春の朝

途中寄り道をしながらそれぞれの季節を楽しみたいと思います

ご訪問ありがとうございます

お訪ね頂きありがとうございます❣❣ 拙い日々の個人の記録ですのでコピーはお断りをさせて頂いています。草花はこの時季に出合った記録程度です。 タイトルの「春の朝(あした)」は讃美歌からお借りしました。『春の朝(あした) 夏の(真昼) 秋の(夕べ) 冬の(夜も) 勤(いそ)しみ蒔(ま)く 道の種の 垂穂(たりほ)となる 時来たらん』※文字のサイズ変更で「大」でご覧くださると嬉しいです。又、写真は過ぎた日に撮影した作品もありますがお許し頂きどうぞ温かく見守って頂きたくお願い致します

兄の優しさに触れて

2024年04月07日 | 2024年04月の記録

故郷便り
今日は朝から曇りでしたが大分市内の兄のお家に行って参りました。久しぶりの「大分駅」の変化に驚きました。
先ずは、駅前の長さ「12mのこけし」の花子さん!おしゃべりもするから驚きです!
可愛い声で①ありがとう ②おなかすいたね ③たのしんで


大分駅前の12mの「こけし」の花子さん

風雨にさらされるのでしょうか?
お天気の悪い日にはどうなるのでしょうか?

義姉もモノ忘れが進んで気分の良い日と悪い日あるようですが、お元気そうで安心しました。早速「太宰府天満宮」のお守りを差し上げました。豪華なお昼ご飯をご一緒して少しの時間楽しい会話が出来ました。

兄が「大分川の桜」がとても美しいので兄嫁(義姉)に、私を駅まで見送り方々花見をしよう!と言いだして、僕は桜の柔らかい花色が大好きだから:::と姉を誘いましたが姉は気分が優れないようでした。

そんな姉に「あなたにキレイな桜の花を見せたいのよ車の中からでも見よう!」と何度か誘っていました・・・・兄の優しさは少しも変ってなくて胸があつくなりました。

そう言えば生前父にどんなことを思い出しますか?と尋ねた時「兄に秋の九州場所の相撲や野球観戦に連れて行ってもらったことが嬉しかった」と話していたことを思い出しています。

桜の木の下に「ショカッサイ(諸喝菜)」の花。平地では桜の根を踏んで痛むことを避ける為に植えているのかも知れませんが、だとしたら、思いやりのある優しい管理体制ですね。同じ大分県人で嬉しくなりました。

兄ご夫妻が末永くお健やかであられますように祈りつつ

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九博へ長沢芦雪に会いに

2024年04月06日 | 2024年04月の記録

大宰府天満宮の境内から「九州国立博物館」へアクセス出来る便利さを教えて頂きました。

長い「虹のトンネ」を上って行きました。其処には想像絶する壮大な「九州国立博物館が姿を現しました。

帰省前に市民大学で半年間「伊藤若冲」の講座を受講したばかりでしたので、長沢芦雪の作品との出会いは特別な思いでした。

長澤芦雪 生誕270年と言う企画だったようです。絵を描くことが好きで、常に新しい表現や技法を追求されて、精力的に活動された「長沢芦雪」とご紹介されていました。

数多くの傑作は長い年月を経た今も、私たちの心を魅了してやみません。奇想の天才絵師「長沢芦雪」を九州国立博物館は魅力あるご紹介をされていました。

展示内容も前期と後期とでは入れ替わりますが、私は「後期」それも終わる(3月31日)ギリギリの3月29日でした。

多くの作品の中でも「方寸五百羅漢図」3cm四方の中に500もの羅漢さんを描かれた作品の前は皆さま足が止まっていました。私もつい1234・・・と数えたくなりましたよ♪


当日のチラシとチケット

作品の中から「雨の音や風の音・匂い」すら描き出されているように感じました。みどりの木立に囲まれた環境で小鳥のさえずりや緑のそよ風を感じながら疲れを癒された至福のひと時でした。周囲は桜が満開でした。

