高下で、外資に2兆円ほど持って行かれたという話も聞きます。

  この何割かは個人投資家の懐から消えてしまったことになります。



以上です。

  

《脱亜論》

2013-06-26 03:09:12 | Weblog



福沢諭吉がこの文を書いたのは、明治18(1885)年の事ですから、今から128年も昔のことです。

けれど、支那朝鮮の国柄というのは、百年以上経った今でも、なんら変わっていないことに、あらた

めて驚かされるのではないでしょうか。

無論、領土問題から発したある種の偏狭なナショナリズムに組する気もさらさらありませんが。





《脱亜論》

明治18(1885)年3月16日 時事新報 社説



世界の交通はめまぐるしく進化して、西洋文明の風はついに東アジアにもやってきました。

いまや草木さえもこの風の影響を受けています。

西洋人であっても東洋人であっても、人間であることには、なんら変わりはありません。

けれど昨今、西洋人の影響力と行動力がいちじるしく大きくなってきたのは、ひとえに交通の便が

発達したことによります。

西洋文明が東進してくるのに対して、これを防ごうと思うなら、まず大切なのは「覚悟」です。

そして覚悟を定めて、世界の現実をよく見て、世界で何が起きているのか、現実をよく確認しなけ

ればなりません。

文明というのは、いわば麻疹(はしか)のような伝染病に似ています。

いま東京で起きている伝染病は、もともとは西国の長崎で流行った物かもしれないけれど、いつの

間にか東進して、春の暖かさとともに東京にまで広がりました。

伝染病が始まった時、それが広がってから病を防ごうとしても、手段はありません。

有害なだけで何のとくにもならない流行病でも、それがひとたび始まれば、その勢いを防ぐことは

できないのです。

まして西洋文明となれば、それは西欧社会に利益を齎すものなのですから、侵攻を止めるのは至難

の技です。

であるならば、西欧文明の侵入そのものを「防ぐ」というのではなく、むしろ私達自身が体力をつ

けて、これに負けない国になるしかありません。

それが智者の選択と行うべきものです。

そもそも西洋文明がわが国にはいってきたのは、江戸時代の事です。

嘉永年間に黒船がやって来て、多くの人達がその脅威を前に、日本が強くならなければならぬと心

に誓いました。

けれどそれをさせまいと進歩の前に横たわったのが徳川幕府でした。

日本が近代化して西欧と対等に付き合える国となるか、それとも幕府を中心とした旧体制を維持す

るか。

その二者択一を迫られたときわが国は、「国を重んじ政府を軽し」とする大義に基づいて行動し、

ご皇室という神聖かつ尊厳ある存在とともに、もはや老害以外の何ものでもなくなった旧幕府を

倒し、新政府を打ち立てることを選択をしました。

日本は、国中、身分の別なく、西洋文明に追いついて行こうという体制を打ち立てたのです。

そうすることで我が国は、次々と植民地支配されて行くアジア諸国の中にあって、唯一、国家と

して、民族として独立自尊を保ち、生き残るための新たな基軸を打ち立て、近代国家を形成する

ことに成功しています。

ではその日本が行った選択とは何であったのか。

それこそが、まさに「脱亜」の二字でした。

日本は、アジアの最東端にある国です。

しかしその日本国民の精神は、すでにアジア的老害を脱して、西洋文明に近づきつつあります。

すなわち、日本は西欧諸国とあい並ぶ独立国家としての道を進み始めているわけです。

ところが、その日本には、実は大変な不幸があります。

何かというと、支那、朝鮮です。

この二国も、もともとは日本と同じくアジア流の政教風俗をもっている国です。

ところが人種の違いなのか、教育の差なのか、支那朝鮮と、日本との文化的な隔たりは、あま

りにも大きいものです。

情報がこれほど速く行き来する時代なのです。

西欧的近代文明や、国際法についての知識は、彼らにだって当然もたらされているはずです。

にもかかわらず支那朝鮮の二国は、まったく変わろうという気がありません。

