Seriously?

ひとりごとです

映画 ■■万引き家族■■

2018年06月13日 | 映画
カンヌ映画祭
パルムドール受賞

目が腫れるまで泣いた
「誰も知らない」に次ぐ傑作か?
と、公開1週目に観に行きました



映画 ■■万引き家族■■



うーん、私は
「誰も知らない」の方が好きだったなあ



今回の感想はネタバレしてます



どうもストーリーの中で
人間関係
掴みきれてなかったっぽい

最後の最後の方で
実は…
と、素性が明らかになっていくのだけど

よく分かってなかったところが
いくつかあったみたい…
観終わっていろいろ調べて
「そうだったのか
分からなかった!」
という所があった

結局、治も信代も
初枝の子どもではなかったのですよね
あの家族全員
血の繋がりはなかったのか

初枝が、実の息子の奥さんと仲が悪くて
二人は出て行って
治と信代というのは
その出て行った初枝の息子夫婦の名前

…っていう所
聞き逃してしまってました



初恵は自分の血の繋がった息子と
上手くいかなかったのを
赤の他人を自分の子どもとして迎え入れて
「やり直し」たんですね

初枝だけじゃなくて
他のメンバーも
自分の親と問題を抱えて
そこで受けた傷を
他人と家族として生き直すことで
癒していく

他人との方が家族っぽい
他人との方が愛し合っている

これが監督の狙いなのだろう
「家族とは血縁じゃない」

私もこれはよく感じる
日本人は、血のつながりにこだわる
養子は一般的じゃない
高額な医療費をかけて
不妊治療で自分の子どもを持つことに
ものすごく執着していると感じる



「虐待された子どもは
親になった時虐待するようになる」
ともよく言われるけど
(そしてデータ上は
確かにその傾向があるらしい)
この家族は「そんなことない」と
言っているよう

むしろ
そんなに酷い目に遭ったのに
仕返ししようとしないで
深いいたわりの姿勢を見せる
奇跡的なまでに純粋な心を育てることもある



他の人の解説に
名前に関する記述があって
なるほど、と、思った

以前「名前には言霊が宿っている」
という話
聞いたことがある
名前はただの識別記号ではない

初枝が、赤の他人夫婦に
「治と信代」という
自分の息子夫婦の名前を付けてから
二人は、初枝の本当の子どもになったのだ

治がパチンコ屋の駐車場から
連れてきた子どもに
「祥太」という自分の本名を付けたのも
子どもの頃の治が満たされなかった愛情を
代わりに祥太に与え
自分自身を愛し、かわいがりたかったから

虐待されていた「じゅり」という名前を捨て
「凜」という
信代の大好きだった友達の名前を付けたのも
「凜は愛情に満ちた子どもに生まれ変わったんだよ
もう誰も凜のことを叩いたりしないよ」
という儀式
(世間の目から隠れるためでもあるが)

風俗店で働く亜紀が
風俗店では「さやか」という
両親からの愛を一身に受けている妹の名前を付けたのも
妹になりたい、愛されたいという
気持ちの表れ
そして
愛情に満ちて健やかに育った妹を
汚してやりたい気持ちの表れ

名前そのものに人格がある
大切なものなんだなと思った



最後はホッと救われるような
終わり方を見せて欲しかったのだけど
登場人物全員
気持ちがすれ違ったまま
家族は分解して終わってしまって
悲しかった

本当は全員がみんなのことを
「誰よりも大切な『家族』だ」と
思っていたこと
うまくお互いに伝わらずに
終わってしまった

非常に好感を持って
「幸せになって欲しい」と思った
素敵な家族だったから
心温まる幕切れを期待していたのに
切なかった



微妙なバランスを保っていた家族に
ほころびが出てきたのは
初枝の死がきっかけではあるけれど

祥太の中に
人の物を盗んで生計を立てることに
疑問が生まれてきたことも大きい

いつもお菓子やシャンプーを盗んでいた
駄菓子屋さん
店主のおじさんは
いつもは知ってて
見逃してくれていたんだと気付く

おじさんは
「妹は巻き込むな」と諭し
逆にお菓子をくれた

あの時の「すみません」も
「ありがとう」も
「もうしません」も
伝えられないまま
おじさんは亡くなってしまった

そして彼は、勉強に対する興味があった
学ぶことで世界が拡がり
知識を蓄え生活が豊かになると
分かっていた
学校に行って勉強したいと
でも、この家族にいてはダメだと
苛立っていたんだな