写真撮影が禁止の為にご紹介できずに残念です。
今夜もゆっくりお休みなさい♪

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黒田官兵衛(孝高)祀られ

2024年04月05日 | 2024年04月の記録

昨日お詣りさせて頂いた「大宰府天満宮」の境内を歩いていますと「如水の井戸」という井戸に目が止まりました。

中津城初代城主「黒田官兵衛(孝高)」黒田長政の父(黒田如水)は天満宮を深く崇敬して居られたようですね。此処に「草庵」を建て、二年間隠棲の際に使用された井戸のようです。(初めて知りました)

梅の木の下に静かな場所に御霊が祀られていました。

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お守りを求めて

2024年04月04日 | 2024年04月の記録

3月29日故郷はここ数日雨・雨・が続きます。
お天気も回復しましたの今日は出かけて参りました。


境内の至る所に道真公と深いゆかりの「御神牛」が置かれていました。天神様のお使いとして大切にされてきたと云います。

毎年「太宰府天満宮」にお参りを欠かさなかった兄も今年は義姉の病状が思わしくなくて、お詣り出来なかったと言う兄夫婦の為に「大宰府天満宮」のお守りをいただきに行って参りました。


梅ケ枝餅

朝8時、当駅から博多駅へ・・・その日は暑くて!参道で売られている「梅が枝餅」を一つ買い求め若者と同じく立ち食いでお腹を満たして・・・牛歩のごとくすすみました。


御本殿に向かう「天満宮」鳥居


堂々たる佇まいの二重門

「万葉集」の講演会の際に準備の資料集めに足を運んで以来ですから5年ぶりですね。本宮は改装工事の為に覆いをされたいましたがお祓いは仮所で行われていました。


改修工事の為に「本宮」のお写真はHPより拝借させて頂きましたが不都合がありましたらご連絡ください


仮祈祷所

124年振りのご本殿の大改修にあたりお祓いは仮殿で行われていました。この仮殿の屋根は桜など約60種の植物が植えられています。私は自然に生えたものだと思っていましたが、有名な建築家の藤本壮介氏によるデザインだったのです。四季折々の草花の美しさが楽しめそうですね。
大きなお賽銭箱

「太宰府天満宮」と言えば「菅原道真公は、京都から大宰府へいわれのない罪で左遷される折、自邸の梅の木に「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と歌で別れを告げられたと云います。


博多人形「紅梅殿の別れ」


博多人形で作られた見事な「葬送」場面

59歳でこの大宰府の地でお亡くなりになられた道真公は、ご遺骸を運ぶ牛車が動かなくなった場所に埋葬されたと聞きます。そして立派なお社が建てられました。後に「大宰府天満宮」と呼ばれるようになり、今日も多くの人が参拝されていました。

境内の至る所に道真公と深いゆかりの「御神牛」が置かれていました。天神様のお使いとして大切にされてきたと云います。

境内には6000本もの梅の木が植えられその種類も多く・・・御本殿右側の「飛梅」は御神木として大切にされています。梅の時期は過ぎていましたが、兄夫婦と妹夫婦に飛梅の梅の実を使ったお守りを求めて参りました。


楠の木の大木を至る所で目にすることができます。
根の太さを見ると力強さが古木から伝わります。


厄晴れひょうたん

今病の床に臥されている方々が一日も早く癒されますように・・・看病や介護をされて居られる方々の健康が支えられますように・・・祈りつつ

※関東に戻ってから少し眼科治療へ出かけています。片目の作業は大変ですね。ご不自由の方々のことお察し申し上げます。

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諭吉先生が護った故郷の景観

2024年04月03日 | 2024年04月の記録

競秀峰を「青の洞門」として愛でていました。しかし、青の洞門は「競秀峰」の一部にすぎません。競秀峰」は「日本遺産認定」されています。

競秀峰は、不思議な奇岩の数々から峰により細長く1kmに渡って連なる名所。自然の神秘を間近に感じる事ができます。慌ただしい毎日から少しの時間解放されてみませんか。

1818年に来渓した頼山陽が「耶馬渓図巻」によって天下に紹介したことも知られた話です。しかし、1894年に故郷中津を訪れた「福澤諭吉」は競秀峰が廃却されることを耳にし「心ないものの手に渡ると景観を損ねてしまう」と思い三年の歳月をかけ私財を投じて競秀峰一帯を買収し保護したと云われます。

