Seriously?

ひとりごとです

映画 ■■カフェ・ソサエティ■■

2017年05月22日 | 映画
「ゴシップ・ガール」のセリーナが出てた
彼女素敵〜大好き
好きにならずにいられないオーラ

主人公は「ソーシャル・ネットワーク」で
フェイスブックの創設者を演じた
ジェシー・アイゼンバーグ



映画 ■■カフェ・ソサエティ■■

☆☆☆☆

何気に
ウッディ・アレンの映画初めて!?



これからまた物語が動いて
盛り上がって終わるのだろーと
漠然と思っていた所でエンドロール

「は?」
と思った

最後に何かあるかな?
と、最後まで見たけど
そのまま終わった



ネットの評判はなかなか良いのだ
だから見に行った



ネタバレ気味に行くね



人は一度何かを手に入れると
手にした瞬間がクライマックスで
すぐにそれに対して興味を失う

幸せの中にいると
自分は今幸せの中にいると分からない
外から眺めないと見えないのね


「もしもあの時…」の物語
と、言う人もあるが

それは苦しい切ない物語じゃない

惹かれてしまうのは
誰かのものだから
自分のものになりそうで
ならないから

自分のものになったら
また別の「他の人のもの」が欲しくなる

「もしもあの時」と
時計の針を戻してやり直して見ても
何度やり直しても同じ
手にした途端に
「この人ではない誰か」が
たまらなく気になる

そしてその気になる人を選んでも
またすぐ色褪せるのだ
その色は
外側からでないと見えないのだ



そういう
どうしようもない人達の話だと思った



罪悪感とか同情心とか微塵もない
主人公の兄のエピソードは
どうして加えられているのだろう?

「もしもあの時
兄に隣人に困っていると
相談しなかったら
兄は死刑にはならなかったかも…」
という逸話のため?

いやいや、彼だって
何度やり直しても同じ
隣人は殺さなくても
他の人を殺して捕まって
遅かれ早かれ捕まって死刑になってた

そういう
何度も同じ過ちを繰り返す人達の
遅かれ早かれの話だった



ユダヤ教には死後の世界がないからと
死刑前にキリスト教に改宗した兄

死後のために宗教は必要なのか
彼らの信じていた宗教は
生きている時に
人を殺めることを禁じていなかったのかな?
「神様が見ている」とは
思わなかったのかな?



あの一家は
義兄だけが良心的で
後の人達はみんな
自分のことだけ考えているような
人の痛みに対して冷淡に思えた

兄がその最上級で
人を殺すことに全く罪悪感を感じていない

そんな危険な兄に
「迷惑な隣人をなんとかしてくれ」と頼む姉も
「隣人がどうなろうと知ったこっちゃない」
という利己的な目的をガンガン達成しようとするタイプ
殺された隣人に対して罪の意識など感じていない
むしろ兄の方を心配している

お母さんはおじさんに息子の面倒を
強引に押しつけるし

おじさんも不倫の愛に突き進んで
妻を苦しめること傷つけることよりも
自分の愛を成就させることに心を奪われる

主人公も
グイグイ行くタイプ
誰かを好きになると
相手が戸惑うくらい、猛進する



そんな家族と一緒に暮らす義兄だけが
妻の一言が殺人に結びついたことに
罪人以上に罪の意識に苛まれている(まともだ)



この家族にとってユダヤ教は
「ユダヤ教の戒律で禁じられているから」
というのが行動規範で
かろうじて秩序を守っているけれど
それがないと...とんでもないことになりそう

一人一人には道徳心とか
人の心を察する思いやりとかは
なさそう

面白い家族だった
その辺りはとても活き活きと描かれていると思いました
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