カトリック教会の問題

公会議後の教会の路線は本当に正しいのでしょうか?第二バチカン公会議後の教会の諸問題について、資料を集めてみたいと思います

カトリック教会こそ本当の文明の保護者

2017-06-06 22:50:03 | エキュメニズム
カトリック教会こそ本当の文明の保護者

 司祭は、「偽りの民主主義の幻想によって、減退のさまざまな意見の迷路に」迷い込まないように注意すべきであると、教皇様は言います。「願わくは、彼ら(司祭たち)が、教会の最悪の敵と民衆の雄弁から、良く響き渡るくせに非現実的な約束ばかりのおおげさな言い回しを物まねしないように。

願わくは、彼らが社会問題や社会に関する知識が昨日誕生したばかりだと思い込まないように。願わくは、かれらが教会と国家はいつも幸いにも協調し、この目的のために豊饒的な組織を引き起こしたことを知るように。

 教会は妥協的な協定を結ぶことによって人々の幸福を一度も裏切ったことがないことを、教会がその過去を捨て去る必要などないことを知るように。

 社会の再建のための本当の働き手の協力とともに、革命によって壊されてしまった組織をもう一度取り戻し、それを息吹いた同じキリスト教精神のうちにもう一度現代社会に適応させれば十分であることを確信するように。

 なぜなら、民衆の本当の友は、革命家でもなく、改革者でもなく、伝統主義者なのであるから。」


(シヨン運動について:14)

社会組織とシオン

2017-06-05 13:13:59 | エキュメニズム
社会組織とシオン

 聖ピオ10世は、社会組織についてこう教えています。

「社会の歯車は、その自然の働きによって、悪人の労苦を麻痺させ、すべての善意の人に地上の幸せの正当な一部を分け与えることができるように組織されなければならないだろう。」

カトリック教会こそ本当の文明の保護者

 司祭は、「偽りの民主主義の幻想によって、減退のさまざまな意見の迷路に」迷い込まないように注意すべきであると、教皇様は言います。「願わくは、彼ら(司祭たち)が、教会の最悪の敵と民衆の雄弁から、良く響き渡るくせに非現実的な約束ばかりのおおげさな言い回しを物まねしないように。

願わくは、彼らが社会問題や社会に関する知識が昨日誕生したばかりだと思い込まないように。願わくは、かれらが教会と国家はいつも幸いにも協調し、この目的のために豊饒的な組織を引き起こしたことを知るように。

 教会は妥協的な協定を結ぶことによって人々の幸福を一度も裏切ったことがないことを、教会がその過去を捨て去る必要などないことを知るように。

 社会の再建のための本当の働き手の協力とともに、革命によって壊されてしまった組織をもう一度取り戻し、それを息吹いた同じキリスト教精神のうちにもう一度現代社会に適応させれば十分であることを確信するように。

 なぜなら、民衆の本当の友は、革命家でもなく、改革者でもなく、伝統主義者なのであるから。」


(シヨン運動について:14)

誤謬に対する我が主イエズスの態度

2017-06-05 13:13:06 | エキュメニズム
誤謬に対する我が主イエズスの態度

「イエズスがたとえ道を外れたものたちや罪人たちに対して優しかったとしても、彼らの誤った確信を、たとえそれがいくら誠実であると見えても、それを尊重しなかった。

 主は彼らをすべて教えるため、彼らを回心に導くため、彼らを救うために愛した。

 労苦するもの、苦しむものを和らげるために、彼らをご自分の元にお呼びになったのは、彼らに幻想的な平等の妬みを説教するためではなかった。

 もし主が謙遜なものたちを高めたとしたら、それは彼らに独立的尊厳の感情を息吹き、従順に対して反乱を引き起こさせるためではなかった。

 もし主の御心が善意の人々に対して柔和に溢れていたとしても、主は同じく天主の家を汚す者共に対して、小さきものをつまずかせるものに対して、自分はそれを持ち上げるためにそれに指さえ付けないくせに民には重いくびきを与えて押し潰す権威に対して、聖なる怒りを燃やし給うた。