変わろうとしないだけでなく、まるっきり百千年の昔のままの姿で居続けようとしています。

文明が、まさに日進月歩で進化している現代にありながら、この両国は教育といえば二千年も

昔の儒教を言い、学校教育では仁義礼智といい、一から十まで外見を飾りたてることだけを大

事にして、中味は、まるで空っぽの脳みそしかもちあわせていません。

アホにはアホの可愛らしさというものが、普通ならあるけれど、この二国に関しては道徳心な

どかけらほどもなく、その残酷さは破廉恥をきわめています。

それでいながら、態度だけは傲慢そのもので、いかに他国や他人に迷惑をかけても、自省の色

なんて毛ほどもありません。

私に言わせれば、この西欧文明の東進という脅威に対し、この二国が独立を維持し続けるなど

というのは、およそ不可能な事です。

もし支那朝鮮の二国に、幸いにも救国の志士が現れて、我が国の明治維新のような政治改革を

実現し、政治をあらためて人心の一新ができれば、話は別ですが、そうでなければ支那朝鮮の

二国は、今から数年を経ずして亡国の道をたどり、その国土は世界の文明諸国によって分割、

分断されてしまうことは、火を見るよりあきらかなことです。

なぜなら、伝染病にも等しい西洋文明の侵攻にあいながら、支那韓国の両国は、その伝染する

という自然の摂理に背いて、無理にこれを避けようとして、旧来の陋習(ろうしゅう)という

一室にひきこもっているだけだからです。

そんな事をして、部屋の空気を遮断すれば、そのうち窒息して死んでしまうのはあたりまえの

ことです。

「春秋左氏伝」に「唇歯輔車(しんしほしゃ)」という言葉があります。この言葉は、「輔車」

が頬骨ほおぼねと下あごの骨、「唇歯」がくちびると歯で、隣国同志が互いに助け合うことを

いいます。

けれど、いまの支那朝鮮は、日本のために毛筋一本の値打ちもありません(一毫の援助と為ら

ざる)。

そればかりか、ややこしいことに、この日支朝の三国が地理的に近いがゆえに、欧米人から同一

視されかねません。

つまり、支那や朝鮮の不出来な振る舞いをもって、あたかも日本も同じだと思われてしまいか

ねない危険性さえも持っているのです。

たとえば、支那朝鮮が古い専制君主独裁体制で、法治の観念を持たない国であれば、西洋人は、

日本もまた、ああ無法律の国かと見なしてしまいます。

支那人や朝鮮人が理屈にならない手前勝手な屁理屈ばかり並べ立てれば、ああ日本人も屁理屈

をこねくりまわしている、訳の分からない国だと思われます。

あるいは支那朝鮮人が、西欧の武力に恥かしげもなく屈して卑屈な態度をとっていれば、ああ

日本も同じ卑屈な習俗の国だとしか思われません。

また、朝鮮の刑罰に、およそ人に行うには酷すぎる残虐な刑罰があれば、日本も同様に残虐

非道な国だと疑われてしまう。

こんな例を挙げれば、それこそ枚挙にいと紛いありません。

ようするに一つの村の住人のほとんどが、愚かで無法で残忍で無情ならば、たとえその村の中

にまっとうな一家があったとしても、村の外の人々からみれば、どっちもどっちにしか見え

ないというのと同じことなのです。

そしてその影響はすでに随所にあらわれていて、わが国の外交に少なからぬ影響を与えています。

これこそ、我が日本の一大不幸というべきことです。

もはや日本に、支那や朝鮮が開明して国際常識を身につける日を待っているような余裕はあり

ません。

むしろ、支那や朝鮮とは早々に縁を切って、西欧諸国と進退を共にすべきです。

そして、支那朝鮮と接する時には、いちいち「隣国だから」といって格別の配慮など、もやは

する必要などさらさらありません。

支那朝鮮に対しては、西欧諸国が両国に接するのとまったく同様に、相手を人の住む国とさえ

思わず、厳しく対処すればよろしい。

悪友と仲良くする者は、共に悪名をまぬがれないものです。

私は、心において、もはやアジア東方の悪友である支那朝鮮とは、絶交を宣言するものです。

『時事新報』明治18(1885)年3月16日