セルジオ・レオーネ
父親はイタリア映画界の映画人、母親は女優。
10代で映画界入りし、イタリアとアメリカ両方国の監督の下
でアシスタントとして働く。50年代から自分で脚本を書き始め、
監督のマリオ・ボンナルドが途中で病気のため降板した
「ポンペイ最後の日」をレオーネが引き継ぎ、
61年に「ロード島の要塞」で映画監督としてデビュー。
黒澤明の「用心棒」にレオーネ自身が深い感銘を受け、
翻案した、
クリント・イーストウッド主演、「荒野の用心棒」を
ヒットさせ、マカロニ・ウエスタンブームを起こす。
低予算ながらイタリア本国のみならず、世界的に大ヒット。
その後、盗作疑惑により、黒澤プロダクションが裁判で勝訴し、
アジアでの配給権、権利を譲渡する形となり落着。
その次の作品が、65年の「夕陽のガンマン」。
この作品で一躍レオーネは大出世し、次回作の
「続・夕陽のガンマン」で大金を費やす大作も作れるようになる。
この後、MGMで
グレゴリー・ペックや
カーク・ダグラスなどが
出演する大作西部劇の契約を交わそうとしたが断り、
パラマウントでそれよりも安い制作費で、
自身の愛するアメリカ西部劇に対するオマージュ的作品
「ウエスタン」を発表。チャールズ・ブロンソンや
ヘンリー・フォンダを出演させ、その他のスターも多数出演。
84年、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」を
製作後、レニングラード侵攻を描いた戦争映画の
脚本執筆の途中、心臓発作によりこの世を去る。
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(1984)
夕陽のガンマン(1965)
荒野の用心棒(1964)
ベン・ハー(1959)