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物書きひとすじ!時には寄り道、迷ったり、直進したりして、人生は面倒で悲しく楽しくて。

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泣き虫勇太の思い出

2019-08-06 18:25:31 | 自伝風小説
泣き虫勇太
 名前は勇ましいが、とても気弱で泣き虫であった。何しろ小さな集落で遊び仲間が少なかったから荒波にもまれて育っていない。集落には、一つ年上の文子と二つ下の実しか遊び仲間はいない。
小学校に上がると、他の集落から来た者には数人ずつ同級生の遊び仲間がいるので独りぼっちの勇太は、とても心細かった。頼りの姉は高等女学校に進学してしまった。
だから、学校から帰ると門口で「おっかぁちゃん、けぇたよ。」と大声で母を呼んだ。返事があれば、安心するのだが、3度呼んでも返事がないと「おっかぁちゃんがいねぇ!」と大泣きするのだった。
だから「勇太はうちの前のキャンキャン犬だ」と母には笑われていた。自他ともに認める意気地なしの泣き虫であった。
 それでも時には喧嘩をしたことがある。
 1回は、4歳ごろのことだが、父の勤務の都合で水戸に転居したことがある。独りぼっちで家の周りに出かけて遊んでいたが、近所にいじめっ子がいて数人で徒党を組んでいた。見慣れない勇太にはグループでいじめにかかり、仲間外れにしていたので、「よし今に見ていろ!」と復讐を考えていた。
その子たちが、わが家の前を通りかかたので、道にあったこぶし大の石を拾って待ち構えていた。彼らは、大手を振って前に来たので隠れていた勇太は、石を投げつけた。
「ギャー」と小太りのボスが泣いて逃げ出したから従っていた子分たちも一目散に走って逃げて行った。
 翌日、その子の母親が、怒鳴り込んで来たが、「子供の喧嘩に口出しするとは、何事か!」
 気丈なわが母に一喝されて、すごすごと引き上げて行った。
 勇太は、その様子を隠れて見ていたが、明日からどうなるかと心配であった。ところが数日後にいじめっ子グループに「常盤公園」の遊び場で出会ってしまったから彼らは喧嘩を売って来ると覚悟を決めていたらすごすごといなくなってしまった。きっと、勇太は危険な乱暴者だと思ったのだろう。
 もう一つは、小学1年生の時の喧嘩の思い出である。(続く)