Seriously?

ひとりごとです

映画 ■■沈黙 -サイレンス-■■

2017年01月24日 | 映画
遠藤周作の「沈黙」を
マーティン・スコセッシ監督が映画化
しかも私の大好きなアンドリュー・ガーフィールドが主演

これは観なくては!と思った



映画 ■■沈黙 -サイレンス-■■





原作者、監督それぞれの言いたいことは
掴みにくかった
自分なりの解釈もぼんやりしている



ただ、ただ
我が国の持っている残虐な歴史を恥じた
江戸時代の
切り捨て御免の
百姓の命なんて虫けらのように扱われた
野蛮な時代の話だけどさー
ああやって見せられると
苦しい、恥ずかしい…
「日本人は元々残虐な民族だったのだ」
なんて誤解されたくない
しかし、あのような非道な時代が日本にあったのは真実



ちょうどこの間のGWに
五島列島の教会巡りしたから
この映画も観たかった

観てみたら
私の中にある
「美しい数々の教会と
この世のものと思えない(天国のような)
青く透き通る海に囲まれた島」
という五島の思い出からはほど遠い
「地獄」そのものとでも言うべき
残忍な殺人と迫害が展開されていた



元々自然崇拝をする日本に
「天地創造の神が
全ての世界を作った」…という
キリスト教の教えは根付かない
日本の湿地の中で腐ってしまう

日本人の信じているキリスト教は
本来のキリスト教とは違う…

…って言葉
私は「言えてるー」と思った

でも日本のクリスチャンがこのセリフを聞いた時
どう思ったんだろう???
「そんなことない!」と
反論するだろうか

そもそもこの言葉を書いたのは
自身もクリスチャンである遠藤周作だ

どういう気持ちでこのセリフを書いたのだろう



日本は韓国ほどキリスト教は根付かなかったのよね
なぜだろう〜?
やはり江戸時代の禁止令のせい?



私は多くの日本人と同じように
信心深くなくて
子どもが生まれたら神社にお宮参り
死んだらお寺
年始は神社へ
お彼岸はお寺(お墓まいり)
そしてクリスマスもやっちゃうという
適当な宗教感しか持っていない

でもベースとなっているのは
森羅万象に宿る八百万の神への信仰かなあ?
と、思う

そしてこの
物体や自然現象の中に「魂」を感じ
それを敬うアニミズムは
日本人のクリスチャンの中にも
少しはあるんじゃないかな?と思うのだ
日本で生まれ育ったからには...

それで、日本のキリスト教は
ヨーロッパとは少し違う形で
日本人の心の中に落ち着いているということ
私はあり得ると思った

日本のキリスト教徒は
「そんなことない」と否定するかな?



そして、信心深くない私は
またまた罰当たりなことを考えた

宗教というものは
本当に人を幸福にするのか?
災いを招いてばかりなのではないか?

世界の紛争の多くは
宗教間の対立から起きている

長崎の隠れキリシタン達は
あんなにあんなに
命がけで神様を信じて
祈りを捧げているのに
拷問を受け、むごい死に方をしている

神様は助けてくれない

最初からキリスト教など
入信しなければ良かったのでは?



神父ロドリゲスも
同じような疑いを何度も持つ
なぜ神は沈黙を続けるのかと



窮地に陥った時
例えば東日本大震災の時
信心深くない私でも思わず
「神様助けてください」と祈った

でも神様は助けてくれない
とても信心深い人や
悪いことなどしたことがない正直な人に
苦痛や死を与える

神様への祈りは届かない
祈っても無駄



神様がいるのなら
災害やエボラ出血熱で
何の罪もない人たちがたくさん死んでいくのを
何故止めないのだろう


恐らくクリスチャンたちは
この疑問を何度もぶつけたことがあって
それに対しては「よくある質問」への答えの様に
決まり切った模範解答があるのかもしれない



ロドリゲスは
自分を長崎まで連れてきた
自らの信仰心について
どう思ったのだろう

こんなことになるなら…と
キリスト教との出会いを後悔したのだろうか

心を引き裂かれる様な体験をしたけど
やはり神様を慕う心は
どうしても否定できなかったのだろうか



日本人以外の
クリスチャンの感想も聞いてみたいと思った
「日本人はなんて残酷なんだ」以外の感想を…
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