でも祥太は
多分、両親がパチンコに夢中で
車の中に放置されていたのを
治と信代に助けられたのだと思う
凜が、虐待親から助けられたように

治と信代がいなかったら
あっけなく熱中症で死んで
ワイドショーのネタになっていたのだと
いつか気付く日がくると信じる



祥太が朗読した
レオ・レオニーの「スイミー」
あれが挿入されていたのは
どういう意図だったのだろう?

一匹一匹は小さく弱く
大きなマグロに飲み込まれてしまうけど
みんなが力を合わせれば
みんなで一緒に泳げば
マグロを追い出すことが出来る

食べられてばかりでいないで
立ち上がった小さな者達への賞賛か

今の日本で弱い立場に追いやれている
たくさんの人達
忘れ去られている人達へ
声を挙げることを促していたのか?



そこまで意図しないで
単に
1匹1匹はバラバラでも
1つの家族になって
お互いに信頼しあって
強い絆を持って
同じ方向に向かう姿は美しいと
言いたかったのかな?



終盤
警察の捜査官達が
よってたかって
「あの家族は理想郷なのではなく
幻影だったのだ
みんな狡い犯罪者だったのだ」
と、一人一人を説得していく

捜査官達の言葉は
世間一般が
ワイドショーなどから受け止める印象だ
「万引きで生計立てるなんて」
「子どもにも万引きさせるなんて」
「お葬式にも出さず
年金をだまし取るなんて」
「子どもを学校に行かせないなんて」
「子どもを誘拐するなんて」

もし私がこのストーリーを
ニュースで見たら
同じように軽蔑していただろう

でもそんな恥ずべきニュースの陰に
強い愛情のつながりがあったとまでは
普通は考えない



捜査官達は更に祥太には
「君を見捨てて逃げようとしたのだ」

亜紀には
「両親からお金をせびるために
君と一緒に暮らしていたのだ
愛していたのではない」

信代には
「子ども達に何と呼ばれていたの?」と
「お母さん」や「ママ」とは
呼ばれていなかったことを
思い出させ
疑似家族は形のない幻だったのだと
突きつける



「そうじゃない」と
本当に言ってあげたかった



ゴミゴミした不潔な小さな家が
正直、不快に感じてしまった

日本の洗練された部分ではなく
日陰の、貧しい、誇れない部分を取り上げて
国際的な評価を得たことに
残念な気持ちも、正直感じた

まさに私の中にある
弱者に「気付かないふり」を続け
「自己責任」と弱い者叩きをする
傲慢な部分に気付かせてくれた



この間、ドキュメンタリーで
親の介護を20年もやり続けているうちに
社会復帰できなくなっている
子ども達(と言っても50代半ば)を見た

社会との接点をキープしなかった
彼らの責任と
責めることは私には出来なかった

施設に入ることに強い抵抗を見せる親を
突き放せなかったのは
親に対する感謝の気持ち、愛なのだ



そんな頑張って親の世話をしてきた
50代半ばの子ども達を
救う道がなく
「自立しろ!」
「危機管理が甘かった」
「自業自得」と
言ってしまう風潮は本当に悲しい



凜ちゃんは今日も
ベランダの外に
あの優しい家族達の姿を探す

あの家族は
バラバラになったままではなくて
いつか
自分を本当に愛してくれていたのは
誰だったのか
気づく日がくると思う

自分たちが束の間過ごしたあの家族は
お互い惹かれあい
愛し合っていた
世界で一番暖かい場所だったことに
気づくと思う
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