姫野カオルコさんの「ハルカ・エイティ」を読んでいまして、
ふと気になったことが。
「新築住宅の建築が13坪までに制限されていたので」
大工の棟梁なのに焼けた家をなかなか元に戻せない。
そんな制限があったんだ。
そういえば、昨年いとこが生家の小屋を解体して建てた離れは、
玄関のところが3尺四方に欠角になっていて、
建築確認が出来てから後付けで風除室を取り付けました。
それは、風除室をはじめから付けると税金が高くなるからだそうですが、
現在でも、そのような制限のようなものはあるのですね。
はっきりとした制限ではなくて、税金が急に高くなるといった方式で。
思ったのは、
戦後の最小限住宅の一つとして名高い増沢洵邸についてです。
荻原修・百合夫妻が再現した増沢邸は1階が9坪、2階が6坪
併せて床面積は15坪、1階のうち3坪は2階まで吹き抜け
(「9坪ハウス狂騒曲」荻原百合によります)
もしかいたら、増沢邸って当時としてはでかい建物だったのでは?
現在の感覚で見ると最小限住宅に見えますが、
当時の庶民には、「いいな、あんな家がほしいな」
というようなものだったのではないのかしらん。
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