静岡の天野さんから今年もお歳暮を頂いた。律儀な方だ。音楽活動をご一緒したのは藝大の大学院を修了した年の5月まで。その後は音信も途絶えがちだったのに…。
これで、兵士の姿をしたワインホルダーも3体になった。
天野さんに初めてお会いしたのは、静大の卒業演奏が終わった頃。
卒業はするものの進路も目標も具体的なものは何も無く、入試は1ヶ月後と迫っていたが藝大の別科を受けることだけは決め、漫然と学生課の掲示板を見ていた。
フルートの伴奏者募集のアルバイトが目に留まった。暇だったので早速電話し、専門は作曲だが…と念を押し、ご自宅に伺った。
5歳年上の精悍な、バッハが大好きな男性だった。
以来天野さんの専属伴奏者となり、市内の小さな教会や、新宿文化センターや、NHK-FMのオーディションなどで共演した。
彼の伴奏を務めるには、特殊な能力が必要だ。
気ままに走ったり止まったりする独特なテンポ・リズム感に、きっちりついて行くこと。「僕がこういう音を出したら、これを吹いてね」と穏やかに諭しながら。
もう一つは、毎回のように繰り返される、ある限られた分野に対する憎悪とも思える彼の能弁と、自信満々な展望を「そうだそうだ」と聞くこと。
別科に入学し、東京に引っ越してからは伴奏がある度によく泊めてもらった。
夜は「安く買った」と自慢げなワインや、僕がねだった海苔のついたお煎餅を、「これは高いんだよ」と出してくれて、酔うほどにいつもの演説が始まる。
2年目になると「フォルティッシモでピーピー吹く曲を」と、新作を委嘱してくれた。
フルートとピアノのデュオを書き、ルーテル市ヶ谷センターで演奏し、それを大学院の受験のための1曲にした。
その後も彼のために、フルート・チェロ・ピアノの前奏曲とフーガ(市ヶ谷)、フルートと弦楽四重奏のクインテット(市ヶ谷)、デュオの2作目(静岡カワイホール)を作曲した。
この4曲を僕らは「アマノ・セット」と呼ぶ。
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