 主は、優しいと同じく強かった。主は叱り、脅迫し、罰し、『しばしば恐れは知恵の始まりである。時には体全体を救うためにはその一部を切り捨てる方が良い。』と言うことを主は知りつつ、わたしたちに教えられた。

 最後に、主は将来の社会として、苦しみの全くない理想的な幸福の統治を告げたのではなかった。主はその教訓とその模範とによって、この地上における可能な範囲での幸福の道と、天国での完全な幸せの道をたどった。すなわち、十字架の王道である。この教えをただ単に永遠の救いのために個人生活にのみ適応するなら大きな間違いである。これらは、すばらしく社会全体にかかわる教えであり、我らの主イエズス・キリストにおいて、これらの教えは『頼りない権威のない人道主義』とは全く別のものをわたしたちに示してくれる。」


(シヨン運動について:13)

シヨン運動とはカトリック背教の運動である

2017-06-05 13:10:01 | エキュメニズム
シヨン運動とはカトリック背教の運動である

 シヨンとは、「すべての国々において組織された背教の一大運動の惨めな支流に過ぎない」のです。それは「教義も、位階制度も、霊の識別の規則も、情念の抑えも無いある一つの普遍教会を確立するためにあり、人間の自由と尊厳を口実に、もし勝利を収めることができたならこの世界において、ずる賢さと力の法的支配と弱いもの、苦しむもの、労働者の抑制とをもたらす」ものでしょう。

「わたしたちは、明晰な知性の持ち主を誘うはずが無いはずの有毒なこれらの教えを作り上げる暗闇の温床についてあまりにもよく知り過ぎている。シヨンのリーダーたちはそれから自分のみを守ることを知らなかったのだ。自分たちの感情の高揚、その心の盲目的な良さ、一部イルミナティズムに交ざった哲学的神秘主義が、彼らをして新しい福音へと導き、この新しい福音においてこそ、彼らは主の本当の福音を見たと信じてしまった。それの程度は、彼らは我らの主イエズス・キリストにたいして全く不敬な馴れ馴れしさをもって主をあえて取り扱い、彼らの理想は革命の理想と同じであるが故に、福音と革命との間に冒涜的な繋がりを持たせようとすることさえ恐れない。」


(シヨン運動について:12)

シヨンは幻想を追いかけている

2017-06-04 20:01:20 | エキュメニズム
シヨンは幻想を追いかけている

 「キリスト教国を確立するために必要だった全ての力、知識、超自然的美徳、何百万人の殉教者の苦難、教会博士や教父の光、愛徳の全ての英雄たちの奉仕、天から生まれた力強い位階組織、天主の聖寵の大河、天主の知恵であり人となった御言葉、イエズス・キリストの命と精神によって建てられ、固められ、染み渡った全てを思うとき、そうだ、これら全てを思うとき、新しい使徒たちが、あいまいな理想論と市民道徳を共通項に持って更によい業ができると夢中になっているのも見てぞっと震える。彼らは何を生み出そうとするのだろうか。この共同作業から何が出てくるのであろうか。それは、ごたまぜが映し出されるだけの、単に口先だけの幻想的建設であり、自由・正義・兄弟愛・愛・平等・人間の高揚といった、全て「人間の尊厳」を誤解したことに基づく魅惑的な言葉が、混乱のうちに映し出されるだけである。それは、目標と置いた目的の達成のためには不毛な、反乱をもたらすだけのアジテーションに過ぎないだろう。そしてこれによって利益を得るのはあまりユートピア主義者ではない、民衆の撹乱者だけであろう。そうだ、本当に、シヨンは社会主義に付き添い、片目は幻想を見つめていると言える。」

「さらに悪いことには、仕事におけるこの雑多の入り交じりの結果は、この国際人的な社会行為の恩恵は、カトリックでも、プロテスタントでも、ユダヤでもないある一つの民主主義を生み出すほかないだろう。それは、カトリック教会よりももっと普遍的な、天主の国においてついに兄弟、友達となったすべての人々の集うある一つの宗教となるだろう。なぜなら、シヨニスムとは、その頭たちの言うところによると、一つの宗教なのであるからである。」

「教会のために働くのではない、人類のために働くのである。」シヨニストたちはこう言っています。


(シヨン運動について:11)