「福澤諭吉先生が護った故郷の景観」大切にしたいですこの景観

ここ青の洞門は大正8年に発表された菊池寛の小説「恩讐の彼方に」で全国にその名が紹介されました。

昔、交通の難所として旅人を苦しめ、一歩道を踏み外しと人や馬が山国川へ転落するために、これを見た「禅海和尚」が30年の歳月をかけて堀たトンネルで完成は「宝暦13年(1763年)」に完成しました」案内板


青の洞門入口


禅海和尚の掘られた当時のノミの跡

今日はTVで青の洞門の「ネモフィラ」が咲き誇っている映像を目にして、空は曇りですが出かけて参りました。
中津駅からバスを利用すれば20分ほどの距離にあります。帰省中に時間をみつけてあちこちへ出かけてみたいと思います。

青の洞門入口のお店で「だんご汁」も美味しくて
どうぞ季節の変わり目お風邪など召されませんように・・・
今夜もゆっくりお休みんさい♪

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カメムシ君のお出迎え

2024年04月02日 | 2024年04月の記録

先月の3月20日、約一か月前になりますが、主のいない故郷の家で迎えてくれたのは一匹の「カメムシ」君でした。 白いカーテンにぶら下がり「お帰りなさい」とでも言っているようでした。カメムシが好きだと言う方は余りいないと思います。怒らせると「臭い」が強くて・・・

そのままにしていたら夜「電気の光」を求めてブンブン飛び回るのです。飛行時間を見ていたら長くは飛べなくて、電気を消すと静かになりますね。

手で払うと床に仰向けに落ちて足をバタバタさせるという不思議な動きをします。そのまましていたらきっと「南無阿弥陀仏」でしょうね。爪楊枝で起してやりますが、手のかかるカメムシ君です。

レンゲソウの田んぼが懐かしくて山には「山桜」が満開でした。山に一本の桜の花があるだけでその山の景色を変えるといいますが、その通りですね。

実家は母の居た時と同じ状態で維持されています。それも、車で30分のところに住む妹のお蔭です。お寺のご用から屋敷内の草刈りの手配や雨の日は雨どいに枯れ葉が詰まる為に雨の前日には掃除をしているようです。

時折、介護・看病疲れの妹を思いやることも出来ずに申し訳なく思います。私が居る間だけでも自分の時間をとってのんびりして欲しいと思います。

さぁ~私の出番です♪
故郷は雨・雨・・・
今夜はゆっくりお休みなさい♪

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ふる里たより

2024年04月01日 | 2024年04月の記録

季節は移ろい早くも四月「卯月」になりました。
Blogの更新も1ケ月も出来なくて、それでも毎日アクセスして小さなBlogの投稿をお待ち頂き温かいご支援を心から感謝します故郷へ帰省して早くも10日が過ぎました。コロナ禍の影響で5年ぶりの里帰り3月はご先祖さまの「彼岸法要」でした。

私が生まれ育った中津市は人口85.000人と云う小さな市ですが、日本を大きく変えた人物が多くおられます。 そのお一人が慶応義塾大学創設者でもあられます、福澤諭吉そして、「NHK大河ドラマ」「黒田官兵衛」で知られた黒田如水など、小さな駅はそれなりに変わり外国人の観光客の姿を見かけるようになりました。 改札口で福沢諭吉邸を尋ねられました。


福澤諭吉邸跡


福澤諭吉邸のお庭に飾り吊り雛さま(過去の写真)


過去の写真
中津市内に在る「南部小学校」が出来る前はこの地に福澤諭吉が創設した西日本有数の英語学校「中津市学校」がありました。 著書の「学問のすすめ」はふるさとのこの学校の子ども達に、学問の重要さを説いたもので、大ベストセラーになりました。


「中津市立学校」 跡に建つ「南部小学校」

中津市内や山間部の子どもたちは、ふるさとを愛し、絆を大切にし誇りと自信をもったこどもたちです。 山間部の学校は少数の子ども達に一人の教師という恵まれたと思わせるような素晴らしい環境で、生徒はのびのびと勉学にスポーツに励んでいます。

少しずづ故郷の便りを更新出来たらと思います。
花冷えのこの季節です。 お風邪など召されませんように・・
お休みなさい❣

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