アンソニー・パーキンス
父親は俳優。小さな頃から俳優を志し、
53年、映画デビュー。しばらくは芽が出ず、下積みを続け、
56年、ウィリアム・ワイラー監督作「友情ある説得」で
アカデミー賞、助演男優賞にノミネート。その後、
57年の「ロンリー・マン」、58年の「胸に輝く星」、「海の壁」、
59年「渚にて」などに出演、背が高くハンサムな俳優として
人気に。58年の「緑の館」ではオードリー・ヘップバーンと
共演。60年の「のっぽ物語」ではジェーン・フォンダと共演。
歌手としても「星影の渚」というレコードを出している。
60年にアルフレッド・ヒッチコックの「サイコ」に主演。
ノーマン・ベイツ役で出演し強烈な印象を残し、翌年、
「さよならをもう一度」でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞するが、
「サイコ」のイメージが強く、その後は、俳優としてはあまり大成せず、
覚醒剤所持、逮捕などのスキャンダルもあり、不遇な後年を送る。
92年、エイズが原因で死亡。
オリエント急行殺人事件(1974)
サイコ(1960)
友情ある説得(1957)
父親は俳優。小さな頃から俳優を志し、
53年、映画デビュー。しばらくは芽が出ず、下積みを続け、
56年、ウィリアム・ワイラー監督作「友情ある説得」で
アカデミー賞、助演男優賞にノミネート。その後、
57年の「ロンリー・マン」、58年の「胸に輝く星」、「海の壁」、
59年「渚にて」などに出演、背が高くハンサムな俳優として
人気に。58年の「緑の館」ではオードリー・ヘップバーンと
共演。60年の「のっぽ物語」ではジェーン・フォンダと共演。
歌手としても「星影の渚」というレコードを出している。
60年にアルフレッド・ヒッチコックの「サイコ」に主演。
ノーマン・ベイツ役で出演し強烈な印象を残し、翌年、
「さよならをもう一度」でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞するが、
「サイコ」のイメージが強く、その後は、俳優としてはあまり大成せず、
覚醒剤所持、逮捕などのスキャンダルもあり、不遇な後年を送る。
92年、エイズが原因で死亡。
オリエント急行殺人事件(1974)
サイコ(1960)
友情ある説得(1957)