神の国

 私
 は
 神
 だ
 が、君は誰だ?

無駄なお饒舌。

2012年04月19日 18時06分57秒 | 全自動随筆

 

 まぁまぁとえぇ、酷い毎日を送っております。云々と書き出すことが多いのですが、私は。このブログではそうでもないですけれども、前にやっていたブログなどはもう、一週間に十日のペースでその様に書き出しておりました。

 で、今思うのは、その時に「これは酷いなぁ」と思っていた様相というのを、これはどういうのか、悪い方で越えていく日々と言うか。今にして思えばあの時のアレは全然酷くないじゃないか、昨日の方が酷いよの断続的な感じ、つまりは酷さの等加速度直線運動みたいなことに、気付けばなっておるのです。

 何故じゃ。

 でまぁ、悪いのは僕なんですが、問題は「どうすべきか」と言うようなことなのであって、この点については一つ真剣に考えねばならんのです。

 思うに。僕の元来的に内向的な、放っとけばどこまでも自閉していく精神構造と、それに抗おうとしているのかなんなのか、体の奥の奥から沸き立って来るような破壊衝動と、過剰な対外行為のティラミスな感じが、自分でもどうがどうともよう言わんほどに複雑怪奇なガウス平面図?とか何とか、昔見たことがありますけれども、何だかそんな感じになっていて、で、所々でスパークするように自分の日常が崩落しておるのを感じるのです。その日常が崩落するひとかけらひとかけらが、酷い酷いと泣くわけですわ。ねぇ、どうですかこれ、もう、残酷ですよ全く。

 

 人は。人であるということは、特に、人が生きているということは、しかし、この様なことではありませんかと、同時に僕の中のどこかが言うのです。嗚呼、酷いねこれは。まるで反省がありませんよこの人は。どうするんでしょうねぇ一体、この先。しかし人は、死ぬまで生きねばならんのです。聖者も愚者も、死ぬまで生きるのです。はてさて僕は死ぬ時に、何をどう思うのやら・・・。

 


サンポール速記録・0659番

2012年04月15日 17時58分29秒 | 速記録

 

 ・不可解な記憶

 私には一つ不可解な記憶と言うものがあって、それがこういう風なのだ。

 私は、何処だか四畳半ぐらいの、ちょっとうらぶれた下宿屋の二階といった風情の畳間に仰向けに寝転んでいる。窓の外を上目でチラリと見ると、夕暮れ、少し橙に染まる空が見える。部屋に電気はついていない。

 温い風。

 だらしのない風鈴の音。

 外からは何とはなしに、人の声や物音。商店街だかどこかの二階にその部屋はあるようなのだ。

 女がいる。

 私は女と、何かを喋っているが、心はどこか上の空。

 窓の外に、向かいの家のテレビアンテナが見えている。

 

 ※

 

 これは、私の事実の記憶である可能性は全くない。

 というか、恐らくだが主人公というのか、その人間はどうにも、今の私よりも年が上の様な気がするのだ。しかし、記憶は一人称であって、つまり、自らの状況と言うのは見えない。私の目を通しての映像が、記憶となっているのだ。

 前世の記憶だとか、何だとか。少し前までこの事が気になった時期もあったのだが、最近ではもう半分ぐらい忘れてしまっていた。が、ここ二、三日で不意に思い出されてきている。

 人の記憶と言うのは随分といい加減だと言う話も聞く。しかし、私にはこれが、確かな記憶だと言う、何だろう、確信のようなものがあるのだ。何故だろう。

 そして昨日今日、何だか私は、この記憶にある世界と「繋がった」もしくは「繋がりつつある」と、これまた何の確証もないのに強烈に感じられる。不可解ではあるがしかし、極めて強烈にその様な意識がある。

 私はあの世界を知っている。

 そして今、その世界に片足を突っ込みつつある。

 意識される。その様に強く、意識されるのだ。

 


サンポール速記録・0711番

2012年04月01日 23時05分16秒 | 速記録

 

 ・レゲエおじいちゃんによる半笑での読経。

 おじいちゃんは住職なのかと言う点が親族間で問題となるも、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた町内会長・多田幸太郎の「皆の衆、騒ぐでない。全てはワシの想定通りじゃ」と言う一言を信用し、式は粛々と続いた。ところが、出棺の直前ぐらいのタイミングでレゲエおじいちゃんは住職でも何でもない、単なる素人だと言う衝撃の事実が2ちゃんねる経由で暴露される。

 町内会長、その場で爆殺さる。